あなたに祝福を
2023年11月1日に、角川ビーンズ文庫より2巻が発売します
ありがとうございます!
「……大変申し上げにくいのですが」
担当魔術師の言葉に、レジェスは身をこわばらせた。それは隣に座る妻のリューディアも同じで、夫婦は互いの顔を見合わせる。
「……カティアに何かあったのですか?」
リューディアが問うと、彼女の腕に抱かれた赤ん坊が身じろぎをした。まだ生まれて間もない女の子だが、頭頂部にはうっすらと黒い髪が生えている。
担当魔術師は母親に抱かれる赤ん坊を見て、重々しく口を開いた。
「……検査の結果、残念ながらカティア・ケトラ様には闇属性の魔力があることが判明しました」
担当魔術師の言葉に、ああ、このときが来てしまったか、とレジェスは唇を噛みしめた。
レジェスがリューディアと結婚して、数年経った。
夫婦の間には現在、二人の子どもがいる。長男のリクハルドは三歳で、レジェスの膝の上でおとなしく人形遊びをしている。なお彼は普通に人形で遊ぶこともあるがその縫い目などをじっと見ていることも多く、将来この子は自分によく似た研究者になるのでは、とレジェスは予想している。
そんなリクハルドは出生時の診断により、光属性の魔力を持つと判明した。それが分かったときは夫婦よりむしろ、担当魔術師の方が大喜びしていたものだ。
そして現在、第二子である長女のカティアも同じ担当魔術師に診断してもらった。
そうして告げられた内容に、レジェスは臓腑が凍り付くような感覚を覚えた。
遺伝してしまった。
自分の、忌み嫌われる闇の魔力がついに、娘に受け継がれてしまった。
リクハルドのときから、「もしかしたら」とは思っていた。彼が光属性持ちだと知ったときは驚いたが、おそらく妻が隠れ光属性なのだろうということで納得した。
……だが、可能性は十分にあった。
妻の隠れ属性である光と、自分の闇属性。
二人の間に生まれた子は、四割ほどの確率で自分と同じ属性を持つのだから。
リクハルドを膝に乗せたレジェスは、何も言えなかった。
だがリューディアの方は、「まあ!」と嬉しそうな声を上げる。
「そうなのですね!」
「……」
「……それで? 言いにくいことというのは何かしら?」
「えっ」
リューディアに問われて、担当魔術師は驚いたように目を丸くした。
「お嬢様が闇魔術師であるということなのですが……」
「ええ。それで?」
「……気にされないのですか?」
「娘が夫と同じ属性の祝福を受けたことに、何かおかしなことでも?」
逆にリューディアが問うと、担当魔術師は首を横に振った。
「祝福などではございません。お嬢様はこれから、闇属性持ちということで偏見を持たれるでしょう。せめて、魔術師の素質がなければよかったのですが――」
――ガタン、という音で担当魔術師のみならずレジェスもはっとした。
カティアを胸に抱いたリューディアが、静かな眼差しで立ち上がっていた。いつもは暖かなその杏色の目は、今は冷えきっている。
レジェスでさえ、妻がこんな眼差しを――軽蔑するような目つきをするのを、初めて見た。
「……ええ、そうですね。あなたのように、闇魔術師というだけで私たちのかわいい娘を差別する人がいるのが、間違っているのですものね」
「そ、そういうわけではなく、私は世間の常識を――」
「あなたのような人がいるから、闇魔術師たちは苦しい思いをするのです。……私は、夫と同じ祝福を受けたこの子のことを、愛おしく思います」
リューディアのはっきりとした言葉に、レジェスは……救われた思いになった。
自分の子どもが闇属性持ちだったらどうしよう、とずっと悩んでいた。リューディアがリクハルドをお腹に宿したときからずっと、悩んでいた。
そのたびにリューディアはレジェスの手を取り、「もしこの子が闇属性持ちなら、誰もがあなたの子だと認めてくれるわね」と微笑んだ。どんな子だろうと一緒に育てよう、と決めていた。
レジェスはぐっと顔を上げて、担当魔術師を見た。
「……そもそもあなた、私がこの子の父親という時点で分かっていたはずですよね? 四割ほどの確率で、リクハルドもカティアも闇属性を持っていた。……それなのによくもまあ、そんなことが言えるものです」
「……わ、私はっ」
「はいはいそこまでー!」
