WCC2. スナイパーとボディガードのミス (2)
その言葉のせいで、船員二人の反応が遅れた。アズサの姿をした人型ロボットは入ってきた体勢のまま、突き出した腕から銃弾を放った。ほぼ同時にブレンのライフルが咆哮を上げ、頭部を撃ち抜かれた人形は停止する。ランスの前に立ちはだかっていたブレンの足元に血が滴り落ちた。
「ブレンさん!」
「大丈夫だ。レベッカ、先に連絡を入れろ」
「はい。こちら食堂レベッカーー」
ブレンは振り向かずにランスに聞いた。
「おい、アズサってのはお前の同居人だっけか」
「そうだけど、アズサはもう死んだんだ。ブレンさん、怪我は」
「かすり傷だ。今後も似たような姑息な手段を使われるかもしれん。惑わされるなよ」
赤く染まった彼の腕を見たレベッカが、慌てて腰のポーチから救急セットを取り出した。
「応急処置します」
「自分でやる。それより警戒しろ」
室内スピーカーと二人の無線に同時に音声が入った。
『艦長です。偵察機を破壊し、艦内の巡回が完了しました。厳戒態勢を解除しますが、引き続きなるべく二人以上で行動してください。モニカとニノは食堂へ。データチップはこちらから回収しに行きます』
素早く扉がノックされ、戻ってきたモニカがブレンを慌てて救護室に連れて行った。ニノはレベッカとランスの肩を叩いた。
「お疲れさま、よくやった」
「あ、俺は何もしてないんで……」
「いや、間近で見ると足がすくむよ。ブレンが撃たれることなんて滅多にないし」
ランスは気が抜けてため息をついた。たとえ帯刀していても、銃相手にできることはほとんどない。一人で必死で逃げ回っていた時と同じだ。あのとき、追っ手から逃げ続けられたのは運が良かったとしか言いようがない。
ほどなく艦長とアーノルドが入ってきて、一通り労いの言葉をかけると、モニカから親指の爪より少し大きいくらいの薄い板を受け取った。レベッカがランスの肘をつついた。
「ランス、あの人型ロボットのこと、艦長に言っておきましょう」
ランスから説明を聞いた艦長は、潰れた機械人形を見下ろし、眉を顰めて思案した。
「嫌な目にあわせたね。定時巡回で見つけられなかったものがこれほど居たとは。さて、この騒ぎのお土産は一体なんだろう」
ランスは艦長室のソファに座らされた。室内には艦長とブレンがいて、アーノルドはモニカの作業室で機械人形について調べているところらしい。
「このチップの解析結果だけど、メッセージがひとつ入っていた」
艦長は詩の一節と思われる文章を読み上げた。
主よ 願わくは 我が仇のゆえに 汝の義をもて我を導き 汝の道をわが前に直くしたまえ
彼らの口には誠なく その腹の内は邪 その喉は暴ける墓 その舌は諂いを言えばなり
主よ 願わくは 彼らを刑ない その謀によりて自ら倒れしめ その咎の多きによりて これを追い出だしたまえ
彼らは汝に背きたればなり
「それは……聖書の一節か何かですか?」
「そうだね。恨み節の詩篇だ」
ランスは敬虔な教徒ではないので、いまいちピンと来なかった。アズサに連れられて村の教会には行っていたが、真面目に聞いていたことはほとんどない。ブレンは鼻を鳴らした。
「要するに、悪いのはてめーらだから纏めてぶっ潰すってことか。ご丁寧なこった」
「そう言うと身も蓋もないが、そういうことだ。暇な奴だ」
口調の割に艦長の目は冷たかった。彼は時折、ほんの一瞬だけ、底冷えするような憎悪を孕んだ表情を見せる。その度にランスは、普段の呑気な顔と、どちらが本性なのかと思ってしまう。
「しかし、ランスには気をつけてもらわないといけないな。しばらくは一人で船内をほっつき歩かないように」
「分かりました」
それからランスは、包帯を腕に巻いたブレンに謝った。船医がきちんと手当てしてくれたようだが、血が少し滲み出ていた。
「何でお前が謝んだよ」
「俺がアズサって言ったから」
「それはお前のせいじゃねえだろ。俺は近距離戦は得意じゃない。だから俺を派遣した艦長の判断ミスだ。でも艦長の護衛は俺よりアーノルドの方がいいから、結論を言うと、ミスじゃねえ。つまり仕方ねえ」
どうも気を遣わせているようにしか思えない。近距離が苦手で艦長のガードをするはずがないし、弾は全て無駄なく機械犬に命中していた。艦長は真面目な顔のまま、「いや、仕方なくはない。君の頭の中が彼女のことで一杯だったせいだ」と言い、ブレンを怒らせた。
「彼女?」
ランスが聞くと、艦長は「今日はいじらないほうがいいよ」といつもの顔で笑って、今後のスケジュール表をランスに渡した。
「百発百中のスナイパーでも、意中の人の心を射るまでは随分時間がかかったみたいでね」
