闇魔術師は、光に圧倒される①
本編終了後、婚約者の家族にご挨拶する闇魔術師のお話。
シルヴェン伯爵邸でリューディアに改めてプロポーズしたことで、レジェスは彼女の婚約者になった――のだが。
「まずは皆にも伝えないといけないわね」
「そうですね」
花束を手にして嬉しそうに微笑むリューディアを見るだけで、レジェスは幸せな気持ちになれた。
……とはいえ、まだ戦いは終わっていない。
レジェスは、今日この屋敷に伯爵夫妻がいると分かった上で結婚を申し込みに来た。
リューディアが下りてくる前に伯爵に挨拶をしたのだが、彼は改まった様子のレジェスを見て驚いた様子ではあるが何も尋ねず、「娘に会いに来てくれてありがとう」と笑顔で言ってくれた。
おそらく伯爵も、レジェスが改めてプロポーズしに来たのだと理解したのだろう。
「お父様たち、きっとびっくりするわね」
「そうでしょうか。でも、あなたの求婚の後に私が来たということなら、大体のことは察してらっしゃるかと」
「……え? ああ、そうそう。私、あなたにプロポーズしたことは誰にも言っていないのよ」
「……はい?」
思わず隣を見ると、リューディアは恥じらうように目を逸らして花束に向けて顔を伏せた。
これはこれでとても絵になる美しい光景だが、ここで絆されてはならない。
「どういうことですか。あなた、ご両親にも言っていないのですか?」
「だ、だって……フられたと思っていたし。フられたことをわざわざ言うのは、恥ずかしかったもの……」
「……」
これは、レジェスにとっても少々計算外だった。
てっきり伯爵夫妻は、自分の娘がレジェスにぐいぐいといってプロポーズしたことを知っているのだと思っていた。だから、あっさり屋敷に入れてくれたのだと思っていたのだが。
「……ごめんなさい、言っておくべきだったわね」
「いえ、気にしないでください。あなたは悪くありません」
しょぼんとして言われたので、レジェスは即答した。
なんだか今の時点で既に、これから先自分がリューディアの手のひらでコロコロ転がされそうな予感がしてきたが、それもまあ幸せそうなので文句はない。
「何にしても、私がご両親の信頼を勝ち取ればいい話。……では、参りましょうか」
「ええ」
そう言うと、リューディアは花束を片手に持ち直してレジェスの右手をぎゅっと握った。
思わずビクッとしてしまったが今日は手袋を身につけているので、リューディアの肌の体温を感じて動揺しなくて済んだ。
……かくしてレジェスは、いざとなったらシルヴェン伯爵にぶん殴られることも承知の上で伯爵夫妻のもとに向かったのだが。
「な、何だと!? ケトラ殿が、リューディアに求婚……!?」
「本当なの!?」
「ええ」
「……はい」
「それは……なんという、素晴らしいことだ!」
伯爵は並んでソファに座るレジェスとリューディアに詰め寄ると腕を伸ばし、レジェスの手をがしっと握った。
同じ男ではあるがレジェスは圧倒的に栄養が足りていないので、分厚くてごつい伯爵の手の中で薄い両手がぺしゃんと挟まれてしまった。
「君のもとにリューディアが嫁げて、嬉しい。ありがとう、ケトラ殿!」
「え、ええ……?」
「わたくしからもお礼を申し上げます、ケトラ殿。リューディアを見初めてくれて、ありがとう」
伯爵だけでなくて、リューディアによく似た伯爵夫人もおっとりと微笑みながら言ってきた。
だが大歓迎されるレジェスは、どういうことだ、と内心冷や汗を掻いていた。
「あの、僭越ながらお伺いしますが……伯爵夫妻はリューディア嬢を私の妻にすることに、何の異論もないのでしょうか……?」
「異論? なぜそのようなものがあるのだ?」
レジェスの手を離した伯爵は、心底不思議そうに首をかしげた。こういう動作は、娘によく似ていた。
「レジェス殿は、私の身の潔白を証明してくれた恩人だ。そのような人が娘を見初めてくれたことに、感謝こそすれ異論を持つようなことはないのではないか」
「……私は……闇魔術師です。私の力を快く思わない者は、たくさんおります」
ぎゅっとジャケットの胸もとを握りしめてレジェスが言うと、伯爵は片眉を跳ね上げた。
「君が闇魔術師であるのは、変えようのない事実だ。そして、君が私たちにとっての恩人であり、魔物退治でも活躍した英雄であるというのも事実ではないかね?」
「しかし……それも高潔な心があったからではなくて……ただ、リューディア嬢を助けたいと思ったからで……」
「私としては、誰にでも優しくして八方美人になるよりは、娘だけのことを愛してくれる人の方が信頼できると思っている」
「そうよね。もし伯爵家に何かあったとしても、ケトラ殿はリューディアのことを守ってくれるでしょう?」
「この命を差し出してでも、お守りします」
