10(最終話)
リューディアはすぐに身仕度を調えて、はやる心を抱えながら階下に向かった。
(レジェスが……? ……あ、さては報奨金の……?)
まさかあの求婚話をむし返すとは思えなかったので、贈与に関する話を詰めるべく乗り込んできたのかもしれない。今日は両親ともに屋敷にいるので、彼らの目の前でリューディアにサインさせるつもりなのだろうか。
(これ以上レジェスに迷惑を掛けられないから、断ろう。……でも、そう言ったらあの人は、「手切れ金です」とか言いそうよね……)
どうやって断ろうかと悩みながら居間に向かったリューディアは――
「……」
「……」
伯爵家自慢の家具に囲まれて居心地悪そうに座る黒髪の青年を見て一瞬、「これは誰だ」と思ってしまった。
落ち着いた赤色のソファに腰を下ろす青年は、癖の強い髪を括って前髪も上げており、ごつごつとした額のラインが丸見えになっていた。肌の色がそれほど悪くないように見えるのは、化粧をしているからかもしれない。
着ているのは、艶を消した灰色のスラックスとジャケット。
成人男性の身長にあったそれだが本人があまりにも痩せているからか、体自体がやけに薄っぺらく見える。だが衣類が一級品であるのは一目瞭然だし、清潔な感じがする。
そんな彼はリューディアを見て立ち上がり――気まずそうに視線を逸らした。
「……お邪魔しております、リューディア嬢」
「……ええ。ようこそいらっしゃいました、レジェス・ケトラ様」
衣装や髪型は変わったがその声や雰囲気は変わらないし、大きな灰色の目や薄く笑う口元なども彼のままだ。
そんなレジェスはお辞儀をしてから、一歩リューディアに近づいた。
「おくつろぎ中のところ、すみません。どうしても、リューディア嬢にお会いしたくて」
「……贈与の件かしら?」
「ぞ……? …………はぁ、そう解釈されましたか」
「違うの? あ、それじゃあプロ――」
「お待ちください!」
ばっ、と右手を挙げてリューディアを制したレジェスは、ぎょろっとした目をリューディアの方に向けた。
「……あなたに発言権を与えると私は敗北一直線だということを、前回身にしみて感じました。よって、しばらくの間私に会話の主導権をください」
「ええ、まあ、はい。どうぞ」
「ありがとうございます。……先日、あなたは私に求婚なさいましたね。そして、私はあろうことか敵前逃亡しました」
レジェスにとってのリューディアは敵だったのだろうか、と思ったが彼に主導権を委ねることを許可したばかりなので、突っ込まないことにした。
「あれに関しては、大変失礼なことをしたとお詫びいたします。ですが、逃げたのは別に……その、あなたのことが嫌いだったからではありません」
「あら」
「これでも私は、男ですからね。それなりのプライドはありますし、見栄を張りたい気持ちもあるのですよ」
レジェスはそう言うと、右手を肩の高さに挙げた。
その細い指先がひらめき――彼の手の中に小さな花束が現れたため、リューディアは思わず歓声を上げた。
「まあ! 今のも闇属性魔法!?」
「ククク……ええ、そうです。鮮度が落ちぬよう闇の中に保管しておいたものを引っ張り出してきました」
湿っぽく笑ったレジェスは、みずみずしい花束をリューディアに差し出した。
「……私は、闇魔術師です。短命で、見目も性格も悪い自覚があります。金は人一倍稼げますが、長所は本当にそれくらいです」
「……」
「あなたは……こんな私には、ふさわしくない。私では、光輝くあなたを穢し、曇らせてしまう。気の利いた会話の一つもできないし、あなたを笑顔にできないかもしれない。……それでも」
レジェスは目尻を赤く染めて――何度か口を開閉させて言葉を吟味してから、意を決したように息を吸う。
「……一生をかけて、大切にします」
「レジェス……!」
