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Ex.白妙抄(後編)

 ランスと二人きりの日は、うまく話せなくなったり、近くにいると妙に緊張したりした。

 二人きりの時だけにうなじを見せてみたり、着替え中に部屋に入らせる状況をわざと作ったり、いろいろ試してみたが、ランスには全く効かなかった。

 それで、眠っている彼に口付けしたり、わざと身体をくっつけてみたり、目線を送ったり、あからさまな行動に出てみて、ようやく彼は察したようだった。

 でも彼は困ったような顔で、気づかないふりをした。


 婚姻が認められる年齢になった日、養父が仕事に出ているあいだを見計らって、私は昼寝しているランスの寝室に侵入した。

 そして馬乗りになって首を絞めた。

 正直、他にどうすればいいのか、わからなかったのだ。

 村には同い年の友だちなんていなかったし、どうすればいいのか誰も教えてくれなかったから。


 彼は驚いて私を押しのけようとした。殺しに来たと勘違いしたんだと思う。でも幼少から体術を会得している私に、力では勝てても技では勝てないとわかっていたのか、諦めの表情になった。

「殺したいほど嫌われてるとは思わなかった。それか、俺か家族が、アズサの家族を殺してた、とか?」

 この状況で落ち着いていられる彼は、やっぱり不気味だった。そして、その冷静さが理解できなくて惹かれてしまうのだった。

「違う。あなたは私をなんだと思ってるの」

「その返事によっては殺す感じ?」

「殺しに来たんじゃないわ」

「それで首を絞めようとするのは、おかしくね?」

 彼は白い歯を見せて笑った。

「何か話したいことがあるんなら、ふつうに話してくれよ」


 私は首から手を離した。

「あなたにとって、私は何?」

「家族? だけど?」

「わたしのこと、すき?」

 彼は顔を横に背けた。

「その、好きっていうのはmögenなのかliebenなのか、どっち?」

「liebenに決まってるでしょ。わたしはあなたのことがすき。気づいてたでしょ。わかってるのよ」

 彼は咳き込んだ。

「毎晩あなたのことばかり想うの。どうしていいかわからないから、こうしてるの」

「俺にどうしてほしいんだよ? とりあえず、そこから降りてくれ」

「嫌よ」


 彼の匂いが好きだった。ひだまりみたいな匂いがする。わたしはそれを嗅ぎたくて顔を近づけた。

「あ、あのさ」

 彼が何か言いかけたとき、家の外が騒がしくなった。

 私は素早く起き上がると、武器を身に着けて外の様子を伺った。

「侵入者かもしれないわ。ランスは物置に隠れていて」

「おいっ」

 私は彼を置いて外に出た。



 傷を負って倒れている村人から、侵入者は集団で、組織的行動に慣れている、相当の手練だと聞いた。

 武器を支給されている。たぶん軍だ。

 この村を見つけ出すとは。

 勝ち目はないかもしれないと思った私は、すぐに家に戻り、ランスを家の地下から繋がる通路に押し込んだ。

 彼の父(グレン)から預かっていた刀を押し付けて。

「この刀を持って、必ず生き延びて。王国にいるゴドフロアっていう人を頼って」

 王国の宰相が当てになるかはわからない。でも帝国軍が手を出してきたのなら、国内にいるとランスは危ないかもしれない。

「早く」

「お前はどうするんだよ!」

「いいから行って」

 振り向くと、そこには既に銃火器で武装した敵が迫っていた。

 ランスを安心させるために、私は笑った。

 もし軍が鮫を探しているのなら、この場で殺したりはしない。捕らえるはず。

 その証拠に、急所を避けて撃ってくる。

 私は時間を稼ぐため、できる限り避けた。

 でも数には勝てなくて、膝を折って、うつ伏せに倒れた。

 聞こえているかわからないけれど、ランスに届くように叫んだ。

「死んだら許さないんだから!」



 それから軍は、誰が村の長で、誰が鮫なのかを調べた。

 あらかじめ村では、影武者を用意していた。私は可哀想な囚われの孤児として、軍の手を逃れた。

 けれども、撃たれどころが悪かったせいで、傷が悪化してしまった。


 そのことを知ったリアナ――同じく呪いを持ち、何者かに家族を襲われて私を頼ってきた仲間だ――が、こう提案した。

 白桜のある場所では時間の進みが遅い。そこで身体を休めつつ、指示を出してくれれば良いと。

 私は彼女たちにランスの保護を頼み、提案に従った。


 白銀一色の、月明かりしかない闇の世界で、私は少しずつ人間ではなくなっていった。

 ときおりリアナが指示を仰ぎに訪れてくれたけれど、ほかに話す人もいない。

 それに帝国人は魔力の強い環境に慣れていない。徐々に身体を蝕まれていった。


 湖を見つけたとき、そこに浸かっていれば少しは魔法の影響を受けずに済むかもしれないと思った。それは当たっていた。

 でも、代わりに精神と肉体が分離してしまった。

 精神のみの存在として浮遊するようになると、ときおり、どこかから、人の話し声が聞こえるようになった。

 そのとき初めて、この空間が白桜刀――ランスに手渡した宝刀だ――と繋がっているという『記憶』が蘇った。

 ランスが刀を携えているなら、もしかして声が聞こえるのではないか。

 そんな希望を抱いて、私は白銀の世界をあちこち彷徨った。

 そして、湖のほとりにある庵の、鏡の近くにいれば、人の話し声が大きく聞こえることを発見した。

 そこで、はっきりと、ランスの声を聞いた。


 その声を聞いた途端、肉体からは離れているのに、全身に震えるような歓喜が走った。


 あれからどのくらい時が経ったのか、彼は帝国軍の一員となっているようだった。私は自分の無力さに歯噛みした。

 それでも、彼がこの刀を携えている限り、私は彼のそばにいられるのだ。会えることもあるかもしれない。


 私はたぶん、もとの姿には戻れないと悟っていた。このまま呪いとともに朽ち果てる運命さだめだ。それは、これまで成してきたことの責任を取ることでもある。

 でも。あなたを、あなただけでも、この呪われた連鎖から解放したい。

 『鮫』もグレンも呪からの解放を望んでいた。庵に遺された、グレンの妻と、その前の継承者たちの着物と刀が、彼らの無念を訴えてくるような気がしていた。



 ランスが初めて白桜刀を使ったとき、桜の生えている近くの空間に縦に亀裂が走り、巡礼像が移動してきた。

 私は、亀裂が閉じてしまう前に、咄嗟にランスの名を呼んだ。何度も呼んだ。

 そして刀の精霊を名乗った。

 白妙と。

 それが、ここにいる精霊にちょうど相応ふさわしそうな名だったから。

 彼が私の脇差の銘を覚えてくれていたら。なんて、すこし思っていたかもしれない。


 そして、私は言った。

 私が絶対にあなたを守る、と。


作者注: この時点での白妙=アズサはグレンが同じ空間内にいることを知りません。

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