23話:不穏、悪趣味、水面下。
街の外れ、奥の奥に向かう程に度に人の気配は薄まる。走って、走って、走っていると、次第に物音1つ聞こえなくなってくる。地面を蹴る音と、荒く吐く息の音と、時折上がる子猫の鳴き声のみっつだけが、ニーナの耳に触れる唯一の震えだった。
そうして来た道を全速力で引き返す十数分。
現在自分がいるのは、人の気配など一切感じない、半壊した建物が並んだ寂れた廃街。
魔草が暴れ出す以前からこうだった、今ある街の隣の廃墟。数年前に放棄されたらしい古い街の中へと、ニーナは足早に帰ってきていた。
後ろ後ろにふっとんでいく家々の消え失せた天井、崩れた壁。ぺしゃんこに潰された民家の隙間に見え隠れするのは、ぼろぼろの赤い布きれと白い骨。
そんな道を結んだ先、終着点は廃病院。
「よーしいい子」
その一室……薄汚れた病室の中、ここ数日の寝床として使っていたベッドの上、抱いてた子猫をそっと放した。
ここに来るまでの間ずっと大人しくしてくれていたシーナは初めて訪れる場所に落ち着かないらしい。その場で部屋の中を見回す子猫の頭をそっと撫でた。
「ボクはこれから用があるから、ここでいい子で待ってて。いい?」
撫でながらの問いかけに、子猫はふいとそっぽを向いて応えた。
よくわからない気まぐれな反応に困惑しながらも、……どの道猫の気持ちなんてわからないし、なんて結論つけて部屋を出る。
ドアを押すと、所々欠け落ちた窓から入る光が薄暗さを僅かに誤魔化す、薄呆けた廊下が眼前に広がる。
「――――問題はそいつが廃病院にいるかなんだけど……」
半分疑いを残しながらも再び駆け出し、廃病院の探索を始めた。
捜すのは名も姿も居場所も掴めていない、正体不明の1人の人間。
手がかりは殆ど無いに等しいけれど、絶対どこかにいるはずのコトノの『協力者』だ。
振って沸いたような存在だけれど、根拠なしに言ってるわけでは無い。コトノはこの街に来てからの数日間、不自然に、毎晩黙って姿を消すのだ。
それに加えて一度も姿を現さないミアのことも引っかかる。彼女を殺そうとしたボクに合わせる訳がないといえばそれまでだけれど、ボクと一緒にいる間コトノが彼女を放置しているというのもおかしな話だ。コトノは彼女を生かしたいはずで、ミアは数十カ所を刺されて瀕死の状態だったのに。
これらの情報とその他諸々を統合して考えられる可能性は2つ。
①コトノの『叡智』により既に治療は完遂。自由に動けるようになったミアがコトノの『協力者』として単独で動いている。深夜の密会相手はミア。
②コトノの『叡智』は応急処置止まり。『協力者』による治療が未だ継続中であり、密会相手はボクの知らない第三者。この場合ミアの経過報告が主目的か。
どちらかというと、しっくりくるのは②のほうだ。
謎の止血、長距離移動、広範囲探知、おそらくは戦闘に使用可能であり、なおかつ高出力高精度というのが現在把握できているコトノの『叡智』の全貌。
正直、これだけでもできることが多すぎて効能の見当がつけられないというのに、この上『治癒』にまで応用が利くとなるというのは現実的ではない。
だからおそらく現状は②。
つまり、今から自分は廃病院にいるだろう見知らぬ『協力者』を捜し出さなければならない。
のだが、しかし。
「…………はぁ」
漏れる溜息。
蹴っ飛ばした扉が散らばっているのは、またもからっぽの薄汚れた病室。
これで80室目である。
あちこちを走り周って、馬鹿でかい廃病院を大体一回り捜しても人影1つ見つからない。人の生活している気配自体が全く感じられないのだ。
なりふり構わない捜索から物音も結構立てているし、初日のコトノの言動からして極力物音を立てて欲しくないであろう協力者からすると、そろそろ痺れを切らしてコンタクトを取ってきてもおかしくないはずなのに。
