闇魔術師は、婚約者に贈り物をしたい②
いろいろ考えた結果レジェスは、「多少感動は薄れたとしても、確実な路線を歩く」道を選び、仕事が終わった後に伯爵邸を訪れた。
「その、リューディア。尋ねたいことがあります」
「ええ、何かしら?」
今日は遅い時間に訪問したので、夕食ではなくて食後の茶だけご一緒させてもらった。
その後、伯爵夫妻とアスラクは「後はお二人で」とにこやかに居間を出て行ったので、二人きりになったところでレジェスは思い切って切り出すことにした。
「その……もうすぐ、エヴェリーナ祭ですよね」
「あら、もうそんな時期なのね。これまで無縁だったから、あまり気にしなかったわ」
リューディアがそう言うので、レジェスは少しだけ安心した。
……とはいえ、自分とリューディアの境遇を同じにしてはならない。リューディアは伯爵令嬢という身分なので交際相手選びを慎重にしたのであり、レジェスはただ単にモテないだけなのだ。
「それで……ですね。エヴェリーナ祭では男性があ、愛する女性に贈り物をするとのことなので……あなたに贈り物をしようと考えております」
「まあ、嬉しい! 何をくれるの……って、そういうのは当日の楽しみかしら」
「え、ええと、それなのですが」
そうしてレジェスがしどろもどろしながら事の次第を説明すると、リューディアは嬉しそうに頬を緩めた。
「レジェス……私のことを考えてくれたのね。ありがとう」
「クク……礼をおっしゃるのは間違いですよ。世の男であれば、こうして情けなくも本人に尋ねずとも最良の品を贈れるのでしょうからね。私では、ヤモリの粉末くらいしか情報を集められず……」
「それはそれで珍しそうだけれど、私では宝の持ち腐れになってしまうわね。……あ、そうだわ」
ぽんと手を打ったリューディアが、振り返る。
そして、レジェスの胸をときめかせるような華やかな微笑みを浮かべて、唇を開いた。
エヴェリーナ祭、当日。
この日は既婚だろうと未婚だろうとモテようと非モテだろうと休日で、王国魔術師団の研究所も閑散としていた。
闇魔術師の部署以外は。
「……では私は、これで」
ひとまず本日の仕事を終えたレジェスが荷物をまとめると、周りにいた同僚たちがそわっとこちらを見てきた。
今日は祝日で、恋人や婚約者、配偶者がいる魔術師たちは前々から有休を入れている。一方、休日出勤するといつもよりも給金がよくなるため、おひとりさま集団である闇魔術師たちは積極的に出勤していた。
暇だからといって下手に街を歩けばデートをする恋人たちの幸せオーラにやられて胃を痛めるというのは、皆分かっているのだった。
「レジェス……まさかおまえが一番乗りでエヴェリーナ祭にあやかることになるなんて、思ってもなかったぜ……」
「あはははは! そりゃあ、あたしたちは闇魔術師だからね! 仕方ない仕方ない!」
「よし、これから麗しの婚約者のもとにはせ参じるレジェスを全力で送り出そうじゃないか」
「頑張れ、レジェス!」
「伯爵令嬢をとろっとろとの笑顔にするんだよ!」
「せっかくだからキスもしてこい!」
「いい報告待ってるぞ!」
「……やかましいですよ」
やんやとはやし立ててくる仲間たちをじろりと睨むレジェスだが、その頬は既にほんのり赤くなっている。
そして彼は歓声を上げる同僚たちから逃げるように部屋を出て、宿舎棟にある自室に駆け込み身仕度をした。
柄ではないと思いつつ上質なジャケットとスラックスに着替え、喉元にはリボンタイを締める。髪質はどうにもならないのでせめて清潔感だけでも出そうと、癖が強すぎる髪を丁寧にとかしてリボンで括る。
部屋のテーブルには、小さな箱がある。それを手に取りしばらくじっと見てから、レジェスは箱を大切に胸ポケットに入れた。
シルヴェン伯爵邸までは、馬車で向かった。闇魔術を駆使してその中にどろりと潜り、地面を這うように移動する――という方法もあるし正直こちらの方がお手軽なのだが、婚約者に会いに行くのに最適の移動手段ではないことくらい分かっている。
