17話:2日目④
ジジジジジジッ!!と蟲の羽音にも似た鳴き声を口内で響かせる巨大な怪草。
食中植物をそのまま肥大化させたような外見で、全長はぱっと見だが30メートルはある魔物。長いツタを触手のように振り回して暴れ回っている。
地中から突如生えだしたらしきそれは、軽々と詩音達の馬車を咥え上げて育ち、1秒とかからず上空髙くまで引き上げていた。
つまり、現在詩音達を支えている馬車が存在するこの場もまたはるか上空。マンション10階ほどの高度で不安定に傾き揺さぶられる床面。
ずっと下、蜘蛛の子を散らすかのように逃げていく地上の人々が、まるで豆粒かのように小さく見えることに戦慄する。避難が速いのは素晴らしいのだが、それはそれだ。
戦きながらも、馬車から身を乗り出してその魔物の全貌を確認してさらに戦いて、詩音は叫ぶ。
「――街中でこんなの生えるほどバイオレンスだったりする異世界……!?」
「――違う!!!聞いた事もない!!こんなの!!」
切羽詰まって短く言葉を吐くニーナ。
傾く馬車から放り出されないようしがみついているその様子からして、心理的な余裕はゼロまで削られているようだ。が、錯乱して落下死を選ばない程度の理性は保っている。
そして前方――――詩音達の席からは仕切りがあって直接場見えない操縦席――――へと耳を傾けてみると、馬車の運転手、ギルド専属の御者の人も無事。
……悲鳴の一つもあげず沈黙しているところは気になるが、座席を握りしめる両の手の微かだが力強い音からして意識はある。怪我も一切ないようだ。
というか馬まで一緒に引き上げられているらしい。軽く錯乱しているらしく無意味に脚をじたばたさせる風切り音が聞こえてくる。
つまり、奇跡的なことに、突如地中から現れた魔物の強襲による人的(馬を含めて)被害は今のところ全くのゼロであった。
あくまで『今のところは』、だが。
――いや、こっからどう無傷で降りるかってのが本題なんだけどな……?
状況は最悪である。
ギシギジギシギジギシギヂ!!と床、天井、壁、外側からの圧力によりそこらじゅうが軋んで奏でる不協和音。
前述のとおり、詩音達がいるのは魔物の口の中である。
「――コ、コトノッ、なんかギシギシいってる!!」
「――――いってるなぁ……」
「これ潰されてるよね!?」
「潰されてるっぽいなぁ……」
「諦めてる!?死ぬのボク達!?」
答えは否。諦めてはない。
諦めてはいないのだが、これ以上なく萎えている。
現状の良心的な点。
魔物の『口』はハエトリグサの『口』をそのまま大きくしたような、二つの板を重ね合わせるような形態をとっていた。それ故、馬車が挟まれつっかえになっている今、実はここからの脱出自体はそう難しいことじゃない。
非良心的な点。
詩音達がいるのは馬車の中。馬車があるのは地上30メートルにある怪草の口の中。脱出ること自体は容易いが、その逃避行のオチは飛び降り自殺であるということ。
あとは、この魔物の挟み込む力は結構強力らしく、馬車が粉砕する寸前であること。
焼けるような音も混ざってきている。この魔物は口内に酸を分泌するらしく、それが馬車の崩壊をより早いものに後押しするだろうこと。
植物を模しているとはいえこいつは魔物。生半可な対応策では即座に反撃されるだろうこと。
街中である為、万が一にも『叡智』が使えないこと。
どう考えても釣り合わないプラスとマイナスに目眩がする。
――やってらんねえよ……!なんでいきなりこんなの生えてくるんだ理不尽だろ『黒樹』も知らない内に復活してきたしどいつもこいつもさぁ……!
