伯爵令嬢は、婚約者におねだりしたい①
本編終了後、婚約者に甘える伯爵令嬢のお話。
このへんからだんだん糖度が上がっていきます。
シルヴェン伯爵家の長女であるリューディアには、悩みがあった。
悩みといっても、深刻なものではない。
ただ、ほんのちょっとだけ気になることがある程度だ。
(レジェスって、いつも手袋をしているわよね……)
自室のソファでゴロゴロしながらリューディアが考えるのは、婚約者のこと。
一ヶ月ほど前に婚約したレジェス・ケトラは、セルミア王国魔術師団の闇魔術師だ。
黒い髪はわさわさしており、大きな目は灰色。かなりの痩せ型なので骨格はゴツゴツとしており肌の色も悪いが、身だしなみには気をつけるたちらしくてリューディアと会うときの彼はいつも服をきっちりと着ているし、言葉遣いも丁寧だ。
友人たちにもレジェスのことを報告したが、祝福してくれた。
なお、今親しくしている友人は皆、半年前に父が投獄された際にも懇意にしてくれた家の娘であるため、リューディアが身分違いの結婚をすることになっても意外な顔こそすれ悪く言う者はいなかった。
レジェスは「根暗で陰気で性格の悪い闇魔術師」などと言われているが、リューディアはそうは思わない。
確かに彼は少々後ろ向きで卑屈なところもあるが、それでも自分にできることをしようと頑張るところがとても素敵だと思うし、リューディアにひたむきな想いを向けてくれる。
これほどまで立派な人に愛されて、リューディアは幸せだ。
ただ、それでもいくつか彼関連で悩みはあるが。
(レジェスはいつも、私のことを「リューディア嬢」と言うし……あと、手袋なしで手を繋いだことがないわ)
現在のところの悩みは、この二つだった。
父が釈放されて間もなくの頃ならともかく、婚約者となった今は「リューディア」と呼び捨てにしてほしい。こちらに関しては、精いっぱいお願いしたら叶わなくもない気がする。
ただ、もう片方は……実現が難しそうな気がしていた。というのも、レジェスはそもそも自分から積極的にリューディアに触れてこようとしないのだ。
リューディアとしては、未来の旦那様なのだから今のうちからたくさんふれあいたい。手袋なしで手を繋ぐのももちろんだが、いつかは……キスもしたいとも思っている。
だが、レジェスの方が遠慮していることをなんとなく察していた。おそらくだが……素手でリューディアに触れてはならないと思っているのではないか。
彼の生まれや育ちが複雑で、彼があのような性格であるのにもたくさんの理由があるのだと、リューディアは分かっている。
だから、彼が嫌がることはしたくないし……彼が望まないのなら、手を繋ぐこともキスも当分お預けでも仕方ないと思っている。
(おねだりしたら……困らせるかしら)
もしレジェスに嫌われたら、と思うと胸の奥がつきんとするが、思っているだけでは気持ちは伝わらない。
弟のアスラクも、「僕の見立てでは、レジェス殿は姉上に押せ押せされたら困りつつも喜びそうだよ」と言っていたので……今度会ったときに頑張っておねだりしてみよう、とリューディアは決めた。
数日後、多忙な中レジェスは時間を取り、伯爵邸に来てくれた。
「来てくれてありがとう、レジェス。いつも忙しいのに……本当に嬉しいわ」
「ククク……私があなたに会いたいと思っているだけですよ」
居間に通したレジェスは、そう言っていつものように笑った。
彼は仕事の合間に来てくれたようで、魔術師団の黒いローブを着ている。
彼が闇魔術師であることが一目瞭然のこのローブはリューディアにとっても思い出深いので以前、「これを着るあなたはいつ見ても素敵よ」と素直な感想を述べたのだが、レジェスは数秒固まった後に「……そんなことを言うのはあなたくらいですよ」と言っていた。
メイドがお茶と菓子を準備して、下がっていった。
両親もアスラクもレジェスを歓迎しているので、婚約者たちが二人きりになることに何も異論はないようだ。
リューディアとレジェスはまず、お茶を飲みながら簡単な近況報告をしあった。
「……そうなのね。呪いの道具って、なかなか減らないのね……」
「ええ。……まったく、こういうのを作って売る輩がいるから、私たち闇魔術師が悪く言われるのです。あんな物騒なものを作るだけの才能があるのなら、きちんと王国魔術師団員になってくれればいいんですけれど」
「まあ、やっぱりそういうのを作るのは難しいのね。それじゃあそういった道具の解呪をするレジェスたちは、とてもすごいのね」
「なんでそういう風に捉え……いえ、なんでもありません。ありがとうございます」
レジェスはぽっと顔を赤らめた。リューディアとしてはごく普通のことを言ったつもりだが、思いがけずレジェスを喜ばせていたようだ。
「……ああ、そうだわ。私、いくつか悩みがあって」
「悩み? ……ククク。あなたを悩ませる不届き者は、誰ですか?」
「強いて言えば、あなたかしら」
「私ですか!?」
ぎょっと目を見開いたレジェスに、リューディアは頷いてみせた。
「ええ。だから、こじれる前に相談しておこうと思って。……もちろん、レジェスさえよかったらだけれど」
「何でもおっしゃってください。全て叶えてみせましょう!」
リューディアのために張り切ってくれるのは嬉しいが、あまりそういうことを軽々しく言わない方がいいのでは、とリューディアは思った。
「ありがとう、できる範囲でいいわ。……まずは、私のことを呼び捨てにしてほしくて」
「…………」
レジェスは、凍り付いた。
張り切って頬を赤らめていたはずだがすぐに肌は元の色に戻り、薄い唇がヒクヒク動いている。
「……わ、私ごときがあなたを、呼び捨てに……?」
「おかしいかしら? 私たち、夫婦になるのよ? それも私があなたのもとに嫁ぐ形になるのだから、対等な関係になるでしょう?」
「それは……そうですが……しかし……」
「やっぱりだめかしら……」
「だめではありません!」
即答した。
即答したものの、レジェスはものすごく悩み――待つ間にリューディアが茶菓子のクッキーを二枚食べ終えたところでようやく、口を開いた。
「リ……リューディ……ア……」
「レジェス……! ありがとう、嬉しいわ!」
感極まって歓声を上げると、レジェスはくっとうめいて顔を背けた。
「そ、その……努力、します」
「ありがとう。でも、言うのが辛かったら無理はしなくていいからね」
「辛くはありません! ただ……いえ、言い訳は見苦しいですね。大切なあなたのためですから……いずれなめらかに言えるようになります。リューディ、ア……」
「ふふ。ありがとう、レジェス」
リューディアが微笑むと、レジェスはほわんと夢見心地になった後に我に返ったようだ。