13話:1日目③
動揺の渦中にある詩音の頭に、ふと1つの疑問がよぎる。
「あー……大丈夫?」
「……?えっと、大丈夫って?」
「……ほら、昨日みたいになったらさ、危ないだろ?」
「………………ああ」
昨日。
通行人にぶつかった衝撃で『擬態』が解け、アルラがその『魔人』の姿を晒してしまった。
その時はなんとか誤魔化せたが、彼女の『叡智』はそんな少しの衝撃で解けてしまうほど不安定。ふとしたことがきっかけで同じことが起きるかもしれないし、対処を誤れば取り返しはつかない。
街中に突如現れた迫害対象がどうなるかは言うまでも無いのだから。
よく考えたらデートがどうとか言ってる場合じゃなかった。
だから、
「その、この街案内してくれるってのは嬉しいんだけど、わざわざ人が多いとこに出てまで……」
と、途方もない正論を吐き出した、その途中。
ぎゅっ、と、柔らかな感触が右手を包む。
「――!?」
唐突に近づいてきたアルラに手を握られたのだ。
「……!?…………!??」
「……じゃあ、こうしててもいい?」
『魔人』の少女は頬をうっすら染めながら、軽くはにかむ。
「……この手、なんだかすごく安心するの……コトノがこうしててもいいって言ってくれるなら、きっと、大丈夫だと思うんだけど」
「――――!????――そっかぁ!」
我ながらヤケクソそのものな返答だが、それしか捻りだせなかった。
アルラが「……まっ、まずはこっちのほうからね」と、たどたどしく歩き出す。
気の利いた相槌を打つことなどできるわけもなく、先を行く手に引かれるままに、斜陽で紅くなった街の中に繰り出した。
******
無論、アルラさんのそんな行動を受け、自然に1つの感想を抱くことになるわけである。
――ひっ……!なんでアルラ色仕掛け仕掛けてくんの……!?全く身に覚えがないんだけども……!?
あまりの想定外に震えるしかなかった。
詩音の頭が墜とされる前、どうにかしてアルラの信用を勝ち取る。
これが困難な課題であるのは重々承知していたが、その『困難』というのはもっとこう、『ふと見せた少女の意外な一面に目を奪われて――』みたいな、あくまで詩音の愚かしさが原因の自滅という形をとると思っていた。
違った。めちゃくちゃ自主的に攻めてくる。
「あーん」
「――――!??」
例えばこの、今現在目の前に突き出されている銀色の匙である。
「ここはね、ティラミスがすっごくおいしいところなの」
アルラは、まるで聖母のような微笑みと共に、黒色と白色が乗ったスプーンの先を差し出している。
「――――!――!??」
わけがわからない。
彼女と自分は昨日あったばかり。
こういうイベントが起こるような関係性も動機も一切として無いはずだし、それが最大唯一の勝機だったのだ。
テニサー云々言ってた自分が言うのもなんだが、目的としていた『信用』というのはこういうベクトルのものではないはずだ。もっとこう『ちっ、仕方ねえな……!!テメエとなら世界を救うなんて馬鹿らしいのも悪くねえか……!!』みたいな熱い感じが目標値だった。
が、現実は違う。
「ほら、食べてみて」
「――――!?」
少女はこちらの目をじっと見つめながら、ティラミスが乗ったスプーンの先を軽く揺らしている。
処理能力を越えた光景に思わず硬直し、訪れる沈黙。――だが、
「……もしかして、甘いもの嫌いだったかしら」
「――――!!」
申し訳なさそうな、傷ついたような仕草に耐えきれずにそれを頬張る。ほろ苦い甘い味が口いっぱいに広がった。
おいしい?と問われ、頷きで返答すると、よかった……と返される。
ふぇ、とも、えへへ、とも取れる、漏れるような笑い声が耳に触れる。
何故か既視感のある展開だったが、破壊力が段違いだ。
――ひっ……負ける……!!勝てるわけねえだろこんなの……!!
心理戦が開始してから十数分。
戦況は巨象が蟻を踏み潰すが如く一方的だった。
詩音はアルラの籠絡手段になんの見当もついていないのに、アルラの行動は何故か正確無比に詩音を墜としにかかってくる。もしかしたら詩音が知らないだけでここ異世界ではこういう距離感が常識なのかもしれないが、そんなのなんの慰めにもならない戯れ言だ。志無崎詩音の感性は純日本産。異性との接触を挨拶のように流すイタリア精神は有していないのだから。
だから、詩音にはただ耐えることしかできない。アルラの情報を取り入れ戦略を練りつつ心を強く保つことしかできない。
そして耐える為に必要なのは、小娘如きに興味は無い我は我の道を行くのみよ!!と言い放てる強靱な精神力だ。
そんなものは無い。
「味はいいんだけど、ちょっと値が張るのが困りものよね」
おかまいなしとばかりに、追撃とばかりに、少女は苦笑しながら二口目を差し出してくる。
「――――――そうだな!!」
ヤケクソである。
勝てるわけがない。
******
2件目。
「ここはパンケーキがおいしいって有名なお店なんだけど、試してみて」
差し出される銀の匙。
なんか覚えのある甘い味に、ふんわりとした柔らかな感触が広がった。
アルラは、「……どう?」と、探るように、優しい目で詩音の様子を覗き込んでくる。
――ひっ……負ける!!絶対に負ける!!!
