闇魔術師は、決闘を申し込まれる
本編終了後、知らない男からいきなり決闘を申し込まれた闇魔術師のお話。
「貴殿が、レジェス・ケトラだな!」
ある雨模様の日。
いつも通り王国魔術師団の黒いローブを着たレジェスが王城の廊下を歩いていると、知らない声に呼び止められた。
レジェスは今日、不機嫌だった。というのも窓の外は朝から雨一色で――自分の癖毛がいつも以上に落ち着かなくて、もさもさしていたからだ。
そういうことで、なかなか自分の言うことを聞いてくれない髪に苛立ちつつ、レジェスは振り返った。その先には、見覚えのない青年貴族の姿が。
「はぁ……そうですが、何用ですか」
「貴殿に決闘を申し込む!」
そう言って青年貴族はつかつかとレジェスに歩み寄ると、足下に何かをぺちっと投げつけてきた。
顔を動かすのもおっくうで眼球だけ動かして確認したそれは――白い手袋だった。
「……」
「……お、おい! 俺を無視するつもりか!?」
あほくさ、と思ってきびすを返すと、焦ったような声がした。
騒ぎを聞きつけたのか周りには人だかりができており、レジェスの行く手を阻んでいる。
ちっと舌打ちして振り返り、レジェスは青年貴族をぎょろっと睨んだ。
「……あいにくですが、私にはあなたに決闘を申し込まれるような心当たりがございません」
「いいや、あるとも! ……貴殿は、シルヴェン伯爵家のリューディア嬢の婚約者だな!?」
青年に大声で問いただされ、レジェスはピクッと身を震わせた。
彼が七年来の想いを告げてリューディアの婚約者になって、半月ほど。最初の頃は祝福されたり冷やかされたり睨まれたりものを投げつけられたりしたが、最近は落ち着いてきていた。
なお、ただの冷やかしや素直な祝福の言葉なら気にしないが、悪意をぶつけてきた者にはきっちりお返しをしている。
どんなお返しをするか考えるのもまた楽しかったので、周りが落ち着いたのは少々つまらないと思っていたところだった。
レジェスと同じ年頃だろう青年貴族は頬を赤らめ、こちらを睨んできている。
つまり……そういうことだろう。
「ええ、まあ、そうですね。……それがどうかしましたか?」
「貴殿にリューディア嬢はふさわしくない! よって、俺は貴殿に決闘を申し込む!」
「ククク……訳が分かりませんね」
レジェスはおなじみの薄ら笑いを浮かべ、床に投げ捨てられたままの手袋をつま先でつんつん突く仕草をした。
「私とリューディア嬢は双方の合意の上で、なおかつ伯爵家の方々の承認も受けて婚約しました。おまけに、リューディア嬢の結婚ということで国王陛下も後援してくださるとのこと。……それに関して、あなたにとやかく言われる筋合いはないのですが?」
「くっ……! だがそれでは、俺の気が済まない!」
そんなの知るか、と言いたくなりつつ、レジェスは相手を苛立たせるようなニヤニヤ笑いを浮かべる。
「あなたの気が済まなくても、私は一向に構いません。……では、ご機嫌よう」
「貴様! 逃げるつもりか!」
「逃げるのではありません。こんなもの、最初から成立していませんからね」
きびすを返したレジェスは、首だけ捻って後ろを見る格好で言い放った。
「というかあなた……決闘ということは、私に剣術での勝負を申し込むのですよね?」
「ああ、そうだ!」
「それっていわゆる……ええと、キシドーセイシンとかいうものに則っているのでしたっけ?」
「ふん、貴様も騎士道精神の言葉くらいは知っているようだな! ああ、その通りだ!」
「はあ、そうですか。剣術ではなくて魔術書の早読み対決ではだめですか?」
「だめにきまっているだろう、そんなもの!」
「……はぁ。あなた、卑怯ですね」
ギャラリーたちがざわつく中、レジェスは面倒くさそうにローブの袖をまくって自分の右腕を見せた。白いシャツに包まれたそこは、成人男性の二の腕とは思えないほど細い。
「私は魔術師で、剣術はからっきしです。おまけになかなか太れない体質のようで、こんな枯れ木のような体です。……で? あなたはそんな剣術のひとつも身につけていない雑魚に決闘を挑んで、楽しいですか?」
「な……んだと?」
「なるほど、なるほど。……あなたは自分が得意な剣術での勝負は押しつけるくせに、自分には勝ち目のない魔術書早読み対決は却下するのですね。それでいながら、正々堂々の勝負を重んずる騎士道精神を語っていると」
レジェスが小馬鹿にするように言うと、青年貴族の顔がさっと赤らんだ。
「ば、馬鹿言え! そもそも決闘といえば剣術対決だと、昔から決まっているだろう!?」
「それは、お互いが貴族であり剣術のたしなみがあることが前提での話でしょう? ……ククク、なるほど。あなたは私のような貧相な根暗にリューディア嬢を取られたのが悔しく、自分が圧勝できる剣術での決闘を申し込んで私をたたきのめし、リューディア嬢にアピールしようという魂胆なのですね」
そう言ってレジェスは、右手の人差し指を振るった。すると床からにょんっと伸びた闇が落ちたままの手袋を掴み、持ち主の顔面に向かって返却した。
