4 思いがけない出会い
ヒーロー登場
数日後、マリカはヴェルナに連れられてさる貴族の屋敷に来ていた。
本日はここの若奥様がガーデンパーティーを主催しており、国内の多くの貴族の子女たちが招かれていた。……ガーデンパーティーということだが、実質お見合いパーティーみたいなものだ。
だが建前上「庭を散策して親睦を深める」のが目的なので、あからさまに異性に粉を掛けたりしたら顰蹙を買う。
よってこういう場では会の趣旨に従いつつ、密かに自分をアピールするのがよいとされていた。
「私はこっちで絵を描いているから、あなたはそのへんで適当にしていなさい」
「はいはい」
主催者の挨拶のときにはマリカの後ろにぴったりくっついていたヴェルナだが、自由行動の時間になるなり使用人に自分の荷物を持たせて、さっさと行ってしまった。
ここの若奥様は絵画が趣味らしく、「是非、うちの屋敷の絵を描いてください」と招待状にも書かれていた。絵画は基本的に女性の趣味なので、令嬢たちは皆絵を描くための道具を持ってきており、自由時間になると三々五々散らばっていった。
(これも、殿方へのアピール時間なのね)
使用人を連れたヴェルナと違いマリカは一人で画材を抱え、なるべく人のいない場所に移動しつつ考えていた。
今回のガーデンパーティーには若い未婚の男女が合計五十名ほど招かれているが、男性陣での一番の人気株はやはり、シルヴェン伯爵令息だった。
アスラク・シルヴェンはマリカより二つ年上の二十歳で、騎士団に所属している。
騎士団に入るのは国内の貴族令息たちの義務でもあるが、多くの者たちが数年の義務期間を終えるとすぐに退役する中で、アスラクは跡取りでありながら騎士団に在籍し続けているそうだ。
マリカは先ほどちらっと遠くから見ただけだったが、アスラク・シルヴェンは鮮やかな金色の髪に杏色の目を持つ背の高い青年で、しなやかでかつたくましい体躯をしていた。
(噂では、女遊びも賭博も一切しない、とてもストイックな方とのことね)
涼やかな美貌を持つアスラクを慕う令嬢たちは多いが、誰一人として彼の瞳に自分の姿を映すことはできないという。
多くの令息たちがわちゃわちゃ戯れる中、アスラクは一人離れたところにたたずんで空を眺めていたりするそうだ。
そんなクールで清廉潔白な彼を射止めようと、マリカの周囲にいる令嬢たちは気合いを入れて写生を行っている。
多才な令嬢はやはり人気も出るので、ここで自分の美術センスを見てもらいたいと闘志を燃やしているのだろう。
(……どこに行こうかしら)
ヴェルナのおまけで来ているだけのマリカなので、なるべく人気のないところでこっそりと過ごしたい。
そうして豪華な庭園をしばらく歩いた末に、マリカは小さな果樹の植えられた庭にたどり着いた。まだ苗を植えて間もないからか、果樹はマリカの腰ほどの高さだ。
(……これにしよう)
マリカは持ってきていたシートを広げてその上に座り、画材を広げた。
画材といっても、絵筆から何まで揃っているヴェルナのものと違い、色鉛筆が数本だけ。それも、マリカにケチな両親ではなくて叔父に贈ってもらったものだ。
……マリカは、空想好きな娘だ。
(あの果樹の下には……そう。大きな人間が埋まっているのよ)
マリカは勝手な想像をしつつ、勝手な絵を描いていく。
マリカの描く果樹は、地面の断面図だ。果樹の根っこの下には、膝を丸めるような姿勢で座る筋骨隆々とした男性がいる。男性の禿頭と根っこが繋がっているスケッチをして、色も付ける。
そう、どんなに強い力であの果樹を引っ張っても、決して引っこ抜くことはできない。
なぜならあの根っこの先には、このムキムキおじさんがいるのだから――
(……消そう)
描き上がっただけで満足したため、マリカはスケッチブックを目の高さに持ち上げて力作をしげしげと眺めてから、消しゴム代わりのパンを手にして――
「待ってくれ!」
自分のすぐ後ろから大きな声がしたため、パンを取り落としてしまった。
「ひっ!?」
「君、まだ消さないで……いや、一生消さないでくれ! むしろそれ、僕にちょうだい!?」
何事か、と振り返ったマリカは、驚愕で目を見開いた。
いつからそこにいたのか、マリカの背後に金髪の青年の姿があったのだ。
騎士団の簡易礼装であるジャケット姿の彼は、高い身長を持つ体を折りたたんでマリカの手元をのぞき込んでいた。マリカのすぐ目の前で杏色の瞳が瞬いており、一瞬呼吸を止めてしまう。
(この方はまさか……!)
