04
闇魔術師レジェス・ケトラの働きにより父の身の潔白が証明され、リューディアたちは自由の身となった。
なお、「うっかりマルテ王女にぶつかりそうになったところを、伯爵に止めてもらった」と公表されたビルギッタ王女は、離宮にある部屋で謹慎処分を受けることになった。
華やかなパーティーに出るのが大好きな彼女にとっては、質素なドレス姿で一日中部屋にこもるというのはかなりのストレスになるかもしれない。だが、「シルヴェン伯爵家はもっと辛い思いをした」と、親馬鹿な国王もさすがに譲らなかったそうだ。
娘の不始末を悔いる国王は、伯爵家の名誉挽回のために助力は惜しまないと言ってくれた。そのおかげか、軟禁解消後初めて参加したパーティーでも、リューディアはひそひそされたり遠巻きにされたりするどころか、貴族たちの方から寄ってきた。
「このたびのご心労を拝察いたします」
「なんでも、伯爵は倒れそうになった王女殿下をお支えしようとしただけだとか……」
「リューディア嬢がお元気そうで、何よりです」
新調したばかりのドレスを纏って王城にあるパーティー会場に現れたリューディアを囲む面々は、顔なじみの貴族もいればこれまであまり関わったことのない貴族もいる。
顔なじみには、軟禁期間中もまめに手紙を書いていた。アスラクのように「伯爵がそんなことをするはずがない」と考えている人は丁寧ないたわりの手紙を送ってくれたし、そうでない者はあっさりリューディアたちとの関係を切り捨ててきた。
それがまさか、半年経って真実が明かされた。
しかも、一応「ビルギッタはよろめいてマルテ王女にぶつかりそうになった」ということにしているが、この半年間ビルギッタが伯爵の所業を声高に主張していたことからすると、「もしかして……」と思う者は少なくなかったようだ。このあたり、レジェスの読みは当たっていたと言える。
そうしてシルヴェン伯爵家の名誉が回復したことで、慌ててすり寄ってくる者も増えてきた。
王女の言葉を信じて伯爵家を糾弾した者からすると、この展開は嬉しくない。ひとまず、結婚を考えなければならない年齢のリューディアから懐柔していこうという作戦だろう。
(……そんな人と縁組みなんて、お断りよ)
もしまた同じような事件が起きた場合、そういう人はやはりあっさりとリューディアを見捨てるはずだ。
一時は結婚を諦めていたが、もし結婚するならずっと誠意のある人がいいと思っている。両親も、リューディアの嫁ぎ先を考えるなら軟禁期間中も懇意にしてくれた家を候補にしたいと言っていた。
だがまずは、リューディアが元気に社交界に出ることでシルヴェン伯爵家の力を示さなければならない。国王のフォローがなくとも伯爵家は誇りを持って生きているのだと、伯爵家の娘であるリューディアこそが率先して動きたかった。
……とはいえ。
「……ということで、今度我が領で開かれる狩りに、リューディア嬢を是非お招きしたくて」
「いえ、その時期は多忙なので遠慮します」
リューディアがにべもなく言うが、相手の青年は全く堪えた様子もなくにこにこしている。
リューディアが顔なじみや令嬢仲間に挨拶して回っていると、この青年が声を掛けてきた。
子爵家嫡男の彼は、伯爵家の娘の嫁ぎ先としては悪くないが――彼の実家はこの半年間、社交界でシルヴェン伯爵家の悪口を散々言っていたそうだ。
まさに、国王自ら伯爵家の潔白を宣言してから手のひらを返した貴族のお手本だ。他の貴族子息ならここまでばっさり言えば大人しく引くものだが、彼はなんとしてでもリューディアの気を引きたいようだ。
(もしかすると、父親とかから言われているのかもしれないわね……)
そんなことを考えながらリューディアは青年の誘いを袖にしつつおいしいケーキを頬張っていたのだが、青年のしつこいことしつこいこと。
「おや、リューディア嬢はそちらのデザートがお好きですか。いえ、実は我が家お抱えの菓子職人がこれに似たものをよく作っておりまして。……ああ、そうです! ティーパーティーにお招きして、職人が腕を振るって作った逸品をご堪能いただければ……」
「いえ、我が家の菓子職人もそれはそれは優秀なので、彼に作らせますから間に合っています」
「そうですか。……ちなみにリューディア嬢は、気になる異性などはいらっしゃいますか?」
(婉曲な誘いではだめだと分かって、切り込んできたわね……)
甘酸っぱい果実酒を味わっていたリューディアは、ちらっと青年を見た。
粋な髪型に整えたブロンドに、つやつやとした血色のいい肌。騎士ではないのでどちらかというと痩せているが、いいものを食べているからそれなりに肉も筋肉も付いているはず。
