WCC5. クラーク/妖精先生(1)
To Mr. Okamura & Mr. Kawai
人類を襲った未曽有の大災厄。
今から約千年前、科学技術文明を発達させ、母なる地球を蝕みながら、宇宙へと足を伸ばし、神の御業である生命の神秘にすら手を伸ばした人類は、自ら生み出した悪魔の力――核兵器によって滅亡の危機に陥った。
個人の繁栄を追求することにより、社会全体が豊かになるという理論は、社会全体の幸福を保証することで人類平等を成し遂げるという理想を、長い争いの果てに打ち砕いた。そして、国々が手を取り合い、互いに補い合うことで繁栄を手にすることを夢みた人類は、平和と共存の旗を掲げた。
二度に渡る大戦の果てに、同じ種族が争う愚かしさと虚しさを骨の髄まで味わった人類は、ようやく共存と安寧の礎を築き上げたかのように思われた。
だが、歴史は繰り返す。人類というものは本質的に、はるか昔に神によって形作られたその時から、平等を望む存在ではなかったようだ。
すべての人種は、祖を辿れば一人の女性に至ると科学の力で証明してもなお、自らに流れる血こそが高潔だと誇り、隣人を貶めることで自らを高めんと欲し、自国の豊かさのみを追い求める――その浅ましい虚栄心と闘争心ゆえに、他の生命体を圧倒し爆発的に繁殖した人類は、醜い同族争いの果てに自らを破滅へと追い込んだ。
生態系を顧みない生産活動によって引き起こされていた環境汚染と海面上昇に加え、『第三次世界大戦』と名付けられた戦争の結果、ヒトが居住可能な土地は地上から消え失せた。大地のほとんどは放射能により、その多くが汚染されるか焦土となったためである。宇宙に逃げ延びる準備すら許されず、土から生まれた木偶人形たる人類はついに、母なる星もろとも絶滅への道を辿るかのように見えた。
しかし、神の怒りの鉄槌が振り下ろされることはなかった。
慈悲深き神は人類を憐れんだ。
それはまさに神の御業、奇跡としか形容しようのない出来事だった。ある者は救済をもたらしたそれを天使、ある者は天樹、またある者は不死鳥と呼んだ。
人類に残された最後の大地が海に呑み込まれんとしていた夜、天を衝く眩い光が、いずこともなく現れた。それは瞬きするほどの間に青き天蓋を覆いきると、大地に海に、矢のごとく、或いは慈雨のごとく降り注いだという。雑草ですら根付くことができない不毛の地と成り果てた母なる大地は、聖なる輝きによって、たった一瞬で浄化されたのである。
科学では全く説明のつかない奇跡を目の当たりにした生き残りたちは、それぞれが崇めるところの神の偉業の前にひれ伏した。そして、二度とこれまでのような傲慢なおこないをしないと堅く誓った。
彼らは戦争と環境破壊の影響が比較的少なかった地域――具体的にはユーラシア大陸ウラル山脈以西に、身を寄せ合うようにして集まった。その頃の人口は、七十億近かった往時の百分の一、当時のヨーロッパの人口の十分の一ほどにまで激減していたと推定されている。
「……ス。ランス」
誰かがランスの腕を軽く引っ張って揺さぶっている。ああ、またアズサか。起こすなよ。今いいとこなんだって。やっと昼メシにありつけるんだぜ? しっかし、やっぱカレーの肉は牛肉に限るよな。豚のやつはポークカレーっていう別名があるんだ。鶏肉も悪くはないけど、いまいち腹いっぱいになった気がしない――
「ヘア・スプリングフィールド」
知らない男の冷たい声で、ランスは現実に引き戻された。いや、正確にはそうではない。微睡みから目覚めたのだった。
教壇からランスを見下ろしている、眼鏡をかけた中年の男は呆れたような顔をしつつ、手にした指示棒で黒板を叩いた。