そうして伯爵邸に着いた頃には、もう夕方になっていた。
季節は初夏で、この時間でもまだ太陽の光は残っている。レジェスは暑い夏も寒い冬も嫌いなので、さっさと過ごしやすい秋になってほしいところだ。
馬車を降りた彼は、既に顔見知りになった門番に会釈されて伯爵邸の庭に足を踏み入れた。
玄関で出迎えてくれた執事は、「お嬢様がお待ちです」と嬉しそうに微笑んだ。
「なお、今夜は旦那様と奥様は不在です」
「出かけられているのですか?」
「はい。お二人は毎年エヴェリーナ祭とウリヤス祭の日に、お出かけなさいます。……お嬢様も昔から、そんなご両親のお姿に憧れを抱かれてらっしゃいましたよ」
後半の方はこそっと言われ、レジェスはぎょっとしつつ曖昧に頷いた。
なお、伯爵夫妻はともかくアスラクも不在らしい。レジェスは知らなかったがアスラクにも恋人が……と思いきや、「伝説の怪魚を釣りに行かれました」とのことだった。
未来の伯爵はどこまでも自由人のようだ。
ということは。
この屋敷にいるのは使用人たちを除けば、リューディアだけ。
その事実にどきどきとわくわくの中間のような感情を抱きつつレジェスが向かった居間では、ゆったりとした室内用ドレス姿のリューディアが待っていた。
以前一緒に観劇に行った際に着ていたような蠱惑的なドレスではなくて、喉元や胸もとをきっちりと覆うデザイン。だがそれらには高価なレースがたっぷりと使われており、髪も冠のように結い上げている。
ソファに座っていたリューディアは立ち上がると、レジェスを見て微笑んだ。
「こんばんは、レジェス。お仕事お疲れさま」
「こんばんは、リューディア。お時間を取ってくださり、ありがとうございます」
「あなたのためなら、私の時間くらいいくらでも差し上げるわ」
くすっと笑うリューディアは、衣装のせいもあってかいつもより大人びて見えた。
しとやかに笑う婚約者の姿に胸をときめかせつつ、レジェスは咳払いをした。
「……それで、ですね。今日訪問したのは……あなたに贈り物をするためでして」
「ええ、エヴェリーナ祭だものね。……あなたがなにをくれるのか、楽しみだわ」
そう言うリューディアに促されて、レジェスはソファに座った。リューディアがごく自然にレジェスの隣に座って身を寄せてきたので、胸ポケットに伸ばそうとした手がビクッと震えてしまった。
甘い、優しい匂いがする。
今日の彼女はあまり化粧をしていないようで、匂ってくるのはほのかな香水と――それとはまた違う、すうっと胸が落ち着くような香りだった。
もしかしたら、リューディア本人の匂いなのかもしれない。
だがそんなことを考えると思考が明後日の方向に走りそうなので己を叱咤して、レジェスはポケットに入れていた箱を出した。
「そ、その……かなり悩んだのですが、こちらを」
「可愛い……素敵なラッピングね」
レジェスの手のひらに載るサイズの箱を見てリューディアが言ったため、レジェスはゴクッと唾を呑んだ。
中のものは、レジェスが街で買った。だがラッピングは断り悩みながらも自分で包装したので、褒められてとても嬉しい。
そわそわうずうずする可愛らしい婚約者を横目で見て、レジェスはすっと箱を差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう。今、開けていい?」
「ククク……ええ、どうぞ。もし気に入らなかったとしたら、すぐに私が回収できますしね」
「あらまあ、そんなことは絶対にあり得ないのに。あなたは慎重なのね」
癖でつい出てしまうレジェスの皮肉も見事にスルーしたリューディアは、細い指先でリボンを解いた。
リボンは、金地に黒のラインが入っている。自分とリューディアの髪の色を混ぜたものなのだが、リューディアは「私たちの髪の色ね。仲よしさんみたいだわ」とすぐに気づいてくれて、レジェスの頬がじわじわ熱くなっていった。
包装紙を外したリューディアが箱を開き、「まあ!」と声を上げた。
彼女の手の中の箱に入っているのは――可愛らしい刺繍の施された小さな袋だった。