03
ヒーロー登場
リューディアは家族たちと一旦別れて、王城にある来賓接待用の客間に向かっていた。話を聞いた父たちも、「レジェス・ケトラ殿にお礼を」と言ったのだが、どうやらレジェス本人が面会を望んでいるのはリューディアだけだという。
そこでリューディアは心配そうな顔の家族たちに簡単に七年前の出来事の説明をして、レジェスが待つという客間に案内されていた。
「シルヴェン伯爵令嬢、リューディア様のお越しです」
侍従がそう言って客間のドアを開けると――中は、昼間だというのに薄暗かった。それは、せっかくいい天気だというのに窓のカーテンを閉めているからだった。
薄暗い部屋の奥にあるソファに、黒髪の青年が座っていた。彼はこちらを見ると、漆黒のローブの裾をひらめかせて立ち上がった。
レジェス・ケトラは七年前から、痩せぎすで不健康そうな見た目をしていた。ひとまず屋敷で出した食事は文句を言わずに食べていたが、それでも大人の男性にしては小食すぎるとリューディアも思っていたものだ。
黒い髪は相変わらず癖が強くて、うねうねしている。灰色の目はぎょろりとしており、涼しげな目元とはお世辞でも言えない。
相変わらずもっさりとした見た目だが、不潔というわけではない。王国魔術師団のローブはきちんと正しく着こなしているし、髪も――あの癖毛はどうしようもないのだろうが、清潔感はあった。
リューディアよりも身長が頭一つ分以上高いレジェスは目を細めると、お辞儀をした。
「お久しぶりです、シルヴェン伯爵令嬢。王国魔術師団所属の闇魔術師、レジェス・ケトラでございます」
挨拶をするレジェスの声は、少しひび割れている。喉の調子が悪いのかもしれないが、そういえば七年前から彼はこんな感じの乾いた声だった気がする。
まさに記憶の中にある十六歳の青年がそのままいろいろな意味で順当に年を重ねたといった様子のレジェスを見上げて、リューディアもお辞儀を返した。
「お久しぶりです、レジェス様。リューディア・シルヴェンでございます」
「私ごときに敬語を使われる必要はございません。私のことはレジェスでも闇ワカメでも、お好きなようにお呼びください」
「では、レジェスと呼ぶわ」
「恐縮です。……さあ、どうぞこちらへ」
ククク、と笑いながらレジェスはリューディアにソファを勧めた。隣に立っていた侍従は不快そうにレジェスを睨むが、リューディアは彼を手で制してレジェスの勧めた席に腰を下ろした。
「このたびは、父共々大変お世話になったわ。あなたが父の身の潔白のために動いてくれたと聞いて……驚いたけれど、感謝しています」
「いえ、どういたしまして」
リューディアの向かいに座ったレジェスは、クツクツ笑いながら言う。
「しかし……『お久しぶり』、ですか。まさか、あなたが七年前の出来事を覚えてらっしゃっていたとは。伯爵令嬢は行き倒れ同然の汚らしい闇魔術師のことなんて、さっぱりお忘れになっているとばかり」
「まさか。……名前を聞いたら、すぐに思い出せたわ。あんなに印象的な出会いをしたのだから」
リューディアはそう答えてから、本題に切り込むことにした。
「……あなたが魔物の討伐作戦に参加して戦果を挙げ、その褒美として父と王女殿下の事件を明らかにすることを申し出たという話を、陛下から伺ったわ。それは、本当なの?」
「ええ、ええ、本当ですとも」
意味深な笑みを絶やさぬまま、レジェスは言う。
「私はあなたの父君が王女への暴行罪で投獄されたと聞き、お得意の闇魔術で情報を集めました。……闇魔術、便利ですよ? こう、ちょろっと闇の手を伸ばせば人間の本音を簡単に引き出せるのですからね」
そう言いながらレジェスは、右手の中にうぞうぞと動く闇の塊を作り出した。壁際にいた侍従がそれを見て、ひっと息を呑んだのが分かる。
「そうすれば、真実が出てくるわ出てくるわ。あのこむす――失礼、王女殿下はあろうことか、嫉妬ゆえの過ちを伯爵になすりつけ、さも自分が悲劇の主人公、無辜の被害者であるかのような面をしているということがね」
「……」
「しかし、それを口にするには私には権力がありません。よって、ちょうどいいところに募集が掛けられていた魔物討伐作戦に参加することにしたのです。これで戦果を作れば、誰も私の申し出を拒めぬだろうと踏んで、ね」
ククク、と彼が笑うのに合わせて、彼の手の中の闇の塊もうねうねと動く。
「私の読み通り、皆がいる謁見の間で罪を明かせば、王女殿下は怒り心頭で私をなじりました。しかし……証拠を突き出せば、それはそれは面白いくらい黙り、青ざめ、私に許しを請うてきたのですよ。……ええ、私に。身勝手な行いで投獄した伯爵や、屋敷に軟禁されているあなたたちではなくて、ね!」
