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15話:2日目②


 アアアアア゛!!!と耳をつんざく咆哮と共に、眼前の大黒熊が地を蹴った刹那、辺りの草原が一度に爆ぜる。

 小さなクレーターを生み出すほどの加速は大黒熊の巨体を考えても過剰なものだったようで、結果、人間の動体視力なんて大きく越えた速度を生み出した。


 下手すれば詩音(おのれ)の十倍はありそうな巨体が、さしずめ砲弾のように一直線に迫ってくる。

 迫っているはずなのに、自分の眼孔はそれを一切として捉えることができない。

 そんな速さで迫ってくる。


 ――ノロマが。


 ()()()()()()


 眼はついていけなくとも意識は追いつく。

 意識が追いつけば思考は回る。

 思考が回せるのなら、速度による問題は視覚のほんの一部分が利かなくなるだけのことだ。


 そして、動体視力とはあくまでも『眼筋がピントを合わせられる』肉体的限界。

 例え速度が限界(それ)を越えたとしても、瞼を閉じない限り視神経は情報を取り込み続けている。

 ぼやけた映像(ビジョン)から現実(リアル)を予測できるだけの余裕があるならば、速度はなんの足枷にもならない。


 事実、詩音の視覚の中では、高速の一直線な軌道の中にいる大熊の様子が、空に止まっているかのように鮮明に映し出されていた。


 ――お前の、お前のせいで……ッ!!


 血液が沸騰しそうになる激情を腹の内で留めて研ぎ澄ます。

 大熊が着弾し詩音の肉を砕くであろう時間までおよそ0.08秒。


 原動力(ガソリン)となるのは洗練された『マナ』。

 昨日のようにただまき散らすのではない。理不尽に友人を奪われた、己の身に余る『怒り』を静かな『殺意』に昇華し、より攻撃的な形を作り出せ。


「ア゛!」

「…………」


 眠ってしまいそうなほど緩やかに進む時間の中、絶叫しながら迫る宙の大熊の眉間に、そっと静かに狙いを定め。

 一度に放つ。


「……深縹(こきはなだ)!!」


 刹那、顕現したのは、黒みがかった蒼い炎の槍。

 暴力性そのものを取り出したカタチの巨大な炎熱が、高速で飛来する大熊をさらに数十倍の迅さで迎え撃つ!!


「アア゛!!!」


 詩音の『魔法』は叫ぶ大熊を、いとも容易く飲み込んだ。

 ……それは、あの少女の仇のものと考えれば、あまりにも、あまりに呆気ない末路で。








 何度でも言うが、お察しの通りである。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「――や」


 っぱかよ死ぬッッ!!と声に出す暇も無く、ドッッッ!!!と体にとんでもない衝撃が走った。


「う゛ッぇっ!!!!!」


 誰にでも想像できる結末。

 一直線に跳んできた大熊に普通にぶつかって、普通に轢かれた。


「ぁぁあ゛あ゛あ゛あッ!!!」

「アアアアア゛ア゛ッ!!!」


 結果、二つの影がふわりと宙を舞う。


 わぁ飛んでる――!!としか言い表せない浮遊感。

 大熊と一緒になって吹っ飛ばされる20メーターの低空空中旅行。辺りの景色がぶっ飛んでいく様子をただ眺める。


 数秒後、重力に引かれ、ズザザァァァァァ!!と土煙を上げて二人揃って地面に転がった。


「……………………」

「………………」


 大熊。詩音。

 どちらも一つとして声はあげず、訪れる静寂。


 じわぁ、と染み出した血液が地面に広がっていくが、大小合わせた二つの肉体はピクリとも動かず、ただ赤色に沈みゆく。


 静かだ。

 咆哮が響きわたっていた先程までが、まるで夢だったかのように、静かだ。


「……………………………………………………」

「…………………………………………」

「――――コ、コトノ……?」


 否。

 詩音の偽名を呟き、その場の静寂を乱すものが一人だけ。


「………………………………」

「………………………………」

「――え?嘘だよね……?」


 ニーナだ。

 呆然と、一歩ずつ近づく彼女が雑草を踏みしめる乾いた音。それだけが草原に響く。

 おぼつかない足取りで一歩ずつ近づく音が、不規則に鳴る。


 そうして血の海の側へと辿り着いて、ニーナは少年の顔を覗き込んだ。


「…………!!……し、死ん」

「――――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!なんで毎度毎度こうなるんだおかしいだろッッ!!!!」

