WCC10. 朽ちた聖堂跡にて(3)-Epilogue
ランスはアーノルドから白桜刀を受け取り、艦長のあとについて聖堂に入った。
帝都の大聖堂ほどの規模ではないが、映画館のシアターくらいの広さはある。
側壁と正面の祭壇奥のステンドグラスから差し込む夕日のおかげで、まだ明るさは保たれていた。白灰色の石壁は、ところどころ崩れており、破片が床に散らばっている。歩くと埃が舞い上がった。
巡礼像と思われる聖母像は、祭壇の背後にあった。
「この街は、地盤沈下が原因で捨て去られたんだ」
艦長は聖母像の前まで来ると、ポケットに手を突っ込んだままで像を見上げた。
「記録によると、この像はもともと街の別の場所にあった。聖堂の像が破損した際に、修復する予算がなかったから、この像の顔を聖母に作り替えたとか」
像は、ランスに絶え間なく物語を囁いていた。
内容はわからない。けれども、優しく美しい像は、顔を作り変えられたことを、あまり気に入っていないように思えた。
ランスは艦長を見上げた。その横顔はいつも通りに見えたが、彼はポツリと「僕を殺したいとは思わなかった?」と言った。
「許しを請おうというつもりはない。僕は上司から、君を鮫の手から救い出すよう命令を受けた。命令には背けないけれども、僕が関わったことに変わりはない。そのことを君に言えずにいた」
「でも、艦長は俺を救い出すつもりでいたんだろ」
「そう。でも、君が村から逃げ出した時点で、鮫に懐柔されている可能性はあると考えた。あるいは、誘拐されたか。少年がひとりで帝国東部から王国までたどり着けるなんて考えられないからな」
ランス自身も、どうやってたどり着けたのか、記憶がほとんどない。それだけ過酷だったのだ。
「誰か、陰で助けてくれてる人がいたのかもしれない。それがシロタエだったのかも」
王国の宰相のもとに行けと言ったのは、アズサだ。
艦長はしばらく聖母像を見つめていた。
「もしも白桜刀の力で、本当に大切な人を生き返らせることができると言われたら、君ならどうする? この魔力の正しい使い道は、枯れつつあるこの世界の魔法元素を元に戻すことだ。戻さなければ、人類は核汚染を抑えきれずに破滅への道を辿る。それでも、全世界を引き換えにしても、君は彼女をもとの姿に戻したいと思うかい?」
戻せるものなら、そうしたい。
でも、心までは救えない。
自分のことを守りたいと言う彼女は、他者を犠牲にしてでもそうしたいと言う彼女は、ランスが知っているアズサではなかった。
自分のせいでアズサがああなってしまったのなら、責任を取るべきなのは自分じゃないのか。
「んなわけないだろ。違う方法を探す」
艦長は、ランスの横顔をじっと見つめた。
「あのままだったら俺は村に閉じ込められたままで、何も知らずに今も呑気に暮らしてたんだろうな。それがいいこととは思えねえ。村のみんなを殺したのが艦長たちだとしても、その原因は俺やアズサだったんだ」
ランスは左手を強く握りしめた。
知ってしまった以上、今までのように心を許すことはできない。けれども、彼らを責めて被害者として立っていることもできない。
「君に罪はないのに?」
「アズサや親父が背負ってるものを、守られてた俺が、無関係ですって言うのは気持ち悪い」
ひとつお伽噺をしよう、と艦長は言った。
「これは番人の間に伝わっているお伽噺だそうだ。教会は千年前に『神の御業』と呼ばれる奇跡が魔法を世界にもたらしたのだと伝えているけれど、それとは異なる。魔法は、さらに千年前からあったというんだ」
◆
かつて、翼人と呼ばれる天上の世界の住人が存在していた。
天地の人は交わることがなかったが、あるとき、天上に辿り着いた地上人があった。その男と翼人の女性の間に娘が生まれた。
その左右の翼は異なる色をしていた。天使と同じ白い翼と悪魔と同じ黒い翼を持っていたのだ。
少女は災いの子とされて天上を追放され、地上に下り、ある男と出会って恋に落ちた。
二つの翼を持つ彼女は、地上にはない強大な魔力を持っていた。
地上で起きた大きな争いを止めるため、彼女は恋人の制止を振り切り、犠牲になることを選んだ……
その亡骸は天と地を繋ぐ大樹となって残ったという。
遺された男は、天上の主に力を乞い、彼女の記憶を後世に伝えることを役目とする『記憶の番人』になった。いつか彼女を蘇らせるために魔法の力を求め、十一人の仲間を得て、彼女が残した大樹である東洋の白桜に辿り着いた。
しかし望みを叶える前に彼は命尽き、旅を続けることを仲間に託して世を去った。
◆
「彼女が蘇れば、魔元素をもう一度世界にもたらしてくれると番人たちは考え、その力を世界のために使おうと考えた。だから、彼らにとっては彼女を生き返らせることと世界を救うことは同義だったみたいだね。でも、残ったのは白桜に関する伝説だけだった。人を生き返らせることなんて、できなかったんだ。
その男は、『鮫』と呼ばれていたそうだ。彼の記憶を持つ番人は、いまだにその執念を捨てきれていないらしい」
ランスは、半信半疑で物語を聞いていた。
「アズサからは聞いてないけど」
「ああ、君の中に、その面影を見ているのかもしれない。あの時の様子をみる限り、君に執着しているようだった。
もう気づいているかもしれないが、グレンの前はサクラさんが番人だった。白桜刀を扱う番人は、翼人の少女の父祖である地上人と血の繋がりがあるらしい」
ランスは、ふう、と息をついた。
あの庵で着物と刀を見つけたとき、母も番人なのではないかと一瞬考えた。やっぱりそうだったのだ。
「俺は魔力を利己的な理由では使えない。艦長だって、同じ理由で今までやってきたんだろ。俺はアズサがなんと言おうと、あいつを止める。それが、あいつのためにしてやれることだって思うんだ」
返し忘れた十字架を、いつものように握りしめた。
もしも、アズサが言うように別の方法があるのなら探したい。
でも、そんな時間は残されていないのだ。
だからせめて、春分の日が過ぎてもアズサが消えずにいられる方法を、どうにかして探ろうとランスは決めていた。
もしそれが叶わなくても、彼女が消滅せずに白桜刀の空間に存在し続けられるのなら、そばに居てやりたい。対話で彼女が救われるのなら。
「もし運命に抗って未来を変えることができれば、未来の人達は鮫やアーサーやグレンを英雄と呼ぶのかもしれない。僕らのほうが悪として語られる未来が来るのかもしれないよ」
「けど、千年もかけても誰もその方法を見つけられなかったんだ。だったら俺は、春分が終わってから、次の千年のためにその方法を探す」
二人とも、何となく何も言えずにしばらく黙っていた。
どちらも、春分の日までに番人を継ぐのかもしれない。白桜の伝説が実現したあとも生きていられるのだろうか?
