弟は、未来の義兄とお喋りをする
本編終了後、闇魔術師とお喋りがしたい伯爵令息のお話。
アスラク・シルヴェンは、シルヴェン伯爵家の長男である。
人格者の父親、おっとりと優しい母親、そして凜とした姉を持つ彼は現在、十六歳。来月には、騎士団に入る予定である。
そんな彼は姉からよく、「黙っていれば格好いいのにね」とよく言われる。
そのたび本人は、「僕は黙らなくても格好いいよ」と言い返すのだが……残念ながら姉の言うことが正しかった。
黙っていれば穏やかな好青年といった風貌の彼だが、中身はなかなかのやんちゃ坊主で、いい意味でも悪い意味でも少年の心を忘れていなかった。
「かっこいい」ものが大好きなのだが、彼にとっての「かっこいい」には若干癖がある。
今日も彼は、王都の自然公園でとてつもなく大きなクワガタを見つけて、たいそうご機嫌だった。彼はカブトムシより、クワガタ派だ。
本当は屋敷に持って帰りたかったのだが、母も姉も虫が嫌いだ。数年前、よかれと思って姉の部屋に巨大な芋虫を置いていったことがあるのだが――凄まじい姉弟げんかになったことは、今でも忘れられない。
大通りをぶらぶら歩きながら屋敷に戻っていたアスラクは、ふと、路地裏から出てきた黒い影を目にした。
まるで人目を避けるかのようにこそこそと移動するその正体が分かり、ぱっと目を輝かせる。
「義兄上!」
「……」
「……レジェス殿!」
「……。……え? あ、ああ、アスラク様でしたか」
さすがに名前を呼ばれると自分のことだと分かったようで、黒い影――レジェス・ケトラは振り返った。
彼が纏う漆黒のローブは、王国魔術師団に所属する闇魔術師の証し。長めの黒髪にはくしゃくしゃの癖があり、眼球はぎょろりと出っ張り気味だ。
体は細く、頬もこけている。偏食気味なのともともと太りにくいたちであるために、身長はアスラクより高いが体全体がぺらぺらしている。
彼は、姉・リューディアの婚約者であり――
「お会いできて光栄です、レジェス殿! 今日もかっこいいですね!」
「……」
つかつかと歩み寄って手を握ると、レジェスは甘いものと間違えて酸っぱいものを食べたかのような顔になった。
そう、レジェスは姉の婚約者という立場であるが――純粋にアスラクにとって「かっこいい」人だった。
アスラクは昔から、白い衣装の似合う正義の味方ではなくて黒衣を纏った悪役に憧れていた。
子どもの頃、「ぼくは、くろがにあうかっこいいあくやくになる!」と家族の前で宣言した際、「黒が好きなのはいいけれど、悪人にはならないように」とたしなめられたものだ。
そういうことでアスラクにとってのレジェスは、姉の婚約者で、伯爵家を救った恩人で、個人的にかっこいいと思う憧れの人であった。
「あ、すみません、もしかしてお仕事中でしたか?」
「いえ、仕事は終わったところです」
「それはよかったです! せっかくですし、ちょっとお喋りしませんか!? 僕、レジェス殿とじっくり話したいなぁ、ってずっと思っていたんです!」
これまでにも何度か彼が屋敷に来て食事をすることがあったが、伯爵家でも大人気の彼は基本的にリューディアと話をしているし、両親も会話をしたがっていた。
だからアスラクは一度、両親も姉もいないところで未来の義兄とまったり語り合いたかったのだ。
だが、レジェスは困ったように視線を逸らした。
「……お言葉は嬉しいのですが、あまり私と関わらない方がよろしいでしょう。ほら、街の者もこちらをちらちら見ておりますよ」
「それは当然でしょう。こんなにかっこいい人がいるんですから!」
「違います。……よいですか、アスラク様」
「あ、僕のことはアスラクと呼び捨てにしてくださいね」
「い、いえ、伯爵家の令息に対して呼び捨てなんて……」
「でも、姉上のことは呼び捨てにしているんですよね?」
「そ、それは、まあ、いずれ結婚するので……」
「だったらいずれあなたは僕の義兄になるでしょう? 同じじゃないですか」
「同じでは……」
「ということで、僕のことはアスラクでよろしくです!」
にかっと笑って言うと、レジェスはげんなりとした顔になりつつも「……アスラク殿」とつぶやいた。本当は「アスラク」と呼んでほしいが、今日のところはこれでよいことにした。