「うわぁ生きてた!!!」


 生きてるに決まってる。

 詩音(じぶん)が死んだら世界が滅ぶのだ。こんなギャグみたいな死に方してたまるか。


 一度叫んで落ち着いて、うっわ痛くて死ぬ……!!、と思いながらも、なんとか膝を曲げて立ち上がる。

 血で濡れた服が気持ち悪い。感染症とか大丈夫なのだろうか。

 懸念と嫌悪感からうめき声を漏らして血を拭う。


「えっと……なんで生きてるのか聞いてみてもいい?」

「あー、着地の時受け身とったんだよ」

「じゃなくて、今大熊(こいつ)に跳ね飛ばされたよね?」

「……ん?……それも同じで、手で受けて衝突時間をできるだけ長くして衝撃を殺した」

「…………うん?」

「『ぶつかる』ってより『押される』に近くなるように――ってか見てただろ?」


 大熊との邂逅、『魔法』での迎撃、失敗、衝突、着地。

 全てが全てニーナの目の前で行われたことだ。


 というか「ボクもコトノの戦ってくるところ見てみたいな~」とか馬鹿みたいな提案したのはニーナの方ではないか……とか思ったり思わなかったりするのだが、肝心の少女は疑問符と困惑を表情に貼り付けたまま固まっている。


「……その血は?」

「ぶつかった時ついでに刺した。ぱっと見弱くだけど再生してたっぽいから喉奥(きゅうしょ)を5回ほど抉って……魔物の血って触っても大丈夫か知ってる?ヤバいよな?」


 詩音の問に、ニーナはなぜかぎこちない動きで大熊の方に眼を向け、うわほんとだこいつの血だぁ……、とドン引きで息を漏らす。


 その言葉にさっと引いていく血の気。

 やっぱりヤバいのか。『病死』の2文字が浮かんで揺らぐ。


 しかし、硬直から立ち直った少女は軽く首を振り、


「…………まあいっか。()()なのは元から分かってたんだし」

「いやよくねえよ!?」

「それよりさ」


 と、詩音の言を遮り、ニーナは視線をまた余所に――地平線の先まで続いている、うっそうと広がる草原のほうへと逸らす。


 つられて詩音もそちらを向くと、そこにあるのはやはりなんの変哲もないありふれた草原。

 敢えて特徴を挙げるとするならば、先程詩音が放った蒼黒炎があたり一面にまき散らされ、草木に灯ってたゆらっているところだろうか。

 ニーナはその、足下の蒼黒炎を軽く撫でる。


「……これって魔法だよね?こんな挙動のは見たことないけど、撃つ直前に出てた光がまんま炎魔法のそれだし」

「…………!!」

「あっ、触るとほんのりあったかい。……新種の魔法?」

「…………違いますぅー!!普通に下手糞な炎魔法ですぅー!!」


 そう、1日経っても成長はゼロ。魔法は昨日と同じく安心安全の黒炎のままである。


 あえて変わったところを挙げるならば、炎から黒色が若干抜けたところと、ほんのりとだが温かくなったところ、燃えやすいものになら普通の炎のように灯すことができるようになったところだろうか。

 そして、そんな些細すぎる変化で殺傷能力が生まれるわけもなく、詩音の魔法は未だつかいものにならない。志無崎詩音はクソ雑魚である。


 しかし、それでも『医者(しどういん)』の指導のおかげか、20回に1回ならば正常な炎魔法を発現させるまでには仕上がった。

 それを受け詩音の脳裏に走ったのは、『ここまできたなら後は気合いでなんとかなるのでは……!?』という脳筋極まりない根性論。


 そこから先はご覧のとおりだ。

 アルラの仇という暴論を組み立て、魔物に偽りの怒りを燃やし、真正面から魔法を打ち込み、普通に轢かれた現在に至る。


「――学習能力がないのか俺……?」


 死にそうである。

 骨は折れないように衝撃は散らしたものの、サイズと速度は自動車との正面衝突を越える。普通に痛い。

 というかこれまでの後遺症が貯まりに貯まって、何もしなくても体の節々が痛いのだ。車に轢かれたのが誤差になるほど進行していた老人化に脅威を覚えざるを得ない。


 ――ってか俺が体張ること多すぎだよな……!?なんで子供(ガキ)身体能力(フィジカル)してるのに肉体労働ばっかり組み込んでるんだ俺……!?もっとこう頭脳派らしく……こう、軍師的な立ち位置で……スマートにどうにかさぁ……!!