「ちょっと、そんな縁起でもないことを言わないで。私、あなたとずっと一緒にいたいのだから」
「……」
せっかく格好いい台詞を吐いたのに、まさかリューディアにこんなことを言われるとは思っていなくて、レジェスは驚きやら混乱やら嬉しさのあまり次に口にする言葉を失ってしまった。
そんな二人を、伯爵夫妻は微笑ましく見ていた。
「……リューディア第一で一途、魔術師としても優秀で金銭面でも安心、面倒な後ろ盾もない。十分すぎるくらいだな」
「そうよね。ケトラ殿、どうかリューディアをよろしくお願いします」
「は、はい。こちらこそ……ありがとうございます」
礼を言いながらレジェスは、リューディアが眩しいのはこの両親に育てられたからなのだ、と確信を持った。
伯爵夫妻への挨拶の後、屋敷の表の方で馬車が停まる音がした。
「あら、アスラクが帰ってきたみたいね」
「ちょうどいいな。ケトラ殿、息子にも顔を見せてやってくれないかな」
「そうね。アスラクも、レジェスのことを気にしていたし……いいかしら?」
そう言うリューディアにそっと腕を取られて見上げられたら、レジェスは「嫌です」なんて口が裂けても言えなくなる。
つくづく、自分はリューディアに弱いと自覚する。
だが、気を抜くわけにはいかない。
たとえ両親が歓迎してくれても、弟のアスラクが許さないかもしれない。リューディアとアスラクは姉弟仲がよいようだし、伯爵家次期当主であるアスラクが認めないのならば将来的に困ったことになるかもしれない。
そういうことで内心ビクビクしながらもリューディアに腕を取られて玄関に向かうと、ちょうど外出から帰ってきたアスラクがこちらに背を向けて、使用人に荷物を預けていたところだった。
「おかえりなさい、アスラク」
「ただいま、姉上。なんだか表に知らない馬車が停まっていたけれど……」
言いながら振り返ったアスラクは、レジェスと視線がぶつかると動きを止めた。
母親似のリューディアと違い、弟のアスラクは髪の色以外は父親似だった。
確か年齢は十六歳くらいだったと思うが、身長は既に姉を超しているようだ。年齢からしてもうじき、王城にある騎士団に入団するはずだ。
「アスラク、改めて紹介するわ。こちら、私の婚約者になったレジェス・ケトラよ」
「……どうも。よろしくお願いします、アスラク様」
レジェスがお辞儀をするのを、アスラクは目を丸くして見つめていた。
これはさすがに、「姉上は渡さない!」と言われるパターンだろうか、と内心緊張していたレジェスは、いきなり大股でアスラクが歩み寄ってきたためにギクッと身を震わせ――
「お、お会いできて光栄です、レジェス殿!」
先ほどの伯爵ほどではないががっしりとした両手に、手を握られた。
アスラク青年は目を輝かせ、自分より少し背の高いレジェスを見上げてきた。
「あの! あなたが父の無実を証明してくださったおかげで我が家は名誉を取り戻し、僕も騎士団に入れるようになりました! 本当に……ありがとうございます! それだけでなくて、姉上とも結婚なさるなんて……嬉しいです!」
「……え、ええ? いいのですか?」
伯爵とはまた違う種類の熱にあてられて思わずレジェスが問うと、「なにをおっしゃいますか!」とアスラクは鼻息荒く詰め寄ってきた。
「僕は姉上から、あなたのことを伺っています。この前のことも七年前に姉上に救われたことに恩義を感じて、そのお礼として我が家を救ってくださったのでしょう!? 報奨金のことは驚きですが……でも、これだけ姉上のことを大切にしてくださる方なら、僕も安心して姉上を送り出せます!」
「そ、それは光栄です……?」
「あのね。アスラク、あなたのことが大好きみたいなの」
こそっとリューディアに耳打ちされて思わず心臓が跳ねたが、アスラクの「そうなんですよ!」と言う馬鹿でかい声で冷静になれた。
「あなたは闇魔術師ですよね? 闇魔術ってかっこいいじゃないですか! あ、また今度、僕も闇魔術に触れてもいいですか? 姉上は、温かくてふわふわしていると言っていましたが」
アスラクはそう言うが、別に闇魔術全般が温かいわけではない。あのときは……リューディアが触れると分かっていたから、彼女を傷つけないように闇を温かく柔らかくほぐしただけだ。
もちろん、彼女の弟であるアスラクも触れるというのなら、同じようにふわふわぬくぬく仕様にするが。
「ええ、まあ、いいですが……」
「あ、せっかくですし夕食を食べて行かれませんか? いいよね、姉上?」
「そうね。お父様とお母様もきっと、喜ばれるわ」
「し、しかし、私はテーブルマナーなどもなっていなくて……」
「だめ?」
「だめではありません」
やはり自分は、リューディアにとても弱いようだ。