20話:一簣を欠いて、2日目⑩
死んでしまいそうだった。
声さえ出せない混乱の真っ只中、必要無いのに足音を忍ばせる詩音。
声も出さずに俯いて、詩音の袖を引っ張って歩く、『魔人』の姿に戻ったアルラ。
少女のもう片腕に抱かれた子猫がミィと小さく鳴いている。
沈黙が支配するいたたまれない空気の中、2人と1匹の強行軍がゆく。
「………………」
「……………………うぁ」
「……ミャ」
子猫の呑気な鳴き声とアルラがぐずった声とが重なっている。
――……ヤバいッッ!!!どうすりゃいいんだこの状況!!!?
今にも心臓が止まりそうである。
おそらく死因は心労によるショック死。現実を受け止めきれない豆腐なメンタルが今にも崩れてしまいそうなのだ。
******
現在、ニーナと別れてから50分ほどが経過した今。実は事態はおおよそ収集がついている。
詩音とアルラ、最後の逃げ残り2人が怪草が生える範囲外にまで逃げ切れた瞬間に死者の総数はゼロで確定。怪草事件は平和極まりない終わりを迎えたのである。
……なんて言うと簡単に聞こえるかもしれないが、実際のところは労基に駆け込めば勝訴確定の超過密スケジュール。色々あったで済ませられないほど色々あった。
20メートルクラスの化物が割拠する危険な街中にわざわざアルラが残った理由が『飼ってる子猫がいなくなっちゃった』だと言われた時には思わず『……!???ペットの為に命かけるか普通!??』なんて言いそうになったし、軽く聞いた特徴を基に直前に視た光景と照らし合わせた結果、怪草がひしめきあう中央通りの役場、小さな檻に入れられていたあの猫だと判明した時にはかなりの絶望があった。
どうやら、たまたま逃げ出した猫がたまたま即日に保護され、偶然その日に怪草が暴れ出し、偶然猫の保護場所に最も魔草が多かったという最悪最低の巡り合わせが起こったらしい。あまりの不運ぶりに吐きそうだった。
そして場所が分かっても事態は好転することなく、というかアルラを待たせておく安全地帯が街のド真ん中に存在するはずなく、始まったのは難度カンストの護衛クエスト。
『ビル程サイズを誇る怪草が百近く揃って破壊を尽くして瓦礫が雨のように降り注ぐ中、アルラと共に行って子猫を回収して帰ってくる』という曲芸をこなす羽目になった。
怪草が振り回すツタに当たれば胴が千切れる。魔草は時間経過で新たに芽を出して増加。アルラはブルーカラーに慣れてはいない様子で、帰りは子猫が1匹追加。『叡智』の使用は当然禁止。己のフィジカルはクソ雑魚ナメクジ。レタスの内側にくっついてる尺取り虫レベルである。
率直に言おう。クソである。
難易度調整がどこかでバグったとしか思えない、紛う事なきクソゲーがそこにはあったのだ。
頑張った。
なんか運良くなんとかなった。
そしてそれは、今にして思えばまだまだ幸せな時間であった。
脱出劇の最後の方には暴れる巨大草の数も許容範囲を超えて、追い詰められた詩音が打って出たのはアルラと子猫を抱えて突っ走るという脳筋戦法。高IQを生かした頭脳派なゴリ押しによりギリギリで安全圏まで抜け出すことができた。
当然やってくる酸素欠乏と筋肉痛。死にそうになりながらも抱えたアルラを放す。
……乱暴に放したつもりはなかったのだが、地に立たされた少女は、声も上げずに地面に力なくへたりこんでしまった。
そんな光景を見て、初め驚いた詩音だったが、少し考えて小さく笑った。
『ああ、ついさっきまであんな化物の群れの中で動き回ってたんだからそりゃあ怖いだろうし、ちょっとフリーズしまうのも無理ないだろうな』と。
そんな、振り返ってみれば酷く短絡的な考えに頷き、腕に抱えていた子猫を少女に向かって突き出して。
「ほら、大事な子なんだろ?これからはちゃんと目離さないようにしろよ?」
なんて風に、笑って言った。
「……………………ぁ」
「……え?」
小さな小さな掠れ声を皮切りに、アルラの『擬態』がするりと解けた。
『普通』な姿から、紫色一色、魔人の姿に戻った少女の瞳から大粒の涙が――――
******
そんなこんなで現在に至る。
散々に泣きはらした後、「ついてきて」と一言だけ言われて、理由も目的地も分からないけれど、とにかくアルラに引っ張られるままに歩いた数十分。
そう、今はすすり泣きながら歩ける程に回復したものの一時は涙を拭い続けることしかできなかった、詩音の言葉がきっかけでそうなった少女に連れられて歩いていた。
無論、そんな消耗したアルラを見てやってくるのは、途方もない桁の罪悪感。
――ヤバいヤバいヤバいヤバい!!!…………ヤバい?……ヤバい゛ッッ!!!