「……うざったいな」
焦燥感と苛立ちから視線を落とす――――自然と目に映る木目。
おあつらえ向きなことに、廃病院は大体木造である。
「――火事でも起こせば出てくるよね?流石に」
……よし。
手の平をすぐ側の壁に向けて、目を瞑り、意識を集中。
マナの調整に費やす一呼吸の後、一切の躊躇なく全霊の炎魔法を解き放つ――――
「……『赤色』」
「あぁっと待った待った!出てくるからやめろそんなすぐ放火に踏み切るな馬鹿!」
「――ッッ!??」
直前、すぐ後ろ、息のかかりそうな至近距離から声がした。
唐突な声とその近さにぎょっとして振り返る――――
「……ああ、いや、こっちだこっち。やっぱ効いてるんだな」
――――声の元、跳ねる様に飛ばしたはずの視線の、斜め前。
音の出所と明らかにズレた位置、煤けた窓枠に1人の女が座って手を振っていた。
「や、お嬢さん。ニーナで合ってるよな?初めまして」
蒼い瞳、蒼い髪。蒼色一色で染めあげられた女。
『魔人』だ。
彼女の姿を視界に捉えた瞬間に理解できた、あからさまな外見的特徴を携えながら、女はあっけらかんと言葉を紡いでいる。
「コトノから色々話は聞いてる。ああ、盗んだその服の件は既に片付いてるから気にしなくていい。その分の金はちゃんと受け取ったし、収支で言えばプラスなくらいだ」
つまり、軽々しく言葉を紡ぐこの女こそがコトノの『協力者』。
尚且つ、ミアを治療を担当している『医者』というわけだ。
「そもそも、どうせこの先外に出る予定なんてな――――」
「ミアに会わせて」
それさえわかれば十分だ。無駄話に付き合う時間は無い。
「――――――ほう?」
言葉を遮られた『医者』は、数秒じっとこちらを不思議そうに見つめ。
踵を返して手招きしてきた。
「歩きながら話そうか。どうやら結構お急ぎのようだしな」
******
明かりの一つもない廃病院では、雲1つ無い早朝にも関わらず陰鬱とした暗さが纏わり付いてくる。
「私があいつと交わした契約は『ミアを無事に治すこと』でな、治療が完了するまでのあの子の護衛も仕事の内だ」
前を歩く『医者』の歩みは緩慢だ。
「で、護衛をする上での要注意人物がお前らしい。万一出会ったらミアを殺そうとしてる可能性を考えて、できるだけ優しく捕まえてくれとのお達しだ」
自分が急いでいるからそう感じるだけかもしれないけれど、落ち着いた彼女の動きに焦りを覚えない訳にはいかず、そして今は彼女に従うしかない。
ミアが何処にいるかなんて自分ではわからないのだ。
「彼との約束を遵守するとなれば、お前をミアに合わせるわけにはいかないという訳になる」
「……守るとなればっていうのは、条件次第では融通利かせてくれるって意味だよね?」
「………………」
『医者』が選んだのは否定でも肯定でもない沈黙。駆け引きの類でも仕掛けられているのだろうか。
煩わしい。今は1秒でも時間が惜しいというのに。
「1億ルピ。ボクの持ち金はそれだけ。どうせ報酬の大半は前金でしょ?それなら裏切ってもそっちに損は」
「金はいらない」
「――――?」
予想外な言葉に頭を捻る。
「コトノについて知ってること、なんでもいいから教えてくれ」
「――え?」
「私さ、ストーカーなんだ」
「……『すとーかー』?」
「あいつの一挙手一投足を24時間観察するのが最近の趣味ってこと」
「は?」
「ええと、そうだな…………『魔人』の定義について言ってみろ」
意味不明な言葉の羅列、『魔人』という言葉。
思考が纏まらないままに、『医者』の言葉にただ従って、機械的に返事を返す。
「……胎児が母体から生まれる前、悪魔に乗っ取られて生まれる魔物」
