WCC10. 朽ちた聖堂跡にて(2)
モニカの背後から、アーノルドが姿を現す。
脚部の状態は服に隠れて見えないが、ブレンの目には普段通りに歩行しているように見えた。
モニカはアーノルドの顔を見上げて微笑んだ。
「交換した脚は寒冷地仕様ではないので、外では循環剤が凝固しないよう温度を上げることになります。それでバッテリー消費が普段の一・二から一・五倍になりますので、稼働時間が減ります。パフォーマンスを維持するには、索敵モードで五時間以内、殲滅モードで二時間以内です」
「つまり、熱があるから疲れやすいってことだね」
艦長の返答に、モニカは重そうな眼鏡を上げて頷いた。
「ですが護衛としては問題なく動けます。万一に備えて私も同行しましょうか?」
「ありがとう」
艦長は、しかし、と呟いた。
「アーノルドがモニカばかり気に掛けてランスをほったらかしにしてしまう危険がある」
「それは無い」
すかさずアーノルドが否定するが、艦長は「どうかな」と笑う。
「冗談はさておき、モニカにはアレンと一緒に給油の対応をしてもらいたい。ブレンはここに残れ。人質の救出には、うちからもアウグスタと、二、三人、体力のある人に行ってもらう」
となると、ランスはアーノルドと二人で巡礼像のところまで行くことになるのだろうか。ブレンの視線に気付いた艦長は、安心させるように微笑んだ。
「ランスとアーノルドには、僕がついていく。そのほうが、万一鮫の部下が出てきても対応できる」
「おいおい、『頭部負傷で意識不明』のくせに」
「傷は浅いから大丈夫。僕は、君が白桜刀を振るうところをまだ一度も見たことがない。桜の木はアルビオンにもあったけど、東洋の桜が散る光景は儚くて幻想的なんだってね。それを、この目で見てみたい」
てっきりアーノルドが反対するかと思ったが、彼は何も言わなかった。
「じゃ、そのつもりで」
◆
ニノたちは空港跡の滑走路の状態を確認するため、大きく旋回しつつ地上に近づき、低空飛行した。
幸い、降雪量は多くない。視界はまずまず。
「いまのところ、候補の滑走路は二つだね」
「いずれも路面の状態は、目視では完全に確認できていません。今度こそゼイラギエンが駄目になるかもしれませんね」
ルガーは落胆を滲ませた声で答える。
「大丈夫、何があっても帝都の航空博物館に連れて帰る」
輸送機として数々の戦場を支えてきたこの機体を後世に残すことは、ウェルロッド夫妻たっての願いだ。
そして、ニノにとっては、二人の名も博物館に刻むことが願いである。
「短いほうの滑走路、さっき見たところ目立つ割れや隆起はなかった。もう一回確認してみよう」
ニノは操作竿を強く握る。
短いほど着陸の難易度は上がるが、戻りの燃料のあてがあるなら話は別だ。
「短くてもフル噴射で遠慮なく使っちゃえばいいしね」
「センパイの土壇場で思い切りがいいところ、尊敬しますよ」
ルガーが苦笑した。
それから約三十分後、ゼイラギエンは着陸に無事成功した。
◆
ランス達は、着陸後すぐにゼイラギエンから降りた。日暮れが近いので、なるべく早く戻りたい。
アスファルトに降り立った三人の前には、大人が四人ほど乗り込めそうなソリがあった。艦内に眠っていた、すこし色あせた白灰色が塗られた、簡素な木製のものだ。
アーノルドはライフルと白桜刀を担いでソリに乗り込んだ。
艦長は極寒地の人が着ていそうな防寒着を着込んで、肩にはアサルトライフルを掛けていた。
彼はランスに、先に乗り込むように指示すると、後部の脚部分に乗ってソリに掴まった。
このソリに動力源はない。だから、本来は雪山を降りる時にしか使えない代物だ。一体どうするのかとランスが見ていると、艦長がソリを前方へ押しだすように、後ろに蹴った。
景色がゆっくりと滑り出した。
ソリの進行方向に積もった雪は、魔法のように掻き分けられて平坦な雪道が出来ていく。
「へー、艦長、こんな事もできるんだ。雪山のときもやってほしかったぜ」
「帝国では魔法石の替えが中々手に入らないからな、ほんとに急ぎの時だけ」
「王国では簡単に手に入るのか?」
「まあ、灯油みたいな扱いだね。石の純度で耐用年数も値段も違う。鮫に使った弾丸には純度の高い魔法石の破片が入っていた。一発で僕の一ヶ月分の給料が吹っ飛ぶ」
「ひっ」
想像しただけで恐ろしい。そんなのを持たされたら、失敗が怖くて手が震えてしまいそうだ。
「油断はするなよ。鮫の手下は一人も捕まえてないし、協力関係にある番人もいるんだ」
「そんなに沢山いるのか」
「鮫と連絡が取れなくて混乱してるだろうから、しばらくは大丈夫だと思いたい。でも甘く考えないほうがいい。ベッキーがこちら側の番人になったから、手を出してくるかも」
それでブレンをゼイラギエンに残したのだろう。
アーノルドは静かに側方と後方を警戒していた。
「艦長、後ろで捕まっていていいのか? 凍死したら置いていくことになるぞ」
「ここのほうが空気抵抗が少ないから……死んだらせめて連れ帰ってくれよ」
アーノルドは返答しない。
「主人に対しても公平だね、君は」
降ってくる雪の塊が大きくなってきた。
ランスは風の抵抗を避けるため、丸まった。
「アーノルド、ベッキーを他所に移したら怒るかい? 二人も番人を世話するのは無理だ」
「俺は艦長の決定に従うのみだ。それがハミルトンにとっても良いと判断しているのなら」
