闇魔術師は、デートに行く③
ペンダントは、身につけた者に闇魔術を施すという効果があったようだ。だがざっと確認しても安物で、王国魔術師団員であるレジェスにとっては子どものお遊びのようなちゃちな魔術だった。
少女の首筋に手を伸ばし、その肌をむしばむ闇魔術を吸収する。他属性の魔術師が闇魔術を吸収すればもだえ苦しむだろうが、レジェスにとっては水を飲むがごとく自然なこと。
すぐに呪いは全てレジェスの手に吸収され、少女の肌からあざも消えた。呼吸も安定した彼女はやがてまぶたを開け、ぼんやりする目でレジェスを見上げてきた。
「……おじさん、だれ?」
「お兄さんと言いなさい。……私は闇魔術師団員です。闇魔術で呪われていたあなたを、助けました」
そう言いながら立ち上がり、スラックスに付いた砂汚れをはたき落とす。
「このペンダントは、預かっておきます。……呪いは全て取り除きましたが、体力が削れているはずです。今日はすぐに家に帰ってゆっくり休みなさい。夕食には、栄養のある肉を食べるといいでしょう」
そう助言をすると、少女はすぐに自分の身に何が起きたのか分かったらしい。
最初は怯えるように震えていたが、レジェスが説明を終えると唇を引き結んで頷いた。
「……分かった。あの、お兄さん。あり――」
「イレネ!」
少女の声をかき消す絶叫を上げて突撃してきたのは、若い女性。
やけに化粧の濃い彼女は周りの者たちを突き飛ばしながら猛進すると、レジェスが治療した少女を抱き寄せた。
「イレネ、あんた、何があったの!? 皆は、あんたが呪われたって……」
「お母さん! あのね、この闇魔術師のお兄さんが――」
「はぁっ!?」
娘の言葉を皆まで聞かず、女性はきっとレジェスを睨んできた。
「おまえがイレネを呪ったのね!? この犯罪者! 皆、こいつを捕まえてよ!」
「……っく、ククク……できるものならやってみなさい」
レジェスが挑発するように笑って周りの者たちを見回すが、一連の様子を見ていた者たちは当然誰もレジェスを捕まえようとせず、視線を逸らした。
女性はそれを見てまたしても、「はぁっ!?」と悲鳴を上げると、手近なところに転がっていた小石を掴んでレジェスの腹に向けて投げてきた。
「なによ、おまえ! 気持ち悪いから、近寄らないで!? 闇魔術師なんかに近づいたら穢れるわ!」
「待って、お母さん。この人は、イレネを助けてくれたの……」
「汚らしい闇魔術師なんかが人助けをするわけないでしょう!?」
女性がそう叫んだ瞬間、周りの者たちもひそひそ話をやめて凍り付いたように口を閉ざした。
レジェスはそんな街の者たちを見回して薄暗く笑い、一歩後退した。
「……ククク……闇魔術師は、人助けなんてしないと? 私がその子を救ったところを見てもいないくせに?」
「はぁ? あんた、本当にイレネを……?」
一瞬女性は勢いを削がれたようだが、一度振り上げた拳を下ろすことはできないたちなのか、それとも周りの者たちが「そのお兄さんの言うとおりだ」「やめなよ」と止めてくるのが気に食わないのか。
彼女は娘の肩を突き飛ばして立ち上がると、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「っ……誰も、イレネを助けてなんて言ってないわよ! 闇魔術師のくせに偽善者ぶるんじゃないわよ、気持ち悪い!」
「……ククク」
罵倒されてもなおレジェスは、薄ら笑いをやめない。
これくらいの暴言なら、今まで何度も聞いてきた。
これくらいのことで、今更傷ついたりしない。
「なるほど、なるほど。では、私がお嬢さんの呪いを解く必要なんて、なかったのですね……」
「な、何よ……?」
レジェスは手をひらめかせ、ぽん、と右手の中に小さな黒い塊を出した。
「こちらは、先ほどお嬢さんの喉元から吸収した呪いです。私の助けが不要だったのなら……これ、お返ししますね?」
「な、何それ!? ふざけないでよ! 子どもをいじめて楽しいの!?」
「子ども? ……いいえ、これはお嬢さんではなくて……母親であるあなたに、お返しします」
そう言った途端、それまでギャンギャン噛みついてきた母親はさっと青ざめた。
「あ……あたしに……? なんでよ!? あたしに返される理由なんてないでしょ!?」
「お嬢さんが受けた苦しみを、母親であるあなたに返そうと思っただけですが? ほら、手を出しなさい」
「……っ……い、嫌よ、そんなの……!」
「はぁ」
レジェスは肩を落とすと、手の中の呪いをしゅるんと自分の中に吸収した。そしてへたり込んで震える女性を冷たく見下ろし、きびすを返した。
すれ違う人たちの中には、「……疑ってすまなかった、お兄さん」「悪かった」と口にする者もおり、レジェスは片手を挙げて応えながら現場を後にして足を速めた。