当然である。
一体どれが失言なのかはわからないが、詩音が泣かせたのである。
クソ雑魚ナメクジに少女を泣かせて平然とできる胆力は無い。
――ヤバい!!!ヤバ……あ゛あ゛あ゛!!最後のセリフが原因だぁ!!!よく考えたら『お前のせいで子猫が死にかけたぞ』ってふうにもとれるなぁ!!!偉そうになぁ!!やっちまったなお前ぇ!!
語彙の消失。特定された失言。先に立たない後悔の噴出。
自暴自棄な自己嫌悪が頭の中で暴れ回って、目が回ってふらつきそうなのを必死に堪え、なんとかかんとか歩を進める。
……目的地らしきところが見えてきたのは、そんな無声の絶叫の渦中であった。
街の外れ、怪草の出現範囲から大きく外れた端の端。人の気配など欠片もなく、木々がまばらに立ち並ぶ中。
小さな木小屋がぽつんと建っていた。
おそらくここがアルラの住居なのだろう――少女がドアを引くと、ギィと軋んだ音が耳を障った。
手を引かれて入った先、こざっぱりとした部屋がある。
小屋の半分を占めるその部屋は小さな窓と隣室へのドアがついていて、あとは空っぽの棚が一つとベッドが一つ。綺麗は綺麗なのだけれど、生活感をまるで感じない部屋だったことが彼女のイメージから少し外れていて、それが少しだけ意外だった。
無論、そんな些事に一々リアクションとっている余裕などありはしない。
アルラが子猫を床に放してベッドを指す――そんな動作の最中もずっと涙ぐんだ瞳がはっきりと見えているのである。
「すわって、まってて」
「……待ってくれ誤解だ。誤解、OK?なんていうか、そう、むしろペットなんてって思っちゃったのは俺のほうで、ああぁ今もそう思ってるわけじゃないんだけどとにかく別に悪意があって言ったことじゃないっていうか、その」
「おねがい」
「はい!!!!!!」
アルラは目端を拭いながら隣の部屋に入っていった。
見送ってから数瞬の硬直。後味の悪いどろどろな感情が脳随を浸し、かといってこの状況に明確な解決法を出せるわけもなく、結局、アルラに言われた通りにベッドの上に腰を下ろすしかなかった。
手の平に触れる布地のすれる音と柔らかな弾力が新鮮だ。放された子猫が部屋の中をうろついて目を引き、そこらを嗅いで回って忙しがない。
そして何より、それら全てがどうでもよくなってくる、深くて色濃い絶望感。
死刑を待つ囚人の気分である。
――やべえよやべえよ……!!ガチ泣きだよどうすんだよ……!!
そう、この志無崎詩音は、出会って2日の自分に優しくしてくれていたアルラに無遠慮な言葉を浴びせて泣かせた漢の中の漢。大罪人である。
『あぁー!!泣かせた!!』『泣かせた泣かせた!!』『なーかっせた!!なーかっせた!!』なんて心の中の小学生が合唱を始めている。
『あーあーあー!!うるさいうるさいうるさい!!そんなの俺の知ったことじゃねえんだよバーカ!!』が小学生的な模範解答なのだろうが、残念ながら詩音はそれをできる年齢ではない。
だから、ショート寸前キャパオーバーの脳味噌を無理矢理回して考える。
――どうする!?どうする!?どうするも何も謝るしかないんだよ馬鹿がよぉ問題はその謝り方なんだよ馬鹿!!……どうする!??
――そうだ菓子折!!やらかした時には菓子折もって頭下げにいくもんだって聞いたことあるぞ!!アルラ甘いもん好きだって言ってたし完璧じゃん!!天才か俺!?
