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伯爵令嬢は、婚約者とキスがしたい②

 エンシャルン歌劇団の公演当日、パーティードレスを着てそわそわと屋敷で待っていたリューディアのもとに、レジェスがやって来た。


「こんば――」


 玄関でお辞儀をして体を起こしたレジェスが、変なところで挨拶を止めてしまった。


 今日の彼は、髪色によく似合う漆黒のジャケットとスラックスという出で立ちで、喉元には銀色の刺繍糸で繊細な模様が施されたクラヴァットも締めている。前髪は横に流して後ろ髪も首筋で結っているため、立派な紳士の装いだった。


 顔を上げた彼は、ぽかんとしてリューディアを見ていた。

 灰色の大きな目に見つめられて、リューディアは緊張しつつ胸もとでもじもじと両手をすりあわせる。


 婚約者と一緒に観劇に行くということで、メイドだけでなく母も張り切ってリューディアの衣装の準備をしてくれた。


 艶を消したシックな深紅のドレスは大胆に胸もとを見せて、真珠のネックレスを飾っている。これだけでは少し胸もとが心許ないので、細かに編み込まれたレースのショールを一枚羽織っていた。

 ドレスはウエストから尻にかけてぴったりとしたデザインで、腕にはなめらかな絹のロンググローブをはめている。


 普段は低めの位置で結うことの多い髪は思い切って頭頂部でまとめ、ガラスで作られた造花の髪飾りを挿している。化粧も、いつもよりも濃いめにしてもらった。


 ……そんな、いつもの正装とは少し違う観劇用の身なりになった姿をまじまじと見つめられると、だんだん気恥ずかしくなってきた。


「……あの、レジェス?」

「……。……あ、え、いえ、ええと、その……よく、お似合いです……」


 消え入るような声で褒めた後に彼はうつむき、ククク、と低い笑い声を漏らした。


「すみません、少し驚きまして。……いやはや、まさか私がかように美しい女性を観劇にお連れできるとは。ただ、少々魅力的すぎて……男を誘惑してしまうのではないでしょうか?」

「ふふ、ありがとう。……あなたを誘惑できれば嬉しいわ」

「んむっ……」

「あなたも素敵よ、レジェス。いつものローブ姿ももちろんだけれど、今日のあなたはいつも以上に凜として男らしく見えるわ」

「ふぇっ……。……ク、ククク……どういたしまして。魔術師団の仲間の助言を聞き入れてよかったと思いますよ」


 レジェスはおなじみのクツクツ笑いをしているが、顔は真っ赤だし灰色の目は思いっきり泳いでいる。

 リューディアとしては偽りのない正直な感想を述べたつもりなのだが、レジェスは想像以上に喜んでくれたようだ。


 両親とアスラクに見送られ、リューディアはレジェスがあらかじめ呼んでくれていた馬車に乗り込んだ。乗る際、先に馬車のドアを開けてリューディアの手を取ってエスコートしてくれるレジェスは本当に素敵で、物語に出てくる王子様のようだった。


 だがそれを本人に伝えると、「ワカメは王子になれません」と微妙な顔で言われた。だから「私の王子様は目の前にいるあなただけよ」と熱弁を振るうと、顔を手で覆ってうつむいてしまった。

 耳が真っ赤なので、照れているようだ。











 レジェスは、一般席の中では最上級の場所を確保してくれていた。

 大変だったでしょう、と尋ねると、「私に不可能はありません」と笑いながらチケットを差し出した。


(そうは言うけれど、一般席でもここはいつもかなり競争率が高くて、値段もつり上がるそうなのよね……)


 リューディアのために席を確保してくれたことがありがたくて、チケットを胸に寄せるとレジェスは小さく咳払いしていた。


 会場は、貴族席と一般席で入り口が分けられていた。

 リューディアたちは一般席用の受付の列に並んでいたのだが、会場係はチケットに記されたリューディアの名前を見ると目を丸くした。


「シルヴェン……あ、あなたは伯爵家のご令嬢でいらっしゃいましたか!?」

「はい、そうです」

「……あの、貴族の方でしたらあちらの席に特別にご案内しますが――」


 会場係がそう申し出た瞬間、リューディアの隣でレジェスがピクッと体を震わせたのが分かった。


 貴族席と一般席ではそもそものチケットの値段が違い、当然貴族席の方が舞台がよく見える。会場係は伯爵令嬢ならば……と思い、貴族席の提案をしてくれたのだろう。

 その気持ちは分かる、が。


「いえ、今の席がいいです」

「そ、そうですか。失礼しました」


 はっきりと断り、チケットと交換でドリンク用のカードをもらう。これがあれば公演中、何杯でもドリンクを注文できるようだ。


 薄暗い観客席に入り、目的の席に向かう。一般席の中では中央前寄りなので、舞台の全体が見えやすそうだ。

 レジェスと並んで少し硬い椅子に座ったところで、彼がぼそっと言った。


「……よかったのですか? 貴族席の方がよく見えますし、椅子も柔らかいはずですが」

「ええ、ここがいいの。……あなたが用意してくれた場所だもの」


 ここでいい、ではなくて、ここがいい。


 貴族席の方がゆったりと座れて劇ももっと近い場所で観られるだろうが……その席はレジェスが準備してくれたものではない。


 少し舞台が見えにくくても、椅子が硬くても――婚約者が高い競争倍率に挑んで入手してくれたこの場所が、リューディアにとっての特等席(ロイヤルシート)だった。


 ……ということを語ると、レジェスは先ほど受け取ったばかりのドリンクを手にぷるぷる震え始めた。

 下手すると取り落としてせっかくの正装を汚しそうなのでカップを受け取ってテーブルに置くと、レジェスは額に両手を当てて天を仰いだ。


「……なぜあなたはこうもたやすく、私を喜ばせることをおっしゃれるのですか」

「特に何か考えているわけではないけれど、あなたが喜んでくれたのなら嬉しいわ」

「…………」

「……あっ、見て。お芝居の説明が始まるみたいよ」


 何やら頭をぐらぐらさせるレジェスの袖を引っ張り、舞台に注目させた。


 なんといっても今日の目的は、観劇によって気分を高揚させ――レジェスにキスしてもらうことなのだ。


(そのためには、レジェスにもお芝居を楽しんでもらわないとね!)

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