なぜアーノルドに尋ねたのだろうかとランスが不思議に思っていると、艦長が、「僕はベッキーを採用しないつもりだったけどアーノルドがね」と言う。
「俺は単に試験の成績を見て勿体ないと思っただけだ」
「そう……」
艦長は白い息を吐きだした。
「艦長は俺の意見を受け入れたことを後悔したのか」
アーノルドの口調は相変わらず平板で、人間のような感情は感じとれない。けれど、ランスには普段の彼の物言いとは違っているように思えた。どこか気遣っているような、あるいは後ろめたさを含んでいるような。
「いいや。たとえ僕が止めても、ベッキーは何らかの形で父上が残した足跡を探そうとしただろう。それならいっそ手元に置いておくほうがいいと思った」
◆
いまから数年前。
南部国境支部局の面接室で、艦長は殉職した部下の遺族である少女の前にいた。
十代半ばという年齢の割に落ち着いた少女の、儚げで繊細な面立ちには、武骨で体格の良かった部下の面影は薄い。
彼女の採用試験の成績は、優秀すぎた。どこにもケチのつけようが無い。
机上の書類を睨みながら、艦長は重い口を開いた。
「まずは、遺族という身でありながら志願してくれたことに感謝する。けれど、申し訳ないが、君をウチに入れることはできない」
少女は、顔に何も浮かべなかった。
「君は父上の復讐のために入局しようとしているのではないか。相手には君の人生を賭けるほどの価値はない」
「復讐が目的ではありません。私は仕事を探しています。母と弟の医療費が必要です」
しっかりした口調で答えると、彼女は続けた。
「もし目的が復讐であった場合、何がいけないのか教えてください」
「第一に、君の人生を壊す。君が思っている以上に、仇は危険な人物だ。第二に、私的怨恨で命令に従ってくれない場合があると困る」
「もう私の人生は壊されているのに? これ以上、悪くなりようがありません。学校に行けてない私に出来ることは、父に教わった技術を使うことだけです。勝手な行動を取って、ご迷惑をおかけしたりはしません。どうか、私に仕事をください。何でもします」
少女は椅子から立ち上がると頭を下げた。
その両の拳は震えていた。
緊張していたのかもしれない。あるいは、仇への怒りか。
「君まで失ったら、君のご家族はどうなる。立ち直れなくなってしまう」
「その時はその時です。人はどのみち、いつか死にます。それが早いか遅いかです」
艦長は言葉を失った。
この少女の貴重な子ども時代を守れなかったことに、胸が痛んだ。
その責任を負うなら、仕事を与えてやるべきだろうか?
彼女がここまでやってきたのは、もしかすると、父親が身を挺して守るほどの価値がある上司だったのかを見極めたいから、かもしれない。
「こんなことを言っていいのかわからないが……僕には君の命を背負う資格がない。友人を失って、さらに大事な娘さんの命までも危険に晒すなんてことはできない。せめて前線に立たない職場を紹介させてくれないか。国境支部ではなく」
「私はただの志願者の一人です。公正な判断をお願いします」
すると、艦長の隣でずっと黙っていたアーノルドが、おもむろに口を開いた。
「艦長、提案がある。俺は武器庫の管理も担当しているが、このごろ他の仕事が増えて手が回っていない。人手が欲しいと考えていた」
「初耳だぞ」
「ハミルトンはすべての要件をクリアしている。死にそうな人間は採らないのが艦長のポリシーだな。俺が死なないように訓練する」
少女は勢いよく顔を上げた。
「本当ですか⁉︎」
その顔は、年齢相応の明るさを取り戻していた。しかしアーノルドは、素っ気なく返答する。
「俺は単に使えると判断しただけに過ぎない。ジェフリー・ハミルトンの後任で、彼に会ったことはない。ゆえに昔話を聞かれても答えられる情報はない」
それでも少女は、目を輝かせてアーノルドの前までずんずんと歩いていき、その手を両手で握った。
「よろしくお願いします!」
「まだ決めてはいないんだけれど」
苦笑する艦長に、少女は大きな黒い瞳に力を込めて、「私は絶対に死にません」と言うのだった。
◆
「レベッカがアーノルドを隊長って呼ぶのは、そういう理由なのか?」
「さあ? そうなの?」
アーノルドは「知らん」とだけ答えた。
「アーノルドには自覚できないだろうが、おそらく性格付けの土台にはジェフが入ってる。君が僕らに溶け込みやすいように」
もしそうなら、それは艦長たちにとっては残酷な優しさだろうとランスは思う。
「だからベッキーにとって君はどこか懐かしくて、君にとってはベッキーが少し特別なんじゃないか」
「なぜ、そう思う?」
アーノルドは、前方を向いたまま訊いた。
「俺は彼の記憶を持っていない。思考パターンは人間とは異なる。性格付けはコミュニケーションを円滑にするための色付け程度のものだ」
「そうだったね。僕がそう思いたかっただけなんだろう。忘れてくれ」
それから三人は黙りこんだ。
五分ほど行くと、景色のところどころに崩れた灰色の石壁が現れるようになり、大きな聖堂跡が見えてきた。
「ずいぶん大きいんだな」
ここにあった街は、交通手段の主流が鉄道になる以前はそれなりの規模の都市だったという。
「崩れる危険があるから、ヘルメットは必須だね」
ソリは聖堂の手前まで進んで止まる。三人は雪の上に降り立った。
アーノルドは入口のところで見張りをし、あとの二人で中に入ることになった。




