40話:愚者は今
そうして現在、古城を抜け出し真っ暗な城下町を走る今、追いかけてくる黒塊から一直線に逃げている切迫した状況下、ニーナに背負われ身を捩るアルラは、未だぎゃあぎゃあ声を張り上げて喚き立てている。
「ねえ!聞いてるの!?逃げずに戦えって何回も言ってるじゃない返事くらいしてよ卑怯者!!」
「戦え!!戦えッ!!弱いから逃げることしかできないの!?これが正しいことなんだって正当化して逃げてるの!?卑怯者!!そういうところ、私っ、昔から大っ嫌――――」
べちゃ!
彼女の声を遮るように、またも重たい水音が鳴る。
「――――ッッ!!」
息を飲む妹の声。
不可視の速度で動き続けるコトノが何か手を打ったのだろうか、音の頻度は歩を進める程に減少し、今では八秒に一度程に抑えられている――――逆に言えば、頻度以外は以前と何も変わることはない。
背を見せ逃げるボクらを狙って伸ばされた黒塊の触手の衝撃は、いつもの通りにボクらを庇ったコトノに伝わる。いつもの通りに吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる少年と、まき散らされた少年の血が雨の如く降り、辺りの建物を紅く染める光景。
これが何度目か定かではないが、軽く百は越えているだろう聞き慣れた雨音。
「――――ぅ、ぁっ……こんなっ、こんなのっ……」
なのに、飽きる程浴びたはずの少年の血を見て、後ろから回されたアルラの腕は万力と錯覚するほどに強ばっていた。
――ゴミクズめ……!!
骨を軋ませる妹の抱擁を受け、頭に上った憤りの理由は、単純な痛みの嫌悪では無い。
この数分で嫌というほど再確認した。やっぱりボクはこいつが嫌いだ。嫌いというか客観的にクソだ、こんな状況でもなければ側にいるのだって嫌だ。
思い返せる全ての範囲で、アルラのやってることは滅茶苦茶だ。
例えば現在。『飽きるまではインテリアで飽きたら出荷』とまで貶めていたはずのコトノの出血に一々動揺する。彼女の策が上手く行ったら四肢をもぐのでは無かったのか。彼が動けてる以上は、今の方がよっぽど軽傷だろうに。
例えば先日。コトノを騙す演技と言って人前で元の魔人の姿を晒す。『周囲の人々からいわれの無い罵倒』を受け同情を引くとか、見つかった魔人は即駆除されておしまいだろうに。何十回も言いつけてきた常識で、人に姿を見られることをあんなに無様に怖がっていたのに。
理不尽の原因は明白。
十年以上前のあの日からアルラの精神は一切成長していないのである。
家から姉が消えていたので顔も隠さず外に出て、中々見つけられないので大声を出して人を呼ぶ。指摘されると演技と誤魔化し、悲しくなったらすぐ泣き出す。自身が魔人だという特大のリスクは、お姉ちゃん捜しに都合が悪いので知らんぷり。死が目前になって初めて思い出し、挙げ句の果てには『お姉ちゃん!!』だ。舐めているのか。
都合良く作った矛盾だらけの理屈に縋り、私はとっても賢いのだと胸を張り、見えてる崖によちよち歩き出す白痴こそがアルラの正体。
「……もういいっ!!降ろしてよ気持ち悪いそうまでして逃げたいなら一人で逃げてればいいじゃない私を巻き込まないでよ迷惑なのよッ!!」
理解を超えた大馬鹿だが、そう考えれば上手く説明がつく。
だって、魔人の敵に溢れた世界で1人でいるのはとても寂しくて、おかしくなりそうで、なのに人から優しくされるとそいつの意図がわからなくて、凄く不安になるものだと、ボクはよーく知っている。
だったらアルラは、魔人がコトノと話してるのを見れば、ずるいずるいと羨ましがるだろう。
『コトノは情欲に流される偽善者で、自分はそれを利用できている賢い者なのだ』と結論づけ、優しくないから安全だと、上から目線でコトノにすり寄るのはさぞ楽しかったことだろう。
こうして庇われ血が降ってきて、コトノが死んで消えてしまうと思うと気が狂ってしまいそうなのだろう。
彼の背中を焼いた動機はきっと、また1人になってしまうと思い、寂しくて、寂しくて、わけがわからなくなってしまった半狂乱。
「あああああああああ!!!降ろせええええええええッッ!!!」
ゴミクズめ。
だからボクは家を出たのだ。こいつといるくらいならどれだけ寂しくても一人のほうがマシだ、二度と一緒に暮らしてやるものか。
また一度、赤色が降って、アルラの体がビクンと跳ねた。
「――――――ぅああ。……お願いだからっ……この手、放してよ、お姉ちゃん…………」
当然無視する。背中の上で暴れるアルラの腕を、決して離れていかぬようよう固く掴み、全速力で前へと駆けた。
願わくば、今もその身を削るコトノが、今この場だけは狂ったままで、守る価値など欠片も無い愚かで幼稚な裏切り者を、見限らないでくれますように。




