21話:やさしい2日目のしあわせな終わり
少しの時間が経過して、外では日もすっかり沈み込んでしまったらしく、暗く染まった窓枠の代わりに部屋を覆っているのは、床のランプが照らし出す優しい暖色。
詩音の隣の『魔人』の少女は、涙ぐみながらも、膝上で抱いた子猫を優しく撫でていた。
「――大丈夫?」
「…………うん」
こくりと頷くアルラの啼泣も今ではだいぶ鎮まっていて、時々すんと鼻を鳴らすくらいに回復していた。
詩音の隣、おんなじベッドに座ってこちらに肩をよせてきている彼女のその表情は、十分前に比べればだいぶ落ち着いたものである。
「……そっか、よかった」
心から湧き上がる安堵と共に、詩音はほっと胸を撫で下ろし、息をついた。
なんというか、本当に久しぶりにやってきた平穏である。
思い返してみれば当然かもしれない。街に帰ってすぐ魔草に襲われ、間もなく魔草の群れに突っ込んで、命からがら帰ってきたと思ったらアルラが泣き出して、その間心安められるような暇は一切無かったのだから。
そんな激動の1日を顧み、ようしそれなら遠慮無く今この平穏を享受させて貰おうではないかと、あのとき抱いた子猫のもわもわした毛並みを再度堪能させて頂くべく、飼い主のアルラに声をかける。
……声をかける為、視線をさっと隣のアルラの方に向け――
――あ゛っ。
衝撃に、思わず身体が跳ねた。
そう、冷静になって研ぎ澄まされた詩音のIQは1800。
スパコン並にインフレした知性は瞳の端にアルラを捉えた瞬間、自身が置かれている状況の本当の意味を反射的に理解した。
視線の先には、アルラの横顔。
すっかり日の沈んだ時間帯、ここ数日ずっと優しくしてくれた美少女と二人きり。
それも一つのベッドに腰掛けて隣り合わせ、アルラは何故かこちらに身体を寄せているときた。
――あー、あ゛ー……!!
つまりつまるはつまるところ、答えは簡単で単純である。
かわいいのである。
――ひっぃ、負ける!!すぐ負ける絶対負ける!!!!無理無理無理無理!!思春期の糞ガキが耐えられるわけねえだろこんなの!!!
あまりの窮地に竦み上がる心根。
そう、今の今まですっかり頭から抜け落ちていたが、別にアルラとの心理戦は終わりを迎えたわけではない。墜ちれば即刻世界滅亡、なけなしの自制心だけが拠り所の絶望的シーソーゲームは未だ続行中なのである。
全速力でアルラから視線を逸らし天井を眺め、木目を眺めて現実逃避を図る。
――心頭滅却心頭滅却心頭滅却!!!!うん無理!!!!
数瞬で限界を悟った。
一度目にした天使の如き横顔がどれだけ経っても脳随から離れないもうだめだ。こんなしょうもない劣情で世界は滅びるのだ。
――そもそもアルラはなんでこう毎回毎回距離が近いんだよ無自覚なの!??そんなことしちゃダメだろ!!??ダメだよな!??俺間違ってな……
「あなたの為に、何かをさせて」
突然割り込んだ少女の声に、思考の波は静まりかえった。
「…………ん?」
声のほうに目をやると、少女は子猫をじっと見つめて、人差し指でそっと耳のほうを触っていた。
可愛らしい仕草だけれど、妙に神妙な表情をしていることの方が気に掛かった。
「……何かって?」
「なんでもいいの。私が役に立てることなんて、なんにもないかもしれないけど」
「――――そん」
「コトノは気にしないだろうけど」
遮られた。
「何度も何度も助けてくれて、いろんなものを貰ってるのに」
「…………」
「私はあなたに迷惑しかかけてなくて」
「…………」
「これからどんな顔して会ったらいいか、わからなくなりそうなの」
「…………」
「……だから、お願い」
そう言った後、アルラは再び押し黙って、子猫の顎を触っていた。
小さいものだけど、確かな意志が込められていた声。
「…………………………なるほどなぁ」
またもや罪悪感が湧き上がってくる。
詩音が『かわいいぞどうする!??』なんて脳が半分腐ってないと出てこなさそうな世迷言を思ってた間、アルラがずっと頭を悩ませていたのが、たった今言われたこれだ。