ブレンは拗ねたのか、無言だ。
「そうなんですか。ん?」
ランスは配られたスケジュール表の端に、小さく走り書きされているのを見つけた。
『今日のミルヒはよく食べた』
「何ですか、これ」
ブレンはランスの手から表を引ったくった。
「おい艦長、わざとだろ」
「何が?」
「俺宛のスケジュールを全体に回しやがっ……回したな?」
「あれ、本当だ。間違えたな、はは」
「はは、じゃねえ! このヤロ……この性悪が!」
「何なんですか、この牛乳って?」
「そうだな、強いて言えば、イッヒ・リーベ・ディッヒ(愛してる)って意味だよ」
「ちげーよ、くそ!」
「あー、刷り直ししないと。経費を無駄遣いしちゃったなあ」
艦長は楽しそうに立ち上がると、机の端にある感熱式印刷機に向かった。操作方法がいまいち分かっていないらしく、立て続けにエラー音が鳴る。
「二人揃ってると喧嘩ばかりでうるさいし、片方だけだと今みたいに調子を狂わせるから、ちょっとお灸を据えようと思っただけさ」
ランスは走り書きの主がアストラだと察して口を噤んだ。文章の意味は全く分からないが、合言葉かもしれない。
「てめえ、覚えてやが……覚えてろよ」
「ご存知の通り、僕はあんまり記憶力が良くないんだ。覚えてたらラッキーだね」
「嘘つけ」
ようやく印刷機が動き出した。
「おっ動いた。はい、修正版」
「もうおせーんだよ、クソが!」
艦長は左手を腰に当てて、ブレンに人差し指を突きつけると、アストラの真似をした。
「ちょっと、ブレン。口のきき方がなってないって、何度言ったらわかるの?」
ランスはうっかり笑いそうになって歯を食いしばって堪えた。ブレンは扉を蹴破りそうな勢いで出て行った。艦長は呑気に笑った。
「お、今回はやり過ぎたかな? まあいっか。君、真似はするなよ」
ランスは自室に戻る途中でレベッカに捕まり、あの走り書きが何なのか分かったかと聞かれた。ランスが、アストラからブレンへのメッセージらしいが意味は分からないと答えると、レベッカは「ミルヒはブレンさんが飼ってる猫よ」と教えてくれた。
「半年ぐらい前に支部局に迷い込んだの。みんなで可愛がってたんだけど、さすがにずっと飼うのは難しいからって、一番懐かれてたブレンさんが飼うことになったの」
しかし、アストラはそのことが不満だったらしい。
「アストラさんも、よく餌をあげてたから。その時は、ふふ、アストラさん、可愛かったのよね」
「どう可愛いんだ?」
「一人でアテレコ会話してたわ。今日のゴハンは美味しいにゃ〜とか」
ランスには、いつもクールなアストラが、そんなことを言っている姿が想像できなかった。
「で、ブレンさんが船に乗ってる間はアストラさんが世話してるってことか?」
「そうよ。同棲してるみたい」
「それで艦長がからかってたのか。ブレンさん、めっちゃ怒ってた」
「みんな知ってるもの」
それからレベッカは、ランスの腕を引っ張った。そして、機械人形を解体中のモニカと話し込んでいるアーノルドのところまで行くと、気になったのですが、と切り出した。
「あのスケジュール、アストラさんがいないときは、いつも隊長が印刷してませんでしたっけ」
「そうだが?」
「間違えて違うページを印刷されてましたよ」
アーノルドは一瞬押し黙った。
「間違い?」
「ブレンさん宛のものでした。もしや、何か個人的な恨みが……」
「恨み? 確かにブレンとアストラの痴話喧嘩には辟易しているが、間違いには気付かなかった。で、差し替えてくれたのか?」
レベッカはモニカと顔を見合わせた。
「艦長が正しいものを配っているところみたいです。でも艦長と隊長って、たまにこういう悪ノリしますよね」
「何の話だ」
モニカは小声で二人に囁いた。
「たぶんアーノルドが間違えて出したけど、艦長がGOサインを出したんでしょう。これはウソをついてる顔です。犯人はアーノルドです」
ランスは頭の後ろで手を組んだ。
「俺さ、すげー落ち込んでたんだけど、ここの人って何でこんな時でもふざけてられるんだ? いまだに慣れねえよ」
三人は顔を見合わせてから真面目な顔でランスのほうを見た。
「そう言うランスも大概じゃない? まあ、艦長のせいだと思うわ」
「うーん、こうでもしないと、みんなやってられないんじゃないでしょうか?」
「適度な緊張は必要だが、過度な緊張状態が続くと身体・精神上悪影響を来す」
「あー、うん、分かった。そういうことね」
参考文献:旧約聖書 詩篇5:8から5:10
http://bible.salterrae.net/meiji/xml/
2/17追記
ミルヒとは何なのか加筆しました。
出てくるのが、かなり後になりそうなので…