2 不遇な男爵令嬢②
ヴェルナがお茶の席で衝撃発言をした日の夜、マリカは珍しく夕食の後に父に呼ばれた。
「マリカも、よく聞きなさい。非常にめでたい話なのだが……なんと、テラスト子爵家が我が家に、次男であるティモ殿を婿入りさせてくださるということになった」
「まあ……! なんて素敵な話なのでしょう、あなた! よかったわね、ヴェルナ!」
義母がわざとらしくはしゃぐのを、マリカは冷めた目で見ていた。
そんな母に対して、ヴェルナは慎ましく微笑んだ。
「お母様ったら。お父様は、ティモ様が我が家に婿入りするということしかおっしゃっていないでしょう? この家の正統な跡継ぎは、マリカでしょう?」
(……しらじらしいわ)
思わずマリカの鼻の頭に皺が寄りそうになった。
そして、この後父がどんな発言をするかも予想できていて――
「いいや、ティモ殿は是非とも、ヴェルナを妻にしたいと仰せになった。……この前のビルギッタ王女殿下主催のパーティーで、ティモ殿がヴェルナを見初めたそうだ」
父は「さすがヴェルナだ」と、胸を張っている。義母は当然手を打って喜び、ヴェルナも「光栄です」と頬を赤く染めて言った。
(……なるほど。今日、あんなことを私に暴露したのはこの報告があったからなのね)
なぜ今になってヴェルナが自分と父の血縁関係をマリカに教えたのかと疑問に思っていたが、どうせこの話を前々から聞いており、「正統な跡継ぎ」であるマリカに牽制を入れるために釘を刺したのだろう。
確かに、書類上あくまでもハンネレは男爵の後妻でヴェルナはその娘であり、男爵夫妻の子どもはマリカだ。
そういう点で「正統な跡継ぎ」なのだが――今日の話で、全てが覆った。
「ティモ殿はヴェルナと一緒に、男爵家を継ぐとおっしゃってくださった。ヴェルナももう十六歳だから、婚約を結んでも早くはないだろう」
「ええ、是非ともそうしましょう、あなた!」
「私も、謹んでお話をお受けしたく思います」
湧き上がる三人を前に、マリカは冷たい心を抱えていた。
マリカは亡き男爵夫人の子だから、「正統な跡継ぎ」でいられた。
……だがこれはあくまでも、仮の呼称だ。
テラスト子爵家次男のティモがヴェルナのもとに婿入りすると決め、父もそれに承諾して城に申請したならばティモが男爵として認められる。
――ヴェルナに、マリカの生家であるこの屋敷が、乗っ取られてしまう。
(……私が家を継ぐなんて、絶対にあり得ないと思っていたわ)
だがそれでも、母との思い出が詰まった屋敷をいずれ追い出されると思うと、辛い。
「……それで、マリカはどうするの?」
「そうですよ、あなた。マリカにもいい嫁ぎ先を見つけてあげるのが、母としての役目だと思っております」
ハンネレが「養女思いの優しい母親」の顔をして父に言うのを、マリカはどこまでも冷たい目で見ていた。……本当は、「さっさとこいつを追い出したい」と思っているくせに。
父はちらっとマリカを見て、あごを撫でた。
「そうだな……いずれマリカにも、よい嫁ぎ先を見つけよう。……大丈夫、お父様に任せなさい」
「私も、あなたの結婚に協力するわ! 私は、ビルギッタ様と仲がいいの。もしかするとビルギッタ様が、マリカにぴったりな結婚相手を見つけてくださるかもしれないわ」
ヴェルナが嬉々として言ったため、冗談じゃない、とマリカは頬を引きつらせた。
ここセルミア王国の第二王女であるビルギッタは、しとやかだった姉王女と全く違うたいそう奔放な姫だった。
十六歳の彼女は数多くの取り巻き――もとい友人を引き連れ、あちこちで遊び歩いたり気に入らない者に嫌がらせをしたりしているという。
ヴェルナはビルギッタに気に入られているようで、そういうこともありハットネン男爵家はビルギッタ寄りだった。
先日ビルギッタがどこかの伯爵から暴行を受けたという事件が起きたが、そのときにも父母やヴェルナは精力的に動き、相手の伯爵家をこき下ろしてビルギッタに褒められようと必死になっていた。
一方のマリカはお呼びでないし、偉そうに振る舞うビルギッタが好きではないので、蚊帳の外だった。
ヴェルナ曰くビルギッタはマリカのことを「ヴェルナの爪の垢を煎じて飲めばいいのに」と馬鹿にしているようで、そんな王女から推薦された結婚相手なんて絶対にろくでもない。
(でも、お祖父様や叔父様たちには頼れないし……)
マリカの母方の祖父母は小さな商家を営んでおり現在の家長は叔父だが、あまり裕福ではない。
それに男爵家にもの申せる身分でもないので、マリカのことを気遣いこっそり小遣いを送ってくれたり避難場所にしてくれたりはするが、堂々と逆らうことはできなかった。
(まずは、ヴェルナの結婚で忙しくするはず。……もう少しは、余裕があると思うけれど)
……どうやら母が存命の頃によく語っていた、「格好いい王子様と幸せな結婚をする」という夢は、永遠に叶わなくなりそうだ。