24話:殺意がいっぱいちりばめられて
小さな窓が1つだけついた病室。
静かで暗い空間の中、ドアに背をつけへたりこんでいると、湿気ったような荒い呼気がだんだんゆっくりだけど落ち着いてくる。
ドアの向こうの笑い声は消えた。耳を澄ませても、一瞬前まで確かにそこに存在していた『医者』の気配は一切として感じられない。
身の毛がよだつほど気色悪いけど、所詮は気持ち悪いだけの言葉の羅列だったのに、不気味に思わなければならないはずの異常な消失が今はなによりもありがたくて、そんな恐怖を抱くことに屈辱を覚えることすらできない。
不安を落ち着かせる為、汗ばんだ己の両手をぎゅっと握った。
「ふーっ……ふぅぅ……」
残った動悸を鎮めようと大きく2、3度息を吐いて、いくらか苦痛は和いだけど、目に焼き付いた女の顔がどうやってもちらついて離れない。
なんだかもう、最悪の気分だった。
******
「お前、魔人だろう?」
数ヶ月前、日の当たらない裏通りをあてもなく歩いていた最中、少女に声をかけられた。
眼前の小さな童女が、こっちをじっと見上げていた。
驚きはしない。
童話に出てくるお姫様が着るようなきらびやかなドレスの上、身近にあった布きれを被せて無理矢理に顔だけを隠したどうしても悪目立ちする格好。顔を見られるのも当然だ。話しかけてきたのが年端もいかない童女で、身長差から自然と下から覗き込む視線になってしまったのも大きいだろう。
だからその瞬間の自分は、その時他の通りがかりが1人もいなかったことにほっとしたり、彼女を殺した後の死体の捨て場所を思索したり、そういうことばかりに考えを巡らせ――――
「頼みがある」
けれど、その童女は一切取り乱すことなく、こちらに1つの提案をもちかけてきた。
曰く、数ヶ月前に収まった魔物の氾濫は『黒樹』とかいう魔物が原因である。
曰く、その『黒樹』が蘇り、完全では無いが動き始めている。
曰く、王室に従属する討伐パーティーにより、それに対抗する為の戦力を集めている。童女は『黒樹』討伐の為に動く一人である。
曰く、君にはおそらくマナを扱う才能がある。参加して貰いたい。
童女の話を要約すれば、大体そういうことだった。
話す内容より、普通な人間と意思疎通を交わしたのがほんとうに久々で、『魔人』の前で平然と言葉を紡ぐ彼女が不思議だった。
「……いいの?ボク魔人だよ?」
自分の問に黙りこみ、しばらくじっと考え込む童女。
言葉を慎重に選んでいるような数瞬の間を挟み、苦汁を噛んだ表情で呟いた。
「…………薄気味悪いが、許容する」
「――わかった、やる。」
2つ返事で引き受けた。
やることも行く当てもその日の食い扶持もなかったし、なにより、気味悪がられたとしても、人に頼られることなんて初めてだったから。
これがきっかけでどうしようもない人生の何かが変わっていくような、そんな大それた馬鹿みたいな予感を、至極大真面目に抱いたりしていた。
******
十数日かけて王都へと赴き、連れて行かれた先は王城そばに建てられた訓練場。自分より先に集められたらしい候補生の中には一人も魔人はいなかった。
どうやら前もって魔人の来訪は伝えられていたようで、彼らが自分を見る目は嫌悪にまみれてはいたものの、その場で殴りかかってくるような者は一人としていなかった。
驚くべきことだ。
人に見つかった魔人は人のカタチを模しただけの悪魔。その場で嬲り殺されるのが常識のはずで、たとえ世界を救うというご大層な目的があったとしても、危害を加えようとするものが一人もいないのは明らかな異常事態。魔人にとっては信じられないくらいに都合のいい天国が広がっている。
「――――ボクはニーナ!見ての通り世界で2番目にカッコかわいい女の子です!これからよろしく!!」
だから、突然振って湧いた幸運を自覚した、賢明にも思考を止め、己を取り囲む蔑みの視線に気づかないふりをした。
馬鹿になってこの平穏を享受することに決めた。
それから待っていたのは、以前とは比較にならないほど幸せな毎日。
温かいご飯が食べられた。
これまでの『魔物』を狩って日銭を稼ぐ生活なんて考えてみれば正気じゃない。命を危機に晒さずとも、食べたこともない豪勢な料理が用意されている。注文をつければ嗜好品も用意してくれるらしく、材料をもらってお菓子も作った。
他のやつらは大体一緒に纏まって食事を摂っていたので、彼らがいないところを選んでそれらを食べた。
周囲の目を気にしなくてもよくなった。