先に沈黙を破ったのは艦長だった。
「ランス、君と出会えてよかった。ずっと忘れないでいるから」
「なんかもうサヨナラするみたいじゃん」
「あと三カ月もすれば、会えなくなるよ。軍に所属する? それか二世議員にでもなる?」
「別にそこまでして艦長に会いたくねえ」
艦長は苦笑した。
「君もどうやら、立派なゼイラギエンの一員になってたみたいだね」
ランスは、足元の瓦礫を足先で払い除けながら、言葉を探した。
「正直、俺は艦長のこと、うさんくせーと思ってた。でも、今はそう思わない。俺に居場所をくれたし、みんなを埋葬してくれた。レベッカと逃げた俺を咎めなかった。ここのみんなを見てても、みんな艦長を信頼してるってのはよく分かる」
だから、無力な子どもとして寄りかかるんじゃなく、利用するのでもなく、必要な時に助け合える関係でありたい。自分の意思と判断で。
「俺もちゃんとした、ゼイラギエンの一員になりたいんだよ。傍観者じゃなくて」
「……そうか」
自分の身が安全じゃないのは、怖い。気持ちのいいものじゃない。汚れるし腹は減るし、よく寝られないのも痛いのも嫌だ。子どもの頃に憧れて何度も読んだ冒険物語なんかと全然違う。
それが現実。物語みたいに綺麗な結末が得られないのが現実。
それでも自分のために知ってる人が傷つくのも死ぬのも、知らない誰かがそんな目に遭うのも嫌なのなら、のんびり感傷に浸ってなんかいられない。
ランスがそう言うと、艦長は少し首を傾けてから答えた。
「その通り……でも、現実では受け止めている時間や余裕がなかった感情を掬い上げるために、いつか思い出すために、物語は必要じゃないか? 君自身が作り物や綺麗事じゃないと思うものを書いてみなよ。そうだ、君の肩書きは、記録係にしよう。どうだ、悪くないだろ」
とてつもなくいいアイディアを思いついたとばかりに、艦長は歯を見せて笑った。
その瞳は以前のような、底なしの深海の色ではなかった。夜明け前の空と同じ色に見えた。
「ええ……? 何でそんなに嬉しそうなんだ?」
「君が書く物語を読んでみたいんだ。白桜刀を使えるのは君しかいないし、シロタエ君や巡礼像の声を聞けるのも君だけだ。ただの一般市民は飛行艇に乗れないし、ほら、僕の話なんて聞けないよ」
ランスは頭の後ろで手を組んだ。
「俺は文才なんてないから期待しないでくれよな。記録してほしいんなら、艦長の話もちゃんと聞かせてくれよ。アルビオンにいた頃のこととか、俺が来るまでのこととか」
「それはお酒が飲めるようになったらね。あれ、君、もう飲めるっけ?」
「あ、そっか。いっぺんも飲んでねえや。今度連れてってくれよ。あのティタンのバーでもさ」
「ああ、そうしよう」
ランスと艦長は拳を突き合わせた。
ランスは白桜刀を抜いた。切っ先から三分の一ほどまで白く染まった刀身に、自分の顔が映り込む。
もうシロタエの顔も見えないし、声も聴こえない。
ランスは少しだけ助走をつけて、飛び上がった。不満そうな顔で祈りを捧げる聖母像は、ランスが振りかぶった白桜刀の一撃を受けて、内側から真っ白な花吹雪を散らした。
ステンドグラス越しの夕陽を受けながら無へと帰っていくその様は、まるで聖書か神話の一場面のように神秘的だった。
艦長は額に手をかざして、それを見上げていた。その幻の花びらは、艦長の髪に、壁に、床に触れると、淡く輝いて溶けていった。
ランスが刀を収めたあとも、艦長は像があった空間を見上げていた。そして、ありがとうと呟いた。それがランスに向けたものなのか、聖母像に向けたものなのかは分からなかった。
白桜年代記第一部、ここに終わる