それを言葉途端、なんだか辺りが一層暗くなったような気がして、窓の外へと目を向ける。
青空を飛んでいる鳥が目に映った。
「……って言われてるけど、ほんとは目と髪の色がちょっと違うだけの、ただのひと」
2人が固い床を蹴る、コツコツとした足音が規則的に鳴る。
前を歩く『医者』は自分の言葉に、ふぅんと1つ相槌を打った。
『魔人』の彼女は自分の言葉を聞いて何を思うのだろうか。それを聞いてどうするというのだろうか。『魔人』がこれまで運良く生き残ってきたのならば、それくらいのこと十分に理解できてい
「50点。正解は病人だ」
「…………なんて?」
余りに突拍子の無い言葉。喉が詰まった。
けれど、眼前の彼女はあまりに自信に満ちた堂々とした振る舞いで歩いていて、そうか今のは自分の聞き間違いだったのかもしらないと思い直し、
「血に混じった化学物質で起こる病気だ、『魔人』は」
「…………」
「えっと……ローマ?ロルカだったか……ロミワ、ロキシー…………どっかの国が見つけた物質が身体に溜まって発症する病気。これが発症した動物をここ千年くらいは魔物と呼ぶ。マナとか言われてるのと同じ物質だな。聞き覚えは?」
「…………もしかして頭がおかしい人なの?」
「……うん、信じられないならそれでいい。とにかく私の知識において『魔人』は病気で、髪と瞳の発色に異常が出たり、燃費や吸収率が高くなったりするんだが、実は一番の症状は脳に出る」
歩きながらも、『医者』はとんとんと、自身の側頭部を人差し指で指した。
「他者に危害を加えるハードルが異常なまでに下がるんだ。平たく言えばクズになる。勿論環境にも依るが、大概は五歳にもなれば癇癪で人を殺せる狂人の完成だ」
「…………」
「勿論そんなカスどもがまともに社会に順応できるわけがない。『魔人』は迫害されて当然のゴミクズだ。極稀にまともなのもいるらしいが十分誤差の範囲内だな、総合的にみれば駆除されるべき害獣であることに変わりは無い」
「……何が言いたいの?」
「ほら、私もお前も『魔人』だろ?『叡智』で黒塗りにして誤魔化しているっぽいがミアも同じく」
前に歩を止めないながらもこちらに振り向き、後ろ歩きをする『医者』が、まっすぐこちらを指差してきた。
ニーナを『魔人』たらしめる金の瞳を、真っ直ぐに指差してくる。
「お前みたいのは珍しいタイプな。おかしいのが目の色だけでよかったな、目立たなくて隠しやすい」……なんてつま弾く彼女の声が、なぜだか遠くから聞こえてくる気がした。
「先日ぱっと調べてみたが、近頃も『魔人』に対する扱いは変わらないらしい。お前も十分わかってるとは思うが、やっぱりコトノは異常者だよ。私やお前を人間として扱うのは、この時代ではむしろ不道徳とみなされるだろうに」
「そう、特におもしろいのがミアに対する態度だな。私、このところ毎晩コトノに魔法を教えてるんだが、時々ちらっとあの子を見てるんだよ。きっとずーっと昏睡してるから心配で心配でたまらないんだろうな。まったくもう、馬鹿で愚かで可愛いよなぁ」
はははと『医者』は笑った。
嫌気なんて一切無い、爽やかで品のある笑い方だった。
「『魔人』はクソだ」
「私は勿論、おそらくお前もミアも全員纏めて性根が腐っている。仮に全人類の幸福の総量で善し悪しを決めるなら今すぐ死んだ方が善いゴミだ」
「これでも結構長生きしてきたが、記憶の限りではぶっちぎりで順当な差別対象だな。クズを甘やかして碌な目に遭うわけがない。見つけた端から駆除するのがベストだな」
「えっと、最近は悪魔扱いだったか?うーん、人殺しを禁忌に据え置きながら『魔人』を間引けるのはいいな。正確ではないにしても治安維持では100点満点の対応だろう」
