9話:『杞憂』
『魔人』の少女の手を引いて歩く『コトノ』……つまり志無崎詩音は考える。
黙って手を引かれてついてくる少女をちらりと伺い見て、慎重に、冷静沈着に頭を回す。
その結論は案外簡単に、ほんの数秒で導き出すことができた。
――あれ……?今少女が裏切ったら俺死ぬんじゃね……?
間抜けな自分は、己の心臓に手がかかっていることにようやく気付いたのだ。
知らないうちに両足をつっこんでいた地獄――それをはじめて目にして、背筋が凍った。
状況を整理しよう。
ギルド内で討伐する魔物を選んでいたところ、謎の『普通』な少女にパーティを組まないかと提案される。
誘いを断ると残念そうに去っていく『普通』な少女。しかし不注意から通行人に激突した瞬間姿が『魔人』のものへと変わる。(これは『叡智』によるものだろう。『透明化』はブラフで『変身』あたりが彼女のスキルで『魔人』の姿を隠していた。それが不意の衝撃で解けてしまったと予測できる)
通行人がその『魔人』の姿を目撃。騒ぎを起こしそうだったのでグーパンチで気絶させる。
ここまではいい。
いや、グーパンは倫理的にヤバいとしかいえないのだが、他にどうしようもなかったから仕方ないだろクソが!!と逆ギレして誤魔化すことにする。
問題はこの後だ。
『魔人』の少女は姿を見られてパニックを起こしているようだった。それこそ『叡智』の使用はおろか言葉を発することもできないほどに重症だった。
ので、他の目撃者を防ぐため上着をかぶらせ、手を引いてギルドの外へと誘導中……というのが現在の状況である。
お気づきだろうか。
これらの行為から漂う犯罪臭に。
そう、この少女がパニックから立ち直り、『叡智』をかけなおして『普通』な姿へと戻ったうえで、『イヤァァァァァ!!この人変態ですッ!!』と叫んだ瞬間、志無崎詩音は性犯罪者と成る。
ギルドの大衆にリンチにされるのは詩音の方だ!
――ヤバい!!!!これはマジでヤバい死ぬ!!
動機ならいくらでも考えられる。
何も言わずに手を取ってきた見知らぬ男に対し『うわキッツ……』と思われればそれまでだし、『そういやこいつパーティ作るの断ってきたんだよなぁ……むかつくなぁ……ヨシ!!』となってもゲームオーバー。
そして最も最悪なことに、自分は"志無崎詩音"なのだ。
24時間でパーティーメンバー3人から2セットで計5回裏切られ1デス1ダウンを記録した『裏切られ』のプロフェッショナル。人徳の無さでは他の追随を許さないぶっちぎりな異世界系チーターだ。
ふとした行為が少女の不興を買っている可能性は十二分にあるし、それを汲み取るだけの情緒もきっと自分には備わっていない。この少女が何を考えて何を思っているのか自分の予測は全く信用できない。
つまるところ、このパニック自体が演技であり、0.1秒後に裏切られていたとしてもなんら不思議ではない。
――ああぁ畜生……ッ!!勝てるのかこの数に……!?
最上階から一つ降りる度、濃くなってくるギルドの中の人込みを伺い唾をのむ。
この『魔人』の少女に裏切られた場合、彼ら全てが敵となって襲いかかってくるというわけなのだが、彼らに対処するのは可能か、不可能か。
勝利だけを考えるなら楽勝だ。
例によって自身の『叡智』、異世界召喚者特有のチートスキルを一発適当にぶっ放すだけでいい。ギルド内の全員を0.1秒で無力化し、『っはぁ~~ッ!!これぽっちも本気だしてないのに無双しちまってるぜぇ~ッ!!困ったなぁ~~!!』とイキリの極地へと到達できることだろう。
楽しそうだが当然却下だ。例によって世界が滅ぶ。
ではチートを隠して実力勝負となればどうなるか。
ギルドにいるのは魔物を狩るのを仕事に選ぶようなバトルジャンキーたちで、それがどう見積もっても1000人はいる。全員が小銃クラスの『叡智』を持っているのがワンポイント。
対する志無崎詩音はノースキルの一般市民。全身重度の筋肉痛という状態異常が付与されているのがワンポイント。
それらを考慮に入れたうえでIQ320の思考力をフル回転させてみた結果、『何をどうやっても挽肉になって死ぬ』というひどく常識的な答えがやってきた。絶望である。
……いや、正確に言うなら詩音が死ぬことだけは絶対に無い。
チートが目撃されれば世界が滅ぶ確率はぐっと上がるとはいえ、チート持ちが死んだら100%滅ぶ。どうやっても死ぬと悟れば即刻チートで制圧を選ぶしそうする義務があるといってもいい。
しかし、性犯罪に対する彼らの迫害はきっと殺すところまではいかない。適当にリンチした後然るべき機関に引き渡される公算のほうがずっと高い。
そして、打撲、骨折、失明、半身不随で収まるならばチートを隠すメリットの方がはるかに大きくなるわけで、それくらいなら『叡智』を封じてボコられても致し方無いとなるわけで……
――きっつ……!!え、俺って後遺症抱えながら『黒樹』と戦うの!?冗談だろ!?
どちらにせよ絶望だ。
そして最も最悪なのが、自身が"詰めろ"に追い込まれたと自覚したのに、それへの対応策を一切練ることができないということだ。
少女のパニックが演技でない可能性だってないわけではない。
だとすれば言葉も出せない状態の彼女を放置して正常な対処を求めるというのも酷だろうし、もたついた結果『魔人』の姿を誰かに見られてしまったならリンチの標的は少女の方だ。
『魔人』に対する暴行は死ぬまで続くだろうことを考慮すれば、少女と繋いだ右手を離すことはできない。
……あるいはそれこそが狙いなのか。
『もしかすると』『ひょっとしたら』……そんな『可能性としての自分』を盾に使った、心理的で回避不可能な罠。
そうだとすれば詩音はもう、どうしようもないほど術中に陥っているといえるだろう。生殺与奪は完膚なきまでに彼女の手のひらの中だ。
「……ッ……!?………!!」
そうして明確な『死』を意識した結果、肝が冷えて、口が乾いて――――
「……ごめんなさい」
「…………ぇ」
なけなしの謝罪は一音節であしらわれた。
その『ぇ』は単純なパニックによる『ぇ』なのか、『……ああようやく気付いたの?まあもう遅いんだけどねぇ!せいぜい私の誘いをフッたことを後悔しながら半殺しにされるといいわ、アハハ!!』の『ぇ』なのか。
志無崎詩音には判断がつかない。
ただ、なんとなくだけど、最近起こった嫌な思い出がフラッシュバックしそうになった。
――誰か助けて!!
心中になんとか留めた悲鳴と一緒に、詩音はギルドの階段をゆっくりと降りる。
ギルドは広く、出口は遠い。
右手を握った少女の手に、少しだけ力がこもったような気がした。
――ッッッ!!キレてる!?助けて!!
数分後、何事も起こらずギルドを出た。
今日の異世界はすごく平和だった。喜ばしいことである。




