10話:美人薄幸
ギルドから出た詩音は少女を連れたまま、少し離れた路地裏に入る。
なんとも運がいいことに、そこは人気が全く感じられない静かな路地裏だった。
土地勘ゼロな自分にしては良く見つけたな、と己を褒め称えてやりたいほど漂っている静閑な空気。人目を避けるにはこれ以上無い絶好の場所だろう。
「この辺でいいか」
右手を緩めると少し遅れて少女の手からも力が抜け、繋がれていた互いの手がほどけた。
「あ……」
と小さく声を上げた少女。
自由になった自分の左手をしばらく見つめてはいたが、被せられた上着の隙間から見える表情はやはり一切変わらないままだ。
それ以外は一言も口にしないまま、以前と同じくぼうっと立ち尽くしている。
――ふむ。
そんな彼女の様子を見て詩音は考える。
――さて問題です。俺は無事に帰れるのでしょうか?
冷静ぶっても無駄である。
ギルドの中から引き続き、潰れたカエルのごとき瀕死のメンタルであった。死にそうだった。
……いや、この『魔人』少女のことだけを考えるなら、既に完全な安全圏まで逃げ切ったはずだろう。
『魔人』。
人の姿を模し、人に紛れ、世界に忌み嫌われてきた最悪の魔物。
そんな『魔人』にとっての『危機』とは1つ。人に姿を見られることだ。
人目に着いた『魔人』がどういう末路を辿ることになるかは嫌と言うほど聞かされてきたし、『魔人』そのまま受け入れられるケースは皆無と言っていいほど珍しい。
大抵は死ぬ。殺される。
事実、少女も『叡智』で容姿を偽っていた。――だからこそ、人目につかない場所にまで逃げた今、少女がいくら『魔人』の姿を晒したとしても問題ないだろうし、彼女の姿を見られないよう尽くした詩音の対応も特に不味いところはなかったはずだ。
だけど、それを受け、少女が何を思うのかになってくると、詩音には一切想像がつかないのだ。
彼女の人となりを全く知らないというのもあるし、なにより他人が腹の内で何を考えているかなんて分かったものではない。それに関してだけは人一倍に実感している自信がある。
だから、今現在の詩音の恐怖は100%己の安全に集約されている。
未だ続く少女の沈黙に、
――こいつなんで黙ってるんだ……!?もしや何か疚しいところがあるのか……!?ここに来て裏切る気なんじゃないだろうな……!?
と戦々恐々する現在なのだった。
結局のところ、志無崎詩音はチートを持たされただけの一般人。普通に我が身が可愛いのであ……
「――――わたし」
「――!!」
『魔人』の少女が、こぼれるように言葉を漏らした。
さっきまでずっと黙っていた少女の突然の声に、思わず詩音の四肢が強ばる。
いきなりナイフ投げてくるとかないよな……!?と彼女の一挙手一投足を凝視し――
「わたし、『魔人』なの」
「…………あ?」
しかし、少女の絞りだした声は、掠れて、震えて、小さかった。
少女は頭に被せられていた服を下ろし、彼女を『魔人』たらしめる、その紫色の髪と瞳を晒す。
その瞬間、彼女の肌に細かな震えが走る。
「わたし、貴方にそれを隠しててっ、貴方を騙して仲間に取り入ろうとしてたの」
少女は今にも泣きそうになりながら、途切れ途切れに、必死に、言葉を紡いでいた。
彼女ははじめ『叡智』で自身の姿を変えて、『魔人』であることを隠していた。この世界の『魔人』への風当たりを考えれば当然の自己防衛だと思うが、彼女はそれを震えて語る。決して許されない罪であるように。
「なんで、なんで『魔人』の私なんかを…………いや、違うの、ごめっ、ごめんなさい……ごめんなさいっ、ごめんなさい!」
少女の眼からとうとう涙がこぼれた。
視線が揺れ、手が震え、声がどんどん大きくなって――
なので、
どん、と少女の頭に手刀をぶつけた。ごん、と小気味よい音がなる。
「――――!?」
少女の眼が白黒とし、パニックとは違う類いの混乱に包まれたようで、謝罪の声が止まる。
「……ごめん、なんとなく」
「……ぇ」
