8話:なんて、そうなるはずだったのに
軽い騒がしさが薄く広がるギルドの最上階、ニーナとコトノに背を向けて歩き出したほんの数秒後、偶然近くを歩いていたの男に軽くぶつかった。
それだけだ。
それだけのことだ。
「…………っ、ぁっ」
たったそれだけのことなのに、声が震える。
『魔人』の少女にとっての『それ』は、『それだけ』と片付けることはとてもできない致命的なミスだった。
だって、衝突の瞬間から『叡智』による『擬態』が解けている。
今見られている自分の容姿は『普通』になるよう調整を重ねて取り繕ったものではない。
人目を避け、『叡智』に目覚めてからはそれを使い、今の今までなりふり構わず隠し続けてきた『魔人』の姿。
「……………………あぁぁっ……!」
『魔人』。人を模し、人に混じり、人に厄災をもたらすとされ、永く忌み嫌われてきた最悪の魔物。
軽蔑され、嫌悪され、排斥されるのが至極当然な自身の姿が、なんの誤魔化しも無しに大衆に晒されている。
この姿は目撃した者にどんな感情を引き起こしてどんな事態を招くことになるか――――考えるだけでとんでもなく気持ち悪くて、空恐ろしくて、意志に反して血液が全部凍ってしまったような悪寒が走る。
「おまっ……お前っ……」
ぶつかった通行人の男は眼を見開き、まっすぐに少女を見据えていた。
誰に言うでもなくうわごとを呟く様子を見るに今はまだ事態の急変に頭が追いついていないようだが、あと数秒もすれば正気を取り戻し正常な反応を見せることになるだろう。
――人に見つかった魔人がどういう道を辿ることになるか、私はよく知っている。
男の喉がぶるりと震え、小さくひとつ息を吸い。
直後。
「……っ、がぁああっ!!魔人っ、魔人だ!!!魔人がいるぞここだぁぁぁっっ!!!』
『…………ッ、あ……!!』
絶望的で、暴力的な絶叫が響き渡った。
あたりの人々の眼がぐるりと一点に向かう。
どろどろとした感情を目一杯に詰め込んだ重くて冷たい視線が、他でもない少女に集まった。
この紫一色の悪目立ちする頭髪は、遠目から見ている者にも少女が魔人であることをはっきりと示したことだろう。
『……まっ、まじっ』『あぁ!?』『魔人……っ!』
一瞬の動揺はあったものの彼らの行動は迅速だ。
この場の人間……コトノとニーナを除く、ギルド最上階にたむろしていた者達全員が少女を見るや否や一斉にこちらに動き出す。
妙な静けさを持った彼らは、誰が言い出すでもなく、自然と少女の逃げ道を塞ぐよう隙間なく取り囲んでいく。
『あぁあぁあぁ!!なんでこんなとこに魔人が入ってきてるんだ忌々しい!今まで誰も気付かなかったのか!?』
『いや違う、目の前でいきなり姿が変わった、人間に化けてたんだこいつは』
『ってことは『叡智』に殺傷能力はなさそうね……すり潰してやりましょう』
場の敵意と狂気と殺意が膨れ上がっていく。
『うあっ……ぅぁあ…………!』
頭がおかしくなりそうだ。
いつどこから誰が襲いかかってくるのか分からない状況に、動機が激しくなって目眩がする。瞳が揺らぐ。
どうにか、どうにかしなくては。
めちゃくちゃに掻き回された精神では、そんな具体性の欠片もない願望を垂れ流すことしかできない。
『ちがっ……わた、私っ、は……』
それでもなけなしの言い訳を紡ごうと口を開き――
じゅう、と背中で音が鳴った。
背後から飛ばされた火球が肌を焼いた音だ。
『――――――あ――ッ――!あ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!』
一瞬遅れてやってくる抵抗できるはずもない激痛に叫んで、転げ回って、波を食いしばって、ただ叫ぶ。
――もし、万が一にも生き残りたいなら、何が起こっても泣き叫んででもどうにか堪えて立ち続け、ここから逃げる手段を探し続けるべきだったのだろう。