ぶわっ、と闇が弾け、薄暗い部屋の天井付近で四散した。その光景はどこか幻想的で、リューディアはほう、とため息をついて降り注ぐ闇の残滓を見ていた。
「無論、ここで絆される私ではありません。ですがまあ、マルテ王国との関係が悪くなれば私にとっても面倒なことになりますし、今回の件は『誤ってマルテ王女にぶつかりそうになったところを、シルヴェン伯爵に止めてもらえた』という形に留めて差し上げることにしました」
「では、国民たちに父の無実を告げる際にも、そのような形で報告されるのね」
「ええ。……ですがまあ、勘のいい人は気づくでしょうね。王女殿下は、うっかりマルテ王女にぶつかりそうになったのではないのではないか……とね」
心底楽しそうに言うレジェスを、侍従はいよいよ睨むように見ていた。
話を聞いている彼にも思うところはあるだろうが、自国の王女を貶すような発言をされるのは気持ちのいいものではないだろう。
「まあ、そういうことで伯爵家の無罪が証明されました。あなたも自由の身になれたようで、よかったですね」
「ええ、本当に感謝するわ。……これがあなたの、お礼ということかしら?」
リューディアが言うと、レジェスは少しだけ目を見開いた。
「……驚きました。そのあたりのくだりも、きちんと覚えてらっしゃったのですね」
「ええ。……正直、私があなたにしたこととあなたにしてもらったこととでは、全く釣り合いが取れないような気がするけれど……でも、助かったのは事実よ。……本当に、ありがとうございました、レジェス・ケトラ」
リューディアが頭を下げると、レジェスはククッと笑ってからリューディアに顔を上げるよう言った。
「礼には及びません。私としても、皆に忌避される闇魔術で魔物を倒し、皆の羨望と嫉妬と怯えの眼差しを一身に受けるというのは……非常に気持ちのいい体験でしたからね」
「あなた、趣味が変わっているのね」
「ええ、悪趣味だと自分でも思っております」
「あら、そういう意味ではないわよ。趣味なんて、人それぞれでしかるべきじゃない。あなたが行ったことは法に触れているわけでもないのだから、何を趣味にするかなんて人の勝手でしょう」
リューディアが言うと、レジェスは笑うのをやめた。どこか探るような目で見られるのは少し居心地が悪いが……嫌だとは思わない。
(……ひとまず、話は終わったわね)
リューディアは立ち上がり、ドレスの裾を直してからレジェスに向き直った。
「このことは、家族にも話しておくわ。……父も、あなたに礼を述べたがっていたから、いずれお話を聞いてもらえるかしら」
「……。……ええ、もちろん。他ならぬ、あなたのご家族なのですからね」
「助かるわ。……では、ひとまずのところ話はこのあたりでよいかしら?」
「そうですね。私も暇ではないので、魔術師団に戻らないといけません」
「ええ、それもそうね。忙しい中、話をしに来てくれてありがとう」
リューディアはお辞儀をして、侍従が開けたドアから部屋を出た。
(なんとか、レジェスとの話は付いた……)
レジェスのことも気にはなるが、父たちを待たせているのだからまずは説明をしに行くべきだろう。
リューディアが去っていった後の客間で、レジェスはしばらくの間黙り込んでいた。
だが、侍従に「早く出て行け」と目で指示されたため、にやりと笑って立ち上がり彼を見つめた。
「それでは、そろそろ失礼しますね。……このままじっとしていると、うっかり闇魔術を発動させそうですので」
ニヤニヤ笑いながら言うと、侍従はさっと青ざめた。おそらく貴族の子息だろう彼は、身分ではレジェスよりずっと上だが所詮それだけ。
レジェスが本気になれば、こんなひ弱な男ごとき一瞬で葬れる。
そんな優越感を胸にレジェスは客間を出て――ふと、先ほど見たリューディアの顔を思い出す。
七年前、卑屈で嫌味ったらしいことしか言えなかった自分にビシッと物申して、半ば無理矢理看病してきた少女。
十九歳になった彼女は可愛いというよりなんとなく「強そう」な女性に成長していた。だが――
『何を趣味にするかなんて人の勝手でしょう』
『忙しい中、話をしに来てくれてありがとう』
話をしている間、リューディアの杏色の目は真っ直ぐレジェスを見ていた。
こんな鬱屈そうな見た目で不気味に笑う男に対してもきちんと話をしてくれて――何気ない一言一言で、闇魔術に浸かった胸を貫いてくる。
「……本当に。あなたは……見ていられない」
ぼそっと呟いた後、レジェスは通り過ぎざまにこちらを睨んできた別の属性の魔術師に闇魔法をちらつかせて遊ぶことにした。