1.運び屋の仕事
帝都の繁華街から少し離れた田園風景の広がる閑静な場所にぽつんと年季の入った洋館が建っている。
鉄製の門には控え目な文字で「診療所」と書かれた看板が立て掛けられ、敷地内に足を踏み入れると威嚇するように牙を剥く獅子の石像が向かい合って立ち並び、なかなかに怪しい雰囲気を醸し出していた。
その怪しげな洋館の前に一人の少女が姿を現した。黒い髪を肩の上でバサリと切り揃え、ゴーグルのついた大きめのキャスケット帽を目深に被り、華奢な身体に対してかなり大きめの帆布鞄を肩から下げた新聞配達少年のような恰好をした少女は石像の間を臆することなく進み、古びた扉の前で立ち止まる。
獅子の顔を模したドアノッカーに手を掛け、コンコンコンと3回扉を叩く。少女は耳を済ませて扉の向こうに居るであろう人の気配を察すると、落ち着いた調子でゆっくりと口を開いた。
「先生、紬です。頼まれていたモノをお届けに上がりました」
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「いやぁ……ちょっとバタバタしていて、すまないねぇ。今日も時間ピッタリに届けてくれて助かるよ」
物が散乱し、書類が山のように積みあがった部屋の一角、かろうじで座面が見えていた長椅子の隅っこにちょこんと腰掛ける紬に向かって、館の主が申し訳なさそうに声を掛ける。
柄の部分がテープで留められた丸眼鏡を掛け、あちこちに寝癖のついた頭をポリポリ搔いている、青年のようにも若々しい壮年のようにも見える年齢不詳の男ーー上倉八雲が紅茶の入ったティーカップを紬へと差し出した。
受け取って礼を言い、暖かい紅茶に口を付ける。スッキリとした柑橘の風味が鼻を抜け、喉を通る温もりがじんわりと全身へ行き渡っていくような感覚に紬はホッと息を吐いた。
「では、品物を見せて貰えるかい?」
八雲の言葉に頷いて帆布鞄を引き寄せ、中にぎっしりと詰め込まれている薬品や薬草を丁寧に取り出していく。八雲はそれら一つ一つをまじまじと観察し、全てを眺め終えた後に満足そうに頷いた。
「うん、今回もばっちりだね。見分けにくい薬草もあったけどちゃんと依頼した通りでした」
その言葉に「良かった……」と呟き、紬はにこりと笑みを浮かべる。
「今回も間違いが無くて良かったです。始めたばかりの頃は何度も間違ってご迷惑をお掛けしましたから……」
恥ずかしそうに頬を染めて俯く紬を見て、八雲が「いやいや」と首を振った。
「私の方こそ助かっているんだよ。薬草といっても、使い方次第では毒になるものも多いからね。全てを自分で入手していたら国家転覆を目論む危険人物として役人に目を付けられてしまうんだ。君のような安全に、上手く誤魔化して届けてくれる運び屋の存在に僕たち研究者は助けられているよ」
君達の存在は医学進歩の一助となっているんだと力説され、流石にそれは大袈裟だと紬は困ったように眉を下げる。しかし、自分が人の役に立っていると言われることは素直に嬉しい。
「本日もご利用ありがとうございました。今後とも、どうぞご贔屓に」
八雲から受け取った給金を空っぽになった帆布鞄の中に仕舞い、紬は丁寧に頭を下げる。
「こちらこそありがとう。そろそろ家政婦の派遣をお願いしたいし、近いうちに紹介所に寄らせて貰うよ。あ、所長達にも宜しくね」
「はい」と明るく返事をして、失礼しますと再び頭を下げた。館を出ると雨が降りそうなどんよりとした曇り空が広がっている。
午後の依頼、無くならないと良いけど……。
商品が雨に濡れることを嫌がる依頼主は多い。紬は必要であれば配達の時間を前倒ししてもらおうと、急いで来た道を駆け出した。