 悲痛な悩みと共に少し考えてみるが、何も思いつかないので本作戦の続行は揺らがない。

 絶望とまではいかないが限りなく億劫である。やっぱり死にそう。


 と、そんな事を考えている内に、さぁ、と緩い風が草原を撫で、一面の蒼黒炎が一度にかき消えた。


「あぁ……消えちゃった……」


 知らぬ間に蒼黒炎を手に乗せて遊んでいたニーナが溜息をつく。

 曲がりなりにも攻撃のつもりで放った炎で遊ばれてたのに若干傷つく詩音のメンタル。異世界チーターは繊細なのである。


「――ん?」


 と、そこでようやく()()()に気がついた。


「――さっき結構詳しそうだったけど、魔法って何か知ってんの?」

「…………あー……うん、知ってるよ。えっと、意識的にマナを整えて単純な『叡智』を再現するのが魔法……でしょ?」

「――マジで?」


 意外も意外である。

 だって昨日のアルラの言では、ここ異世界でも魔法はかなりマイナーな技術であるはずだ。

 魔法を行使できる人はかなり希少という話だったのに、ニーナは魔法(それ)をまるで目の前で見たかのように話している。


 これは一体――


「候補生達の訓練項目の一つだよ、魔法は。一般には秘密にしてるらしいけど。ボクは一番優等生だったから基礎的なヤツなら全部使える」

「――マジで!?」

「マジです。本当です」


 とニーナが自慢気に胸を張った時、遠くから聞こえてくる重たい足音。


 アアアアアア゛!!!という、聞き覚えのある絶叫の方を見てみると、先程のとはまた別の大熊がこちらに向かって走ってきている。

 どうやら詩音が大袈裟にまき散らした蒼黒炎が、辺りの黒大熊を引き寄せているらしい。


「あー二体目か、こんな時に」

「――ちょうどいいか、みてて」


 ニーナは迫り来る黒熊を指さし、凝視し、「ふぅっ、」と一瞬小さく呼吸を止め、集中する。

 そうして、「赤色」と口の中で小さく呟いた。

 顕現したのはその通りの『赤色』……サイズは小さいものの、詩音のと違って完全な火球。


 火球は真っ直ぐ大熊へと飛び、正確にその鼻頭へと命中する。

 分厚い毛皮に弾かれ大熊の歩みは止まらないままだが、その歪んだ表情からしてしっかりと"火"としての性質を再現できているようだ。


「――マジで!??」


 完璧に魔法を使いこなしているニーナを甚大なる敗北感をもって仰ぎ見る――


「――――!!」


 ――と、件の少女は、迫り来る大熊を見て息を呑んでいた。

 その瞳から読み取れるのは、迫り来る、回避できない危機に対する緊張感。


 ――あ、こっから先の引き出しはないのな!?


 ので、大熊が地を蹴る直前、ニーナを体で押しつつ身を逸らし、二人の体を跳躍の予測軌道上から外し、


「アアアアアア゛ッッ!!!」

「ッ、と!!」


 ギリギリの躱し際にナイフを振るう。

 脳随を抉られ一瞬で絶命した魔物が高速で通り過ぎていくのを、風を感じながらも二人して見送る。


 ずっと遠くで上がる土煙を見て浅く息を吐くニーナの面立ちから感じられるのは、恐怖に晒された後の疲労感。


「……ありがと」

「……今からでも馬車のところ戻った方がいいと思うぞ」

「いや、大丈夫」


 感謝の言葉にも否定の言葉にも覇気がない。

 アルラの時と違って身を隠す場所がないのは彼女にとっての災難なのだろうが、ここまで露骨に恐怖心を抱くのはこれまでのイメージからして正直意外だった。


 そんなにびびるなら初めから安全なところで待っていればいいのにと思わないこともないが、とはいえ魔法だ。ここで問題となるのは魔法なのだ。


「……ほんとに上手いな、俺1回もあんな綺麗に仕上げれたことないぞ」

「…………!!……そうでしょすごいでしょ!!」

「――!?」

「魔法の中でも炎魔法が一番得意だからね、下手なヤツの『叡智』よりも威力は上だよ、多分魔物も"D"くらいなら一撃だと思う!!どう!?すごいでしょ!!」

「凄いんだろうけどいきなりどうしたお前!?」


 一瞬でテンションが回復して、さらに三段階くらい上がった。瞳の輝度も途端に明朗としたものに変わる。

 なんだこいつ……!と一瞬おののく詩音だったが、続く言葉にその感情は消え失せた。


「ボクは最初からそこそこ上手く魔法を扱えたけど、向こうでの指導内容はどんな初歩的なものも一通り頭に入れてある……!!『叡智』の制御方法とか、魔物の生態とか、魔法の訓練についても例外なくね……!!」

「…………!!」

「つまり!!この国最先端の魔法技術をたたき込まれたボクは、指導者としても最高水準に位置するだろうこと!!この意味が分かる!?」

「――――ッッ!!!!」


 走る戦慄。


 詩音に現在こなさなければならない課題の一つ、『魔法』の修得。

 彼女の言が本当であるならば、降って湧いたにしてはこれ以上ない申し出である。

 詩音には既にあの『医者』が指導者として付いてくれているものの、多方面からの指導が損に働くことはあるまいだろうし、現在行き詰まりに陥っているのは1つの事実。


 裏切り者達の技術を取り入れることになるのは忌々しいが、何しろ天秤にかけられているのは世界そのものである。

 迷う理由はない。


「教えてくれるってことだよな……!?」

「……教えて欲しい?」

「……めっちゃ教えて欲しい」


 詩音の言葉に、うんうん、と深々しくニーナは頷いて。


「じゃあ、人にモノを教わるときにはどんな態度が適切かなぁ……??」

「――――調子乗んなよぶっ飛ばすぞお前!!?この未熟な私めに先生のご指導ご鞭撻のほどをどうかよろしくお願いします!!!!このとおりです!!」


 ふぅぅ……!!いいだろう……!!と恍惚とした返答が返ってきた。


 なんだこいつ。


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