しかし、そうとわかっていても、死にたくなくても、体中を跳ね回る理解を超えた激痛が無理矢理に少女を地に押さえつける。
痛い。とんでもなく痛い。形容しがたいほどに。
そして無論、それを彼らが見逃すはずもない。
どうしようもなく隙だらけな私に向かって、踏みつけにする靴裏と、熱を帯びた罵声が飛んでくる。
唯一幸運なことに、彼らは私をすぐ殺すつもりはないようだった。
『魔人』だろうと人間だろうと、ある程度痛みを与えれば『叡智』は使えない。
当然だ。忌々しい魔人をあっけなく殺さずに安全に嬲ることができるこの機会は彼らにとって貴重なものだというわけだろう。
『ごめんなさい……あ゛っ!……ごめっ……ごめんなさい!!』
だから少女は最後の抵抗として、人一人殺すのに十分な熱気を抱えた集団に踏みつけにされながらも、惨めにあえいで許しを請うのであった。
――なんて、そうなるはずだった。
そうならなければおかしい状況に少女はいたはずだった。
「……っ、が」『ぁああっ!!魔人っ、魔人だ!!!魔人がいるぞここだっっ!!!』
なんて風に、惨劇の引き金となるはずだった絶叫が放たれる直前。というかその途中。
「……っ、が……っ……!」
「……ぇ……?」
『魔人』の存在を周囲に知らしめるはずだった絶叫は、小さなうなり声として消えていった。
だらんと傾いていく男の身体に思わず呆けた声が出た。
何が起こったのかわからない。
しかし、ピクリとも動かなくなった力の抜けた様子から、この男が瞬き1つの間になんの抵抗もできずに意識を刈り取られたのだということだけは、なんとなくわかった。
「……ッッ!!う゛うっあ゛足が痛ぇぇ……!!13億の後遺症がぁぁ…………!!」
「……ぁ……ぇ……?」
目の前にコトノと呼ばれていた少年がいた。
ついさっきまで数メートル後ろに立っていたはずの彼がいつの間にか眼前に現れ悶えている。
その少年は気を失った通行人の襟のところを掴んで持っていた。
……ということは、男の意識を断ったのも彼ということになるのだろうか。
わけがわからない。
しっかり注意して見ていたわけではないし、瞬きの間の出来事だったので具体的なところは全くわからない。
が、どう考えても人間に許された動きじゃないだけことはわかる。仮に魔人であったとしても不可能な速度。
そんな彼は呑気に「う゛ぅぅ痛ってぇ…………!」と、足の痛みに唸っていた。
わけがわからなかった。
何も言えずに過ぎ去る数秒の後、少年がこちらを仰いだ。
「…………戻せるか?」
「……ぇ」
「『叡智』で姿を変えてたんだろ?多分『透明化』が嘘で『変身』?で透明になってたってとこだと思うけど、それをかけなおせるかってのを聞いてみたい。どうだ?」
わけがわからない。
『魔人』の姿を晒したはずの私になんでもないように話しかける彼が、なんであんな行動をとったのかがわからない。
何もわからなくて、心の整理が全くつかなくて、わけがわからなくて黙っていると、少年に彼の上着を頭からかぶせられた。視界が暗闇で染まる。
「ニーナ、万が一があるし適当に他人のフリして離れててくれ――あと、できれば逃げないで欲しい」
「……いいけど」
コトノとニーナの会話を聞きながら、かぶせられた上着をまさぐると、隙間が生まれて光が漏れる。
「そんなのしかないけど、ないよりマシだろ」
右手が差し出されていた。
わけがわからない。
だから、黙ってその手を取ると、少年はギルドの外に向かって歩き出した。
「堂々とな。こういうのは変にびくびくしてた方が目立つんだ――って誰かが言ってた気がする。……誰だっけ?」
首をかしげるコトノは、なんてことないように私の手を引いて歩く。
わけがわからないので、私も黙って足を進めた。