なんだか凄く申し訳ない気分になってくる。
両肩に重みを感じながら、詩音は1つ、溜息をつく。
「……じゃあ抱かせてもらっても?」
「え」
「私めは先程の感触が忘れられない次第です。いいだろ?別に減るもんじゃないんだし」
「………………あ、はい」
あれ?と詩音の脳内に浮かぶ疑問符。
アルラが見せた歯切れの悪いぎくしゃくした返答。全く予想の外である。てっきり2つ返事でOKされるものだと思っていたのだが。
「あー、や、嫌ならいいんだけど」
「……いやじゃ、ない」
微かな呟きを残し、少女は不自然に視線を逸らして紫色の横髪を弄る。
とても元気いっぱい100%の肯定とは捉えられない。
『うーわ、無理強いさせたよな今……』という罪悪感と、『でもここまで嫌がるか普通……?』という不服を抱えつつ、納得がいかないままに、「じゃあ遠慮無く……?」と、疑問形のまま手を伸ばす。
その小さな身体をそっと引き寄せて、抱いた。
「――――あ」
「……おぉ。おぉぉおおおお……!!」
するとどうだろう。
柔らかな感触に高めの体温。指先からそっと背中に触るとそこを微かに捩っていて、そんな敏感な反応が愛らしい。
何を隠そうこの志無崎詩音、猫に触るのは今日が初めてなのである。
「おぉぉおぉぉ……!!……小っさいな!!小っさいなお前!!」
「………………」
アホな感想しか出てこないままに、わしゃわしゃ毛並みをわしゃわしゃする。
かわいい。アルラとはまた違った方向性でかわいい。
ほぅ……!!テメエ中々やるじゃねえか……!!みたいな戦慄を覚えるくらいにかわいい。
アニマルセラピーというやつなのだろうか、心労がポンと吹っ飛んでいく麻薬の様な感覚に酔っぱらって従って、わしゃわしゃと何度も何度も撫で回す。
にもかかわらず彼の子猫はなんの抵抗もせずにゴロゴロ喉奥を鳴らしていて、野生生物としてどうなんだお前……と思ったりもするが、そんな人懐っこいところも可愛らしい。
が、しかし。
そうしてその子猫をずっと見つめている内に、みゃあ、と子猫が柔らかに鳴いた。
「…………おぉ。」
「……………」
何故だか、本当に理不尽な話なのだが、突然やるせない気持ちが湧き上がってきた。
粘っこいその感情の正体は一切合切見当がつかないが、凄く嫌な気分になって、子猫を撫でても収まらない気持ち悪い感覚が身を包む。
急遽生まれた胸の内の暗雲を気のせいだと振り払うように、隣のアルラに、
「――――子猫ってなんて名前……ッッッ!!??」
顔を横に向けると、アルラがもの凄く至近距離にいた。
「…………」
詩音と子猫に視線を交互させているその様子には、なにやら虚ろな雰囲気が漂っている。
「――――!??そこまで嫌なもんなの!!?ごめんな気が利かなくって!!!?」
「……………………あ、えっと、ううん、そうよね、うん、勘違いだったわごめんなさい。そのまま抱いてあげてて」
アルラは数度首を振って、何やら呟きながらではあったが、徐々に正気に戻っていった。
が、そこから距離をとったりせず、鼻先が触れそうな近間のまま、再び詩音に向き直る。
「――それで、何かして欲しいことない?」
「……今現在子猫抱かせてもらってるわけなんだけど、それ以外で?」
「それ以外で」
じっと詩音の目を見つめてくる。とても真剣な表情で。
黙って考えて、数秒の思案の後。
「……子猫の名前を教えてもらったり?」
「………………どうして?」
「……気になるから?」
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ランプの光が微かにたゆらっている。
「それでね!そうなると困ったことがもう一つ出てくるんだけど、何だかわかるかしら??」
「んんん……?……ってか娯楽が少ないってことしかヒントねえじゃん……!」
「正解は服屋ね!どこにいっても機能性優先の服ばっかりで、デザインを気にする店が一切無いの、この街」
