夜に思う
幸せを知った闇魔術師のお話。
『……せっかく魔術師が産めたと思ったのに、なんでよりによって闇属性なのよ!』
『来るな! おまえなんか息子じゃない!』
『兄ちゃんって汚いんだろ?』
『はぁ? あんたにあげるわけないでしょ?』
耳に残るのは、幼い頃に刻み込まれた罵声。
息子に魔術師の適性があると分かって、両親は歓喜した。だがその守護属性が闇であると知ると、手のひらを返した。
暴力や暴言は当たり前。そのくせ、気に入らない者がいると『おまえの闇魔術で殺してこい』と命じてくる。きょうだいたちも、「こいつはいじめていいんだ」と年齢問わず攻撃してくるようになった。
幼いうちに家出をしたのは正解だったと、今でも思う。
そこからセルミア王国にたどり着くまでは、盗みも殺しも平気でやって来た。そうしないと、年齢一桁の子どもが生きていくことなんてできなかったから。
まれに、虐げられる少年を哀れんで寝床や食料を提供してくれた優しい人もいた。
だが翌日になると、『おまえの家で闇魔術師をかくまっているんだろう!』と近所の者に責められ、家に火を付けられた。
誰も、頼りにしない。してはならない。
自分に関わった人は不幸になるのだから、一人で生きていくしかない。
そうして実力をもってセルミア王国の魔術師団員になり、がむしゃらに働いてきた。
少なくとも、仕事をこなしている間は飢えることはない。魔術師団員や貴族からのいじめはあったけれど、故郷にいる頃よりはずっとましだった。
……あの、十六歳の晩夏の夜。
何か違えば、自分はあのとき息絶えていた。
雨の降る中行き倒れ、死体となり、近くの村の者に埋められていただろう。
そうならなかったのは、温かい光が差し込んできたからだった。
レジェスは、自分のうめき声で目を覚ました。
久しぶりに、幼い頃の夢を見た。最近はめっきり見なくなったと思ったのだが――もしかすると今は晩夏で、昨日一日雨模様だったからかもしれない。
まだ、時刻は深夜を過ぎた頃だろう。雨は上がったようで、少し肌寒い。
悪夢を見たからか、寝間着が汗でしっとりと濡れている。体を起こして額の汗を拭った彼は――ふと、隣で横になる女性を見やった。
こちらに背を向けた彼女のなめらかな金髪が枕からシーツへと流れており、寝息に合わせて小さな肩が上下している。
一緒に寝たときにはこちらを向いていたはずなので、夜のうちに寝返りを打ったのだろう。
「……リューディア」
起こさないよう、小声で妻の名を呼ぶ。手を伸ばして、さらり、と自分の癖毛とは大違いの柔らかい直毛をくしけずる。
彼女と結婚してから、一緒に寝るようになってから、レジェスは幸せな夢を見るようになっていた。
それは、その日の出来事の振り返りのようなものだったり、まだ訪れない未来の話だったり、ちょっと誰にも話せないような恥ずかしい内容のものだったり。
妙に心が寂しくて何度も髪を撫でていると、ぴく、と肩が揺れた。
「……眠れないの?」
どうやら起こしてしまったようだ。
背を向けたまま優しい声音で問うてくる妻に、レジェスは「いえ」と返す。
「そういうわけでは」
「そう。……寝られそう?」
「……」
黙っていると、リューディアはゆっくりと寝返りを打った。レジェスの手元から、金色の髪の束が逃げていく。
暗い闇の中だと、リューディアの金髪は濃い栗色のように見えて、快活な杏色の目は黒っぽく見える。
妻にじっと見つめられて、レジェスはしばらくの間逡巡していた――が、やがて観念して口を開いた。
「……悪夢を、見まして」
「そう……だから、汗を掻いているのね」
寝起きで少し舌っ足らずな妻が、気遣わしげにレジェスの寝間着の袖をそっと撫でた。
「どんな夢を見たのか、聞いた方がいい?」
「……。……聞いてくれますか」
「ええ、どうぞ。あなたの話したいことを、あなたの話したいように言って」
リューディアに言われて、レジェスはベッドに横になってからぽつぽつと夢の内容――幼い頃に両親から虐待されたことや、生き延びるために犯罪をしてきたことなどを語った。
自分の生まれ育ちが褒められたものではないことは、結婚前から教えている。だが具体的にどんな目に遭ってきたのか、どんなことをしてきたのかまでは、あまり言わなかったはずだ。
レジェスがぼそぼそ語る内容に、リューディアは何も言わず頷きながら耳を傾ける。
ベッドの上で固めたレジェスの拳が震えているとそっと自分の手で覆い、よしよしと優しく撫でてくれる。
語り終えると、リューディアは長いまつげを伏せた。
「……そう。とても……大変な思いをしてきたのね」
「……ククク。軽蔑したいなら……してください」
「するわけないでしょう。……ねえ、レジェス。私はね、あなたと出会えて……本当によかったと思っているわ」
拳を撫でていたリューディアの手が伸び、頬に無造作に散っていた癖のある黒髪を掻き上げて耳に掛けてくれる。
「あなたは頑張って、頑張って、生きてきた。とても辛くて、怖くて、悲しい思いをしてきて……それでも生き延びた。……とても頑張ったのね、レジェス」
「……やめてください。こんな……こんな、犯罪者のことを……」
「多くの人は、大なり小なり罪を犯すわ。そしてあなたはそうでもしないと、生きていけなかった。そんなあなたを……責めることはできないわ」
リューディアのもう片方の手が伸びて、レジェスの手首を捉える。そのまま自分の口元に引き寄せて、ガサガサに荒れた手のひらにそっとキスを落とした。
「リュ……!」
「必死に生き延びてきたあなたの、この手のひらが大好きよ。あなたが犯した罪を帳消しにすることはできないし、それを私が背負うなんてこともできない。でも、話したいことがあったらいくらでも聞くし、やってほしいことがあるならなんでもやるわ」
だから、とリューディアは闇の色に染まった目で、じっとレジェスを見つめた。
「一緒に、前を向いて生きていきましょう。辛くなったらいつでも立ち止まっていいし、私にたくさん甘えてくれればいいわ」
「……甘えて、いいのですか?」
いつもなら口にしないことも、今はつい言ってしまった。
勢いのままリューディアの腰を抱いて引き寄せると、彼女はレジェスの薄い胸もとに頬ずりしてクスッと笑う。
「汗の匂いがするわ」
「え、あ……す、すみません。あの、着替えて……」
「いいの。……あなたの匂い、好きだもの」
そうささやいたため、かあっとレジェスの頬が熱を持った。
本当に、この年下の妻はレジェスを翻弄させるのが上手だ。
「……本当なら、明日のためにももう寝るべきです。しかし……その……もう少し、あなたに甘えても……いいですか?」
「ええ、もちろん」
闇の中で見つめ合い、そっと唇が重なる。
悪夢と汗で冷えてしまった体が、リューディアの熱を分け与えられてじわじわと温かくなる。
「リューディア……」
「レジェス。……愛しているわ」
「っ……私も……愛しています。私の、リューディア……」
窓の外で、ぴたん、と雨粒が滴る音がした。
今夜はもう、悪夢を見ることはないだろう。
これにて番外編もひとまず完結です。
お読みくだり、ありがとうございました!
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