ガキ大将は、闇魔術師に喧嘩を売る①
本編終了後、闇魔術師をカツアゲしようとした少年のお話。
彼の名は、アーロン。酒場の店主夫妻の間に生まれた、末っ子長男だ。
スリェッタ地区の喧嘩王と言えば、きっと王都中の人間が自分のことだと分かるはずだ……と、彼は自負していた。
多忙な両親に代わり年の離れた二人の姉に可愛がられて育った彼は、我が儘放題のガキ大将に成長した。その姉たちが嫁いでいくと、アーロンは毎日喧嘩ばかりして同じ地区の子どもたちを打ち負かし、自分の子分にするようになった。
まだ十歳だが腕っ節には自信があり、しかも「アーロンはいい子ね」と姉たちに猫かわいがりされてきたため、「皆が自分に従って当然だ」という考えを持つようになった。
そんなある日、子分たちに使い走りをさせていたアーロンは喧嘩用の棒っきれを手に、ぶらぶらと街を歩いていた。
アーロンの姿を見ると、大人たちでさえ顔色を変えて逃げていく。そういう様を見るのが楽しいので、アーロンはニヤニヤ笑いながら店を冷やかし、犬や猫がいたら棒を振り回して追い払い、喧嘩を売ってくる者がいたら大人だろうと子どもだろうと返り討ちにしてきた。
そうしていた彼はふと、女性用装飾品店の前にたたずむ陰気な影を見つけた。
黒いもさもさの髪は、実家の酒場でたまにつまみとして提供される南部特産のワカメとやらのよう。目の周りはくぼんでいるのに眼球は飛び出ており、なんとも不気味だ。
着ているのは、黒いコート。だが、その背中に刺繍されているのは王国魔術師団の紋章。
つまり、魔術師団の黒いローブを羽織る彼は、闇魔術師だ。
アーロンは、にやりと笑った。
あれならいいおもちゃになりそうだ、と思って。
「おい、そこのワカメ」
「……」
「聞いてんのか!? おまえに言ってんだよ、闇魔術師!」
そう言うと、さすがに相手の男も自分のことだと分かったようで、緩慢な仕草で振り返ってアーロンを見た。
「……はあ。私に何かご用でしょうか?」
そう尋ねる声は、ひび割れている。王国魔術師でありながらこんな貧相な見た目ということは、きっと給金の低い下級魔術師だ。魔術の腕前もしれたものだろう。
アーロンはにやりと笑うと棒を左手に持ち替え、男に右手を差し出した。
「おっさん、金を寄越せよ。いくらかは持ってんだろ?」
「……は?」
「聞こえなかったのか? 痛い目に遭いたくなけりゃ、有り金寄越せよ」
「……はぁ。嫌です」
「……何だと?」
大抵の大人なら、渋々でも金を出してくれる。ここで断れば、後でもっと面倒くさいことになると分かっているからだ。
ここまであっさり断られるとは思っていなくてアーロンは目を剥くが、男は汚いものでも見るような目で見下ろしてきた。
「なぜ、縁もゆかりもない失礼なクソガキに施しをせねばならないのですか。物乞いなら、もっとそれらしい態度でねだりなさい」
「てめぇ……! 俺を物乞い扱いするのか!? 俺が誰だか知らないようだな!」
「知るわけないでしょう、こんなクソガキのことなんて」
くあぁ、とあくびをした後、男は頭を掻いて「うっとうしいガキがいますし、今日は諦めますか……」とぼやいて背中を向けた。
……馬鹿な男だ、とアーロンは思う。
武器を持った相手に、こうも不用心に背中を向けるなんて。
「……馬鹿にすんじゃねぇぞ、ガリガリワカメのクソジジイ!」
怒声と共に、アーロンは棒を振り上げた。
生意気なことを言うこの男に、きつい一発を食らわせてやろうと思って。
……だが男は振り返ることなく、ちょいっと指先を動かした。すると彼の足下の影が怪しく揺らめき、それは驚くべき速さで石畳を走るとがしっとアーロンの足を掴んで引き倒した。
「ぎゃっ!?」
「……私、これでも二十代前半なんです。だからさすがにジジイとは言われたくないんですよ、クソガキ君」
面倒くさそうに振り返った男は、闇に足を掴まれてジタバタするアーロンに歩み寄ると――彼が持っていた木の棒を闇の中に取り込んでしまった。
