Ex.白妙抄(前編)
家族の記憶はない。気づいたときには一人だった。
どういう経緯か、いつの間にか、『鮫』の前任者だった男に拾われて旅をしていた。
男は優しくて、お金のない放浪者だった。
妻子を紛争で亡くして、私の見ていないところで、なにかに復讐しながら生きていた。
男は私に生きる術を教えた。それがいつしか彼の生き甲斐になっていたらしかった。
八つのとき、男の体調がすぐれず、人里離れたところに打ち捨てられた小屋で寝泊まりしていた。 男は時々熱を出したり、顔色が悪かったり、食事をとれなかったりした。
ある朝、男に「殺せ」と言われた。
私は横になった男の、土気色の顔を見下ろしながら「死にたくなったの?」と訊いた。
本当に言いたかったことは、「私をひとりにするの?」だったけれど。
あまり冗談を言わない男だから、つく冗談もおもしろくないと思った。
「いや、俺は末期の癌でね。あちこちが痛くて、もう、麻酔薬でもなくちゃ動けない」
そのとき男は、初めて髪を撫でてくれた。
「白妙。ここから三日ほど行くと、俺の仲間が暮らす村がある。そこで暮らせ。俺のことを言えば必ずよくしてくれる」
白妙というのは、私が親の形見として持っていた、そして唯一の持ち物である脇差に刻まれた銘だった。それを自分の名前にしていた。
「俺を殺すと、お前に呪が移ってしまうんだ。でもお前の年齢でひとりで生きていくなら、呪いの力は、かえって役に立つかもしれない。耐え忍べ。お前は強い。誰よりも強い。悪しきをくじき、弱きを救え」
私はその脇差を、男に言われたとおりに、その額に突き立てた。
現世の命を惜しまない東洋の文化は、帝国では受け入れられていない。当時の私は帝国の文化に馴染みがなく、それが法に触れることかどうかも知らなかったし、考えもしなかった。
男の身体は灰のように、さらさらと、あばら家の床に溶けていき、襤褸布同然の衣服だけが残った。
頭が割れそうなくらいに痛くなって、私は吐いた。きっと呪のせいだろう。
三日三晩眠り続け、ようやく動けるようになった。
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残った食料が尽きかけたとき、男に教えられた村にたどり着いた。
私は村に溶け込むことができた。
男が亡くした娘の、あずさという名を名乗った。
その村の子どもたちは、幼いころから私と同じように戦い方と生きる術を叩き込まれていた。大人たちも表向きは農民だが、冬には傭兵として生計を立てている人が多かった。
彼らは共同体として、ほどよい連携を取りながら、帝国から隠れて自分たちを守っていた。
少しすると、私があの男の後継者だと知った者たちがやってきて、成すべきことを教えてくれるようになった。
彼らは、男が志半ばにして達せられなかった夢の跡を継ぐようにと私に言った。
それは、千年ものあいだ連綿と継がれてきた呪から、呪われた人々を解放するための戦いだった。
幼子だった私は、善悪を判断できていたとは言えない。むしろ知らないがゆえに残酷非道なことを成せたのかもしれない。
でも、私はあの男のことが好きだった。だから夢を叶えてあげたかったのだ。
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ランスがやってきたのは、私が十三になるとき。
同い年の彼は、帝都育ちのお坊ちゃんだった。両親を失い、母方の祖父を頼って、この村にやってきた。それが私の養父となった人だった。
そして同じ屋根の下で一緒に暮らすことになった。
絶望しない少年。
すこし、不気味だった。
私が意地悪をしても彼はすぐに見抜いてしまい、けして見下そうとしない。
同じ孤児なのに、どうしてあんなにいつも明るいのかしら、苛つく、と思っていた。
でも彼は、呑気で馬鹿そうに見えて、とても頭の回る少年だった。
自分の立ち位置を素早く理解し、それを演じられる。
そうでなければ、この村に温室育ちの少年が溶け込めるはずがない。
東洋語を覚えるのも早かった。私は祖父から帝国公用語を学んでいたけれど、ランスはそれより早く、第二言語である東洋語を使えるようになった。
私はそのうち、彼に惹かれていることに気がついた。
村の少年たちからは距離を置いていた。自分が美しいと言われる容姿を持つことは自覚していたけれど、思春期の子どもの興味の目は鬱陶しかった。
ランスはけして、その目を向けてこなかったのだ。
それが逆に私の心を捉えたし、苦しめもした。
彼が同じ呪を継ぐ運命にあるということは、やってきた当時から知っていた。
彼の父親は私の仲間だったし、それが原因で命を狙われたことも知っていた。
いつかその話をしなければならないと養父と話していた。でも私はできれば、彼には今のままでいてほしいと願っていた。




