30.襲撃(1)
参道で起きた大規模な爆発は豊穣の儀が執り行われていた中央神殿にも大きな影響を及ぼしていた。儀式は中断され、参列していた皇族達の警護にあたっていた衛兵達は殆どが騒動の対応に駆り出されている。
神殿の入口には迫り来る炎から逃れようと大勢の人々が押し寄せ、それを阻もうとする貴族との間で諍いが起こっていた。衛兵が必死に押し留めているが、命の危機を感じている人々が神殿内になだれ込んでくるのも時間の問題だろう。
そんな騒動に乗じて一人の青年が中央神殿に忍び込んでいた。特徴のない焦茶色の髪に感情の読めない無愛想な表情。いつもの黒服姿ではなく、近衛兵の軍服に身を包んだマキは気配を消しながら混乱の最中にある神殿を足早に進んでいく。
……問題無い。首尾は上々の筈だ。
マキは伏し目がちに歩みを進めながら、これまでの自身の行動を思い返す。
「喫茶 明星」で夾竹桃を燃やし、逃げ惑う客に紛れて店を出た。妹を危険に晒すわけにはいかない為、参道の屋台のように派手に爆破させることは出来なかったが、毒を焚いたことで小火でも騒ぎは大きくなっているだろう。
マイカに被害が及んでいないかだけが不安だが、彼女が休憩に入るタイミングを見計らったし、夾竹桃の件をコソコソと嗅ぎまわっているあの二人がそれなりの対処をするだろうと判断した。
ようやくだ……。本日ようやく、あの方の野望が叶う……。
気を引き締めなければと、マキは乾いた唇を舐める。
市井で死にかけていた自分達兄妹を救ってくれたあの方の、積年の思いが果たされようとしている。大切な妹を守る力を与えてくれたあの方の恩に報いる為に、どんなことでもこなすと誓ったのだ。
あの時、あの方に出会っていなければ、孤児である自分達がこうして生き延びることは不可能だっただろう。
五年前−−。
凍えるような寒空の下、彷徨いながら必死に助けを求める自分達の声を聞こうとする者は誰一人いなかった。人々にとっては孤児など、その辺の石ころと同等の存在なのだろう。
マキは高熱を出して苦しむマイカを腕に抱えながら、深い絶望感を味わっていた。どんなに助けてくれと縋っても、皆が迷惑そうにこちらをちらりと一瞥するだけで通り過ぎていく。中には不快感を露わにして罵声を浴びせてくる者もいた。
『汚らしい。そいつは感染る病気かもしれない。近寄らないでくれ』
どれだけ懸命に訴えても冷たく足蹴にされるだけ……。そんなことばかりが続き、流石に心が折れてしまった。もう何日も満足な食事が摂れていない身体では、熱で苦しむ妹を抱える続けることも難しい。ぼんやりとした頭で「あぁ……俺達はここで死ぬのだ」と悟り、どさりと地面に崩れ落ちる。
自分達なんて生まれて来なければ良かったのだ。
誰からも祝福されず、ただ疎まれるだけの存在なんて、いっそ死んでしまった方が幸せなのではないか。誰一人として味方のいない世界でこれまでよく頑張ったと思う。気付けば熱に魘されている妹の首に手が伸びていた。
楽になりたい……。
悴んだ指先にマイカの熱を感じる。マキがゆっくりと妹の細い首に添えた掌に力を込めた瞬間、誰かに強い力で腕を掴まれた−−。
あの日以降、自分達兄妹を取り巻く環境はガラリと変化した。瀕死だったマイカを救って貰っただけでなく、温かい部屋で栄養のある食事が摂れる暮らしまで与えて頂いた。
敵ばかりだと思っていた世の中も、捨てたものではなかったのだ。そしてこの恩は一生をかけて返していかなければならない。
『表の混乱に乗じて、第二皇子を亡き者にせよ』
恩人は権力を渇望していた。皇帝が譲位を示唆したとされるあの日から、この時が来るのをずっとずっと待ち望んでいらっしゃるのだ。自分はただ、あの方から受けた命を遂行するのみ。例えそれがどんな内容だったとしても……。
「お疲れ様です。隊長より第二皇子殿下の警護を担当するよう仰せつかりました。皇子は今どちらに?」
「あぁ、第二皇子は竹の間に避難頂いている。表の混乱で護衛の人数を割けないから助かるよ。実は僕も応援に呼ばれていたんだ。敵襲があるかもしれないから油断するなよ」
近衛兵に扮したマキが声を掛けると、歳若い衛兵は「ここは任せた」と慌ただしく走り去っていった。マキは「かしこまりました」と敬礼し、感情の無い虚な瞳で衛兵の背中を見送った。