******
3件目。
「ここね、最近ジェラートを出し始めたの」
差し出される銀の匙。
冷たい甘味が舌の上でさらりと溶ける。
――負ける……ッ!!!
******
4件目。
「クレープはここのが一番好みなんだけど……どうかしら」
差し出される銀の匙。
――負け……?
******
5件目。
「ガトーショコラ」
――あっ意外と余裕だぞこれ!ワンパターンだなんか!!
差し出された銀のフォークを咥えるとやってくる甘味と視線――またアルラがじっとこっちを見つめてくる。
が、流石に慣れた。何度も繰り返した行為だ、死ぬほどの動悸はなくなった。余裕である。
それでも残った多少の恥ずかしさと一緒にチョコ味を飲み込み、「超うまい」と言うと「よかった」と返ってくる微笑。勿論、慣れたといってもかわいいのに変わりはないので、目を合わせた気恥ずかしさから視線を余所に逸らす。
赤い絵の具でも落としたような景色が、ずっと遠くまで広がっている。
ここは、急な坂をいくつも登った先にあった丘上のカフェテリア。街の中で一番高くにあるというアルラの言の通り、詩音達のテーブルからは夕焼けに染まった街並みを一望できる。
なのに詩音達以外に一人も客が見当たらないのは、行き来が不便極まりないであろうこの立地のせいなのだろうか。
静かに燃えるような情景に『綺麗だなー』という感想が自然と湧き、そんな感想を抱いた己に『小学生並みの感受性だなこいつ……』と感じながら、詩音の分のバケットを一切れ口に放り込む。
アルラの方に眼を戻すと、残りのガトーショコラの一片を心底幸せそうに口に運んでいたところだったが、詩音の視線が戻っていたことに気がついたようで照れ笑いに変わる。そんな彼女の仕草も夕陽に赤く染められていた。かわいい。
「……甘いもんが好きだったり?」
「うん!ここには毎日通ってるわね、味もいいし、ひとも少ないし」
「へぇ――――ちょっと待てここには……!?」
「残り2食は今日回ったところから気分で決めてるの。あぁ、今日は休みだったけど、ショートケーキがおいしいお店も知ってるのよ」
「………………おおぅなるほど」
「――――どうしたの?」
しばらく適当に会話を続けている内、詩音はある考えに辿り着く。
アルラの今までの行動がこの世界の常識的な距離感だとするならば、今の詩音の対応はこの世界基準では超絶ドライなものになっているのではないだろうか。詩音もアルラに倣ったほうが失礼がないのではないだろうか――そんな考えだ。
ないな、と首を横に振る。
一瞬迷ったが、想像するだけで羞恥に悶えそうなのと、男がバケットでそれやったら絵面が底抜けに間抜けになりそうなのでやめにしておく。IQ600相当の賢明な判断である。
2切れ目のバケットを口に入れ、かみしめた。
――そんな、なんでもないタイミングで、唐突に、前触れ無く。
「――――1、2年前まで、魔物がたくさん現れてた時期が続いてたでしょ?」
「………………」
ほんの一瞬だが、呼吸が止まった。
「………………あー、そうだな」
『黒樹』のことだ。
「ここ、国境近くにあるってこともあって、外からやってきた魔物が一番初めに暴れ回ったところなの。王都への避難指示はすぐに出されたけど、それまでの侵攻で街は滅茶苦茶に壊された。『叡智』が見つかったのは魔物騒ぎが収まってからのことだし、生身で魔物に勝てるわけないし、まあそうなるわよね」
アルラは眼下に広がる街並みに視線を移す。
赤い景色を見下ろしながらも、原稿でも読むかのように平坦に少女は話す。
「ここは使えなくなった古い街の側に、平和になってから新しく作り直した街。魔物の残党がこの辺りに一番多いから、それを狩る人が拠点にするところ」
彼女は本当に淡々としていた。
「集まってくるのは命をかけてまで魔物を殺したい人ばっかり。魔物を恨んでたり、正義感だったり、そうしないと生きていくだけのお金を稼げなかったり。娯楽にお金を使う人は少数派ね。街並みもそういう需要に合わせて作られてる」
アルラがどういうつもりでそれを話しているのか、わからない。無表情の裏に隠れた彼女の真意が詩音には見当を付けることもできなかった。
黙って話を聞いていた。
「だから、回って楽しいところなんてほんの少しのしかないの。今日、私が案内できるところはここでおしまい」
そう言って、アルラは机に突っ伏した。