「…………んー、まあ言いたいことは分かるけどさ。元々魔物狩りの為の街なんだしそれ言ってても仕方ないだろ?」
「……今着てるこの服ね、私が縫ったの」
「――――!??天才かお前!???」
アルラはふふんと胸を張っていた。
あれからいろんな話をした。
猫の名前から始まって、猫を飼うのはどんな感じだとか、詩音の地元がどんなところかとか、アルラがあまり自分ではお菓子を作らないことだとか。
言えないところは適当に誤魔化してしまったけれど、それ以外は何も考えずに気が赴くままただ喋った。くだらなくて他愛なくて、きっとあまり役にはたたない、なんてことない世間話をたくさんした。子猫の名前はシーナというらしい。
「え!??マジで!?ミシンとかあったりすんの!?」
「……えっと、そのミシン?っていうのが何かは知らないけれど、手縫いよ、ほら。」
「――――うっわマジだ微妙に縫い目が……ってことは布と糸と針だけでこれ!??天才か!???」
「――――!……う~っ……もっと褒めて!」
完全に調子を取り戻したらしいアルラは、気力の超回復とでも言うべきか、逆に今までで一番快活な様子を見せ始めていて、そこに少しばかりの可笑しさを感じ取っている自分がいる。
会話の流れにさらわれてすぐさま消え去ってしまう、ほんとうに子細な情動であるが。
「いや、割と本気で金取れそうな気がする。こっち本業にした方がいいんじゃねえの?」
「……どうかしら。この街ほどじゃなくてもここ1年は魔物の対処で国中血気だってるみたいだし、こういう嗜好品はあんまり……」
「――あぁ。……うーわ、もったいないな、こんな上手くできてんのに」
「……!!……そうなの、これすごい自信作なの!特にここの袖のところがね、立体感を出すために生地の素材を――――」
自身の腕を指していた少女の声が、唐突に止まった。
電池が切れるように、徐々に手が降りていく。
「……どうした?」
「……やっぱり私、何もできてないじゃない」
アルラは床に目を落とした。
隣に座っている少女は、悲哀を感じさせる様子で肩を落としている。
「――気にしすぎだって」
「………………そうかしら」
「まあ、感謝されるのは正直悪い気しないけど、そういうのに一々貸し借り勘定してる奴なんていねえよ絶対。ありがとーの一言があったら上々なくらいだって、こういうのは」
「……そういうものなの?」
「そういうもんだろ」
「…………うぅ」
詩音の言の後、アルラは少し躊躇う素振りを見せた。
子猫がランプの炎を覗き込んでいる。
おそらくは数度それを口にするか悩んで、数秒して、口を開く。
「…………これから、コトノとの付き合いが気まずくなるのが……それが、凄く怖いの」
耳に触れる、絞り出すような呟き声――――
「……だからこれからも、今日みたいに、ずっと一緒に、」
「――ごめん」
「――――え?」
アルラが呆けてこちらを見る。
「……俺、やらなきゃいけないことがあるんだ」
「それって、俺にしかできないことで……凄く、すごく危ないことでさ」
「……だから、そんな長いこと、この街にはいられない」
言った。
言わなければいけないことだけど、言ってしまった。
「…………そう、なんだ」
少女は再び床に視線を落とす。
ちらりと見えたその瞳が、僅かに揺れているような気がする。
小さな声が、小さな部屋の中、ほんの僅かに反響している。
アルラに内通者をやってもらうのは、やめだ。
とてもじゃないが巻き込めない。
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明日、アルラは魔物に食べられる。
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裏切り者が作りだした地獄の中、目を背けたくなるほど残酷に、吐き気がするほど凄惨に、最悪最低の末路を辿ることになる。