「それじゃあ、お話できるところに行きましょうか! 僕のお気に入りの場所を紹介しますよ!」
「参りません。……アスラク殿。私は闇魔術師ですから、あまり親しくしすぎない方がよろしいですよ」
「え、そんなことないでしょう? 僕、レジェス殿とお喋りがしたいんです。……あ、そうだ。せっかくだし、姉上の話でもしませんか? 姉上の小さい頃の話とか、聞きたくないですか?」
アスラクが提案すると、それまでは渋い顔だったレジェスの表情に動揺が見られた。
何かに逡巡するかのように視線が左右に動き――そして、ククク、と低く笑い始める。
「ふわっ。その笑い方、超かっこいい……!」
「クク……アスラク殿。まさかあなたは私を懐柔するために、姉君の情報を売ろうとお考えなのですか?」
「懐柔?」
アスラクは首をかしげた。
「よく分からないですけど……ほら、おいしいものは独り占めするんじゃなくて、誰かと一緒に食べておいしさを共有したいじゃないですか?」
「は、はぁ」
「レジェス殿は、姉上のことが好きですよね?」
「え、あ、ま、まあ、そうですね……」
「ですよね! そして僕も、姉上のことが好きで……なんと、僕たちは姉上が好きな者同士です! ということで僕は、大好きな姉上のことをあなたにたくさん知ってもらいたいのです。そうすると、レジェス殿はもっと姉上のことが好きになってくれるでしょう?」
アスラクの好きなものは「かっこいいもの」だが、同じくらい家族のことも好きだ。
つまり、自分が憧れるレジェスがアスラクの好きなリューディアのことが好きというのは、とてもすばらしいことなのだ。
アスラクがそう語ると、レジェスはなぜか片手で顔を覆ってしまった。
「……。……ク、ククク……そういえば、そうでした。あなた方は皆、光に満ちていたのですよね。あなたの思いやりをねじ曲げて解釈した己の醜さに……反吐が出そうです」
「えっ? レジェス殿は無茶苦茶かっこいいですよ?」
「っ……わ、分かりましたから、ちょっと離れてください!」
「あ、すみません」
思わず近づけていた顔を引っ込め、アスラクはにっこり笑った。
「それで……どうですか? たまには男同士、まったり話しましょうよ。ね、ね?」
「……はぁ。私がなんと言おうと、あなたは食い下がってくるのでしょうね……」
「あ、いえ、もちろん、ご多忙だとか僕となんか話したくないというのであれば、断っていただいても――」
「……はぁ。嫌というわけではないですよ」
どうやら、折れてくれたようだ。
顔を覆っていた手を下ろし、彼はやれやれと肩をすくめた。
「……分かりました、お付き合いしましょう。……未来の義弟のためですからね」
「わぁ、ありがとうございます!」
「はぁ。……ああ、あとあなたこそ、私のことはレジェスとお呼びください。姉君と結婚するまでの私は、ただの平民ですので」
「ええっ! 憧れの人を呼び捨てなんて、恐れ多いですよ!」
「あなたの趣味がよく分かりません」
「僕は、僕が信じる道を歩いているだけです!」
「……はぁ、そうですか。もう勝手にしてください……」
「ありがとうございます!」
アスラクがニコッと笑うと、こちらを見下ろしたレジェスは――ほんの少しだけ、頬に笑みを浮かべた。
「……ククク。本当に……あなたたちは、眩しいですね」
「あ、よく言われます! 僕の髪、太陽の光をよく反射するみたいで」
「そういうわけではありませんが……まあ、あなたは今のあなたでいるのが、一番でしょうね」
レジェスは苦笑した後、「どこに連れて行ってくれるんですか」とアスラクをせっついた。
『レジェスはね、自分では気づいていないだけでとても優しい人なの』
いつぞや、慈愛の微笑みを浮かべた姉がそう言っていた。
かっこいいだけでなくて、優しい。
そんな彼ならきっと、姉のことを誰よりも大切にしてくれるだろう。
大好きな姉と憧れの魔術師が結婚するなら、アスラクも嬉しい。
アスラクは微笑み、「こっちです!」とレジェスを呼んだ。
せっかくなので、未来の義兄にとびっきりのクワガタを見せてあげよう。
この世界にはカブトムシもクワガタもいるっぽいです。