(……まあ、そうよね。平均的な成人男性は、これくらいの体格なものよね)
背は高いのに痩せていてクククと笑いながら手の中にころころと闇の塊を生じさせる男の方が、例外的なのだろう。
「おりません。今は異性関連より、伯爵家の経営や弟の将来について考えたいので」
もちろん結婚も多少考えているが、面倒くさい相手に離れてもらうためにそう言っておいた。
すると青年は目尻を垂らし、ため息をついた。
「なんと、弟思いの素敵な方ですね。……しかし、ご家族のことを大切に思うのは立派ですが、あなたも女性としての幸せを考えてもよいかと思います」
「……女性としての、幸せ?」
「ええ! 家族のことだけでなく、将来夫とする男性について吟味することであなたも幸せに――」
「……なぜ、あなたに、女性としての幸せを説かれなければならないのですか?」
コト、と果実酒の入っていたグラスをテーブルに置き、リューディアは静かに尋ねた。
別に、怒っているわけではない。苛立っているわけでもない。
だが……胸の奥でもやっとするものを、この男にぶつけてやりたかっただけだ。
「あなたは男性です。そして、年齢も私とさほど変わらないはず。……そんなあなたがなぜ、私に女性の幸せを語るのですか?」
「……え? それはまあ、結婚と出産こそが女性の幸福そのもので……」
「あなたは一度でも、女性として結婚したことがおありなのですか? 出産したことがあるのですか? それとももしや、女性として生きた前世の記憶でもお持ちなのですか?」
「そ、それはないですが、母や姉もそのように幸せに――」
「であれば、あなたのお母様やお姉様からその話を聞きたく存じます。とはいえ、私の幸せが何かは最終的に、私が決めます。家族でも恋人でもないあなたから諭されるべきことは、一切ございません」
リューディアはそこで言葉を切り、新しいグラスをひょいっと取ってワインを口に含んだ。特に手元を見ずに選んだので思ったよりも苦い味のものだったが、今はこれくらいの苦さがちょうどよかった。
子爵家子息はなおも何か言いたそうだったが、そそっと寄ってきた友人らしい貴公子たちに肩を叩かれ、「もうやめておけ」「おまえじゃ無理だ」とささやかれながら退場していった。
周りの貴族たちはそんな若者たちをしばらくの間はわざわざひそひそしながら見ていたが、しばらくすると皆自分たちの会話に戻った。
(……社交界で針のむしろ状態にならないのは、ありがたいことだけれど)
なんだかなぁ、と思わなくもないのが、リューディアの悩みだった。
やるべきことを終えたリューディアは、さっさと帰ろうと連れてきた使用人に馬車の準備を頼んだ――が。
「……少々お待ちなさい、リューディア・シルヴェン」
廊下に出たところで名を呼ばれ、動きを止めた。
この声は――馴染みがあるわけではないが、誰のものかはすぐに分かった。
……すぐに分かり、えも言えぬ感情が胸の奥から湧いてきた。
(……ビルギッタ王女殿下)
振り返るとやはりそこには、セルミア王国第二王女の姿があった。だが、現在王城でパーティーが開催されているにしては地味なドレス姿だ。
……それもそうだろう。
彼女は現在謹慎の身で、パーティーへの参加が認められていないのだから。
(このあたりに来ることさえ、許されていないはずだけれど……)
警戒心を抱きながら、リューディアは十数歩先にいるビルギッタを観察する。
星屑をまぶしたような眩しい銀髪はくるっと簡単に結っているだけで、髪飾りも装飾も見当たらない。エメラルドのようだと褒め称えられた緑色の目は、リューディアをじとっと見つめている。
……どう考えても、好意的な眼差しではない。
「ご機嫌麗しゅうございます、ビルギッタ王女殿下」
「ええ、ご機嫌よう。……本当に、わたくしと違ってあなたはご機嫌よさそうね」
(これは、たいしたあてこすりだわ……)
むっとしつつも、ここでやりあってもいいことにならないのはお互い様だ。むしろ、謹慎中なのに勝手に離宮を出てパーティー会場付近にいるビルギッタが責められるだけだ。
(何のご用事かは分からないけれど、ろくでもなさそう。お引き取りいただくべきね……)
リューディアは、開いた扇で口元を慎ましく隠して頭を垂れた。
「父から、そろそろパーティーに参加してはどうかと勧められまして」
「ええ、話は聞いているわ。あなたを妻に迎えたい貴公子が山ほど現れたのに、あなたはどれにもよい返事をせずに足蹴に――ああ、いいえ、お断りしたそうね」
さすがかつては社交界を賑わわせていただけあり、ビルギッタの声は甘くとろけるようだし口調もおっとりとしている。
……だが、どう考えてもリューディアを貶すつもり満々だ。