侍従は、妙なジンクスから逃げたい
本編終了後、とばっちりを受けた侍従のお話。
「なんなんだよ、本当に……!」
ある日、セルミア王国王城の廊下を必死の形相で走る青年の姿があった。
立派なお仕着せを着たいかにも育ちのよさそうなお坊ちゃんという顔つきの彼の名は、コンスタンティン。由緒正しい子爵家の次男坊である。
家督を継ぐ必要のある兄と違って次男の彼はのびのびと自由に育ち、成人後は王城仕えの侍従として働いていた。容姿は並程度だが、上司からは礼法が美しいと評価されている。
そんな彼は王城に所用のある貴族たちの待合室である客間担当で、高貴な方々の接待をする仕事を請け負っていた――のだが。
「あっ、いたわ! 『恋愛必勝侍従』よ!」
「げっ……!」
令嬢の声が聞こえて、コンスタンティンは自分らしくないと思いつつ下品な声を上げてしまった。
振り返ると、ドレスのスカートをわっさわっさと膨らませながら小走りでやってくる令嬢の姿が。
「お待ちになって! あなたがいれば、今度こそ婚約者が見つかりますのよ!」
「ですから、それは誤解です! 僕なんかにそんな力、ありませんから!」
コンスタンティンは叫び、礼儀に欠くとは知りつつも全力疾走して令嬢を撒いた。
空いている客室に滑り込んで内側から鍵を掛け、コンスタンティンはぜえはあと息をつく。
ここ最近、彼はしばしば貴族たちに追いかけ回されるようになっていた。
その理由は――二ヶ月ほど前に、シルヴェン伯爵令嬢のプロポーズシーンに同席してしまったからだった。
シルヴェン伯爵令嬢・リューディアは凜とした美しい女性で、彼女の父である伯爵は人望厚い貴族の鑑だ。
一時は王女への暴行罪で伯爵家没落の危機に遭ったが、闇魔術師・レジェスの活躍により伯爵家は名誉を取り戻した。そして……どういうことなのか、令嬢リューディア自らその闇魔術師に求婚したのだった。
思いがけずその場に居合わせてしまったコンスタンティンからすると、まさに美女とワカメの図。
だが、伯爵令嬢は人を見た目で判断するのではなくて中身を見つめて――あんなナリだが自分への献身的な愛情にあふれている闇魔術師に恋したようだった。
なお、レジェスはその場から逃亡したが後日きちんと自分からプロポーズし直し、二人は晴れて婚約者になったという。
最初の頃は、伯爵令嬢と異国出身の平民魔術師――しかもあんな見た目の闇属性――ということであらぬ噂を口にする者もいた。
だが、伯爵家に対して負い目のある国王本人がリューディアとレジェスの婚約を認め、後援者となった。そういうこともあるし――リューディア本人がとても幸せそうなので、根も葉もない噂を垂れ流す者はだんだん減っていった。
それは、まあいい。
コンスタンティンとしてはレジェスのことは気に食わないが、麗しの伯爵令嬢が幸せな結婚をするのが一番だと思っている。素直に祝福するくらいの気持ちはあった。
ただし、である。
伯爵令嬢が闇魔術師への想いを吐露した場にコンスタンティンと高齢の官僚がいた、ということがなぜか広まった。
そして――なぜそういうことになったのか、「コンスタンティンたちは恋人たちを結ぶ愛の使者で、彼らがいれば恋が成就する」というジンクスが生まれてしまったのだった。
おかげさまでコンスタンティンは、恋人にプロポーズしてほしい令嬢、告白を成功させたい貴公子、早く恋人を見つけたい少女――などなど、様々な人々に追いかけられるようになった。
「何が楽しくて、他人の告白シーンやプロポーズシーンに同席しないといけないんだよ……!」
一人きりの部屋で、コンスタンティンは頭を抱えて座り込んでしまった。
彼はのんびりと一生を過ごしたいと思っており、仕事でも確実に一つ一つの役目を果たしていきたいと考えている。
よって、貴族たちに無駄に追いかけ回される今の状況は、迷惑でしかない。
がっくりうなだれていると、コンコンと背後のドアがノックされる音がしたため、びくっとした。
「……は、はい。どなたでしょうか?」
「コンスタンティン殿ですか? 私です、トニ・パロネンです」
「トニ殿!?」
落ち着いた男性の声を聞き、コンスタンティンはがばっと立ち上がって急ぎ鍵を開けた。
廊下に立っているのは、官僚の制服姿の高齢男性。彼は汗びっしょりのコンスタンティンを見て、柔和に微笑んだ。
「こんにちは。……今日も、多くの貴族に追いかけ回されているようですね」
「……本当に、どうしてこうなったのでしょうか」
コンスタンティンはトニを招き入れ、ため息をついた。
この官僚はまさに、あのプロポーズシーンに同席した仲間である。コンスタンティンが「恋愛必勝侍従」と呼ばれているのと対で、トニもまた「恋愛必勝官僚」と呼ばれていた。
そういう点では同じ境遇――なのだが。
