1話:ピエロの悲劇は茶番にはじまる
窓から差し込んだ橙の光を横目に見て、刻が夕方であることを知る。
どうやらアルラはあれから結構な間眠ってしまっていたようだ。
「…………ん」
入眠時と違う点は時間帯以外にもあって、もっとも大きいのは己の体勢。
意識が暗闇に落ちる際、自分は確かにニーナのベッドに横たわっていたはずなのに、目が覚めた時には固い椅子に行儀良く腰掛けていた。寝ぼけてこうなったとはとても思えない程綺麗な姿勢で、今もしっかり固まっている。
「…………ん、……んん」
補足として言うなら、『固まっている』というのは動きの少なさを表現するための比喩などではなく、単純に動かそうとしても動かない手足の状況を供述したものである。
つまるところ、目が覚めた時にはアルラは四肢と胴を縛られていて、椅子にがっちり固定されていた。
「……んん!?んんん!?んんんんっ!?」
「ああ、お目覚めですか」
身動き一つできず、布を噛ませられ、座ったまま唸ることしかできない自分の眼の前にあるのは、しなやかに動く猫の尻尾。
『ミア』とコトノに呼ばれていた、猫の少女が立っている。
こちらをじっと覗き込んでいる感情の読めない瞳――――自分を拘束したのは彼女ということなのだろうか。
あの尻尾から生み出された『黒塊』を思い出し、背筋をぞっと寒気が襲う。
……が、あの狂った様子などおくびにも感じさせない丁寧な物腰で、少女は優しく語りかけてくる。
「手短にいきますね。私が知りたいのは貴方の属していた組織について、貴方の知ってる全てです。話す気があるなら一度黙って、ないならそのまま『んー』とお願いします」
「…………ッッ……!…………んん!!んんんんんんん!!」
「わかりました。拷問しますね」
「!???」
ミアが机に手を伸ばす。
伸びた手の先に目を向けると、卓上に置かれているのは多種多様な器具。包丁、金槌、鋸、ペンチ、顔が写りそうなほど綺麗に手入れされた光沢の山の中から、少女はやすりを取り出して、再びこちらを静かに見た。
「今から貴方の機能をひとつずつ削いでいきます」
「――――んんんっ!!?んんんっ!?んんんんんん!?」
「……ごめんなさい、何言ってるのかわからないです。そうですね、貴方がひとつ失うごとに一度話す気になったかどうか質問するので、賢明な判断を期待します。魔力は封じてるので抵抗はできないですから」
一歩踏み出して、ミアはアルラと目の鼻の先に出る。
一つの手でやすりを握り、もう一つの手で左のまぶたをこじ開けてくる。
「ッッッ!???んんんんんッッ!!!」
光を放とうにも『叡智』が何故か使えない。体内に意識するマナがしっちゃかめっちゃかに乱れている。
ゆっくりと近づく光沢に手足を捩っても、ガタガタ椅子が揺れるだけ。
なんの抵抗にもなっていない虚しい振動だけが体を揺らし、それすら上から押さえて止められて――――
「んんんんんんん゛!!!んんッッ!!!!」
「いきますよー」
混乱の極みの中、そっと、左眼に冷たいモノが触れた。
「ミア~?結構時間経ったけど首尾はどんな感じに――――なにやってんの!?」
と、次の瞬間部屋の扉が開いて、入ってくる一つの影。
ニーナだ。
「っっ!!んーっ!!んんんんんんっ!!んんんんんーッ!!!」
「…………何と聞かれると、今からこの子の眼球を削るところでした。駄目でしたか?」
「はぁ!???駄目に決まってるでしょ、どけっ!!」
ミアを押しのけたニーナはアルラに近づくと、頭の後ろで結ばれていた猿ぐつわを解く。
自由になった口が息苦しさから解放され、大きく大きく息を吸った。
「ぷはっ、はぁ、はぁっ、はぁっ!!」
「アルラ大丈夫!?どこか怪我とかしてたりしない!?」
「はぁ……はぁっ…………っっ、調子に乗らないでよ、誰のこと心配してるの……」
「……よかった。その調子なら大丈夫かな」
溜息をついたニーナは猫の少女を強く睨む。
「……ミア、これは一体どういうつもり?」
「特に説明するような意図はないですよ。必要な情報を得るに最も適した手段がこれだと判断しただけのことです」
「アルラの眼を潰すのが適した方法だって?」
「…………気を悪くしたなら謝りますが、事前に説明を頂けないと気の遣いようがありませんよ」
「…………ッッ!」
少女の眼光が強くなる。
表面的には冷静を取り繕いつつも端々が鋭い言葉の数々。
ニーナは本気でアルラの身を案じているようだった。
つい先刻、他でも無い自分に殺されそうになったニーナが、そんなこと微塵も感じさせない様子で。
「……っ……ぁ……お姉ちゃ」
「……以後気を付けるように。それじゃミア、これ借りていい?」
「どうぞご自由に。私も勝手に拝借したものですしね」
ありがと、とニーナがペンチを手に取った。
「……!??」
その、あまりに躊躇いの無い滑らかな動きに、一瞬遅れて肩が跳ねる。
「……お、お姉ちゃん?」