自分の魔人としての外見的特徴は瞳の色のみ。頭髪のぶん普通の魔人よりだいぶ目立たないけれど、それでも真正面から素顔を見られれば殺される。だから、これまで人混みをできるだけ避け、誰かと通り過ぎる時は俯いて、不自然にならないよう必死に取り繕って生きてきた。
けれど、ここではもうその必要はない。
いくら候補生達が殺意のこもった目を向けてくるといっても実行に移す者がいないとなれば恐るるに足らず。やって初めてわかったけれど、日を浴びながら大手を振って堂々歩けるというのは気持ちがよくて癖になる。
日々にはっきりとした目標が生まれたのも良かった。
『叡智』の修得。細かな性能の把握、魔法の会得。毎日少しずつ課題が生まれ、達成できたりできなかったり。日を跨ぐ度に自身の成長が感じられて、夢中になって訓練に励む。最終的にどの分野でも他の候補生全員追い抜かして、一番上手くなるまで仕上げることができた。
そんな自分の姿をラヴェルが気色悪そうに見ているのが、ふとした合間にちらりと見えたりした。
候補生達には一人に一つずつ個室が与えられた。
それは自分でも例外では無くて、遅くまでの訓練に励んで疲れきった身体を柔らかなベッドに沈み込ませ、充足感に満たされて眠りにつく。一月前には想像もできなかった生活。
信じられないくらい、これが夢で無いことが不思議なくらいに幸せだった。
ボクは耳が良かった。
静かな夜、なんとなく寝付けずにうとうとしていると、同じ宿舎の片隅にあるずっと遠くの大広間から小さな声が聞こえてくる。すすり泣く少女の声が1つ、そいつを取り囲む潜め声がたくさん。どうやら自分を除いた候補生の全員が集まっているようだった。
嗚咽を漏らして途切れ途切れに話す女の声は、距離が離れてることもあってかなり聞き取りにくいものだったけれど、様子と文脈と僅かな物音から大体の状況は理解できた。
魔人がのうのうと生きているのが許せない。
魔物の氾濫が黒樹によるものだと知って、そいつがまた世界を滅ぼそうとしているのを知って、自分にはそれと戦える才能があると教えられた。
お父さん、お母さん、小さな弟、よく遊ぶ友達、近所のおじさんおばさん、自分の知らないたくさんの人達。彼らの命を守る為に弱っちかった自分が力になれると知った。魔物と戦うのは怖かったけれど、それでも悩んで悩んで決意を決めて、自分の身を案じて引き留めてくれる両親の手を振り払ってここに来た。
なのに、訪れた先には魔人がいて、候補生として受け入れられていて、何の不自由なく平和に暮らしていた。あいつは駆除されるべき魔人なのに、殺すのも傷つけるのも駄目だと言いつけられた。
ご飯を食べて、大手を振って外を歩いて、当たり前のように生きているあいつを見ているだけの自分が許せない。両親を守りたくて候補生になったのに、魔人を生かしておくような愚図に、彼らに顔向けできない人間になってしまった。今すぐ寝ているあいつの部屋に乗り込んで喉を掻き切って殺してやりたい。
……なんて、泣きながら話す少女の言葉を静かに聞いていた、少女の周囲の候補生達。
「……わかるよ。」
その中の一人、いつも候補生らの輪の中心にいる、リーダー格らしき青年が呟いた。
「俺もこいつらもみんな同じ気持ちだ」
「あいつを放っておかなきゃいけないのが悔しくてたまらない。へらへら笑ってる顔を見てると気が狂いそうになる。なんで魔人と暮らさなきゃいけないんだって、気を病んで出てってしまった奴もいる」
「……でも、駄目だ。俺達の手には国中の、たくさんの、数え切れないくらいの命がかかってる。できることならなんでもやらなきゃいけない。黒樹を倒せる可能性がちょっとでも上がるんだったら、魔人だって利用しなきゃ駄目だ」
「ラヴェルさんは俺らよりも色んなことを知ってるんだろうし、俺らよりもずっと考えて『殺すな』って言ってるんだろうしさ」
「――――仲間の判断は、信じないと駄目だ」
青年の厳しい言葉に、少女はうううと一際大きな嗚咽を漏らしてうずくまった。
その横から伸びる手が、優しく少女の背中をさする。
「……だから、駆除してやりましょう」
「え……?」
顔を上げた少女の目端の涙をそっと慈しむような手つきで拭う、一人の女。
「勘違いしないで。あいつが言ってるのは黒樹を倒すまではニーナは殺せないってだけ」
「…………あ」
「私達もいい加減頭にきてるの。手を出されないからって調子に乗って、当たり前みたいに生きている魔人に」
少女の頭を撫でる音がする。
「全部終わったら、みんなですぐにニーナを殺しましょう。忌々しい事にあいつは誰より強いけど……力を合わせれば絶対に勝てる」
「…………!」
「私達は、一人じゃないんだから」
