伯爵令嬢は、闇魔術師と夫婦になる
本編終了後、愛する人と一緒になる伯爵令嬢のお話。
子どもの頃、親戚の年上の女性が結婚することになり、花かごを持つ係として式に参列したことがある。
いつも遊んでくれていたお姉さんは、素敵な花嫁になっていた。花婿の隣に立つ幸せそうな彼女にどきどきしながら花束を渡すと、これまでに見たことのない笑顔で笑ってくれた。
――おねえさま、とってもすてきです。
そう言うと、花嫁はふふっと笑った。
――ありがとう。リューディアもきっといつか、素敵な人と一緒に幸せになれるわ。
そう言ってもらえて、とても嬉しかった。
きっといつか自分も、真っ白なドレスを着てきれいなお化粧をして、さんさんと日光が降り注ぐ華やかな庭園で盛大な式を挙げるのだと夢見ていた。
だが、大人になって――恋をして、分かった。
百人の人間には百通りの性格があるのと同じように、人によって結婚式の形も違ってよいのだ、ということに。
「リューディア」
瞑目していたリューディアは、耳朶をくすぐる愛しい人の声に目を開いて顔を上げた。
ドアの前に、灰色のジャケットとスラックスを纏った男性が立っていた。いつもはぶかっとした闇魔術師のローブを着ているからか、体の細さがよく分かるデザインの礼服を着た姿は少しだけ新鮮だ。
いつもは無造作に流していることの多い癖のある黒髪は、きっちり結ばれている。本人は額を出すのはあまり好きではないようだが、「あなたの顔がはっきり見えるから私は好きよ」と伝えると、照れながらも前髪を上げてくれるようになった。
その人はリューディアを見て、息を呑んだようだ。もともと青白い頬がほんのりと赤みを増して、んんっと咳払いをする。
「え、ええと……その……とても、お美しいです」
「本当? ありがとう」
リューディアは微笑み、彼のもとに歩み寄った。動くたびにスカート部分が床を擦って、さらさらとかすかな音を立てる。
褒められたのは純粋に嬉しかったが、そう言った彼の方は少しだけ複雑そうな顔をしているのが気になり、リューディアは首をかしげた。
「何か、式の前に気がかりなことでもある?」
「い、いえ。その……本当に、この衣装でよかったのかと思いまして」
彼はそう言って、正面に立ったリューディアのドレスに視線を落とした。リューディアも横を見て、大きな鏡に映った自分の姿をじっと見つめる。
ドレスは、光沢のある生地で作られている。何重にも重ねたパニエがドレスのスカートをふんわりと自然な形に膨らませており、髪に飾ったベールが霞のように揺れている。
頭に戴くティアラは、シルヴェン伯爵家に伝わる家宝の一つだ。よそに嫁ぐ伯爵令嬢や、伯爵家に嫁いでくる女性たちが身につけるもので、今から二十五年ほど前にリューディアの母もこれを髪に飾って結婚したという。
化粧も今日のためにメイドが力を入れてくれたので、リューディアとしては特に問題点は何もないと思われる。
「どこかおかしいかしら?」
「その……色が」
花婿は、ためらいがちに言った。
セルミア王国も昔は結婚式にあまり自由はなかったようだが、最近はそれぞれの家同士で相談して個性のある式にしたりしている。
花嫁のドレスのデザインや色にも、特に指定はない。ただやはり、白のドレスは昔から一番人気だ。
リューディアは今日、婚約者と結婚する。
そんな彼女が纏っているドレスは……灰色に近い銀色だった。
金糸を編み込んだものやまばゆく輝く白銀のような色ならともかく、この色では暗い場所だとくすんだ灰色に見えてしまう。彼は、それが気になるのだろう。
リューディアはくすりと笑い、ロンググローブの嵌まった手で花婿の頬に触れた。
「私がこの色がいいと言ったのよ。それに……きっといい感じに仕掛けも働いてくれるわ」
「……アスラク殿考案の仕掛け、でしたか。彼、案外多才なのですね」
「その才能をもうちょっといろいろなところで発揮してほしいところだけれどね」
婚約者が苦笑するので、リューディアもクスクス笑ってからそっと彼の耳元に唇を寄せた。
