闇魔術師は、デートに行く①
本編終了後、婚約者とデートに行く闇魔術師のお話。
ヒーローがしんどい思いをします。
レジェス・ケトラ二十三歳は、かつてないほど緊張していた。
緊張、という点では一ヶ月ほど前に伯爵家に行ってリューディアにプロポーズしたときも同じだが、あのときは勢いのようなものもあった。
このたび、レジェスはデートに行く。
デートである。
人生初の、女性との、二人きりの、お出かけである。
リューディア・シルヴェンと婚約してから、レジェスはしばしば伯爵邸に呼ばれて夕食を食べたりお茶をしたりしていた。リューディアはともかくレジェスは多忙な魔術師であるため、あまり頻繁に会うことはできなかった。
だが、同僚から「やっぱり一度は、デートに誘った方がいいわよ」とアドバイスされたレジェスは一念発起し、リューディアをデートに誘った。
そのときの自分は舌も噛み噛みだししどろもどろだしみっともないくらい顔も赤かっただろうから、反省しかない。
だがリューディアはそんなレジェスのつたないお誘いに満面の笑みになり、手袋を嵌めた手をぎゅっと握ってきた。
『本当に!? 嬉しいわ! 私、当日めいっぱいおしゃれをするわ!』
誘い文句はちっともスマートではなかったのに、リューディアは純粋に喜んでくれた。それだけで、レジェスは昇天しそうなほど幸せだった。まだ昇天するつもりはないが。
かくしてデートの約束を取り付けたレジェスは伯爵邸から戻るなり魔術師団の事務部に突撃して、当日はたとえ王城が敵国に攻め込まれて国王が人質になろうとリューディアとのデートを優先させることを念押しした上で、一日の休みをもぎ取った。
そしてレジェスは、自分よりはおしゃれセンスのある同僚たちの助力を得ながら当日の衣装を準備して、慣れないながらにレストランを予約して、デートプランも練った。
途中でリューディアが「あそこに行きたい」と急に言い出しても柔軟に計画変更できるようにして、リューディアが「もう帰りたい」と言い出してもすぐに伯爵家に送り届けられるように綿密に計画を立てる。
そんなレジェスを、同僚たちは「気持ちは分かるが、なんか重いな」とぼやきながら見守っていた。
デート当日、レジェスは待ち合わせの時間よりも二時間早く現地に到着した。
「遅いよりは早いほうがいい」という同僚のアドバイスがあったからなのだが、まさか彼もレジェスが二時間も前に待ち合わせ場所に着いてそわそわしているなんて思ってもいないだろう。世の中には、知らない方が幸せなこともあるのだ。
道行く人たちはともかく、そわそわするレジェスの近くの店の店主は開店前から何時間もその場にいるレジェスを見てうろんな顔をしていたし、何度か声を掛けられそうになった。
そうして、大広場の時計塔が約束の時間を刻んだ、一分後。
「お待たせ、レジェス!」
レジェスの前に伯爵家の馬車が停まり、ワンピース姿の女神――ではなくてリューディアが下りてきた。
普段伯爵邸や王城ではつま先まで隠れるようなドレスを着ており令嬢のたしなみとして髪も結っているリューディアだが、今の彼女はふくらはぎ丈のブーツが見える若草色のワンピースを着ており、髪も一部を軽く束ねるだけで下ろし、ボンネットを被っている。
いつものドレスだと喉元まできっちり隠されているが、今日の彼女のワンピースは胸もとがスクエアカットになっており、鎖骨付近のミルクのように白い肌があらわになって眩しい。眩しすぎて、目が潰れそうだ。
馬車を下りた天使――ではなくてリューディアに名を呼ばれて、レジェスの心臓が跳ねた。ぎこちないながらベンチから立ち上がった彼は、ぎくしゃくしつつお辞儀をする。
「ご、ご機嫌よう、リューディア嬢。今日は、その、ええと、とても……」
「ええ」
「あの……お美しい……です……」
「ふふ、ありがとう! あなたとの初めてのデートなのだから、気合いを入れてしまったわ」
笑顔でそう言って、妖精――ではなくてリューディアはくるりとその場で一回転した。
ワンピースの裾が少しめくれ下に穿いているペチコートのレースがちらちら見えて、レジェスはぎょろりとした目を剥いた。
「今日は、レジェスがプランを考えてくれたのよね?」
「え、ええ。……その、あなたに気に入っていただければいいのですが」
「ありがとう。楽しみにしているわ!」
リューディアははしゃいだ様子で言い、レジェスのジャケットの腕に掴まってきた。
同僚の女性が、「女性を左腕に掴ませるのだから、そのへんに香水を掛けておきなよ」と言っていたので渋々従ったのだが、よかった。彼女には後で心から礼を言っておこう。
伯爵家の馬車には一旦帰ってもらい、少し離れたところに護衛を付けてもらった状態でレジェスはリューディアを連れて城下町を歩いた。
こういうとき、貴族の令嬢なら馬車に乗って優雅に散策をするそうだが、他ならぬリューディア本人が「レジェスと一緒に歩きたいわ」と言ったのだ。
街ですれ違う人たちはまず、どこからどう見てもいいところのお嬢さんであるリューディアの美貌を目にして――そしてそんな彼女が嬉しそうに身を寄せるレジェスを、二度見してくる。
「え、そのお嬢さんの相手、おまえなの?」と言わんばかりの眼差しで。
つい、いつもの癖で背中を丸めてしまいそうになったが……やめた。
そんなことをして恥ずかしい思いをするのは、リューディアだ。
彼女に自分は釣り合っていないが――それでも彼女の婚約者として、せめて胸を張って歩いていたかった。