自分の武器が一瞬で奪われただけでなく、どこか分からない場所に没収されたことでさしものアーロンも青ざめていると、しゃがんだ男はクククと陰気に笑った。
「いたずら好きのクソガキ君に、私から一つ予言をしてあげましょう。……あなたは今夜、とても恐ろしい夢を見るでしょう。今日、私に喧嘩を売ったことを激しく激しく後悔するくらい……とても、怖い思いをするでしょう」
「ひっ!? ……そ、そんな脅しは効かねぇよ!」
「ククク……そう思うなら、それで構いません。でもですねぇ、一つだけ教えてあげますと」
男は立ち上がると、町並みを見回してから言った。
「お山の大将としてふんぞり返りたいのなら、勝手になさい。ですが……あなたは自分で思っているほど、立派でも偉大でもないです。それに、あなたは多くの人間を従えられていると思っているようですが……それも全て、まやかしかもしれませんよ」
「な、何を……!」
「ククク……まあ、せいぜい後悔するといいですよ」
そう言うと、男はコートの裾をひらめかせながら去って行った。
その頃になると、もう彼の魔術は解けておりアーロンの足も解放されていたが――彼は、なかなかその場から動けなかった。
その日の晩、アーロンは悪夢にうなされた。
まずは、黒くてもこもこした大きなものに追いかけ回された。
その次に、いつも子分として従えていた者たちに石を投げられた。
『おまえなんか、ボスでも何でもねぇよ!』
『ただ乱暴なだけだろう!』
『本当は俺たち、おまえのことが大っ嫌いなんだからな!』
『あっち行け!』
やめろ、痛いと訴えても、石を投げられ続ける。
気がつくと、周りにはいつも売り物を強奪したり金をせしめたりしている大人たちの姿があった。
おい、なにぼうっと立ってるんだ、早く俺を助けろ、と命じるが、大人たちはやれやれと肩をすくめた。
『あのさぁ……そろそろ分かりなよ。俺たち、本当におまえのことが面倒くさいんだ』
『十歳のガキに服従するわけないだろ? ひとまずものを与えて厄介払いしているだけだ』
『嫌よねぇ。皆に嫌われているだけなのに、偉くなった気でいて』
『どうせ、ろくな大人にならないわ』
ひそひそ言いながら、大人たちが去って行った。
呆然とするアーロンのもとに、可愛らしい少女がやって来た。彼女はアーロンの実家の二軒隣にある花屋の娘で、アーロンが想いを寄せている子だった。
その子は倒れ伏すアーロンを見て、ため息をついた。
『……アーロン。私、いつも言ってるよね。乱暴な人は嫌い、って』
『で、でも! マリンも言ってただろ! 強い人が素敵って……』
『言ったわよ。でも、私が好きなのはあなたみたいな人じゃないの』
マリンはすげなく言うと、アーロンに背を向けて――「あっ!」と嬉しそうな声を上げて、走り出した。
彼女の行く先には、アーロンの知らない大人の男性の姿があった。王城仕えの騎士のような格好の彼は少女を抱き上げると、そのまま去って行ってしまった。
『待って――!』
『アーロン』
声がした。
振り返った先には、悲しそうな両親と姉たちが。
『父ちゃん、母ちゃん、姉ちゃん……』
家族は、何も言わない。
ただただ悲しそうに目を伏せて、そしてアーロンのもとから去って行った。
『ま、待って! 嫌だ、行かないで!』
アーロンは手を伸ばすが、家族は闇の中に消えていった。
悪夢から目覚めたアーロンは、汗びっしょりだった。
だが、びっしょりなのは下半身もだった。
この年にしておねしょをしたことで、アーロンは母からこっぴどく叱られた。
その怒鳴り声は遠くまで響き二軒隣の花屋まで聞こえていたようで、朝顔を合わせたマリンはアーロンに、「聞こえたわよ。あなた、おねしょしたのね」とかわいそうなものを見る目で言ったのだった。
「ガリガリワカメのクソジジイ」についてのレジェスの考え
ガリガリ→自覚あり
ワカメ→自覚あり
クソ→自覚あり
ジジイ→解せぬ