闇魔術師は、デートに行く②
同僚たちからあれこれ助言を得ながら選んだレストランは女性客が多くて、レジェスは思わず入り口で立ちすくんでしまった。
だがリューディアが「ここ、ずっと行きたいと思っていたの!」と声を弾ませたため我に返り、彼女を伴って入店した。
さすが高級飲食店の店員は不釣り合いな二人を見ても、「え、美女とワカメ?」みたいな顔はせず、営業スマイルで席に案内してくれた。
レジェスは平民だが、金はある。どれくらいかというと、金で一代男爵位くらいならさくっと買えそうなくらい貯金している。
だが元々物欲がないし買うものがあっても安物で済ませるたちなので、レストランのメニュー表に書かれた価格――女性であるリューディアのメニューには、値段表示がない――には思わず目を剥いたが、払えない額ではない。
何より、向かいの席でリューディアがとても幸せそうな顔で食事をするのを見られるだけで、大金を払う意味があるとさえ思えた。
「とってもおいしいわ! レジェスの方は、どう?」
リューディアは女性にしてはそこそこ食べる方らしく、彼女の皿には夕焼け雲色のとろりとしたソースの掛かった大きめの肉が載っている。
対するレジェスの方は偏食で小食なので、あっさり味付けの魚のムニエルだった。
「ええ、おいしいです。……魔術師団では適当に食事を済ませることが多いので、いっそうおいしく感じられます」
「……そんなに不健康な食生活なの?」
心配そうに眉を垂らして尋ねられ、レジェスはギクッとした。
リューディアはレジェスがガリガリであることを気にしていて、「もう少し太った方がいい」とたびたび口にしていた。
レジェスとしても、いつ死んでもよかった以前と違い今は少しでもリューディアと一緒に長生きしたいと思っているので、食事や運動に少しは気をつけている。……が、体質なのか食べると肌がかゆくなる食材も多く、簡単には太れそうになかった。
そう説明すると、リューディアは「そうなのね……」と何やら考え込んだ。
リューディアの食事を妨げてしまったのでは、とレジェスが内心慌てていると、やがてリューディアは顔を上げた。
「それじゃあ結婚してからも、食事のメニューには気をつけた方がいいわね」
「え、そ……そう、ですね。いえ、しかし、私なんかのためにそこまで……」
「何を言っているの。……私たちは家族になるのだから、家族の健康について一緒に考えるのは大切なことでしょう?」
リューディアはそう言って、カトラリーを手に微笑んだ。
「それに……実は私だって、苦手な食材はたくさんあるの。何が好きで何が嫌いかとか、そういう話をしていくのは、相手を知ることにもなるじゃない?」
「……そうですね」
「私なんてむしろ、お肉もスイーツも好きだから太ってしまわないように気をつけないといけないのよ。このままだとレジェスは細いのに、私だけころころ太ってしまうかもしれないわ」
「あなたは太ったとしても愛らしいに決まっています!」
「えっ」
「あっ」
フォローのつもりで言ったのだが、思いがけず情熱的な台詞を吐いていたようだ。
その後、真っ赤になって固まってしまったレジェスはリューディアによしよしと慰められることになった。
念のためにカーテンで仕切られた特別席を予約しておいて本当によかった、とレジェスは思った。
食事の後、レジェスはリューディアと一緒に店を見て回ったり大広場で弾き語りをしている吟遊詩人の歌声を聞いたりと、充実した時間を過ごした。
凜としているリューディアだが、今日の彼女はよく笑ってくれた。
嬉しいときには嬉しいと言い笑ってくれるリューディアの顔は、レジェスにとって何よりの癒やしだった。
……このまま、リューディアと過ごす時間を享受したい。
そう、思っていたのだが。
「……誰か! 魔術師団に連絡してくれ!」
「子どもが、怪我をしているんだ!」
吟遊詩人に投げ銭をして大広場を後にしたところで、街がざわめきに包まれた。そうして聞こえてきた男の声に、レジェスははっとする。
「……魔術による負傷、ですか」
「大変そうね……。……」
