13話:恩知らずたち
「ぶっころぉ!!!」
「……………………ッッ!」
憤怒の形相で地面を蹴り、加速するニーナ。
迫り来る姫衣装の少女を前にして、思わず詩音は目を閉じた。
暗闇が訪れる。
――なんでぇ……?どこで間違えたんだ……?
まずやってくるのは、完璧だった作戦が無残にも砕け散った絶望感。
確かに下劣で最低な言い訳だったが、まさか少女を刺しまくった殺人鬼にレディーファーストを説かれることになるとは思わなかったのである。
しかし数瞬の後に現実逃避から立ち直り、ニーナに中指立ててしまった事実を再確認して悲しくなり、げんなりしながら戦略を立て始める。
詩音が目を閉じた瞬間の、0.001秒前のニーナの姿を思い出した。
詩音に向かって駆けだした様子をじっくりと振り返り、掘り返し、これから彼女がどう動くかを予測して、未来予想図を組み立てていく。
――んん?
そんな最中、軽い違和感。
ニーナは今こそ全力で地面を踏み加速しているが、コンマ3秒くらい後に急激な減速の前動作に切り替わるのだ。
それに加えて手のひらをほんの少し緩める不自然な動きも見せ、重心もほんの僅かにブレがある。
――『投擲』ってことか…………?
自然に考えればそうなる。
ミアを刺したナイフ群。アレと同じ事を詩音にもしようとしているのだ。
隠していたという『叡智』の効能が『ナイフを創り出す』を内包するもので、開いた手の中にナイフを産み出し、投げ、詩音を刺し殺すという予測。
これはどうだろうか。
――うーん……?……ないな。単純すぎる。
しばらく考えた後の結論である。
どんな『叡智』持ちだろうと、馬鹿正直にナイフで襲いかかるのが最適手となる人間は間違い無く弱者側。
ニーナが見せていた自信を考えれば、もっと強力でどうしようもない『叡智』の可能性が高い。
これはブラフだ。
――つまり、投擲を予測させた俺を近づかせることが目的ってこと。とりあえずはこの距離をキープするのがベストか?
そこまでは分かった。
逆に言えば、手がかりはそれだけである。
一応これまで接してきてニーナから受けた印象を整理して、彼女がどんな『叡智』を持っていればどのような戦術をとってきそうか、その組み合わせを考えておく。
志無崎詩音は現在クソ雑魚ナメクジ。準備しすぎるということはないのである。
考え、考え、図書館の蔵書の総量くらいの文章量の思考を紡ぎ、最悪の場合チートの使用も考慮に入れ、対策を完璧に練り上げた。
結果、考えることがなくなった。
――あ~……どうしようか…………
暇になった詩音が次に気にするのは、裏切り者の処遇についてである。
詩音がしたのはあくまで応急処置。止血と血の充填のみ。
全身をナイフで刻まれた彼女は、雑菌とかが色々ヤバそうなので即刻病院送りは確定なのだが、問題は彼女の退院後の話である。
ミアがここで命を拾ったとしても、一度、王女に刺客を寄越された身となったのは変わらない。
多分、詩音と同じく命を狙われることになる。
遠く離れた地でじっとしていればそうそう見つかることはないだろうが、万が一を考えれば詩音の側にいるのが安全と言えるだろう。
が。
――しかし放置!!ここは放置だ!!裏切り者が近くにいるとか絶対にストレスで死ぬ!!
これだけは精神衛生上譲れない。
ハイハイ歩きの乳児じゃないのだ。
己の身を守るくらいは自己責任として押しつけてやろう。
裏切り者だし。
さて、そんな風にあれこれ考えている内に、終わりの時間はやってきた。
――さぁて、鬼が出るか蛇が出るか……
そうして詩音は無意識に閉じてしまった目を、0.2秒ぶりに開ける。
人間誰しも備える生理現象、まばたきを終えた。
薄く開いた目から光が差し込み、目の前の暗闇が取り払われ――
「す!!!!!」
「…………えぇ……?」
ニーナの振りかぶった手のひらには、ナイフが握られていた。
ないと断じたはずの光景。
初めの予想はブラフでも何でもなかったと言うわけだ。
――雑魚じゃねえか……!
ので、信じられない程のんびりしたニーナの動きに、信じられない程スローな肉体で対応する。
投げられたナイフを躱して懐に飛び込み、背後に投げようとした左手のナイフを払い落とす。
視界外だったので確認はできないが、足下で『現れた』らしきナイフを蹴り飛ばしてきた。
上体の動きから軌道を予測、空中で掴みとり、そこらに放り捨てながら拳を握る。
「ッッ!??」
「……マジで?」
ニーナの目が驚愕に満ちる。
詩音の誤算は一つだけだ。
ニーナのこの一連の攻撃の矛先は、詩音の太股、肩、ついでにミア。
詩音に向けたものに限って言えば、命どころか後遺症にまで配慮されつくした位置だった。
これほどキレていても、弱者ではあっても、『ぶっころす』とは言っても、結局ニーナは詩音に対しては一切の殺意を向けてこなかったのである。
優しくされるのは嬉しいが、やはり、彼女の気持ちが何ひとつ理解できない。
「っと」
ので、拳を振るった。
有無を言わさず顎を払って脳を揺らす。
人を安全に気絶させるのは得意なのである。
「ッ……ぁ」
顔から倒れそうになったニーナを慌てて支え、眠りゆく彼女に一つだけ。
「…………ごめんな?俺もちょっと下品だったと思う」
答えは返ってこなかった。
気絶したようである。
もたれかかるニーナ越しに、地面に倒れたミアが見える。
気を失っていることに変わりはないし、全身の傷も消えていないが、その猫の少女は確かに生きている。今すぐどこかの医療施設に連れて行けば、まず間違い無く命は助かるだろう。
つまり自分は成し遂げたのだ。
迫り来る恩人を打ち倒し、裏切り者を守り抜いたのである。
「………………はぁ。何やってんだろ俺」
少女二人が気を失い、自分一人が取り残された夜の森は、不自然に静かでどこか虚脱的。
だからゆったり落ち着いて、独り虚しく溜息をついた。