つまるところ、IQ1300の頭脳により導き出された超高度な計算式による結論は『うっわ面倒臭えぇ……』。
激萎えなのである。
傾いた馬車から放り出されそうになる体をこの場に繋ぎ止めている、柵を掴んでいる右手もそろそろ疲れて痛くなってきた。
落ちに落ちて最低ランクまで辿り付いたテンションをひっさげニーナに返答する。
「いや、別に死なないと思うけどさぁ……」
「――けどって……!……どうにかできるなら今すぐお願い迅速に!!ここを乗り超える以上に大事なコトってあるの!?」
「……筋肉痛がさぁ」
「――頑張れ!!そういうのも命あってこそのものだよ頑張れ!」
「……はーい」
ニーナのド正論に完敗し、詩音は下を覗いた。
豆粒ほどの大きさの人影が行き交う、ずっと離れた地上を見据える。
よかった。この怪草の近くにいた人々はすでに散って逃げていった後らしい。
まあ、今も巨大なツタを振り回しているこの怪草と、それが生み出した半径十数メートルの破壊痕……半壊した街並みを目にして呑気に野次馬やってる奴がいるとは思えないのだが、それでも細心の注意を払って逃げ遅れがいないかを確かめる。
「――――コトノ?どうしたの急に黙って……」
「や、ちゃんと働くって」
確認終了。
右手を放して軽く地を蹴った。
その行為が意味するところは、馬車から身を投げ出し、なんの支えもない大空へと一歩踏み出す跳躍である。
当然始まる、命綱無しの三十メートル自由落下。
「――――ッッッッ!!!??言ってないっ!!!!ボク死ねとは言ってないっっ!!!!」
既に頭上の馬車から響く絶叫が相対的に上へと上へと上がっていくのを聞きながらも視線は下に。
自身がどうしようもない落下の中にあることを再認識し、『――いや待てよ!?コンクリートじゃないなら受け身取れば死なないのでは!?』という天啓を得、0.1秒後に『――あっ無理…!思ってたより結構速い……!!そもそも石畳だし……!!』と死期を悟る。
そんな無意味な思考の間にも、無情な大地は無慈悲に近づいてくる。
「……やめときゃよか――あ゛あ゛ッ!!!」
後悔の言葉は無理矢理に差し止められた。
ジジッ、と耳障りな鳴き声が一つ。
馬車を咥えている、詩音の落下の間も側に聳え立っていた怪草。その『口』と『根っこ』を繋いでいる『茎』から飛び出した棘が三つ、落下の途中にある詩音の胴を貫き、五臓六腑をまき散らしたのだ。
地上に鮮やかな血の雨が降る。
……正確には、数瞬後には確実にそうなる棘の軌道が予見できたので、体を捻って空中で躱した。
――よっっしゃ助かった!!危ねぇ!!馬鹿でよかったほんと!!
期待通りだ。
先程から観察していた怪草の特徴として、その行動全部が大雑把というのがあった。
馬車を咥えた時点で勢いよくヘドバンしてやれば詩音達はミンチなっていただろうに、いつまでも噛みつぶすことに固執していたり、ひとけは既に失せているのに依然ツタを振り回していたり。
推して計るに、この魔物の行動原理は非常に単純。『目に付くもの全部ぶっ壊してぶっ殺す』みたいな、短絡的で、単細胞で、機械的なモノだ。
それも、ほっとけば落下死する詩音にわざわざ攻撃してしまうほど無差別に。
――躱せば足場だ!
棘の一つを掴んで引っ張り思い切り蹴り飛ばす。
詩音<<<怪草という重量の関係上、それで動かされるのは詩音の方。
軌道の向きは45度。着地の先は怪草の茎。しっかりとした植物の硬さを足裏で感じ取る。
無論、垂直に聳える草の柱に横から足を付けたところで焼け石に水。軌道が少し変わっただけで落下は依然続いているし、高度も少し落ちただけの25メーター。
そしてそれでいい。こんな上空で足を止めてもさっきの棘が無限にとんでくるだけだ。
ジ、ジ!!という魔物の叫び声。棘の刺突が起こり始めるのと全くの同時。
「せー、ぇ、のっ!!」
全身全霊の脚力をもって駆け落ちる。
詩音の胴程もある蔓が幾重にも束ねられた『茎』を踏みしめた力の向きは下方向。
重力に逆らわず同調し、詩音の身体を地表に向かってさらに加速させた。
一瞬前まで詩音が踏んでいた箇所で飛び出る棘が、一瞬前まで詩音がいた場所を突き抜けていく。
それを確認するまでもなく2歩目、3歩目を踏み出してさらなる加速を。
落下の軌道は緩い螺旋。単調な移動に適応され棘の攻撃を『置かれ』ないようにする為と、こちらの攻撃の箇所を偏らせないようにする為だ。
そんな訳で、落下しながらナイフを振るう。
「――――っと!」
ジザザザキジギジジリギギギザギジギザザ!!