「し、シルヴェン伯爵令息……?」
「あっ、僕のことをご存じだったのですね。おっしゃるとおり、僕はシルヴェン伯爵家のアスラクです」
マリカが驚いていると分かったのか青年――アスラクは数歩下がり、胸元に拳を当てる騎士のお辞儀をした。
「ご存じだったのですね」なんて言うが、本日このガーデンパーティーに参加している者たちの中で、彼の名を知らない者なんていないだろう。
(どうして伯爵令息がここに……って!)
「あ、ああああの! すみません! お見苦しいものを……」
「ああ、その絵のこと? そんなことない、とても独創的で素敵な絵ですよ!」
「まさかっ!」
マリカは真っ青になり、スケッチブックから勢いよく今のページをべりっと剥がした。
そうしてアスラクにこれ以上見られる前にと、丸めて捨てようとしたが――
「わっ!?」
「おっと、風か」
突然吹いた風によって、持っていた紙が飛んでいってしまう。
シートに座っているマリカよりアスラクの方が動きが速く、さっさと歩きだした彼は例の果樹の枝に引っかかっていたそれを手に取った。
「見れば見るほど、素敵な絵だなぁ。まさか地面に、おっさんが埋まっているなんて。……ねえ、お嬢さん。よかったらこの絵について僕と語――」
「失礼しましたぁっ!」
アスラクの言葉を皆まで聞かず、マリカは必死にシートや荷物をかき集め、それを両腕で抱えて逃げ出してしまった。
背後からアスラクの「ええっ!?」という素っ頓狂な声が聞こえるが、もう振り返るのも怖い。
(なんてこと! 麗しの伯爵令息様に絵を見られるなんて……!)
顔は熱いを通り越して、ゆであがりそうなほどの熱を放っている。しかも、泣きたい。
アスラクはきっと、奇抜な絵でも令嬢が描いたからにはなんとかして褒めなければと思って一生懸命フォローしてくれたのだろうが、そんなフォローをしないといけないようなアバンギャルドなものを描いた自分が悪い。
(どうしよう、どうしよう!?)
せめてまともな絵を描いているのを見られたのなら、「噂の伯爵令息様に会っちゃった」くらいで済んだだろうが、よりによってあんなものを見られたなんて。誰にも教えられない。
(……いや、でも、私の顔は見られていないわね)
今日は日差しの中を歩くことになるので、令嬢たちはつばの広いボンネットを着用している。これには最近の流行として布飾りを垂らしているので、アスラクからはマリカの顔は見えなかっただろう。
人気の多いところに戻ったのであたりを見回すが、令嬢たちは皆マリカと似たり寄ったりな格好をしている。中にはそっくりな帽子やドレス姿の令嬢もいたので、これならマリカの正体がばれることはないだろう。
(よかった。なんとかなる……かしら?)
欲を言えばアスラクには拾ったあの紙をさっさと処分してもらいたいところだが、それはもう祈るしかないだろう。
マリカはその後もこそこそ逃げ回り、本日のガーデンパーティーはなんとか終了した。
ヴェルナは「アスラク様、どこにもいらっしゃらなかったわ。つまらない!」と馬車の中で文句を垂れていたのだが、彼女にあの話をするつもりはないので居眠りをしているふりをしておいた。
……きっとこれで、あの事件はなかったことになるだろう。
マリカはそう思っていたのだが。