第二話「というか、メイソンの話もファンクラブの話も、今日はどうでも良い!」
講堂にマイクで拡声されたメイソンの声が響く。
わんわんと反響するそれに、講堂がシンと静まり返った。
今メイソンは婚約を解消するとか言っていなかっただろうか。
よもや幻聴ではと唖然とするキリカに、ミリアが言う。
「……ねぇキリカちゃん。メイソンって勉強出来たよね」
「うん、成績は上位だね。たまに私より上の時もあったかな。一緒にいる生徒達もそうだけど」
「そっかぁ……」
ミリアが残念なものを見る目をメイソンと彼の友人達に向けている。
気持ちはキリカもよく分かった。だってあまりにも行動が考え無しだったからだ。
しかも不在の人間に対しての宣言である。どうしようもない。
メイソンはマティルダと婚約を解消すると叫んだ。
叫ぶのは自由だが、叫んでどうにかなるものでも無し。王族の血筋であるメイソンと貴族のマティルダの婚約だ。ただ宣言だけすればそれで良いよ、という事にはならない。
婚約を解消する場合、両家での話し合いが必須となるのだ。普通の恋人同士が別れるのとは訳が違う。
それはメイソンも分かっているはずなのだが……。
キリカはそう思ったが、よくよく考えるとこのような行動をした時点で分かっていない可能性も高いと考え直す。一人どころか複数人というところが性質が悪い。
「はい。メイソン様、その辺りのこと分かっていませんねぇ。いやぁ恋は盲目、実に盲目」
「心を読むのは勘弁してもらえませんか、セオドアさん」
「すみません、性分なもので。キリカ様は驚くとお顔に出るのでつい」
実に嫌な性分である。
しかしこの掴みどころのない性格と才能が、エドワルドと合っているのだから不思議なものである。
それにしても。
(いやこれは面倒ごとになるなぁ……。あとどうやって収拾つけて卒業式典始めよう……)
エドワルドが何かしようとしている事は分かるが、それでも困った。
キリカが頭を抱えているとメイソンはさらに、
「そしてここに、シエナ・エバンズとの婚約を発表する!」
なんて事を叫び出したではないか。メイソンの宣言に彼の友人達が拍手を送る。
とたんにシエナがぎょっと目を剥き、本気で嫌そうに顔を顰めて首を横に振る。
「しませんよ、何を仰っているんですか!? 正気ですか!?」
「ああ! 私は正気だとも!」
「なお悪いです困ります絶対嫌です! そもそもアカデミー生活の邪魔しかしないあなたなんてただの迷惑存在です! 大体、今日はエドワルド殿下の卒業サプライズに道具を作って欲しいって、珍しくまともな話を持ってきたと思ったから承知したのに何ですかこれ!?」
不敬も何もないものだが、シエナはノンブレスでそう言い切った。
キリカの隣ではエドワルドの執事が満面の笑顔で拍手をしながら「見込みがある」なんて呟いている。
何の見込みなのだろうか。
そう思っていると、静かに話を聞いていたエドワルドが口を開いた。
「メイソン。私を壇上に呼んだのはどういうわけかな?」
「婚約解消と、新たな婚約を承認して貰うためだ!」
「私にそんな権限はないよ、ご両親とよく話し合いなさい。それにあったとしても承認しないよ。大体、ホーネストがいない状況でそんな事を言い出すなんて、卑怯ではないかい?」
ホーネストというのはメイソンの婚約者、マティルダのファミリーネームだ。
正論を言われ、メイソンはぐっと言葉に詰まる。
(大方、面と向かって言えないから、こんな事をしたんだろうなぁ)
キリカはそう思った。
メイソンは自信家に見えて根っこの部分が臆病なのだ。マティルダからするとその面が「可愛い」との事らしい。人の趣味は色々である。
まぁ、それはともかくとして。キリカが様子を見ていると、黙ったメイソンに向かってエドワルドがため息を吐いた。
「そもそもだね、メイソン。将来有望なアカデミーの生徒に、ここまで拒まれるほどに、君は一体何をしてきたのか自覚はあるのかい?」
「何をなどと。私はただシエナを想っての事を……」
「そうですとも、エドワルド殿下! メイソンは本当に彼女を……」
「私が言っているのは彼女『を』どう思っていたかではなく、彼女『から』どう思われていたかだよ」
「彼女から……」
「一方通行の身勝手な感情は『想う』ではなく『荷物』だよ。共にいる君達もそうだ」
エドワルドにそう言われ、メイソンの友人達はエドワルドの言葉に何か思い当たる事があったのか、気まずそうな顔になる。
しかしメイソンだけは悔し気にぐっと歯を噛みしめる。