怪草の鳴き声、避けきれない棘とナイフの衝突音、詩音の斬撃。大小高低入り交じった単音が折り重なって奏でる稚拙なメロディーがこだまする。
避けて躱して切って駆けて落ちて切って駆けて防ぐ。
めまぐるしい刹那の楽曲は、数秒と経たずして、詩音の着地を合図として鳴り止んだ。
「ジ……。………………ジ?」
残ったのは1つ目、その意味を断末魔へと変えた小さな鳴き声のみ。
無数の斬撃で瀕死に追い込まれた怪草の『口』がゆっくりと下がっていく。
一瞬で一切の力を抜いてやれば口内の馬車だけは自由落下で破壊できるだろうに、怪草『倒れない』という最も本能的な欲求だけを機械的に追い求め、安易な転倒を決して許さず、ゆっくりと、ゆっくりと倒れていく。
だから『口』が咥えた馬車の落下も欠伸が出るほど緩慢なもの。
これ以上なく脆い人間でも十分な余裕をもって耐えられる程に、ゆったりと落下していく。
……さて、詩音の方について考えよう。
着地。そう、問題は着地なのである。
30メートルからの自由落下をさらに道中で勢いづけた超過速度。加えて頭からの接地。
肉体強度は一般中学生。それも全身に重度筋肉痛を携えた病院送り5分前状態。
『肉体は弱くても前世で鍛えてた体術があるんだぜぇ~?』的な要素もない。チートに頼りきりの2、3年に成長の余地などありはしない。
つまるところ志無崎詩音は数多のデバフをかけられただけの一般人。『普通』を大きく下回ったクソ雑魚ナメクジである。
Q。一般人が三十メートルから落とされたらどうなるだろうか。
A。死ぬ。
が。
それは正しいのだが、そうはならない。
よく考えて欲しい。肝心なのは場所なのだ。
怪草の茎を辿っての落下。その茎は地面の根と繋がっている。そして、闇雲に振り回され破壊をまき散らしている無数のツタも同一の根から生えだしたモノ。
これらの情報を統合して得られる結論。詩音の落下先にあるのは頑強な茎が寄り集まって作られた天然の緩衝材ということになる!!
ならば速度は問題ではない!!
適当なクッションの上、適切な受け身さえとれるならば、一般人でも十分に対処可能!!
無傷での着地を阻むモノなど何一つ存在しないのだ!!
嘘である。
無傷は無理。
「――う゛あ゛あ゛あ゛あああああ゛っ……!!!あ゛あ゛あ゛っ……ぃいいいあ゛あ゛あ゛ぁぁぁ……!!」
茎のクッションの上で身もだえする男が一人。志無崎詩音その人である。
着地の衝撃に全身の骨と筋肉と関節と腰が滅茶苦茶に苦痛の信号を送りつけてきている。
単刀直入にすごくいたい。めちゃくちゃいたい。もうだめだなにもかもおしまいだ。いまなら悟りでも開けそうだこれが後にいう三十メートル落下教の始まりである覚えておくように。
めちゃくちゃいたい。
「……あぁ……ぅぅぅう……!!――――ぅ、折れてないよな……?どこも……?……良かった……………………良くねえよ良くねえんだよ何処がいいんだよそれ以上適当なこと言ってみろぶちのめすからな痛ってえええ……!!」
あまりの苦痛に錯乱状態に陥るのは生物学上仕方ないことといえる。
IQがすごくたくさんあって賢いから生物学を知っているのだ。すごいだろう。
いたい。
…………痛みが落ち着いてきた。
「――ふぅぅ……ッッッッッッなんで!???」
落ち着く暇もなかった。
寝ていた茎と背中との接地点から生まれた棘。高速で伸びて0距離から背中を刺しそうになった気配を直前で感じ取り跳ね起きる。
15の棘を躱して1をナイフで重心のところで受け、膨大な運動エネルギーをモロに受けて吹っ飛んだ。
「汚ったねぇなクソッ!!」