「そんなに私の歴史の授業はつまらないかね?」
「へ? いや、やっぱカレーの肉は牛肉ですよね?」
教室内をくすくすという忍び笑いが満たした。ランスの隣に座っているレベッカは額を押さえている。男性教師はため息をついた。
「君、一限目から昼食のことを考えておるのか? そんなに大口を開けて爆睡する学生は初めて見た。君が今日限りの交換学生でなければ、即刻廊下行きだぞ」
「ゲッ! すいません! 昨日の夜は今日が楽しみすぎて、よく寝られなかったんです!」
「分かったから、ちゃんと起きて授業を聞きたまえ。それから、この続きを簡単に説明しなさい。魔法の部分を」
彼が指差した黒板には、『魔法の出現』『帝国』『王国』の三単語が並んでいた。ランスは冷や汗をかいた。帝都にいた頃は国立の一貫校に通っていて、当時はそこそこ真面目に勉強していた。それに歴史は中でも得意なほうだった。が、田舎村に移ってからは村人が開いてくれる私設学校に通う程度で、すっかり勉強は苦手になってしまっていた。
「え~~っと、ガキの時から何回も聞いてるけど、うまくまとめるのには、ちょっと時間がかかります」
「仕方ない。それではフラウ・ハミルトン」
教師に当てられたレベッカは、教科書を読んでいるかのように、すらすらと解答を口にした。
「至福千年期の始まりとされる神の救済ののち、人類は夢物語の中にしか存在しなかった『魔法』を手に入れました。特定の地域で算出する魔法エネルギー元素の力を借りることで、かつての化石資源に頼ることなく日々の暮らしを営むことができるようになりました。元素は地水火風の四種に大別され、人は生まれたときから、基本的にそのうちの一つを使う才能を与えられました。日常では、元素を活性化させる魔法石を媒介として生活に役立てることができるそうです」
「素晴らしい。完璧だ」
レベッカは得意気な顔でランスのほうを見ると、意地悪い笑みを浮かべた。
「続きはランスが答えてくれるそうです。考える時間、あげたでしょ?」
「あ!? 聞いてねーよ!」
ランスは両手で机を叩いて抗議したが、教師は容赦なく指示棒をランスに向けた。
「では、どうぞ」
唸り声を上げつつ、ランスは頭の片隅の引き出しに残っていた知識を総動員して解答を絞り出した。
「え~っと、生き残った人間は宗教と民族で分かれて国を作りましたが、そのうち二つの勢力に分かれて対立するようになりました。だいたいが、聖十字帝国とクリステヴァ王国の二つのどちらかにつきました。で、理由はよく分かっていませんが、帝国では五百年ぐらい前から、だんだん魔法が使えなくなりました。仕方なく帝国は、昔の文明で使われていた技術を研究して使うようになりました」
「よろしい。そして、帝国と王国は百年前から国交断絶しており、今も各地で小競り合いが起きている」
その教師の説明は中立的だった。基本的に帝国の教育機関では、周辺の小国や地域を侵略し属州化していることを正当化した説明がなされている。ランスは、へえ、こういう先生もいるんだな、大丈夫なんだろうかと少しばかり心配になった。もしかすると、リベラルな私学だから可能なのかもしれない。
黒板の上にあるベルが鳴り、壮年の教師は教科書を閉じた。
「今日はここまでだ」
教師が教室を出ていくと、生徒たちは机の上に広げた教科書を仕舞い、談笑を始めた。この光景はランスにとっては三年ぶりだ。
「あ~首がいてえ」
レベッカは次の数学の授業の教科書を机に出すと、半眼でランスを睨んだ。
「あのね、最前列でいびきをかいて寝るバカが隣に座ってて、起こそうとしても全然起きる気配がない状況が、どんなものか分かる?」