「私の想いのどこが荷物なのだ、エドワルド! ああ、そうか君には分からないだろうな! 恋も知らない内に、あんな可愛げのない婚約者を持ったものだから!」
激高したメイソンから急に名前を挙げられて、キリカは「おや」と目を瞬く。
どうやらキリカはメイソンに『可愛げがない』と思われていたようだ。
実のところキリカも、メイソンの婚約者であるマティルダに憧れて、体術を習っていたりする。
最初は武器がない場合の護身術にと始めたが、これが意外と素質があったようで、相手の体格にもよるが男子生徒もするっと投げ飛ばす事が出来るようになった。
(まぁこの場合、メイソンより強いと思われているようだから、誉め言葉として受け取っておこう)
フフ、なんて笑ってキリカがそんな事を思っていると、エドワルドが「メイソン」と再び名を呼んだ。
表情こそ笑顔だが、心なしか声のトーンと周囲の気温が下がっているようにも思える。
「私の婚約者のどこが可愛げがないって?」
「ないだろう! 男を投げ飛ばす女のどこが可愛げがあるんだ!」
「ちょっと聞き捨てなりませんよ、それは! キリカ先輩格好良いじゃないですか! 勉強もできるし公平だしすらっとした長身で綺麗だし、見てくださいあの艶のある黒髪を、お手入れの方法教えて頂きたいくらいですよ! 一年生女子の間の人気知らないんですか!? マティルダ様の再来って言われているんですよ!」
何故かその会話にシエナが参戦した。キリカはぎょっと目を剥く。
今の話は一体何だ。そう思っていると、シエナの言葉にエドワルドが満足そうに頷いている。
「うん、君はよく分かっているね、エバンズ会員。今度ファンクラブ秘蔵の写真を見せてあげよう」
「光栄です、会長!」
エドワルドの言葉にシエナの顔が輝く。
さっきまで殿下と呼んでいたのに会長とは何だ。
確かにエドワルドは生徒会長だが、今の呼び方『生徒会長』とかそういう役職に対するアレではなかった気がする。
キリカはギギギ、と錆び付いたドアのようにぎこちなく顔を動かしミリアを見た。
「何、この……これは何の話……?」
「あー……キリカちゃん知らないんだよね。あのね、キリカちゃんのファンクラブがあるんだよ」
「ファンクラブ!?」
「会長はエドワルド様ですね。ファンクラブをお一人で立ち上げ、こっそり活動をしている内に今や人数は四十人。ちなみに私、会員番号七番です。ラッキーセブンまで待ちました」
「私は会員番号二番です。そして情報提供者です」
「待って待って情報量が多い」
とんでもない話が出てきてキリカが頭を抱える。
ファンクラブって何だ。会員ってなんだ。しかも四十人って何だ。
「ファンクラブが出来るほどに強烈なアレコレはないんですが!?」
「何を言うんだいキリカ。成績優秀かつ腕っぷしも強く、誰に対しても公平で、さらに美人! 可愛い! ファンクラブが出来て当然だろう!? 私が作ったが!」
「壇上からなのにどうして聞こえているんですか、エドワルド殿下!?」
「私が無線機をオンにしておりますので」
「全部聞こえていたという事で!?」
何だか話が逸れてきた。
予想外の事実の連続発覚に、さすがにキリカの思考もキャパオーバーし始める。
(いやいやいや何から! 何からツッコミを入れていけば良いの!?)
頭から煙が出そうなくらい混乱するキリカだったが、そこでハッと気が付いた。
そもそも今日はメイソンの事もファンクラブの事もまるで関係がない。
今日は卒業式典の日だ。
つまり。
「というか、メイソンの話もファンクラブの話も、今日はどうでも良い!」
そう叫んで、キリカは両手を思い切り打ち鳴らす。
パァン、
と軽快な音が講堂に響き渡った。
その言葉を聞いたメイソンがカッと目を見開き、
「どうでも良いだと!? 私の決意のどこが……」
なんて言い出したが、キリカは気にしない。
メイソンを丸っと無視し、
「一年、二年の生徒会メンバー諸君!」
と呼び掛けた。すぐさまあちこちから「はい!」と揃った声が返ってくる。
「メイソン・バーナードら一同を速やかに撤収! そのままマティルダ様の所へ送り届けてください!」
「イエス・マム!」
いや、その返事はどうだろう。
ツッコミを入れそうになったが、それよりも今は卒業式典の開始の方が大事である。
ワッと集まった生徒会のメンバー達の人数には敵わず、あっという間に連れて行かれるメイソン達。
それから程なくして講堂は静けさを取り戻したのだった。