「――――うん。……うん!!」
声色から推し量るに、少女の顔には笑顔が戻っているのだろう。
きっとそれは少女だけでは無く、青年、女、黙って会話を見守っていた候補生らも同じだ。
えへへ、みたいな可愛らしい涙が混じった少女の笑い声が聞こえてきて、それに呼応するようにはは、ふふ、と小さな笑い声が次々と起こる。朗らかで気持ちの良い笑顔。
暗い夜に似合わない暖かな雰囲気。なんだか懐かしい気持ちにさせる、柔らかい風が差し込んだように微笑み合っている彼らの様子が、この場からでも視えるようだった。
「――――はは」
そんな物音を遠くに聞きながら、ひとりきりの寝室、ベッドの上、ボクは思わずつられて笑った。
やっぱりボクは運が良い。
だって、これで黒樹討伐までの安全は完璧に保証されたのだ。彼らは理性的で仲間思いで善良で、なによりも協調性がある。こういう意思統一の場を作ってしまった以上、その場の感情でボクを殺しに来るというのは中々に考えにくいだろう。
ボクの耳が候補生の計算に入ってない以上、自分の身に予想外の危機は起こり得ない。危なくなったら逃げるか一人ずつ殺すかしておしまいだ。
それまで、この平穏で幸せな生活を妨げるものは何一つないということ。
「あははっ……、あぁ、可笑しい……」
だから、胸の内をどろどろとたゆらう安心感と自分の身体とを抱きしめて、ボクはそうっと目を閉じた。
こうしていれば、幸せな明日が、またやってくる。
******
「……やなこと思い出した」
息が整い、病室の床をそっと撫でて立ち上がる。
部屋の中心にあるのは1つのベッド。眠っているミアのほうに向かって、ゆっくりと一歩目を踏み出すと、ぎぃ、と不快な音が鳴る。
あの日、コトノと初めて出会った日。
いつものようにそこらを歩いてると訓練場から聞こえてくる妙な騒ぎ声。
どうやら新参の候補生がラヴェルを試合で転ばせたらしく、観客が盛り上がってそいつに群がり、あれやこれやと質問攻めにしてるようだ。
聞いて思わず顔をしかめる。いずれは殺すか逃げるかしないといけない候補生の中にそんなの加わるなんてたまったものじゃない。手段を選ばなければどうとでもなるだろうけど、対処は限りなく億劫だ。
まあ、来てしまったものは仕方ないし、せめてどこまでできる奴なのか見ておこうと、訓練場に向かって足を伸ばす。
二歩目。サリ、と靴の裏が擦れた。
新入りは候補生達との試合を申し出したらしく、結果の見えた消化試合がちょうど一巡ほどした時、訓練場に辿り着いた。
中に足を踏み入れた瞬間、視線が一気にこちらに集まる。
嫌悪と侮蔑と殺意が混ざって融けたいつもの視線の中に、一人だけが揺れた目で周りを見回していることに多少の違和感があって、ああこいつが新入りかとすぐさま理解した。
『はいはい!ボクもやる!』なんて、元気いっぱいに手を上げる。
誰一人として物音すら立てないドブのような空気の中、ようやくこちらを向いた少年の動きはぎこちなくて、どことなく悲痛で、見たこと無い反応に引っかかりを覚える間もなく。
『ほぉぅ……?俺こう見えて今23連勝だからな!?舐めてかかるなよ!?』
なんて、心底楽しそうに自慢気に言いはなった少年。普通で異常な反応に、とうとう魔人の頭がおかしくなったのかと思った。
三歩目。
色々あった。
生まれて初めて男の子と喋って、久しぶりにまともに人と話をした。
魔人と会話をするなんて少年の奇行を引き留めようとする、至極まともな他の候補生達の言動をはぐらかし、白い目を向けられながらも、うざったいボクに付き合ってくれた。
街の案内役を買って出た時は過保護に過剰に反応してて、顔を隠してるのを見て、ほっとした表情を作っていたのがおもしろかった。
四歩目。
初めはボクに気があるとでも思っていたのだけれど、きっと彼にとってはそれが普通なだけで、世界の常識の違いが生んだ幸運に過ぎないのだろう。
コトノの世界では魔人の排斥がおかしなことであるだけで、かわいそうで、優しくするのが常識で、それ以上の意味は無いのだ。
だって、彼の目は他の魔人にも等しく向けられていて、コトノはボクのことが嫌いで。
彼は今もアルラの為に、どこか知らない場所を駆けずり回っていることだろう。
だから。
五歩目。足を止め、猫の少女に手を伸ばす。
……その手の先が届く直前、すうと薄くミアの目が開いた。
「――――ここは……?」
「や、おはよう」
身体を起こす猫の少女へ、軽いテンションで手を振って。
「寝起きに悪いんだけどさ、これからボクと手を組まない?」
邪魔する奴は、ぶっ殺してやる。