「なんか、レベッカもアズサとシロタエみてえになってきたな」
「誰が原因なのよ」
「そもそもの原因は、つまんねー授業をするセンコーだよ」
「偉そうなこと言って! 次寝たら、お昼ご飯は抜きよ」
「はあ!? そんな権限、レベッカにはねえよ!」
「ランス、最近ブレンさんから悪い影響を受けてるんじゃない?」
「そーゆーレベッカは、アストラさんみてえになってきてるんじゃね?」
「アストラさんならいいわ。だってクールなデキる女だもん」
「へえ~じゃあ真似してくれよ。いつものアレ」
レベッカは真顔になった。そして左手を腰に当てると、ランスに右の人差し指を突きつけた。
「ちょっと、ランス。次の授業で爆睡したら、お昼ご飯は没収よ?」
「わかった、わかった」
「そこはブレンさんっぽく『うるせえ!』でしょ」
そこで次の授業開始のベルが鳴ったので、二人は慌てて口を噤んだ。ガラガラと音を立てて開いた扉から、いかにも数学教師といった風貌の若い男性が入ってくる。
「えーそれでは教科書の四十五ペーシを開いて」
「なあ、いまペーシって言ったよな」
ランスが囁きかけると、レベッカは鼻を鳴らした。
「静かにして」
***おまけのカットシーン***
ランスは隣に座っているレベッカの肩をつついた。
「なあレベッカ。前回アウグスタさんが空軍少尉! て言ってたじゃん。あれ、みんな階級があるの?」
「あるわよ。軍服の肩にワッペンがついてるでしょ。その星の形と数でわかるわ。ちなみに私は一等兵」
「かっこいい! じゃあさ、艦長ぐらいになると何なんだ?」
「陸海空の三大将軍の下が本部の少将と中将で、その下だから大佐か中佐くらいだと思うわ」
「えっそれって、あの指パッチンしたら火が出る人と同じじゃん」
「艦長はそんな芸当できないわ。ここは王国じゃないし」
「じゃあ何ができるんだ?」
「いちおう弾薬は消費してるみたいだけど、私も艦長が銃を使ってるところはまだ見たことがないの」
「えっそれで軍人なのか? メーヴェとか紙ヒコーキに名前つけたり、リア充爆発しろとか言ってる場合じゃないんじゃね?」
「それを言っちゃダメよ! でも戦略とか立ててるじゃない?」
「それ、ほとんどアストラさんの仕事じゃん」
「うーん、私も正直なところ知らないの。艦長がどうして年中残業してるのか」
「それって雨の日じゃなくても、むの……」
「しーっ! どこで誰がきいてるかわからないでしょ!」
「へっくし!」
艦長は両手で口元を覆ってくしゃみした。ブレンが小声で「ブレス・ユーだったか?」と言うと、艦長は「ありがとう」と答えつつティッシュで鼻をかんだ。
「花粉か? コ○ナか?」
艦長室の隅に立って、何かの操作説明書を読んでいたアーノルドが顔を上げた。
「花粉はまだ飛んでいない。あと、コ○ナではない」
「へっくし!」
「そんな機能あんのかよ」
「埃や花粉、PMやスモッグなどの有害物質は感知できる」
「へー。くしゃみ二回は悪い噂らしいぜ艦長」
「はあ……いつも二回出るんだ。どうせみんな悪口言ってるんだろ。遊んでるとか役立たずとか」
「そーゆー自己卑下するヤツは大体仕事ができねえ」
「その傾向はある」
「君たちさ、僕をなんだと思ってるんだよ」
艦長は貧乏ゆすりしながら苛立った声を出した。
「自分でさっき言ってただろ。それ以上言っていいんなら言うけどよ」
「言わなくていい……へっくし! 三回出たぞ!」
「まぐれだろ。雨の日じゃなくても無能だな」
「間が空きすぎている。無能は下がっていろ」
「うるさい!」
Herrとはドイツ語でMr.で、FrauとはMis.のことです。確か。