先ほどの場所には、リューディアがいた。
こちらを見つめる杏色の目と視線がぶつかると――それだけで、すさんでいたレジェスの胸にすっと爽やかな風が吹き抜けたような心地がした。
「おかえりなさい、レジェス。大丈夫だった?」
「……ええ、特に問題なく」
「女の子が怪我をしていたそうだけど……」
「闇魔術による呪いだったので、吸収しました。……女の子にも母親にも、感謝されましたよ」
きっとこの場所までは、あのごたごたの音は聞こえていないはず。
そう思って……リューディアを困らせまいと思って努めて明るく言ったレジェスだが、リューディアに真っ直ぐ見つめられて言葉を失った。
リューディアは、静かにレジェスを見ていた。
なじるわけでも、問い詰めるわけでもない。ただ、穏やかに包み込むような眼差しに射すくめられて――レジェスは、胸が苦しくなった。
「……すみません、今の、嘘です。……母親には、暴言を吐かれました。助けてなんて言っていない、と」
「そう……」
「……」
「……辛い?」
そっと尋ねられて、レジェスはしばし言葉に悩んだ後に……頷いた。
「……辛くないと思っていましたが、案外堪えていたのだと今気づきました」
「……あなたは、女の子を助けたことを後悔している?」
「していません」
「そう、それならそれが一番よ」
リューディアは微笑み――あら、と小さな声を上げた。
彼女の目線の先を追おうと振り返るとそこには、先ほど助けた少女の姿が。
「あなたは……」
「あの、お兄さん。ごめんなさい、さっき、お母さんが、ひどいことを言って」
走ってきたらしく女の子は息を切らせているので、レジェスはしゃがんだ。
「だめですよ、走ったら。あなたはただでさえ、呪いで弱っていたのですから……」
「でも、お礼、言っていなくて」
女の子はふるふると首を振ると、「ありがとう」と目を潤ませて言った。
「イレネを助けてくれて、ありがとう。拾ったネックレスをつけたら、すごく、苦しくなって。死んじゃうって思っていたけど……お兄さんが助けてくれたの」
「……」
「イレネ、分かっているの。お兄さんは、優しい人なの。……だから、ありがとう」
そう言うと、女の子はたっと駆けていった。母親のもとに戻るのかと思いきや、彼女を迎えたのは先ほど近くにいた男性だった。年齢からして父親ではなくて近くの店の店員だろう。
レジェスはしばしその場で突っ立っていたが、やがてそっと肩に温かい手のひらが乗った。
「レジェス、よかったわね。……あなたの優しさと強さは、きちんと伝わっていたわ」
「っ……!」
レジェスはうつむき、ジャケットの裾で乱暴に目元を拭った。彼が立ち上がると、リューディアはそっと後退してレジェスの半歩後ろに――彼が顔を見せなくていいような位置に立って背中を撫でてくれた。
「……すみません。せっかくのデートなのに……こんな……っ」
「いいえ、私はよかったわ。……私はあなたが誇らしいわ、レジェス。あなたの素敵な姿を見られて……今日は本当によかった」
「リューディア嬢……」
鼻をすすったレジェスがおずおずと振り返ると、リューディアは微笑んだ。
「さあ、優しくて勇敢な闇魔術師さん。二人きりで過ごせる、静かな場所に行きましょうか?」
「……はい。参りましょう、リューディア嬢」
冷たく震える手をこわごわ差し出すと、柔らかくて小さな手が握ってくれた。
レジェス一人では、英雄にはなれない。
リューディアの……この優しい手を持つ婚約者がいるから、レジェスは強くなれるのだった。
王国魔術師団のレジェス・ケトラが非番の日でありながら少女を救ったことは、すぐに広まった。
最初は彼のことを勘違いしていた者たちも考えを改めてくれたそうだが、少女イレネの母親だけはずっとレジェスのことを罵倒していた。
それだけでなく「闇魔術師なんかに触れられて汚い!」と娘にまで矛先が向くようになったため、街の者たちが協力してイレネを母親のもとから引き剥がしたという。
だが母親はその後、レジェスが伯爵令嬢の婚約者だと知ると手のひらを返した。
そうしてすり寄ってきた母親をレジェスは「闇魔術師に関わったら穢れるのでしょう?」と底冷えするような笑顔で切り捨て、追い払った。
その後母親は養護院に保護された娘に会いに行ったが、「私は汚いんでしょ?」と冷たく突き放された。
ショックを受けた母親は次第に幻覚に悩まされるようになって王都から出たそうだが、その後どうなったかは知らない。
養護院で育った少女イレネは成人後、医者になった。
彼女は、「苦しい思いをする人を、私にできる方法で助けたいのです」と笑顔で語っていたという。