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42話:想いが孕んだ稚拙な奇跡は


 コトノが死んでもどうでもいい。

 所詮はただの玩具だし、何か特段思い入れがあるわけでもないのだから当然だ。


「………………」


 軽い揺れを感じながら、アルラ(じぶん)はそんなことをぼんやり想う。


 アルラ(じぶん)を背負って一直線に走るニーナは、夜のように真っ暗な廃街の中を、追う黒塊から脇目も振らずに逃げている最中だ。

 彼女が一歩進む度に折れた脚に走る痛み、少しずつ遠ざかる黒塊とコトノ。

 自分と彼との間には、既にあの()が届かなくなってしまったくらいの距離が開いている。


 べちゃべちゃべちゃべちゃ、血の匂いがむせかえる。


 少年が黒塊に吹き飛ばされる度ぱっと広がる血の雨は、遠目に眺めるとまるで大きなつぼみが花開くように綺麗で、けれど正体は自分を庇った結果のコトノの出血である。

 既に何百もの花びらが散っていて、後ろの廃街は見渡す全てが赤黒く染まっている。


「…………だ」


 勿論、そんな光景を眺めていても少しも心は揺らがない。

 当たり前だ。どうでもいい。血を見る嫌悪感は少々あるけど、彼の身を慮る気持ちなど己の中には毛ほども存在しないのだから。


「やだ」


 けれど、さっきから何度も体を捩って暴れているのに、ニーナが腕を強く握ってきて離さないのだけは煩わしい。

 放せと何度も言っているのにお姉ちゃんはちっとも言うことを聞いてくれない。

 だから邪魔者を排除すべく手の平に力を込めるのだけど、全く光が出てくれない。何千何万と繰り返してきたはずのマナの力が何度試しても束ねられない。

 ああ、この脚のせいだ。折れた脚が痛くて意識が散って、『叡智』が使えるまでの集中ができないのだ。腹立たしい。肝心な時に使えない力だ、いらいらする。やめて、やめて、コトノがどんどん離れていく。

 どうでもいいことだけど。


「やだ」


 一つ言うと、少年は血をたくさん流していた。死んでないのが不思議なくらいで、このまま放っておけばじきに死ぬだろう。

 それに、さっき一瞬見えた彼の姿。左腕が変な方に曲がっていた。骨が折れれば凄く痛くて、泣いてしまうくらい痛くて、それでもコトノは戦っている。いい気味だ。顔だけしか取り柄の無いゴミクズに付き合うのもいい加減うんざりしていたのだ。苦しんで死んで丁度いいくらいだ。ざまあみろ。


 あとは、折られたのが左手でよかった。

 今もこの手に残っているのは、あの日のギルド、魔人の私に笑って差し出し、外へとそっと引っ張り出してくれた、緩く握られた右手の感触――――


「いやだ……ッ」


 気づけば、何故か自分は激情のまま、拳を固く握りしめていた。

 肌に爪が食い込んだ。過剰な力に隙間から血が漏れていた。

 それでも衝動は収まらず、さらなる力を加えて握りつぶし、祈るように、希うように、強く、強く、嫌だ、嫌だ、嫌だいやだいやだいやだいやだいやだ―――――――!!


「――――ああああああぁっ!!」


 刹那、ぱっ、と()()()()()()()()|を手の中に()()()()()()()、熱と一緒に周囲に放射する。


「な、ぁっ!?」


 ニーナが不意の光熱に短く呻き、痛みで腕の締め付けが僅かに緩んだ。

 達成の感慨がよぎる余裕はなくて、できたと認識したのさえ、拘束を振り払い石畳に落下した後。


 地に着くだけで脚は痛み、手が火傷しているのを痛みで自覚し、浅い吐息が漏れるけれど、今の自分には立ち上がることすら焦れったくて、半分倒れたまま折れていない右脚で思い切り地面を蹴る。

 二歩目は折れた左脚を肉だけで支え、地に付ける度倒れかけ、急いで右脚を前に出し、ほとんど片足だけを使い不格好に全速力で駆ける。


 進んできた道を逆方向、咲き乱れる血の花のほうへと。


「う、うぅぁぁあっ!!」


 痛い。体のあちこちから絶え間無く、気が狂いそうなほどの激痛が走る。後ろでニーナの金切り声が響いた。大粒の涙がいくつも零れ出た。

 それら全てがどうでもよかった。

 いつの間にか意識は昂ぶり乱れている。今まで考えてきた色んなことがまるごと綺麗に吹っ飛んでいる。

 考えられることはたったの一つで、たったの一人。


 ――コトノ。


 彼は無事なのだろうか。無事であるはずがない。

 どれだけの怪我をしてるのか。どれだけの痛みに耐えているのか。

 私を嫌いになっただろうか。


 たった一人のことなのに、次から次へと発露する感情は頭を廻り、ぐちゃぐちゃに掻き回し、前へ前へと背中を押す。


 ――コトノッ!!


 ここ数日の記憶が一気に溢れかえってくる。


 初対面、偽りの涙を流す自分を笑って慰める姿。

 夕陽の中、自分が差し出した匙の中身を少し照れて噛みしめる姿。

 魔草の暴れる街の中を、自分を抱いて駆け抜ける姿。

 ベットに横並びに腰掛けた彼が、ずっと一緒にいられないなんて言った横顔。

 自分が食べられそうになったとき、ぴったり助けに来た彼の、何故だか崩れて泣きそうだった瞳。


 光景が一つ浮かび上がる度、胸が締め付けられるような情動に襲われる。

 心臓が高鳴り、肺が息を取り込んでくれなくなって、大きな呼吸を繰り返した。


「………………ぁあ」


 開いた瞳に映った景色に、一瞬世界の時間が止まった。


 ずっと先に、遠くにだけど、コトノの姿が確かに見えた。

 道の真ん中で立ち尽くし、こちらを呆けて見つめていた。


 惨状と形状するしかない有様があった。

 当然彼の全身は血まみれで、赤く無い場所を探す方が難しいくらいで、シェルエットも少々歪んでいるくらいで、その服の内側が一体どう壊されているのか想像もしたくない。


 けれど、確かなことがもう一つある。


 ――生きてる……!


 止まった時の中、弱く光を宿した瞳に、心底安堵を覚えてしまった。

 理由は知らないけど、じわりと、この場で座り込んで大泣きしたいような脱力感がやってきて「まぁァア」視界が一転黒色に染まる。


「――――――ぅぁ」


 至近距離の黒竜の顔が、自分が見ていた最後の景色。

 刹那に視界は光を失い、ぐじゅりと何かが潰れる音がする。


 さなかに想う。


 ――よかった。


 ――こいつは『貴方(わたし)を殺す』と言っていた。


 ――だからこいつは動かなくなって、だからコトノは死ななくて、だから、これからも、ずっと一緒にい


 あとは、本当の、まっくらが。


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