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もっとテンポ良く進めたい。
「さあ、行こうか」
俺たちはそのままブルペンへ移動した。
「これ、部室にあったあまりのやつだから応急的だけど使って、運動靴だけどしょうがないし、早速始めようか」
良二は自信があるのかプロテクターもつけずマスクだけ持っていき、キャッチボールから始めた。
「肩が温まったら教えて!」
「ああ!」
言葉を交わしながらボールを投げ合う。壁から帰ってくるボールとは違う、力がかかったボールは零にとってとても心地よかった。
「零、笑うとイケメンじゃん!」
「義妹もおんなじこと言うが、お前ら目が腐ってるぞ、眼科いけ眼科」
恥ずかしかった零は少し強めに腕を振り投げ込む。
パシィ!
「ナイスボール!」
「そろそろ始めようか!」
楽しくなってきた零は少し声を出しながらマウンドに立つ。
「ストレートからとりあえずゾーンにくれたらいいよ!」
零はその言葉通りに、いつもやっているようにストレートをど真ん中に放り込む。
パシィ!
小気味いい音が耳に響く。零にとっては初めてのキャッチング音、自分が投げたボールが出した音。
率直に感動していた。
「いいね!135kmくらい出てるんじゃない?」
「どうだろうな、測ったことがないからわからない。」
パシッ!
今度はストライクゾーンを4×4の十六等分した01に投げ込む。
01 02 03 04
05 06 07 08
09 10 11 12
13 14 15 16
「コントロール重視にすると130kmくらいなのかな?」
次は02その次は03と続けて16まで投げ込む。
この時点で良二は驚いていた。平均的な甲子園球児がなげる130のまま抜群のコントロールでミスなく決めるのだ。
これは思わぬ掘り出し物だと歓喜した。本当に甲子園を目指すチャンスができるかもしれない。松代高校は地方の進学校ながら、しっかりと部活にも取り組む上、設備も良かった為先輩たちのレベルもそこそこ高く、可能性は皆無ではなかったのだ。
「ナイスコントロール!16分割なんて初めてみたよ!しかもノーミス!凄すぎるよ!零!」
興奮した様子の良二に零はたじろぐがなんとか返事をする。
「あ、ああ、ありがとう、投げ込みしか出来ないけど、ピッチャー用の設備は親のつてで揃っていたからやれる事を工夫していたんだ。本当にただの暇つぶしと凝り性なんだがな。」
「それでもすごいよ!あ、変化球は何かあるの?」
「あー、父親に肘壊すといけないからって一つしか教えてもらえなかったんだ。」
「へー、なんだろ、負担の少ないスライダーとチェンジアップ系かな?ムービングとか?」
そう、常識的に考えるなら負担をかけづらいのはこのリストになるのだが
「いや、変化球を決めるときに方向で選ばされたんだよ、左右と左右斜めと真下で。それで俺は左下を選んだんだ。その代わり、炎症などが出た時点でストップだとキツく言われたからそんなに投げ込めてないんだよな」
「なるほどね、なら左投げの左下ならシンカーかな?」
「そうだ。じゃあとりあえず真ん中に行くように投げるな。」
良二が座ったのを確認して、零は「一般的な」シンカーの握りをしてなげた。
「!?」
良二からしたらそのボールは130前半のすっぽ抜けに見えた。しかし、そのあとバッターの胸元から急速に離れていくように真ん中のミットに落ちてきたのであった。
なんなんだこの変化は!?やばすぎる…
零は気付いてないようだけど、ここ迄の変化をするなら一種の魔球と呼ばれるレベルだ。趣味の投げ込みで何年も続けて研究と研鑽を積んだ零のシンカーは普通では考えられない変化量、タイミングのシンカーとなっていた。
「おーい、どうした?」
呆然としていた良二に零が声をかける。
「ああ、ごめん…なんでもない」
とりあえず今は制球力と、どれほど握力が持つかのチェックだと半ば強制的に思考を切り替え次のシンカーを待つ。
「次は左下を狙ったシンカーなー」
零は先程より指の位置を少しずらしたシンカーの握りで投げた。
良二は軌道とタイミングを読もうとしっかりとボールを見た。しかし、ここでまた驚くべきことが起こったのだ。先ほどと全く同じコース タイミングのまま13番にぴったりと変化して落ちてきたのであった。
つまりバッターの胸元から先程の倍ほど変化したのであった。
「ちょ、ちょっと待て!変化球は1つなんじゃないのか?」
「え?両方ともシンカーを投げたじゃないか」
「そういうことではなくてだな…」
零にとって、シンカーの変化量による差は当たり前のことらしい。
「この2球のシンカーは、別物としてカウントするものだ、最初のをA後のをBとしよう。他にも変化を変えたりできるのか?」
「いや、その2つだけだ。微妙にずれたりはするが基本その変化だと思ってくれていい。」
「なるほどね…、分かった!零が満足するまで投げ込もうか!」
そう言って良二は零の胸元に投げ返す。
「いや、俺は毎日肘を壊さないために変化球の球数を30球までにしていて実はもう32球目を投げたところだから、すまないがこれで終わりだ。」
「そっか、多分零のお父さんが気にしてたのはリトルリーグ肘の事だと思うから、今は大丈夫だと思うんだけどね。良かったらまた聞いてみてよ!」
そう言って今日の放課後は、投げ込んで過ごした。
「いただきます」
今日は珍しく零の父 一条傑も食卓に並んでいた。
零は今日の事を話す中で、良二に言われた事を聞いてみた。
「父さん、さっき話してた良二って奴から言われたんだけど、変化球で肘が…ってやつ、身体が出来上がってきた今は気にしなくてもいいのか?」
「ん?ああ、中学も卒業したんだし無理さえしなければ好きにしたらいいと思うぞ。というか、律儀にまだ守っていたことにビックリだ。しっかりと伝えていたらよかったな、すまん。」
「気にしてないから、大丈夫だよ。」
隣に座っていた瑠璃から素朴な疑問が飛び出す。
「お兄ちゃん遂に野球を始めるの?」
「んー、多分ね。やっぱりキャッチャーのミット目掛けて投げ込むのは気持ちいいし、高校生の間はゲーム漫画より野球をやってみようかな。」
その日はこのまま風呂に入って寝た。
次の日の放課後、今日は良二に自分から声をかけに行った。
「良二、よければ今日も一緒に行っていいか?俺も野球を始めてみようと思ってさ、色々教えてくれないか?」
「勿論だよ!零が来てくれたら100人力さ!そうと決まったらこれに記入をするんだ!」
良二は目を輝かせながら入部希望届けを渡してきた。なぜ、部活紹介の前からこれを持っているのかはさておき、心を決めていた零は迷わず記入し、グラウンドに行く前に顧問の前橋先生に提出してきた。
前橋先生は甲子園出場の時から在籍しているおじいちゃん先生だ。特に指示は出さず、校風の自主自立に任せて好きなようにやらせてくれている。らしい。
「ちわーす!」
「こんちわ」
グラウンドに入る前に一礼するらしい。そのまま朝山先輩の元へ行き、入部届けを出した事練習に参加させて欲しい事、初心者であるので全体連に入れるように良二が基礎を教えることを許可してもらった。