ガキ大将は、闇魔術師に喧嘩を売る②
悪夢にうなされただけでなく、朝起きてからもひどい目に遭った。
そんなアーロン少年は昼頃、城下町を練り歩いていた。
いつも従えている子分の姿はなく、武器も持たず、ただ一人で街を歩いて――昨日会った闇魔術師を探していた。
昨日見かけた宝飾店の前には、いなかった。
そこで昼過ぎまでぐるぐると街を歩いた結果、今日は会えそうにないのか……と思っていたら、二度目に通りがかった同じ宝飾店の前で、黒いワカメ頭を見つけた。
「っ……! おい、おっさん!」
「……」
「……え、ええと……闇魔術師!」
「……ああ、昨日のクソガキでしたか」
店先に並ぶ宝飾品を物色していたらしい男は顔を上げると、つまらなそうな顔でアーロンを見てきた。
目当ての人物を見つけられたことに安堵しつつ、アーロンはつかつかと歩み寄って男のコートの裾をぐいと掴んだ。
「ちょっと面貸せ」
「嫌です」
「……あんだと?」
「それが、人にものを頼むときの態度ですか?」
男に至極まっとうなことを言われて、アーロンはぐぬぬと思いながらも――手を離した。
「……は、話があるので、来てくれませんか……」
「嫌です」
「……このクソワカメ!」
「昨日散々私に暴言を吐いてきたことへの、謝罪などはないのですか?」
じとっとした灰色の目で見られて、アーロンはぶん殴ってやりたいと思いつつ――屈辱心にまみれながらも、頭を下げた。
「……きっ、昨日は……すみませんでしたっ……。話があるので、ちょっと、来てくれませんか……っ!」
「はぁ。私も暇ではないんですがねぇ。まあ、いいでしょう」
アーロンが謝って態度を変えても、この男はだるそうだった。
人の多い店先を離れて路地裏に入ったところで、アーロンはポケットに手を突っ込みそこに入っていたものをずいっと男に差し出した。
「これ、受け取れ」
「何ですか、これ」
「俺の今日のおやつだ」
「毒入りですか」
「入ってねぇよ! これは……口止め料だ!」
「はぁ。何のですか?」
じとっとした目で見られて、アーロンは顔が熱くなるのを自覚しながら口を開いた。
「お……おまえ、知っているんだろう! 俺が、本当は皆に怯えていることや、マリンのことが好きだってこととか……!」
「……ふむ」
「これをやるから、誰にも言うな!」
「……そうですか、なるほど。やはりそうなったのですね」
男はひとまず菓子を受け取ってポケットに入れてから、小さく首をかしげた。
「つまりあなたは昨日の私の予言通り、ひどい悪夢を見たと」
「てめぇがやったんだろうっ、クソワカメ!?」
「はい、言い直し」
「……あ、あなたがやったのでしょう……っ」
「違います」
男はあっさり言うと、ぽかんとするアーロンを見下ろした。
「私は闇魔術でちょっとあなたの心をくすぐり、あなたが眠りに就いた際に夢を見やすくなるように働きかけたくらいですので、夢の内容は何も」
「……な、に……?」
「なるほど、なるほど。あなたはやはり、『本当は自分は嫌われているのではないか』とずっと怯えていたのですね」
男に言われて、アーロンは言葉を失った。
「暴力と暴言で相手を従えているつもりでも、心の奥底ではどこか不安な気持ちがあった。その恐れが昨晩、夢という形であなたに返ってきたのです」
「……う、そだろ。じゃあ、おまえは、何も……」
「ええ、今知りました。……おおよそ、片思いの君のマリンちゃんとやらにフられる夢でも見たのではないですか?」
からかうように言われて、アーロンはぼっと顔が熱くなった。
つまり、全部自分のせいだったのだ。
たとえこの男が闇魔術で夢を促したとしても、アーロン自身に何の非もなければ悪夢を見ることはなかった。
あと、マリンのことについては完全に自爆だった。
う、とかあ、とかしか言えなくてうつむくアーロンに、ずい、と男の影が少しだけ近づいた。
「……しかし、悪夢を見たのなら自覚はあるということですし、矯正の余地はあるでしょう。あなたは、本当は分かっているのでしょう? 今のやり方ではいけない、と」
「……るせぇ」
「ほら、こういう暴言だって、後悔するんですよ? 私のこともクソワカメではなくて、素敵なお兄さんと言えばよかったって」
「それはねぇよ」
思わず顔を上げると――男は、ふっと笑った。
元々の顔があれなので、優しい笑顔とは到底言えないが――それまでの呆れたような小馬鹿にしたような態度から一転して、人情味のある表情だと言えた。
「今回のことは、自分を見つめ直すきっかけにすればよいでしょう。そうすれば本当の意味で皆もあなたに従ってくれるでしょうし……マリンちゃんにもフられずに済みます」
「う、うっさいな! おまえこそ、こんなのだとモテないぞ!」
「これ以上モテなくて結構。私には既に、婚約者がいますので」
「……は?」
一瞬、「こんやくしゃ」がうまく変換できなかったが――意味が分かり、アーロンは「はぁっ!?」と大声を上げた。
「お、おまえ、婚約者がいるのか!? そのナリで結婚できるのか!?」
「本当にどこまでも失礼なクソガキですねぇ。ええ、そうです。こんな私がいいと言ってくださる、とても素敵なご令嬢がいらっしゃるので」
「その人、頭おかしいんじゃねぇの?」
「黙りなさい。あの方の悪口だけは、許しません」
「わ、分かった、悪かったよ。ごめん……なさい」
それまでのだらだらとした態度から一転して男に睨まれたため、アーロンも「殺られる」と本能的に察して謝罪した。
男はフンと鼻を鳴らすと、自分のコートのポケットを軽く叩いた。
「そういうことで、この菓子は授業料としてもらっておきましょうか。せいぜい、いい大人になるんですよ」
「……おまえに言われなくても分かってる。少なくとも、おまえみたいな陰気で性格の悪い大人にはならねぇよ」
「それはそれは」
男は笑い、きびすを返した。
――その黒い背中に、アーロンは反射的に声を掛けていた。
「おまえ……名前はっ」
「名乗るほどの者ではありませんので」
「いいから名乗れ! 俺は……アーロンだ!」
アーロンが無理矢理迫ると、振り返った男はにやりと笑って癖の強い前髪を引っ張った。
「レジェス・ケトラです。ではご機嫌よう、クソガキもといアーロン君」
それだけ言い、男――レジェスは、去って行った。
その後、アーロンは地区の者たちが驚くほどの変化を見せた。
子分呼ばわりしていた者たちに謝り、カツアゲ行為をした店の店主たちにも謝罪して、必ず自力で金を返すと申し出た。
そして成長した彼は実家を受け継ぎ、気さくで懐の大きな店主として人気を集めた。
しばらくすると、彼は幼い頃からずっと好きだった花屋のマリンと結婚して、夫婦で店を切り盛りするようになった。
その店は深夜で営業終了だが、たまに営業時間を過ぎても明かりが灯っていることがあった。そのときは、バーカウンターで酒を飲む壮年の男性のみの貸し切りだった。
壮年の男にも家庭があるようで店にいるのは十数分程度だが、「久しぶりですね、クソガキ君」「いらっしゃいませ、素敵なお兄さん」と軽口をたたき合う彼らの姿を、マリンは苦笑しながら見守っていたという。
やがて、その男性客がとある田舎町で息を引き取ったと聞いたとき、店主は急遽店を休みにしてでも葬儀に参加した。
彼は男の墓の前で、「あなたのおかげで俺は、大切なものを見つけられました」と呟いていたという。