「ねぇ、レジェス」
「っ……は、はい」
「私ね……あなたのお嫁さんになれて、本当に嬉しいの」
花婿――レジェスはそれを聞き、白手袋をはめた手をぴくっと動かした。
「お父様とお母様にアスラク、そして……あなたと一緒に考えたこの式で、あなたのお嫁さんになれる。それが……本当に、本当に、嬉しいのよ」
「リューディア……」
「知らなかったわ。……好きな人と一緒になれるというのが、こんなに嬉しいことだなんて」
泣くつもりはみじんもないのだけれど、ついほんのちょっとだけ声が震えてしまった。
そんなわずかな変化に気づかないレジェスではなく、彼はさっと手を伸ばし――リューディアがきれいに化粧をしていることに気づいたようで、そわそわと手を揺らした。
「あ、す、すみません……その、今触れたらせっかくの化粧を乱してしまいそうで」
「……ふふ、それもそうね。大丈夫よ」
リューディアは笑い、手持ち無沙汰にわきわきさせていたレジェスの手にそっと触れて指を絡めるように握った。
「あなたに化粧を乱されるのは……式が終わってから、よね?」
「えっ!? あ、あの……その……」
婚約して一年経っても、レジェスはこうしてリューディアの言動一つ一つに対して感情豊かに反応してくれる。
反応してくれるレジェスのことも愛おしいし……彼を戸惑わせるのが他ならぬ自分であることもまた、リューディアはなんだか誇らしかった。
レジェスはしばし迷っていたようだが、やがてククク、と笑った。
この笑い声を聞くとなんだか安心できて、リューディアは頬を緩める。
「クク……そうですね。麗しき花嫁の愛らしい姿は、また後ほどじっくり堪能することにしましょうか」
「ふふふ。期待しているわよ、私のお婿さん?」
リューディアは笑い、そっとレジェスと手を握り直した。
あふれる思いのままキスをしたいが……今はまだ、そのときではない。
「行きましょう、レジェス」
「……ええ。あなたを妻にできることが……私の人生にとって、最高の名誉です。参りましょう、リューディア」
二人は静かに微笑み合うと、式場に向かうべく足並みをそろえて歩き出した。
リューディア・シルヴェンの結婚式は、小さな聖堂で執り行われた。
参列者は花嫁側の家族や親戚の他に数名の友人と、新郎の同僚たちのみ。会場は、それだけの人数でいっぱいになるほど狭い場所だった。
会場には最初、窓という窓全てに黒い幕が掛けられていた。ぼんやりとした燭台の明かりのみが室内を照らす風景は、華やかな結婚式というより葬式に近い。
また現れた新郎新婦はどちらも灰色の衣装を着ているので、その姿が闇に沈んでいるかのように見えた。
だが二人が結婚宣誓をして台帳にサインをし、皆が見守る前で誓いの口づけを交わした――瞬間、さあっと暗幕が取り除かれた。
参列者たちは、驚いた。
薄暗かった室内に光があふれると、それまではくすんだ灰色だった新郎新婦の衣装は日差しを受け、きらきらと銀色に輝いて見えたのだ。
闇と、光。
相反する――しかし切っても切り離せない存在である二つが見事に演出され、皆は割れんばかりの拍手をした。
互いを見つめて照れたように微笑む新郎新婦だが、参列者席にいた新婦の弟はとても得意げな顔をしていたという。
リューディア・ケトラとレジェス・ケトラの結婚式についての噂は、王都中に広まった。
そして、斬新でドラマチックな演出に憧れて真似をする者たちが続出し、伯爵令息はますます得意げな顔になったのだとか。
だが当の本人たちは結婚後、華やかな王都を離れて伯爵領にある小さな屋敷に移り住んだ。
過ごしやすい気候と気のいい領民たちに囲まれて暮らす生活は質素だったが、二人にはこれくらい穏やかな日々がちょうどよかったようだ。
『姉上たちは今、幸せですか?』
姉夫婦の様子を見に行った伯爵令息がそう尋ねると、義兄は照れたように、そして姉はしっとりと微笑んで、声をそろえて言ったという。
『とても幸せ』だと。