6話:『お前が言うな』の四重奏
真っ白な街中に1人のアルラ。
深夜というのにまだまだ辺りの気配は衰えを見せず、あちこち広がるざわめきを避けて歩いた。
街灯の暖色に落ちる己の影が肩をすくめて縮こまっている。
「うううっ……コトノどこぉ……?」
嗚咽を漏らしながら、微かに漂う少年の匂いを辿る現在。
思い出すのはあのときの景色。
自分カフェテリアから脇目も振らずに逃げ出してしまった原因、デート中に突如現れた幼き襲撃者の姿だ。
襲撃を知った瞬間に頭が真っ白になってしまったけれど、よくよく思い出せば、あの『子供』の視線が向けられてた先は間違い無く自分では無い。
命を狙われてるのはアルラではなくコトノだ。
「……っコトノ……っ!」
コトノは強い。普通に考えて負けるはずが無い。
けれど、逃げた自分を追いかけてこないという確かな事実が、アルラの心臓を早鐘に叩く。
匂いを追ってみると彼の姿は元のカフェテリアから消え去っていて、全くの別方向へ歩き出したようで、その匂いと一緒に動くのは襲撃者の匂い。
コトノが無事ならどちらも起こり得ないことだ。
そう、仮にコトノが首をへし折られ襲撃者に引きずられていると考えれば、それならしっくり来てしまう、不自然で不穏でどうしようもない要素ばかりが目についてしまう。
頭がおかしくなりそうだった。
「…………この中、よね」
そして、数十分の追跡を経た現在、自分は匂いの元へと追いついていた。
街灯の灯りも僅かにしか届かず、人通りもほとんど無い路地裏のさらに外れ、ぽつんと寂しく扉がひとつ。中から薄く白光が漏れて線を作っている。
コトノと襲撃者はこの中だ。
息が乱れる。扉へ伸ばす腕が震える。
正体不明の襲撃者は勿論のこと、それ以上にコトノが今どういう状態にあるのかそれを知るのが恐ろしい。すぐ側に死体があってもおかしくない。
だからといって見て見ぬふりなんてできるわけがなくて、恐る恐るに押した扉はなんの抵抗もなく滑る。鍵はかかっていないようだった。
「…………!」
思わず震えて目を閉じて、少年の名前を呟いて、ひとつ大きく深呼吸をして、『叡智』を使って姿を消した。
そのままの勢いで扉を開く――――
「…………コト……ッ」
衝撃に途切れる言葉。
屋内にこだましていたのは、断末魔のような、苦悶の声。
「うえ゛ぇぇえ゛え゛ぇ…………コトノ゛……っ、水、水を……」
苦悶の主はかの凶悪な襲撃者。真っ赤に泥酔して死にかけている『子供』。
「馬鹿か!?さてはお前IQが低いのか……!?ふらついてんだからその辺にしとけってさっきから何度も言ったよな俺……!……ほら水、落ち着いてゆっくり飲めよ。いいな?」
怒声の主はかの少年。青くなって介護に追われているコトノ。
「……え?」
彼らはここ店内の端で、仲良く1つのテーブルを囲んでいた。
「ぷはっ。……うううっ、ありがとなぁほんまに……コトノはなぁ、なんていうかなぁ、ほんまに優しいなぁうううぁぁあっうあっうわぁっ…………!!」
「ああもうインモラルが過ぎるぞベロンベロンじゃねえか16歳が!!……ッ!?馬鹿馬鹿飲むなそっちは水じゃない!」
「……わかってる。わかってる上での行動や。これ飲んでるとなぁ……熱くなってふわふわってなってなぁ、嫌なこと全部忘れてなぁ、だんだん気持ちよくなってくんの…………う゛っ!う゛っぶっ!みっ、水を……」
「馬鹿か!?……いや確信した馬鹿だなお前!知性は見た目通りのお子様みたいだなバーカバーカッ!!」
痙攣して突っ伏す『子供』。
罵倒しながら慌てて水を汲むコトノ。
若干鬼気迫る感はあるものの、遠目からみれば『和気藹々』に分類できそうな雰囲気である。
「う゛う゛……って、あぁ、そういえばコトノは呑まんの……?……そうやなぁ俺と一緒に呑む酒なんて美味いわけがないもんなぁっ!!あ゛あ゛あ゛あ゛あッッ!!」
「うわっ面倒くせぇ……!……じゃなくてここの飲酒は16からなんだろ?正直その年齢設定にも戸惑うとこだけど、それ以前に俺15。法的に立派な未成年」
「…………そっか15かぁ!あっはっはっはっはっはっ!!ひゃっはっは!!」
「…………うわぁ情緒が壊れてる……!酒って怖え……!!」
手を叩いて笑う『子供』を諫めるコトノ。
「…………えっ。えっえっえっえっ」
想像外の光景に止まるアルラの思考と足。
ぱっと見の印象で店内と言ったが、改めて辺りを見回してみると、並ぶテーブルの空席、カウンターの向こうに見える酒瓶からして、どうやらここは流行っていない酒場のようだ。彼らの囲むテーブルの上にも、空の酒瓶がいくつも転がっている。
アルラが逃げた瞬間、『子供』はコトノに襲いかかっていたはずなのに、それから数十分でどうやったらこういう状況に落ち着くのか。さしものアルラも混乱の極地である。
言葉も出ない。
「あはっはっ!ひぃーっ……うぇぇ……気分悪りぃ……」
「ああもう……とりあえず今日はこの辺でおわり。このままだと急性アル中で死人が出る。さっさと帰って、水いっぱい飲んで、安静にして寝ろ。いいな?」