――あああ!!!そんなの用意する時間どこにあるんだよ馬鹿!!『あっ用事思い出したから帰りますねー』って今日のところは引き下がるってか馬鹿ぁ!!
――土下座!?……アリだな!!涙でも流して惨めったらしく媚びへつらえば多分余裕で押し切れる!!何しろこの場合は相手が相手だ、優しいアルラの優しさに自然につけ込める!!色々割り切って考えれば勝率は高いぞやったぁ!!…………最低か!??
――ああああぁ!!じゃあどうすんだよ!!!一体何をすればこの状況を……ッッ!!!?
――……………………いや、まて。
――…………………指?
真っ赤な結論に辿り付こうとした瞬間。
二の腕を縦になぞる形で、不意に鋭い痛みが走った。
「痛っっ!!?」
思わず強張る四肢。目を剥きそうな激痛に思考が弾けて、半ば反射的に視線を向ける。
……と、そっちには、いつの間にか戻っていたアルラが、隣に座っていた。
彼女は知らぬ間に詩音の手首を掴んでいて、もう片方の手で詩音の腕に触っていた。
少女の指の腹がやけに優しげな手つきで腕をなぞっていき、先程の怪草からの逃避行で付けられた傷――――手首から肘までぱっくりと割れた裂傷を、乳白色の軟膏のようなものが埋めていく。
そんな光景を、傷口に触れられる痛みに喘ぎそうになりながら、情報を飲み込みきれずにただ見ていた。
「…………これは?」
「――――塗り薬、良く効く、いいやつだから、」
「…………えっと」
途切れ途切れの要領を得ない返答に言葉に詰まっている間も、少女は手を止める素振りを見せない。
何度か綺麗な指を這わせて、傷が大体クリームに覆われたところで、今度は真っ白な包帯を取り出してきた。
「て、そのまま、あげてて」
言われたとおりに体を動かす。
少女が動かす柔らかな布地が己の手首にかかっていく様子を、ただ、目で追いかけるしかない。
一巻き。くるりと白色が通り過ぎる。
二巻き。くるりと白色が通り過ぎる。
三巻き。くるりと白色が通り過ぎ――――その動きが、途中で止まった。
詩音の腕を見ていた少女の顔がさらに傾いて、隠れる表情。
「――アルラ?」
包帯を手にもったまま固まる少女は応えない。
腕を掴んだまま固まって声をかけてもじっと押し黙る少女の姿というは何故か既視感のあるもので、それを見ている詩音の心に困惑の感詩音の腕にぽつりと涙が落ちた。
「――――――!??」
「死んじゃったかと、思ったの」
一度は収まったはずの涙をこぼしながら、必死に声を押し殺して、少女は声も出さずに大泣きしていた。
「ごめっ、ごめんなさいっ、私が引き止めたせいでっ、私を庇ってっ、こんな、こんなひどい怪我っ」
「――――あー……」
この愚鈍なる志無崎詩音はそんな涙に塗れた台詞を向けられて、そこまで言われて、ようやく正確に事の次第を理解することができた。
つまり。
――いや結局泣いてんの俺の所為じゃん!!
結局のところ、そういうことなのである。
己の腕を掴んだままぽろぽろ涙を零す少女を前に、罪悪感と焦燥感が次々沸いてきて、今の今にも致死量に達しそうである。
「あああっと、よーし、落ち着こう落ち着けよ落ち着いて話し合おう」
「……うぁ」
「よーく状況を思い出せよ?無理言ってついてったのは俺の方で、アルラはそれを止めようとした側だっただろ?道中含めて累計5回、『危ないからー』『私のことだからー』って言ってな?ここまではいいよな?」
「…………あぁぁっ、」
「で、自分で首突っ込んでおいて怪我してそれも後遺症は残らない程度ときた。自業自得っていうか、一人で道で転んだみたいなもんだろこんなの。アルラのせいになんかしたら名誉毀損で裁判起こせるぞ?」
「うああっ、あああぁああぁ………!」
「――――だからさ、ほら、泣くなって……」
窓から差し込んでくる真っ赤な夕焼けも薄まり、徐々に夜の薄暗さを取り戻しつつある、そんな部屋の中での出来事である。