人気のないカフェテリアの中では、アルラ一人が口を閉ざすだけで、しん、とした静寂が訪れる。
地平線すれすれにかかった今にも消えそうな光の線が、詩音とアルラ、2つの影を真横に伸ばした。
本当に、息をするのも憚られるほどに、静かだ。
「はじめてなの」
静寂を崩さない、呟く様な声。
「『魔人』の私を受け入れてくれる人も、こんな風に一緒にいてくれる人も、普通に話してくれる人も。多分これから先もずっと、貴方以外にはいないと思う」
少女はテーブルに突っ伏したまま、視線をこちらに向けた。
「…………ね、教えて?コトノは私に何をして欲しいの?私はきみに何をできるの?」
静かで落ち着いた、探るような声だった。
「私にはこんなことしか思いつかなかったから、貴方の口から教えてほしい」
夜だ。太陽が空から姿を消した。
西の空はまだ朱色を保っているが、反対側から黒みがかった青色が広がってきている。
アルラは黙ったまま、じっとこちらを見つめ続けていた。
「…………………………」
少しだけ言葉に悩んだ後、少しだけ低くなった体温を自覚して、口を開く。
「……なんでもいいって言うなら、変なこと考えすぎないでほしい」
詩音が言葉を紡ぐ間も、アルラは黙ってこちらを見ていた。
「ちょっと喋っただけで"してくれる"ってなる関係って、イカレてるんだってさ。頼むから普通にしててくれ」
死にたくなってくるんだ、という最後の一言は、喉の奥にとどめて飲み込んだ。
メンヘラチーターほど危険なものなどいないだろうし、我ながら英断であろう。これはIQ700くらいに届くのではないだろうか。1000の大台も遠くはあるまい。
己を心中で褒め称えながら、3つ目のバケットを口に含む。
なんだか味が薄くなったような、そんな気がした。
「――今日は付き合ってくれてありがとう」
おもむろにアルラが席を立つ。
少女はどこか自失の気がある読めない面立ちで、カフェテリアの外へと歩き出した。
ああ、何か彼女の気に障ることを言ってしまったのだろうな、という諦めにも似た感情が詩音に浮かぶ。
――正確には、そう思う直前といったタイミングで、少女はこちらに振り返った。
まっすぐ、決意染みた意志を感じさせる瞳で、詩音のほうを見据えていた。
「――――コトノ」
アルラは、すぅ、と大きく一つ息を吸い。
「『炎纏暗駆』って名前、私っ、すっごくかっこわるいと思う!!」
「――――――へぇっ!?」
予想外の言葉に変な声が出た。
いや、ルーティーンになるから適当に付けとけという『医者』のアドバイスから2秒で適当に考えた魔法名なので別に文句があるわけではないのだが、別に全然気にしてなどいないわけなのだが、何もそこまで言われるほどのネーミングだとも――――
「『――嗚呼、終焉。最期の明星は未だ暗く』の方が絶対にかっこいいわ!!」
「――ッッッッ!??!?!??!?!?!?!?」
今日一番の衝撃が走る。
思わず言葉を失った。
――ッ!??!??冗談言っているんだよな!?
一縷の望みを残してアルラを窺うが、少女はどうだ見たかと言わんばかりに胸を張ってこちらを見据えている。
そしてこの、初めて見たレベルで意気揚々と輝いている瞳。
大真面目なようである。
――マジで!?短文!?うわ……っ!!……俺がおかしいの!?
詩音の動揺などいざ知らず、アルラはぇへへ、と笑い声を漏らす。
そうして、どこかさっぱりとしたような気がする笑顔を浮かべて、アルラはこちらに手を振った。
「じゃあね、コトノ、また明日」
あんな世迷言の後でも、やっぱり綺麗な笑顔だった。
頭の中を、あー負けそうだなぁ、とか、内通者なってくれくらい言っておけばよかったかな、とか、いや絶対『炎纏暗駆』のほうがマシだよな……?とか、いろんな種類の後悔が廻り。
それらが収まらないままに、手を振りかえした。
「――またな」
「うん!またね」
少女は何度も振り返りって手を振りながらも、少しずつ遠ざかっていって、姿が闇に融けて見えなくなるまで、手を振り続けていた。
そんな風にアルラを見送ったところで、1日目はおしまいだ。
辺りはすっかり暗くなっている。
******
2日後、アルラは魔物に食べられる。
まき散らされる血と肉片の雨の中、『魔人』の少女をグチャグチャと咀嚼する巨竜を、詩音はただ呆然と見上げることになる。