「ああうん……そうやな……じゃあこれで払っといてくれ……」
「……さっき会ったばっかりの奴に財布を預けるな!防犯意識!素面ならまだしも今のお前判断能力ゼロの酔っ払いだからな!?つけあがるなよ!?」
「あぁ……大丈夫……俺とコトノの友情は永遠で無限やもんなぁ……信頼してる相手にはぁっ、ぐっ、う゛ぇぇ……」
「…………なあ、チョロいのにも限度ってものがあるだろ……?お前ほんとは10歳だったりしない……?おじさんお前の将来が心配だよ……」
会計を済ませ、肩を貸して貸される二人は店外へと足を運び、透明な自分の側を通り過ぎていった。
「…………はき゛そう」
「……!??絶対やめろ我慢しろ頑張れ!!」
なんて言葉と共に扉が閉まる。
結果、殺風景な酒場に取り残されるのは忘れ物らしき大斧と、放心状態のアルラ。
「………………ッ!」
直後、凍り付いていた思考が解け、脳内に走るのは1つの単語――――
******
「浮気よ!!!」
「…………なんて?」
「浮気よ浮気!!ほんの十分目を離した隙に浮気って、信じられない!!最低ッッ!!」
突然1人で帰ってきた妹が新機軸の妄言をまくしたてている。
正直相手をするのも嫌気がさしてきたけど、そんな感情おくびにも出さず、カッコかわいいニーナちゃんは「……なるほど」と非常に落ち着いた相槌を返す。
賢いのでわかる。精神に病を煩っているお方を強く否定してはいけないのだ。
「うんそうだね、アルラは悪くない、コトノは最低だ」
「――――最低って、そんな言い方無いでしょう!?お姉ちゃんにコトノの何が分かるって言うの!??」
……キレられた。
どうやらこいつの痴呆はさらに深刻な段階へ突入したらしい。
「……うん、ごめんねボクが間違ってた。最低は言い過ぎだったね。コトノは最低じゃないね」
「…………うぅぅ……でも酷いのよコトノ……なんでっ、おとっ、そもそもわたしとのデート中でしょう……?」
「……で、浮気ってどういうこと?(そもそも付き合ってないよねアルラはコトノのこと裏切ったよね馬鹿なのかな?ってのは置いておくとしても)話を聞く限りその『子供』って男でしょ?2人が何をどうしても浮気に繋がらないと思うんだけど」
至極当然の疑問をぶつけられたアルラは小さく唸る。
「うぅっ……だって、だって、コトノ私といるときより明るくてっ、口数も多くて!!『子供』はコトノを殺そうとしてたのに理不尽よ!!こんなのおかしいじゃない!!」
「…………そうだね、殺そうとしてた相手と仲良くしてるおかしいよね。全くもって同感だ」
涙目で取り乱すアルラに心からの言葉を贈る。
しかし、なるほど納得だ。
推して計るに、彼女がデート前提唱していた『コトノが優しくしてくれるのは私のことが好きだから!』なんてクソみたいな理論がここにきて深刻なエラーを起こしたのだろう。
あれを遵守するとなると『コトノが子供と仲良くしてるのは子供のことが好きだから!』となるのを避けられないだろうし、あれを否定すれば『コトノは裏切り者の私が大っ嫌い!』なんて冷静に現状を直視する必要が出てくる。
であるならば、彼女の幼稚な無意識の逃避先は前者。『コトノの行為は一時の気の迷いで私のことが好きなのは変わらない!』という具合に誤魔化せるほうだ。アルラは絶対自分の都合がいいように考える。
まあ、どういう理屈をでっちあげたところでコトノがアルラを放っておいた事実は変わらないわけで、故に生まれた悲しい感情を処理しきれずに喚いてるのが現状なのだろう。
男2人の集会を『浮気』と称する狂気にも合点がいく。八つ当たりには丁度いい。
アルラは赤ちゃんなのだろうか。
迷惑極まりないので実家に帰って1人で騒いでくれないだろうか。
「コトっ、コトノ……私のことなんてどうでもよくなっちゃったのかなぁっっ……うあああああああああああああああ……!!」
「……おーおー、よしよーし、つらくなーい、つらくなーい」
ニーナに抱きつきわんわん泣きわめくアルラの背中を悲壮な諦観と共に撫でながら、『もしかしてあの時左目抉ってたほうがアルラの為になったのでは……?多少痛い目見た方が分別もつくだろうし……』と半分本気で考えた。
しかしまあ、過ぎたことへの答えはどうあれ、アルラへの勧告は1つである。
「……でもさ、浮気云々については安心していいと思うよ」
「…………なんで!?どうしてそんなこと言い切れるの!?」
「いや、男が男を好きになるわけがないでしょ。常識的に考えて」
「――――ッッ!??」
刹那、何故か凍り付くアルラの表情。
「……どうしたの?」
「……いやっ、だってお姉ちゃ……っ……ぇ……?」
脈絡もない変化の理由を尋ねても返答は朧気。
「……はぁ」
思わず漏れる溜息。
やれやれ、妹といえども狂人の思考。1から10まで完璧に掴むというのは、なんとも難しいもののようである。困ったものだ。