「いまのチョップと質問の答えが『なんとなく』な。いいだろなんとなくで、やること全部に理由考えてたら頭がおかしくなるって」
と、詩音はごくごく自然になんでもないように、少女を落ち着かせようと言葉を選ぶ。
喋っていることは大嘘だった。
『魔人』。
人の姿を模し、人に紛れ、世界に忌み嫌われてきた最悪の魔物――――そう言い伝えられてきた存在。
その正体は、生まれもった髪や瞳の色が少し周りと違っていただけの、ただの人だ。
魔物の一種だなんてなんの根拠もない話なのだ。『魔人』だなんて的外れにも程があるネーミングなのだ。
きっとこの少女はこれまでの人生、理不尽な迫害やいわれのない罵倒を受け続け、必死に人目を窺いながら生きてきたのだろう。
そんな中、不意に人に姿を見られてしまったら言葉が出てこなくなるのも当然だ。
自分はそんな『魔人』の事情を知っていて、その上で彼女を疑ってしまった――そんな、幼稚で醜い罪悪感に包まれながら、詩音は1つ1つ言葉を選ぶ。
「――――あ~、強いて言うならアレだな」
事情を馬鹿正直に話せば世界が滅ぶ。
そんな言い訳に身を任せ、
「『魔人』って言葉、なんか格好いいじゃん。それが理由」
そんな馬鹿げた理由を口にして誤魔化した。
人として恥ずかしい、恥知らずな振る舞いだなぁ、と思った。
一瞬少女は眼を丸くして呆然として、その言葉の意味を飲み込みきれなかったようだったが、
「――あははっ、何言ってるの」
けれど、小さくだけれど、軽く泣きながらだったけど、確かに笑った。
あはは、と呟くような微かな笑い声が耳に響く。
「『魔人』を助けて、理由が格好いいからって、変だよきみ」
「変はないだろ……!?」という詩音の返答に、またも小さく笑う少女。
そうして彼女は、しばらく俯いて涙を拭い、ゆっくりと顔を上げる。
「私の名前、アルラっていうの」
目端を擦りながら、僅かな微笑みを浮かべて少女は言った。
「…………これから、少しでもいいから、仲良くしてくれたら嬉しいな」
微かなものではあったけれど、自分に向けられていい物なのか分からないほど、綺麗な笑顔だった。
少女が笑っているのだからこの嘘は悪くなかったのでは――と思った後、これもやっぱり言い訳なのだろうと結論を出し、またもや罪悪感が湧いてきて死にたくなって、「マジで!?いいの!?」とできるだけ軽薄に言った。
薄っぺらい詩音には、そういう言葉が似合っている。
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3日後アルラは魔物に食べられ、それで本章は終わりを迎える。
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階段をのぼりきった詩音は、ギルド最上階のまばらな人混みをさっと見回す。
と、視界の端に見知った後ろ姿が映った。
「……………………いた!?え、マジで逃げなかったのお前!?」
「……コトノが逃げるなって言ったんでしょ?」
ニーナは意外にも、本当に意外にもその場から離れずに、平然と壁の依頼書を物色していた。
「あの子は?」
ニーナは壁から視線を動かさないまま、アルラの所在を尋ねてくる。
「帰った。……まあ少し不安だけど、だいぶ落ち着いてたし『叡智』も元通りにかけ直せてたし、一人で帰しても大丈夫だろ」
アルラの姿があの『普通』なものに変わっていく様子を思い出しながら答える。
ちなみに『叡智』は『擬態』だそうだ。予想の『変身』でほぼ間違ってはいなかったらしい。
「……へえ」
と、ニーナからひどく静かな返答が帰ってきた。
その様子から感じる違和感に詩音は首を捻り――――
「あ!!多分またアルラに会うと思うけど、何があっても絶対に刺すなよ!?イラってきたからって絶対刺すなよ!?」
「…………」
ニーナは数秒沈黙し、
「……ふ~~~ん、はーー、へぇ~~、なるほど~~、わかったよ、うん」
「……どうした?」
なんだか刺々しいお言葉を貰ったが、やっぱり情緒が不安定なのだろうか。




