闇魔術師は、婚約者に贈り物をしたい①
本編終了後、記念日の贈り物の準備をする闇魔術師のお話。
闇魔術師レジェス・ケトラは悩んでいた。
レジェスは基本的に頭の回転は速いほうであり、そんな彼が悩むとしたら――恋い慕う婚約者・リューディアについてだ。
先日、彼は城下町での仕事を終えた際、リューディアの弟であるアスラクに捕まった。
姉と同じく明るい光のような青年だが――ほんわかと柔らかいリューディアと違って彼は少々圧が強くて、レジェスにとっては暑苦しかった。
だが、アスラクが真っ直ぐで気持ちのいい青年であることはよく分かったし、「自分の好きなもの」に対してぶれない情熱を注ぐ姿勢はとても好ましいと感じられた。
彼に連れられて向かった自然公園で、とてつもなく大きなクワガタを見せられた。
レジェスは虫が好きでも嫌いでもないがどちらかというと研究者肌なので、アスラクの手の中でギコギコと角を動かすクワガタのサイズとその生態には純粋に感心した。
その後、主にリューディアについて話をしたのだが。
『あ、そういえばレジェス殿は今度のエヴェリーナ祭に、姉上に何を贈るのですか?』
『エヴェリーナ祭……?』
『ええ。顔には出しませんが、きっと姉上はレジェス殿からの贈り物をすっごく楽しみにしていますよ!』
アスラクに言われて、レジェスは思い出した。
セルミア王国固有の年間行事や祝日はいくつか存在するが、そのうちの一つに「エヴェリーナ祭」というものがある。
この祭りは、セルミア王国初代国王が生涯で唯一愛した王妃・エヴェリーナにちなんだものである。
今から約三百年前、旧王国の圧政に苦しんでいた時代。
農民だったセルミア王国初代国王・ウリヤスは仲間と共に蜂起して、旧王家を滅ぼした。そうして皆の熱烈な歓迎を受けた彼が、平民でありながら初代国王の座に就いてセルミア王国を興したのだった。
彼は村を出発する前の秋に、妻のエヴェリーナからお守りとしてハンカチをもらった。半年後に悪王を討った彼は皆に国王に望まれ、どうするべきかと迷った。彼は王制を倒したいとは思っていたが、自らが君主になることなんてこれっぽっちも考えていなかったからだ。
故郷に帰った彼が妻と一緒に話し合った結果、彼女は王妃として夫を生涯支えることを決めた。そうしてウリヤスは妻と共に王都に向かって戴冠し、自らの手で妻に王妃の冠を与えた。
この、農婦だったエヴェリーナが王妃の冠を与えられた初夏の日が「エヴェリーナ祭」、その対としてウリヤス王が妻からハンカチを贈られた秋の日が「ウリヤス祭」として祝日に定められた。
それ以降、ウリヤス祭では女性が恋人や婚約者、夫に衣類を贈り、エヴェリーナ祭では男性が愛しい女性に髪飾りを贈る風習になった――のだが、長い年月の間で少しずつ変わり、「それぞれの日には愛する人に何かを贈ればいい」ということになった。
レジェスとしては、この祝日にかこつけて客を集めたい諸々の商業組合の策略なのでは、と考えている。
さて、セルミア王国特有のそんな祝日を、レジェスも知識として一応知っていた。
知ってはいた――が、悲しいかな彼はこれまでの二十三年間の人生でモテたことは一度もない。
さらに言うと、彼の同僚である闇魔術師たちも揃っておひとりさまなので、その祝日に一切の思い入れがなかった。
だが、今の彼には恋い慕って止まない婚約者がいる。
となれば、エヴェリーナ祭の日にはリューディアが喜ぶような素敵な品を準備しなければならない。
『……贈り物……ですか』
『ええ! ……あ、ひょっとしてまだ決めていませんか?』
まだ決めていないどころか非モテ男には無縁な祝日が近いことさえ、今の今まで忘れていた。
だがアスラクはレジェスの沈黙をよいように解釈してくれたようで、ずいっと身を乗り出してきた。
『それなら、姉上が喜ぶ品を是非贈ってあげてください!』
『リューディアが喜ぶ……』
『まあ、姉上のことだからレジェス殿からの贈り物って言われたら何でも喜んで受け取りそうですけれどね! あ、そうだ。僕は子どもの頃、姉上の誕生日に庭で見つけた最強にかっこいい芋虫をあげようとしたんですよ。いやぁ、あのときの姉上は怖かったなぁ! 今でもたまに夢に出てきます』
『……』
アスラクの声は半分くらい、レジェスの耳を素通りしていった。
そして、レジェスは決めた。
