WCC5. クラーク/妖精先生(3)
私立学園の中庭に立っている巡礼像らしき石像は、どうやら生徒たちの間では、『仲直りの像』として知られているらしい。
昼食の時間、ランスとレベッカに一緒に食べないかと誘ってくれたクラスメイトの一人が、そんなことを教えてくれた。
「喧嘩したあと、相手をあの石像の前に呼び出して正直に謝ったら、一生友達でいられるんだってさ」
ランスは頭の後ろで手を組みつつ、椅子を前後に揺らした。
「ふーん。俺、ケンカとかしねーからわかんねえ」
「そうなの? でも気まずくなることはあるだろ?」
「まあ、そりゃあるけど」
そんなことを話しているうちに、クラスメイトの男子二人が何やら言い合いを始め、あっという間に殴り合いに発展した。
「てめえ……口ん中切れたぞ!」
「先に殴ったのはそっちだろ」
「お前が余計なことを言うからだ」
「は? 言ってねえ」
「言った」
「言ってない!」
「言っただろ」
「クソが! 死ね!」
「てめえ……今なんつった!?」
クラスメイトたちは遠巻きから、いつものことだと言わんばかりの呆れた顔で見ているだけで、誰も割って入って止めようとしない。
「あの二人、毎日毎日飽きないんだよね」
「仲悪いのか?」
「喧嘩するほど仲がいいってやつかな。どっちもガキなんだ。思ったことをそのまま言うから」
「それって悪いことなのかな。俺、仲直りしなきゃいけないほどケンカしたのって、ほんとにチビの頃だけだ。でも思ってること言えるのって、相手を信頼してて大事だと思ってるからじゃね?」
ランスと話していたクラスメイトは肩をすくめた。
「あの二人の場合、正直なのはいいけど、言葉はちゃんと選ぶべきだと思うな」
「たしかに。死ねはさすがにダメだ」
喧嘩していた二人は、さんざん罵り合ったあと、それぞれ別の扉から教室を出ていった。クラスメイトたちは、やっと静かになったとボヤきつつ、友人たちとの談笑に戻っていった。
昼食後、十二時半から午後の授業が始まる午後一時までの間、ランスとレベッカはブレンと予定の確認をすることになっていた。二人は体育館の狭い用具室で彼が来るのを待った。
話題がなくなったあと、レベッカは、さっきランスがクラスの子と話してたことだけど、と切り出した。
「ランスがケンカしないなんて意外ね」
「ちっちゃい頃にいっぺん酷いケンカをして、絶交してから怖くなったんだ」
「そっか。ホントに思ってることを言うのって勇気がいるものね。上手な言い方でホントのことを言えるようになるまで、すごく時間がかかるもの」
「ホントその通りだよ、しっかし疲れた……」
「さすがに慣れない環境にいると疲れるわね」
そう言ってレベッカは伸びをした。低い天井近くにある格子付きの窓から差し込む光が、彼女の蜂蜜色の髪を淡く彩る。銃を握っている時の彼女の顔を知らなければ、男子の半数以上は間違いなく彼女に一目惚れするだろう。制服のスカートの裾がほんの少し上に引っ張られて、白い太腿が覗いている。ランスは律儀に目を逸らしておいた。
「でも、ランスはクラスに溶け込んでたじゃない」
「俺、ホントは、ああやってると疲れるんだ」
「そうなの? それも意外ね」
「合わせなきゃいけねーし、ウソもつかなきゃじゃん」
「まあね」
「人とホントに仲良くなるまでは時間がかかるほうなんだ」
「でも、うちの船にも、すぐ馴染んだじゃない」
「職場だと喋る必要があるじゃん。指示してもらったり、質問したり。でも学校はそうじゃないだろ。最初はいいけど、だんだん話すネタに困ってくるんだ」
「そう……私はあまり学校に行ってなかったから、よくわかんない」
「そうなの? ごめん」
「ううん、気を遣わせること言って、私こそごめん」
そこで、鉄製の引き戸の扉がガラガラと音を立てながら開く。
「悪い、遅くなった」
ジャージに着替えたブレンは、体格の良さもあって妙に風格があり、本物の先生のように見えた。グラウンドで腕を組んで仁王立ちしつつ、生徒たちに檄を飛ばしていそうだ。
「いえ、さっき来たところです」
二人はブレンに、クラスメイトから聞いた仲直りの像の噂を説明した。
「なくなってしまうと困る子がきっといると思うんです」
レベッカがそう言うと、ブレンは跳び箱の上に腰掛けつつ、鼻を鳴らした。
「ンなもんに頼らねえと謝れねえような相手は、もともとダチじゃねえよ」
「でも、なかなか勇気が出せない子にとっては、そういうキッカケは必要です」
「そりゃそうかもしんねーけどな、俺らにはどうしようもねえ。こっちは仕事だ」
ランスはため息をついた。