「で、コトノは見事にその逆を行ってて、ゴミに差し伸べた手が報われるのは童話の中だけだ。きっとそのうち地獄を見るよ、あいつ」
な?と同意を求める声が孤独に響く。
答えが返ってこなくても気にしない様子で『医者』は続けた。
「私、善いやつが酷い目に遭って泣いてるのが大好きなんだ」
「…………なんだか懐かしいものを見てるような気がして、ほっとするんだ」
「コトノを視てるのはそれが理由」
「だからあいつの前ではまともに振る舞うつもりだけど……それでも、できれば死ぬギリギリまで追い詰められて泣きわめいて欲しいし、できるだけ嫌われたくもない。あいつと談笑する時間も結構好きでさ」
うーんと唸る。
「難しい話だよなぁ……」
そっと天井を見上げ、溜息を吐く。チラリと窺えた彼女の表情は、口調と同じように、同じくらい悩ましげだった。
そう、まるで、明日の朝食でも考えているかのような。
「……………………」
気色が悪い。
喋りたくない。
『魔人』の癖に『魔人』の前で『魔人』を貶して、『魔人』は殺されて当然と吐き捨てて、優しい奴を好きだと言って、善い奴だから不幸になって欲しいと言うその女。
平然となんでもないように歩いているその姿が、そいつが生み出す所作の全てが、突然凄く気持ち悪いものに見えてきた。
こいつの前からいなくなりたい。殺してでも一緒にいたくない。今すぐさっきの部屋に戻って子猫を撫でていたいという衝動が走る。
けれどやっぱり、時間は無い。
「………………聞いてもないことをペチャクチャペチャクチャ。気持ちよくご高説垂れ流したいなら1人でやっててくれない?話が全く進んでないんだけど」
「で、最初の話に戻るという訳だ。そんな趣味嗜好を聞いた上で考える、私が気に入りそうなコトノのエピソードを話して欲しい。それがミアと会わせる交換条件」
何かないか?と投げかけられる気軽な声。
「…………」
目を背けたくて死んで欲しくて殺してやりたい。こいつの気持ちなんてわかりたくない。
だけど、あるかないかで問われれば、答えはYesだ。
「……ミアは1回コトノを殺しかけてる」
「――――ほーう!?それは一体どういう経緯で!?痴情のもつれか!?金銭関係か!?それとも親のかた」
「出会ったばかりのところを不意打ちで」
『医者』の動きがピタリと止まる。
「……ちなみに、コトノのほうから何かやらかしたり?」
「別に何も。死体が何かに使えるみたい。コトノがだーいすきな『魔人』のミアは、コトノを殺そうとしたゴミクズだってこと。よかったね」
女は目をパチパチとさせて、考えの読めない瞳で、こちらをじっと見つめてきた。
玩具を見せられた子供を思わせる目だった。
「――――ミアはこの中」
数秒の沈黙の後、女がそっと側の扉を指差した。
綺麗に閉じられた扉だった。
つい先程通ったはずの廊下で、一度は中を確認したはずで、その証拠に周りの扉は全て蹴り壊してあるのに、何故か綺麗に見逃してある扉が、ぽつりとその場に残っている。
不自然だ。理解はできない。そんなことどうでもいい。
こうしてる間にも時間は刻一刻と過ぎていて、何よりこれ以上一秒でも『医者』の側にいたくないから、逃げるように飛びつくように扉に手をかけて。
瞬間後ろから、くく、と掠れ声が――――
「くく。ふふは。はっはっは。あひゃはああああははっはっはっっははっっっっっっは!!ひひっ!!!ふふふふふははははっははっははっははっはっは!!!」
扉を閉めると笑い声は消えた。
不自然に、突然に、ぷつりと消えてなくなった。
気色が悪くて、吐き気がして、ぐっちゃぐっちゃに掻き回されたような滲んだ視界。
その中心、部屋の真ん中のベッドにて、猫の少女がすぅすぅと眠っていた。