「よーしアルラっ、左手の小指から順に剥がしてくから、なるべく手間かけさせないでね」
「お姉ちゃん!??」
椅子の肘掛けに固定された左手を掴まれ、指を伸ばされ、かちゃかちゃ音を立てるペンチの先が眼の前に差し出される。
「お姉ちゃん!?……お姉ちゃん!??わたっ、私のこと心配してたんじゃなかったの!?」
「大丈夫大丈夫、時間が経てば爪は治る。だからどっちでもいいんだけど、できるだけ早く吐いてもらえると手間がかからなくて嬉しいかな」
「指と垂直に引くのがいいですよ。力は要りますが痛みが大きいです」
「へぇ……!ありがと垂直ね。それじゃあいくよー、いーちま……」
「……あああああああああああああ――――――ッッ!!!!コトノ――――――ッッ!!!」
「あああっ馬鹿っ!!大声出すな気付かれる!!」
「……こうならないように口封じしていたのですが」
姉がわたわた慌てている内、少年の到着は迅速であった。
大した間も置かず、再び扉が軋んで鳴る。
「えっと……信じられない奴の信じられない声色に呼ばれた気がしたんだけど……ってなんだこの状況!?」
「ああもう面倒なのが来た……!」
「コ……コトノ!!コトノッ!!」
えっ、何で縛られてんのお前……!!と、アルラを見て戦慄するコトノを前に、ニーナはしばらく頭を抱えていたが、やがて静かに顔を上げる。
「……ね、コトノ、聞き分けのないクソガキの爪をちょっと剥がすだけなの、見逃してくれない?夕ご飯に手作りのやつあーんして食べさせてあげるからさ、いいでしょ?」
「……いいわけねえだろお前妹を拷問する気だったのか!?気は確かか!?」
「でも効率的ですよ」
「効率の話は聞いてねえんだよ糞がッッ!!」
戦慄続く少年は、何考えてんだお前ら……!?と呟きながらもアルラの手足の拘束を解き始め、彼の横顔が近くに見える。
「…………っ!」
何故ニーナ達が組織の情報を知りたがっているのか。
何故黒塊がこの場に受け入れられているのか。
何故コトノの怪我が治っているのか。
現状は『わからない』で溢れている。
「ほら、ほどけたから――――ッッ!???」
ので、とりあえず手足が自由になった瞬間、眼の前の少年に思い切り抱きついた。
「……こわかった」
「…………ああ。……そりゃあ、まあ、こわかったよな」
背中に回された彼の腕に、ぎゅっと強く力が入る。
触れた体から感じる体温。耳元で鳴る浅い吐息。
石けんの匂いと少年の匂いが混じって、自分の嗅覚を軽くくすぐる。
それら全てはどうでもいいけど、なんだかとても気分が良くて、アルラも少年の体を力いっぱいに抱きしめ返すのだった。
******
「そりゃあ、まあ、こわかったよな」
正面からぎゅうと抱きついてきた、アルラの高い体温と脈動。
「……………………っ……」
刹那、浅く息を吐く詩音に浮かんだのは、たったひとつの純粋な情動。
――ひぃッ!殺されるッッ!!!
『恐怖』である。
抱かれた感触から一瞬でフラッシュバックするあの時の熱。痛み。
体が強張って動けない。全身の筋肉が固まっている。無理に振り解けばアルラを殴り殺してしまいそうなくらいに身体中の感覚が滅茶苦茶である。
というか何を考えてるのだこいつは。
直前のアルラとの会話は『私はずっと貴方が嫌いだった』。一字一句違わず正確に覚えている。
それ以降彼女とコミュニケーションをとる機会は一度たりともなかったはずだ。最後の会話は拒絶に終わったはずなのだ。
「うんっ……すごく、こわかった……」
怖いのはこっちだ。気でも触れたのかこの野郎。
あれからこれに繋がる論理が見えない。
不条理極まりない少女の発言にクラッシュを起こす前頭葉。最早まともな理屈は紡げない。
だからもう、自覚できる意識は思考という形を保つことすらできず、垂れ流せるのはトラウマにひりつく暴走した感情のみ。
――怖い怖い怖い怖い怖いッ!!!ころっ、殺されっ、あ゛あ゛ああああ゛あッああ!!!
涙目で死にそうになっていると、いつのまにか詩音の正面に回り込んできたニーナが、アルラの背中越しにぱくぱく口を動かしていた。
『どうしたの?』
「…………ッッ!!」
声に出さずに口の動きだけを見せて尋ねてくる。
天使に見えた彼女の姿に、縋るように叫ぶ。
『……たすけて!』
『……!?えぇ、なんで……!?向こうが勝手にやってることだし、なにも気にすることはないって。しばらく女の子の感触味わっておけば?そういうのってストレス解消になるものなんじゃないの?ボクならなるよ?』
『たすけてッッ!!!』
『……??……まあ、そこまでいうなら』「よーしアルラそろそろ放れよっか」
「ッッ!?ああっコトノ――――ッ!!」
叫ぶ少女が離れていく。
アルラを引きずるニーナの姿を過呼吸に見送る詩音は、『よし!!あとでニーナにはガトーショコラを奢ろう!!』と、内心固く決意する。
隣の裏切り者は冷めた目でアルラのことを眺めていて、頭痛はまだまだ収まらないけど。




