闇魔術師は、婚約者に贈り物をしたい③
「可愛い! これ、中に何か入っているの?」
「ええ、見てみてください」
レジェスが促すと、リューディアは巾着の紐を緩めて中を覗き込んだ。
「あら、いい香り。これは……茶葉? いえ、ポプリ?」
「正解です。こちらは、安眠効果のあるハーブで作ったポプリです。匂いがなくなった後も、袋だけでも使えると思いまして」
……先日、リューディアに贈り物について相談したとき。
彼女は、『レジェスの好きなものがほしい』と言った。レジェスの好きなものを知り、リューディアも共有したいのだと。
そう言われたレジェスは、困った。
幼少期は生きるのに精いっぱいで、大人になってからも娯楽などとは縁のない生活を送ってきていた。文化的な生活を送るようになったのなんて、リューディアと婚約してからだ。
そうして街を歩き、あれでもないこれでもないと悩んだ結果――レジェスは、ポプリの店の前で足を止めた。
「私はご存じの通り不健康で、眠りも浅い方です。ですが、よい香りのするポプリやハーブなどを枕元に置いておくといつもよりはよく眠れるので……是非あなたにも、と」
「そうなのね」
「……その、すみません。もっといいものもあったのかもしれませんが、どうにも私が好きなものという条件とは合致しなくて。あまり……高価な品ではないのですが」
「そう? あなたが私のために選んでくれたのだから、嬉しいわ」
ポプリの袋を手に持ってリューディアは微笑み、それを顔に近づけて「いい匂いだわ」とうっとりと言った。
「これを枕元に置いておくと、あなたに会う夢が見られるかしら」
「ク、ククク……それはとんでもない悪夢になりそうですね」
「あなたに会えたらそれだけで、悪夢も幸せな夢に変わるわ」
「……」
「レジェス……本当にありがとう。ポプリも大切に使うし、袋もずっと使うわね」
丁寧な仕草で袋を箱の中に戻したリューディアは、ふふっと笑った。
「こうなったら私も、今年のウリヤス祭では素敵なものを準備しないといけないわね」
「え、ええと、お気になさらずに。私こそ、あなたの誕生日にはもっといいものを準備します。確か、冬でしたね」
「ふふ、ありがとう。……あら? そういえばレジェスの誕生日はいつかしら?」
リューディアに問われて、少しだけ浮上していたレジェスの気持ちがすとんと地面に落ちた。
リューディアについてなら、だいたいのことは知っている。
だが……レジェスは自分について、あまり積極的に語ってこなかった。当然、誕生日のことも。
「……。……分かりません」
「……」
「私の両親は、子どもの誕生日を祝うなんてことをしませんでした。……ああ、いえ、他のきょうだいたちは祝われたけれど、私だけのけ者にされていただけかもしれませんね」
暗く笑うレジェスの脳裏によみがえるのは、幼き日々の映像。
息子が闇魔術師だったことで、両親はレジェスを虐待した。他のきょうだいたちも、こぞってレジェスをいじめてきた。
家出をするまで、レジェスは実家の母屋ではなくて納屋で寝ていた。だから、もし母屋で家族がきょうだいの誕生日を祝っていても、レジェスには知るよしもなかった。
さっとリューディアの顔に翳りが生まれたため、レジェスは慌てて首を横に振った。
「ああ、ですが、私は気にしておりませんよ。そもそも私は両親に望まれた子ではなかった。そんな親から嫌々祝われるよりは、放っておかれた方がましでしたからね」
「……」
「……リューディア」
何も言わず視線を落とす婚約者にそっと手を伸ばし、ぎこちないながらその肩を抱いた。
「本当に、私が二十三年前に生まれた日なんてどうでもいいのです。むしろ……私は別の、もっと大切な日を迎えられたのですから」
「……それは、いつ?」
「……七年前のあの夏の日。私は一度、死にました」
家族からも知らない人からも嫌われ、いじめられ、暴言を吐かれてきた。