「大人の事情ってやつか。嫌だなあ、そっち側に行くの」
「さっさと大人になっちまえ、クソガキども。いいか、放課後五時、中庭周辺の人払いができたら俺がスターティングピストルで合図する。そしたら像を壊せ。で、一旦職員室に戻れ」
「わかりました。でも、追っ手が学校に入ってきたら?」
「その可能性は低いと見てる。ここは警備がしっかりしてるからな。敷地を出たあとが問題だ。猟奇的なママのお迎えが待ってるかもな」
ブレンは口寂しいのか、ポケットから棒付きキャンディを取り出して咥えた。それから、再びポケットをまさぐると、二人にもおひねりのキャンディを手渡した。
「ありがとうございます。あの、何であいつらはいつも少数なんですか? 本気じゃないですよね」
ブレンはランスの目を見てから、くすんだペールグリーンの用具室の壁を睨んだ。
「こっちの戦力をじわじわ削ることが目的だ。お前を狙っちゃいるが、巡礼は俺らと一緒にさせたほうが効率がいいって分かってるんだろう」
「それで白桜刀に力を蓄えさせたところを横取りするってこと? じゃあ、何で機械人形や機械犬は俺を狙うんだ」
「さあな、今までは艦長狙いだったがな。あっちも技術はまだまだってことだろ」
「艦長はなんで追っかけられるんだ?」
「それは今度本人から説明される予定だ」
「そっか。つーか、戦力を削るって、今までにもやっぱり……ブレンさんは鮫に会ったことあんの?」
「ああ、あるな」
ブレンは、なぜかレベッカの顔を見て口を噤んだ。レベッカは首を横に振る。
「いいんです、ブレンさん。いずれ分かることです」
「どうしたんだ?」
「レベッカの親父さんは、三年前まで艦長の護衛だった」
「えっ」
「ジェフは俺とは毛色が違う、生粋のボディガードってやつだった。その仕事を全うした。ジェフの後釜がアーノルドだ」
「アーノルドと同じ仕事をしてたってことか」
「ああ、人間の経験に基づく勘ってやつは恐ろしいと思ったね。あの人と裏稼業の師匠だけは絶対に敵に回したくねえ」
それまで俯いていたレベッカは、毅然とした表情で顔を上げた。その黒目がちな瞳には強い光が宿っていた。
「私は父さんを誇りに思ってるわ。でも、仕事のことはほとんど教えてくれなかった。だから、父さんが何をしていたのか、何で死ななきゃいけなかったのか、知りたくてここに来たの。コネで無理を言ってこの仕事をもらったのよ」
ブレンはレベッカを数秒間見つめてから口を開いた。
「艦長はそんな適当な理由で船員を選ばねえ。自分は厄病神だと思い込んでやがるから、すぐ死にそうなヤツは絶対に追い返す」
「厄病神?」
「今度、機会があったら俺があいつに貸してやってる旧型ライフルの銃床をよーく見てみろ」
レベッカは眉根を寄せた。
「そういえば、ブレンさんのライフルには、たくさん傷がついてますよね。何かカウントしてるんですか?」
「あれは俺の勲章だ。でもあいつのは違う。あいつが死んだ魚みてえな目ぇしてやがったから、俺がつけろって言った。そんで絶対に忘れんなって言った。本人には何も聞くなよ」
「……父さんもカウントされてるんですね」
「ああ、そうだ」
「鮫にやられて失った人の数ってことか」
ようやく合点がいった。だから艦長は、あれほどにも憎悪に満ちた目をしながら鮫のことを語ったのだ。
「ブレンさんでも鮫を倒せないのか?」
ブレンはランスの目をちらりと見てから、苦々しげに唸った。
「んー、いや……正確に言うと、殺れねえ」
「なんでですか? 正当防衛以外は殺人罪になるから?」
「殺っても意味がねえんだ」
「どういう……」
「いずれ艦長から聞くと思うが、簡単に言えばあれは不死身みたいなもんなんだ」
ランスは首を傾げた。そういえば艦長は、殺してやるのが慈悲だと言っていた。魔法か何かで死ねない体になっているということだろうか?
「ゾンビ?」
「違う。でも、ちょっと近い。殺したら殺したほうが乗っ取られるんだよ。それはマズイだろ」
「えっ……それは……そんなことがあるんですか? じゃあ、どうやって倒すんですか」
「牢屋に閉じ込め続ける以外に、今んとこ策がねえ。それがまた簡単じゃねえんだ。艦長と俺が帝国軍に来てから、もう五年以上もこの状態だ」
手で弄んでいた棒付きキャンディの包装紙をグシャグシャに握りしめながら、ブレンはどこか疲れを滲ませた声で、そう吐き出した。
ひらがな、カタカナ、漢字の使い分けは意識的にやっています。
文脈やキャラクターの喋り方に合わせています。
しかし、それ以外の誤字脱字は単純ミスです☆