険悪な雰囲気になりつつある部屋に乱入してきたのは、金髪の青年。十代後半以降もすくすくと成長を続け、今ではレジェスよりも高身長になった義弟のアスラクである。
彼は、姪の魔力診断ということでわざわざ王都からこの田舎にある屋敷まで来てくれていたのだ。
「話は大体聞かせてもらったよ。……君は僕や姉上が赤ん坊の頃から世話になっているけれど、僕の義兄上や姪を侮辱するような人は、もう顔も見たくないなぁ」
「なっ! アスラク様……」
「君、もう二度とうちの領では仕事ができないと思ってね?」
アスラクが微笑みながら告げた言葉に担当魔術師は真っ青になり、そしてやっと己の失態に気づいたようだ。
彼は、次期シルヴェン伯爵であるアスラクの姪が闇属性持ちであることを「残念」と言った。これにより彼はリューディア・レジェス夫妻のみならずアスラクの怒りをも買い――シルヴェン伯爵領から追放されることになったのだ。
これまでは伯爵領内で生まれた子どもたちの出生時魔力診断を行うのを生業にしてきた彼にとって、追放処分は実質クビだ。だが、レジェスを含めた伯爵家一族を敬愛する領民たちが、この男を許すはずがない。
なおも担当魔術師はわめいていたが、アスラクによって連行されていった。騎士団でかなりの実績を重ねるようになったアスラクはすでにがっちりとした筋肉を備えており、たかが魔術師では抵抗できないようだった。
部屋が静かになり、レジェスはこわごわと妻を見た。
「……その、リューディア――」
「……カティア、おめでとう。あなたはお父様と同じ、闇の祝福をもらって生まれたのよ」
椅子に座ったリューディアが優しく呼びかけると、それまではどこかぶすっとした顔をしていたカティアはふにゃりと笑った。
そんな母子の姿に、レジェスのまぶたが熱くなった。
ずっと、この闇の力は忌み嫌われているし、自分自身でも忌み嫌っていた。
だが、これではいけないと思っていた。
娘に闇の力を受け継がせた父親として、レジェスがするべきなのは――
「……カティア。あなたが幸福な人生を歩むために、私は努力を惜しみません」
レジェスもそう言って娘の頬にそっと触れると、カティアはむっちりとした手で父親の指を掴んだ。まだ赤子なのになかなかの握力なので、ついレジェスは笑ってしまう。
「これは、すごい力です。……この子ならきっと、強く生きていけるでしょうね」
「カティ、すごいこ!」
父親の膝の上で、リクハルドも楽しそうに言った。
彼はずっと、自分の弟か妹が生まれるのを楽しみにしていた。レジェスとリューディアがカティアを愛するのと同じように、リクハルドも闇の魔力を持つ妹をかわいがってくれることだろう。
リューディアは微笑むとレジェスを見て、「ねえ」とささやく。
「これから先きっと、カティアだけでなくてもっと多くの闇魔術師たちが幸せになれるわ」
「はい。……私が魔術卿となったことで既に、世の中は動きつつあります。……私はこの命が尽きるまで、自分のやるべきこと、やりたいことをし続けます」
かつての彼は、生きることで精一杯で――その生きることにさえ、それほどの執着心はなかった。
だがリューディアと結婚して、彼は長く生きたいと思えるようになった。さらに子どもたちが生まれてからは、この子たちが幸せな人生を歩めるように心を砕くようになった。
もしかすると自分は、この子たちが成人するまで生きられないかもしれない。
だがそれまでの間でも、できることをやりたい。光属性持ちだろうと闇属性持ちだろうと、子どもたちが胸を張って生きていける世界を作りたかった。
しばらくしてドアがノックされ、リクハルドとカティアの世話係たちが入ってきた。大体の事情を察したらしい彼らだが今は余計なことは何も言わず、子どもたちを引き取ってくれた。
夫婦二人だけになると、リューディアがレジェスの方に身を預けてきた。今ではだいぶスマートに妻に応えられるようになったレジェスが彼女の肩を抱くと、リューディアは「レジェス」と甘やかな声でささやいた。
「……愛しているわ」
「……ええ。私も愛しております」
「これからも一緒に、頑張りましょうね」
「ええ。……これからも、あなたと――リクハルドとカティアと、共に」
静かに誓いを交わした二人の唇が、音もなく重なる。
大丈夫。これからもきっと、大丈夫。
レジェスには、やりたいこと、やるべきことがある。
そして……守りたいと思う存在が、あるから。