「……というわけで、私はあなたの決闘は受けません。さようなら」
「……っ……! このっ……! 待てっ、陰険魔術師――」
「……レジェス? ここにいるの?」
ふいに聞こえてきたのは、レジェスが慕ってやまない女性の声。
さっとギャラリーの波が引き、こちらに向かって小走りに駆けてきたのは――なんと、話題のその人であるリューディアだった。
「リューディア嬢!? なぜあなたがここに……?」
「アスラクの付き添いで来ていたの。そうしたら、あなたが揉め事に巻き込まれていると聞いて……」
シンプルでありながら品のある淡い紫色のドレス姿のリューディアは、息を切らせてそう言った。レジェスが巻き込まれていると聞いて、急いで走ってきたのだろう。
胸の奥がじわじわと温かくなるのを感じつつ、レジェスは首を横に振った。
「いえ、その……あなたのお気になさることでは」
「気にするに決まっているわ。……ねえ、大丈夫? 怪我とかはしていない?」
「していな――」
「リューディア・シルヴェン嬢!」
なるべく優しい声音で返事をしたのに、青年貴族の馬鹿でかい声にかき消されてしまった。
青年はずかずかと歩み寄ると、レジェスに寄り添うリューディアに向かってきれいなお辞儀をした。
「ご機嫌よう。……実はあなたの婚約者殿と、少々立ち話をしておりまして」
「ご機嫌よう。……ええと、立ち話ですか? 決闘を申し込んだのではなくて?」
「えっ!? な、なぜそれを……?」
「右手だけ手袋が外れておりますので。……魔術師に剣術による決闘を申し出たなんて、信じたくはありませんが……」
リューディアは、冷静に指摘した。
なお、さきほどレジェスが丁重にお返しした手袋は少し離れたところにへちゃりと落ちている。素直に拾っておけばよかったのに、無視したのが仇になったようだ。
さっと青ざめた青年を一瞥してから、リューディアはレジェスのローブの裾にそっと触れた。
「まさかだけど、決闘を受けていないわよね?」
「ククク……こんな貧弱な男が剣術の勝負なんて受けるはずがないでしょう」
「よかった。……あなたが怪我なんてしたら、全治何ヶ月になることかと不安でいっぱいになってしまうわ」
「言い返せないのが申し訳ないです……」
「いいのよ、あなたが無事なのだから」
リューディアが安心したように笑うと、ギャラリーから「あら」「おや」という弾んだ声が上がった。
レジェスは照れを隠すようにこほんと咳払いをした後、いつものペースを取り戻すべくクツクツと笑い始めた。
「ククク……では、もしよろしければ私があなたを表までお送りしましょう」
「あら、あなたにエスコートしてもらえるなんて嬉しいわ。ありがとう」
「……どう、いたしまして」
変なところでつっかえてしまったが、リューディアは特に気にせずにレジェスの腕に自分の腕を絡めて歩き出した。
思わずドキッとしたが……リューディアのドレスが少し濡れていることに気づき、頬のほてりも一瞬で冷えた。
彼女はきっと、レジェスが困っているだろうと思い雨の中、傘も差さずにここまで走ってきたのだ――
「……濡れていますよ、リューディア嬢」
「え、あ……バレてしまったわね。あの、気にしなくていいわよ?」
「だめです。……女性が体を冷やしてはなりません。ましてや、私なんかのせいで……」
「……私が、あなたのところに駆けつけたいって思ったの。力にはなれないかもしれないけれど……」
しょぼんとうなだれるリューディアのつむじを見下ろし、レジェスはきゅっと唇を引き結んだ。
そうしないと――こんな状況だというのに嬉しくて口元がほころびそうになったから。
だがそんな心は押し隠し、レジェスは空いている方の指を振るって淡い闇の衣をさっとリューディアの肩に掛けた。レジェスの闇魔術では炎魔術などのように衣類を乾燥させることはできないが、これ以上体温が奪われないように皮膚を守ることはできる。
「これで、少しはましになるでしょう」
「まあ……とっても温かいわ。ありがとう、レジェス」
「……礼を申し上げるのは、私の方です。その……来てくれてありがとうございました」
レジェスが頬を赤らめつつ言うと、リューディアはふふっと笑ってレジェスのローブの袖に頬ずりした。
「よかった。私もちょっとはあなたのためになれたのね」
「……ちょっとどころではありません」
「そう?」
「ええ、そうです」
雨はまだ、降っている。
だがレジェスの心の雨雲は少しだけ晴れて、そこから暖かな日差しが差し込んでいた。
レジェスに決闘を申し込んだ例の貴族は数日後にもまた喧嘩を売りに来たが、その日伯爵家にお呼ばれしていたレジェスはせっかくの食事会に遅れるものかと、投げつけられた手袋をそのままブーメランのごとく跳ね返した。
その結果、青年貴族は顔に手袋を食らってけつまずき、床にビターンと倒れる様を皆に見られて大笑いされて以降、レジェスの前に姿を現すことはなくなった。
ただレジェス本人はその日伯爵家で楽しく食事をしたことが一番の思い出になり、喧嘩を売ってきた青年貴族のことなんてそれ以降一度も思い出すことはなかったのだった。