「あ、あなたのことが……七年前からずっと、好きです、リューディア嬢。私と……こんな私でよければ、結婚してください!」
……胸が、熱い。
目元を潤ませてこちらを見つめるレジェスが――愛おしい。
「……はい!」
言葉と同時に花束を受け取り、そのままレジェスの胸もとに飛びつく――が、相手は背こそ高いが痩身なので、二人して床に倒れ込んでしまった。
「きゃっ!?」
「くっ……!」
なんとかレジェスがリューディアを抱きかかえてくれたため、レジェスが背中を床に打ち付けただけで済んだが、リューディアは慌てて身を起こした。
「ご、ごめんなさい! その……プロポーズしてくれて、嬉しくて……!」
「リューディア嬢……」
「あの、ごめんなさい。すぐに退くわ……」
「……いいんです。もう少し、このままで」
そう言うや、レジェスは立ち上がりかけたリューディアの腰を抱き、ぎゅっと抱き寄せてきた。
人間の胸板というよりごつめの木材か何かのようなレジェスの胸筋だが、そこに頬を当てると低めの体温が感じられた。
二人は顔を見合わせ、そして同時にふっと笑った。
「……私にできる限り、あなたを守り幸せにします、リューディア嬢」
「ありがとう。私も、あなたを幸せにできるように努めるわ、レジェス」
今結婚を約束したばかりの婚約者は、皆から根暗で陰気だと言われているかもしれない。
(でも……私はこの不器用な人が、好き)
床に倒れ込み、どちらの衣服もぐしゃぐしゃになってしまったという、ちっとも絵にならない光景。
だがリューディアにとって確かに、自分の幸せはここにあると言えた。
シルヴェン伯爵令嬢リューディアは、約一年間の婚約期間を経た二十歳の春に婚約者と結ばれ、リューディア・ケトラと名乗るようになった。
結婚後、人が多いところがあまり好きではない夫・レジェスのため、二人は伯爵領にある田舎の屋敷――二人の出会いの場となったところで暮らすことにした。
当然レジェスの職場である王城との距離はかなりのものになったが、闇魔術の使い手である彼は自宅から王城まで瞬間移動する魔術を早々に編み出した。
また魔物討伐に行った際も敵を瞬殺して苦手な書類仕事なども爆速で終えるなどして、妻と過ごす時間が一秒でも長くなるよう努力を惜しまなかった。
レジェスは結婚してからもあまりその本質や振る舞いは変わらず、意味深な暗い笑みを浮かべて城内を歩いたり、闇魔法で嫌がらせをしたりすることもあった。だがそれらのどれもが妻たちのための正当防衛だったため、咎められることはなかったそうだ。
彼は二十代後半にしてセルミア王国屈指の魔術師となり、魔物退治の大英雄として認められることになる。
いつも皮肉った笑みを浮かべることの多い彼だが妻の前ではいつも言いくるめられ、「仕方のない人ね」と甘やかされていたらしい。
そんな夫婦の間には、三人の子どもが生まれた。
一人は闇属性持ちで、一人は非魔術師。そしてもう一人は光属性だったことから、リューディアの隠れ守護属性はおそらく光だったのだろうということになった。
子どもたちは穏やかな伯爵領でのびのびと育ち、それぞれの得意分野を伸ばして魔術師や官僚など、自分の進む道を決めていった。
婚約前から自身の短命を告げていたレジェスだが、結婚して穏やかな生活を送るようになったことが功を奏したのか、彼は徐々に体を弱らせ病がちになりながらも、これまでの闇魔術師の平均寿命を遥かに上回る五十歳まで生きた。
彼の死後、寝室の片付けをしていたメイドが枕の下に隠されていた手紙を見つけた。筆無精な彼にしては非常に珍しいそれは、妻リューディアに宛てたものだった。
そこには、病で衰える体にむち打った証しである震える字で、こう書かれていた。
『あなたは永久に、私にとっての光です』と。
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