そう呟いたリューディアは、口を閉ざした。
婚約者の横顔を見て、どくん、とレジェスの心臓が不安を訴える。
リューディアは、何も言わない。なぜなら、ここで彼女が何を言ったとしても――レジェスはその言葉に絶対に従ってしまうからだ。
助けに行ってあげて、と彼女が言えばレジェスは現場に飛んでいくし、行かないで、と訴えれば彼女のそばにいる。
だが、王国魔術師団員として、それでいいのか。
リューディアは、レジェスに判断を任せようとしている。
……国王が拉致されようとデートを優先させると宣言したくらいなので、レジェスは目の前のごたごたなんかよりもリューディアとの時間を優先させたい。
だが……それで自分が、リューディアが、納得できるのか。
逡巡した既に、レジェスは――
「……リューディア嬢」
「ええ」
「……申し訳ございません」
レジェスは、ひび割れた声で謝罪した。
「少し……ここで、待っていてくださいませんか。様子を見に行って参ります」
「……そう」
「……すみません」
「謝らないで」
そう言って、リューディアは顔を上げて微笑んだ。
そして一度だけぎゅっとレジェスの腕にきつく抱きついてから、自分の腕をほどく。
レジェスが顔を上げると、どこかすっきりとしたような顔で笑うリューディアが。
「レジェス、忘れないで。私は、あなたのことを素敵な人だと思っている。あなたの仕事を――尊いものだと思っている。今、行くと判断したあなたのことを、応援するわ」
「リューディア嬢……」
「私はここで待っているわ。……いってらっしゃい、レジェス。気をつけて」
リューディアに言われて、レジェスはぐっと息を呑み込んだ。
そして穏やかに微笑む婚約者に、一礼した。
「……はい。いってきます、リューディア嬢」
近くにいた伯爵家の護衛にリューディアのことを頼み、人混みを掻き分けながら足早に現場に向かったレジェスは、地面に横向きに倒れる少女を見つけた。
「……その子は?」
「お、おい、何だ貴様!?」
「まさかおまえが、この子に呪いを――!?」
少女を介抱していたらしい男性は、歩み寄ってきたレジェスを見て警戒の色をあらわにした。
面倒くさい、と思いつつレジェスはぎょろりと男たちを睨み下ろした。
「私は、王国魔術師団の闇魔術師、レジェス・ケトラです。その少女の容態を確かめてもよいでしょうか」
「や、闇魔術師……!?」
「いや、だったら魔術師団員の証拠を出せ!」
「すみません、今日は非番なのでそういった類いのものは持っておりません」
デート中くらいは仕事を忘れてただのレジェスとしてゆっくりしたい……と思っていたので、魔術師団の紋章入りのコートはもちろん、身分証明証なども持ってきていなかった。
それを聞いた男たちは立ち上がり、ずいっとレジェスに詰め寄ってくる。
「おまえ、偽物だな!?」
「隙を見てこの子を殺すつもりなのか!?」
「そう思うのなら、ご自由に。ただ……見たところその子、放っておいたら十分もせずに死にますよ?」
「なっ……!?」
その子、とレジェスが指さした少女は近くの店の女将らしい女性に抱えられているが、喉の周りにどす黒いあざのようなものが浮かんでおり、ゼエゼエと苦しそうに呼吸している。
少女の近くには、鎖の切れたネックレスのようなものが落ちていた。
それを拾って目の高さに掲げたレジェスは、なるほど、と頷く。
「これが原因ですね。魔術師団でもよく解呪を頼まれる、呪われた道具。だから、喉の周りに呪いが発動した……ふむ」
「お、おい、おまえ、その子を治せるのか!?」
「ええ、これくらいならちょちょいと治せますよ。……まあ、私が王国魔術師団員であることが疑わしいのなら、詰め所まで走って当番の者を呼びなさい。それまでの間に、この子は死ぬでしょうがね」
「だったらぺちゃくちゃ喋ってないで治してやれよ、薄情者!」
「ククク……先ほどは私のことを疑っていたくせに、偉そうな口を利くものですね」
冷たく笑うと、男はぐっと言葉に詰まって後退した。その隙にレジェスは少女の隣に向かい、女将に少女を地面に寝かせるよう言った。