自分には金だけは無駄にあるのだから……金額には糸目を付けず、リューディアが喜ぶ贈り物を全力で探そう、と。
決めたのはいいが、いかんせんレジェスにはリューディアが喜ぶもの――はおろか、女性にぴったりな贈り物が何なのかちっとも分からない。
こういうのは身近にいる人に助言してもらうのが一番だろうが、レジェスがまともに会話できる女性はリューディア以外だと、闇魔術師仲間の女性だけ。
ということで、渋々尋ねることにした。
「つかぬことを聞きますが。あなたは異性から何か贈り物をもらうとしたら、何がいいですか?」
「あたし? そうだねぇ……今度実験に使うヤモリの粉末がほしいかも! 瓶詰めのお徳用のやつね!」
いくら女心に疎いレジェスでも、リューディアにヤモリの粉末を贈るべきではないことくらいは分かった。
続いて彼は仕事の休憩時間に魔術師団詰め所から少し足を伸ばして、王城の庭園に向かった。
ここは貴族がよく通るので、レジェスはあまり来たくないのだが――ここをぶらついていれば、所用で王城に来た貴族令嬢の姿が見られる。
彼女らが身につけているものを見れば、リューディアへの贈り物のヒントが得られるかもしれない。
とはいえただぶらついていると不審者扱いされるのは必至なので、フェイクのために片手に魔術書、もう片手に研究資料を綴じたボードを抱え、「私は仕事中です」という雰囲気を醸し出してみることにした。これなら、咎められることはないだろう。
ということで、レジェスが仕事中を装って庭園を歩いてみたところ運良く、ドレス姿の令嬢たち数名の姿があった。どうやら少し前に王妃主催の茶会があったようで、彼女らはその参加者らしい。
レジェスは庭園付近に怪しげな呪いなどが掛けられていないか調べる――ふりをしながら、お喋りをする令嬢たちの声に耳を傾けた。
「……そうそう! この前贈られた香水、とてもいい匂いでしたのよ!」
「もしかして、あのルベール香水専門店の?」
「まあ、うらやましい! 私もあそこの新作がほしいと思っていたのですよ!」
「あなたの恋人は、あなたの趣味をよく分かっておいでなのね」
幸運なことに、彼女らは先日恋人から贈られたプレゼントについて話をしていた。
これは聞き逃してはならぬと、レジェスは魔術書をぺらぺらめくるふりをしながら令嬢たちの方に意識を集中させた。
「本当にうらやましいわ。……それに比べて、ガブリエルはそういう点で全然気が利かないのよ」
「あら? あなた、婚約者とうまくいっていないの?」
「そういうわけではないの。ガブリエルはとても優しいし、素敵だけれど……贈り物のセンスだけは微妙なのよ」
思わずドキッとして魔術書を取り落としそうになりつつ、レジェスは盗み聞きを続ける。
「微妙? 変なものを贈られるということ?」
「変ではないわ。ドレスも宝飾品も、いいものを選んでくれるの。ただ……ちょっと私の好みとは違うというか。『おまえはこういうのが好きだろう?』という圧を感じるというか」
「ああ、分かります、そういうの!」
「わたくしのことを思ってくれているのは分かるのだけれど、正直なところわたくしの好みとはずれているの」
「分かるわ! だからといってそれを身につけなかったら、不機嫌になるし」
「そうそう。いっそ、『これがほしいわ』って言ってしまった方がこじれないかもしれないわね」
「そうねぇ……ロマンチックではないけれど、そちらの方がお互いにとっていいかもしれないわ」
その後も令嬢たちはあれこれ話をしていたが、これ以上聞いているとレジェスの頭の中がごちゃごちゃになりそうなので撤退することにした。
魔術書とボードを抱えながら、レジェスは困惑していた。
先ほどの話題に挙がったガブリエルとやらは、婚約者にドレスを贈った。だが、それは彼女の好みには合わなかったという。
同じ男としてレジェスは、ガブリエルの気持ちはなんとなく分かった。自分が選んだものを身につけてほしい、という気持ちは理解できるし……彼も最初は、無駄にある貯金で大量のドレスでも買って贈ればよいかと考えていた。
だが、それで本当にリューディアが喜ぶのだろうか。
彼女なら――芋虫などでなければ受け取ってくれるだろうが、本当は好みではないものを贈られて内心では困惑するかもしれない。
レジェスは、リューディアに嫌われるのが何よりも怖い。
せっかく彼女から好いてもらえているのだから……その思いに報いたかった。