「恨めしいですよ、トニ殿。どうして僕ばっかり追いかけ回されるのですか!?」
「ははは。コンスタンティン殿は、まだ若いですね。人々をうまくあしらうのも宮廷使用人として大切な能力ですよ」
ぐぬぬ、とうめくコンスタンティンを、トニは穏やか眼差しで見てくる。
トニも最初の頃は追いかけ回されたそうだが、さすがコンスタンティンの倍以上生きている彼はすぐに状況に慣れ、「こんな爺にそんな力はありませんよ」「告白が成功するか否かは、ご本人次第ですよ」とさらりさらりとうまく流していた。
よって、トニはどちらかというと「どうすれば告白が成功するでしょうか」という切実な悩みを穏やかに聞いて自分なりのアドバイスをしていたらしい。これにより、彼の場合は追いかけられるのではなくて「失礼します、官僚殿」とかしこまって呼び止められる程度だとか。
「なんでこんなことに……」
「はは、人気者は辛いですねぇ」
「……こういう形で人気者になっても、嬉しくないです!」
その後客間でしばらくトニと一緒に休憩した後、コンスタンティンはおそるおそる部屋を出た。
幸い、貴族たちの姿はない。今なら安全に、侍従詰め所に行けそうだ――
と、進行方向でゆらゆら動く黒い影を見つけた。その正体はすぐに分かり……溜まっていた鬱憤を晴らしてやろうと、コンスタンティンはずかずかと足を速めた。
「どうも。ご機嫌よう、闇魔術師殿」
「……ん? あなたは――」
振り返ったのは、青白い顔に目の大きさばかりが目立つ痩身の男。闇魔術師の証しである黒いローブ姿で、乾燥したワカメのようなくしゃくしゃの髪が頬に垂れている。
彼こそ、レジェス・ケトラ。コンスタンティンが個人的に苛立っている相手である。
レジェスはコンスタンティンをしばらく見つめた後、ククク、とひび割れた声で笑った。
「……ああ、あなたが噂の『恋愛必勝侍従』ですか。ご機嫌よう、恋愛必勝侍従殿」
「その呼び方やめてくれませんかね!?」
「ククク……よいではないですか。とても素敵な二つ名だと思いますよ……ブフッ。失礼」
「き、貴様っ!」
腹立ち紛れに文句でも言ってやろうと思ったが、案外この闇魔術師は口が達者だ。そして、言動がいちいち腹が立つ。
愛する女性には一途らしいが、どうにもコンスタンティンにはこの男の魅力がよく分からなかった。
「こんな名前で呼ばれるのも、誰のせいだと思っているんだ!?」
「ああ、はい、そうですね。リューディアのせいですね。今晩食事をするのでそのときに言っておきます」
「やめろ!」
レジェスのことは嫌いだがリューディアに嫌われたくはないのでコンスタンティンが吠えると、レジェスはニヤニヤ笑った。
「クク……ええ、はい。では、やめて差し上げましょう。……それで? 面倒な追っかけに悩まされる苛立ちを私にぶつけようとして返り討ちになった、今の心境はいかがですか?」
「……本当に腹が立つな!」
「結構結構。……ああ、そうだ。私は個人的にはあなたのことは嫌いですが……リューディアから聞きました。あなた、逃亡した私を追おうとしたんですって?」
「……ああ。伯爵令嬢に止められたけれどな」
だから何なのだ、とイライラしながらレジェスを見上げると、彼は殊勝な態度でお辞儀をした。
「リューディアを気遣っての言葉、ありがとうございます」
「……え?」
「私もあの後、ひどく反省しました。女性に求婚されて逃げるなんて、男として失格だと。……私に逃げられたリューディアのことを気遣って、そう言ってくれたそうですね。ありがとうございました」
「……えっ、いや、そんな……えと、どうも」
まさか礼を言われるとは思っていなくてコンスタンティンがひっくり返った声で応じると、レジェスは「では、失礼します」と言いきびすを返した。
一人残されたコンスタンティンは、遠ざかっていくレジェスの背中をぽかんとして見やり――ちえっ、と舌打ちした。
とても腹立たしいことだが、レジェスがリューディアに愛される理由がほんの少しだけ分かった気がした。
きっとリューディアはもっともっとたくさんの、レジェスの優しい場面を見ていて――だからこそ、あんなにぐいぐい迫って愛を告げたのだろう。
「……あいつに対する見方、考え直すべきかな――」
コンスタンティンがそんなことを呟いた、直後。
「……ああっ、そこにいたのか、『恋愛必勝侍従』!」
「今日こそ、僕の告白に付き合ってもらうぞ!」
「は、はあっ!?」
いきなり現れたのは、貴族の男性たち。そのうちの一人はパリッとした礼装で、今すぐにでも愛しい女性に告白しに行きそうだ。
「いや、僕はそんな――!」
「遠慮せずともよいのだよ! 先ほどすれ違った闇魔術師が、ここに君がいると教えてくれてな!」
「……覚えていろあのワカメ!」
コンスタンティンの悲鳴が、王城の天井に響く。
今日もセルミア王国は、とても平和だった。