ただ生きることだけに必死だった少年は、あの晩夏の夜に一度、草原で死んだ。
そうして……光に迎えられて、生き返った。
「リューディア。もし、私の誕生日を祝ってくれるというのなら……あなたが私を屋敷に迎えてくれた、あの日にしてくれませんか」
「レジェス……」
「空っぽだった私はあの日に死に、あなたに助けられて私は再び生を与えられた。……であれば、今ここにいる『私』が生まれたのは、あの夏の日です。……その日を、私の誕生日にしてくれませんか?」
リューディアの目が、丸く見開かれた。
そんな姿を見ていると自分の発言がだんだん恥ずかしくなってきて、レジェスはごまかすようにクツクツ笑い始める。
「クク……まあ、こんなの気休めでしかないですがね」
「そんなことないわ。……ええ、分かった。その日を、あなたの生まれた日にしましょう」
「……いいのですか?」
「どうして私に尋ねるの? ……私と出会った日があなたの誕生日になるなんて、とても素敵なことだし……嬉しいわ」
リューディアは微笑み、レジェスの頬に掛かる癖っ毛をそっと指先で掻き上げてくれた。
「ふふ……つまりあなたは、まだ七歳なのね」
「うっ……。ク、ククク……こんな身長だけ無駄にあるガリガリに痩せた七歳なんて、面倒くさいだけですよね」
「それでも、あなたは七年間一生懸命生きてくれたのでしょう?」
リューディアはささやくと、そっとレジェスの胸もとに身を寄せた。
甘い匂いが、レジェスの鼻腔を満たす。
「……お願いがあるの、レジェス」
「な、なんなりと!」
「私はこれからも、エヴェリーナ祭やウリヤス祭、そして私たちの誕生日を祝っていきたいわ。毎年、毎年、祝いたい。一年でも多く……祝いたいの」
「っ……」
「だから、こんなことをお願いするのはおかしいかもしれないけれど……私と一緒に、ちょっとでも長く生きてほしい。あなたは自分が短命だと言っているけれど……私はこれからあなたと一緒に記念日を過ごしていきたいから」
リューディアの声はほんの少しだけ震えており、レジェスは胸の奥に生まれた衝撃に身を任せてリューディアの体をかき抱いた。
現在のセルミア人男性貴族の平均寿命は、おそらく六十代くらい。それに対して、闇魔術師は最高齢でも四十歳前半程度。
短命である、という闇魔術師たちが背負う運命に逆らうのは、難しいかもしれない。
だが、難しくても。
たとえ、長くは生きられないとさだめられていても。
その宿命に、抗いたかった。
「……はいっ! 私も……一日でも長く、あなたと共に生きたい……! まだ、死にたくはない……!」
「レジェス……!」
「……私ごときがどれほど運命に逆らえるかは、分かりません。ですが……あなたの願いを叶えるためにも、私自身の夢のためにも……努力します」
「ええ……ありがとう、レジェス」
しっとりとささやいたリューディアの腕が伸びて、レジェスの首の後ろに回った。それだけで婚約者が何を望んでいるかを察し、レジェスはリューディアの唇にそっと自分のそれを重ねた。
まだ、数えるほどしかこなしていない、リューディアとの口づけ。
ぎゅっと押しつけるだけのつたないものだと、自分でも分かっているが……それでも、リューディアの熱を間近で感じられるこの時間を、レジェスは愛していた。
いつもよりはほんの少しだけ長く唇を重ねた後、そっと顔を離す。リューディアの目元は潤んでおり、唇は幸せそうな弧を描いている。
「……好き。大好きよ、レジェス」
「……私も、あなたを……あなただけが、好きです」
吐息が重なりそうな距離でささやきあった後、もう一度唇が重なった。
来年も、再来年も。
レジェスはリューディアと共に、この日を迎える。
そして晩夏には、レジェスの誕生日を。
秋には、ウリヤス祭を。
冬には、リューディアの誕生日を。
大切な記念日をひとつずつ、ひとつずつ重ねていくため、レジェスは生きていきたかった。