文句を言いつつも受ける体勢によって軌道は寸前に調整済み。
緩やかな落下途中にある馬車と上空ですれ違い、天井の端を掴んでニーナとの合流を果たした。
どうやら遠目で見るところによると、落下途中の斬撃で死んだのは一つの茎とその先の『口』のみ。死んだと思い込んでいたその他の茎から総攻撃を受けたらしい。
「――――不意打ちってズルくね!?」
「――何がなんだか!!ボクには!!状況が!!一切として!!」
馬車の中へと入り込むと、ニーナは未だ必死に床にしがみついていた。
「あぁー……魔物の茎をこう……上手く切りこんで……」
「見てなかったわけじゃないんだよ見てたのに脳が理解を拒むんだよ前々から怪しかったけどコトノほんとに人間なの!??」
「…………ぇ?いや人間だけど……どういう流れで俺罵倒されてんの……!?」
「――――まあいいや助かったんだよねありがとバンザーイ!!」
ヤケクソな歓声の数瞬後、ずずん、と着地の重たい振動が車内に走る。
腐心の甲斐あってか着地の衝撃は爪の先くらいの僅かなもので、馬車は若干軋んでいるがその機能を一切として損なっていない。
馬も怪我なく着地できたようで行儀良く御者の指示を待っていた。
多少の興奮状態ではあるものの一瞬前まで宙づりにされていたとは思えない名馬ぶりである。偉い。凄い。にんじんあげたい。
だったらこんな怪草の側、長居は無用だ。
幸いなことに詩音への不意打ちの後、何故かピクリとも動かなくなっている怪草。今なら簡単にこの地獄から離脱することが――――
「…………ん?」
そう、馬は行儀良くその場に留まって一歩も動かず、手綱を握る御者の指示をじっと待っている。
つまり、一刻も早く避難したいこの緊急事態に、御者からの指示が途絶えているということだ。
「――あの!?大丈夫ですか!?」
「――――ッハイ!???」
疑問形の抑揚を持った肯定文。
御者がいる前方――詩音達の席からは見ることができない操縦席から返ってきた、妙にうわずった言葉であった。
あくまで反響音からの推測ではあるが、9割8部無傷のはずである。
「……今すぐ出発してもらってもいいですか!?」
「――――ハイ!????ハイ!!!!!」
「ほら後ろのほう!!あの草の魔物なんか新しい『頭』生やしてます!!」
「――――ッッッッッ!???!???・」
「死んでません多分すぐ治って暴れ始めます!!この距離じゃあなたも俺らも全員コナゴナに――」
「――――はっ、はいぃッッ!!!!今すぐ出まぁすッッ!!!!」
生命を感じさせる力強さで御者が手綱を引き、馬がそれに応えて全速力で地を蹴った。
ずっと後方で横たわっている草の魔物が凄い勢いで小さくなっていくのを見て、詩音はようやく大きな溜息を吐く。
激動の一分間だった。
「――なんだったんだ今の……?……なあニーナ、2度目になるけどこれはこの世界でも異常事態なんだよな…………?」
「うん。黒樹の後に街に魔物が入り込むっての自体聞いたことない」
「……ほんとだな?正直俺この世界怖くなってきたんだけど……」
「聞いた事ない。ちなみに3度目」
3度目ともなると信じざるを得ない。
そうなるとますます『今のなんだったんだ……?』感が強まってくるのだが、まあ、ひとまずこれで安全地帯へと逃げ込むことはできた。
あとは、本当に逃げ遅れがいないのかの最終確認に『叡智』をつかうかどうかが悩みどころに……
高速で移動する馬車の中から覗く真横にぶっとんでいく背景の中、一つの人影が目に触れた。
「――――――!?」
「コトノ……!?」
息を切らして街を走っていたのは見知った少女。
アルラだった。




