第4殺 わりと忙しい暗殺者の一日
カーンカーン。カーンカーン。カーンカーン。
「ふぁぁ。眠いです……」
朝を示す二連の鐘の音が三回。今は朝の六時です。
アサシンの朝は早いです。
なぜならアサシンは一人暮らしだから。家事炊事は自分でこなすのです。
起きて最初にするのは朝食の準備。今日の献立はベーコンエッグとボウルサラダにパンです。パンは少々硬くなっているので、カットした後軽く水をつけてフライパンでトーストにします。
朝ごはんが済んだら次は掃除です。掃除といっても隠語ではありません。部屋の掃除です。
窓を開け放ち、布団を抱えて庭の物干しに運びます。布団を干したら叩きで部屋の埃を落としていきます。掃除の基本は上から下へ。
埃を落としたら魔導掃除機で吸っていきます。吸引力が変わらないオンリーワンな掃除機と謳っているだけあってグングンごみを吸い取ります。
最後に家具や床を雑巾がけしてフィニッシュ。部屋はいくつかありますが、一人暮らしで使っていないので大して時間は掛かりません。
掃除が終わったら次は買い出しです。街の市場に食材と日用品を買いに行きます。
この市場には様々な人が行き交います。食料品や日用品はもちろん武器や防具を売るお店や農具を売るお店、さらには魔道具屋に宝石店など、この世のすべてを置いてみたと言わんばかりに多種多様なお店が立ち並んでいるのであらゆる職業の人が訪れるのです。
「あらアサシンちゃん、いらっしゃい。リンゴ食べるかい」
「おまけしといたぜ、アサシンちゃん」
「今度ウチにも寄ってよー、アサシンちゃん」
市場の皆さんはとてもよくしてくれます。ですがアサシンが暗殺者だというのはみんなには内緒です。アサシンは裏の世界に生きる女なので正体を知られるわけにはいかないのです。
(((とか思ってるんだろうなぁ)))
買い出しの後は教会でお祈りです。
祈る相手は女神様ではありません。近況報告を兼ねて亡くなった両親へ祈るのです。女神はピンチになっても助けてはくれませんから。それに暗殺者に祝福を与えると思えませんし与えてもらえるとも思っていません。
お祈りも済ませ荷物を自宅に置いた頃には昼を告げる鐘が鳴ります。まだ大事な用が残っているので今日は外食です。
「美味しい食事をお求めなら冒険者ギルド直営のレストラン『食の探究者』へどうぞ! ギルドが買い取った食材を使用しているので安心安全鮮度は抜群。この道三十年の店主が作る料理は筆舌に尽くしがたく、その味わいはあなたを魅惑します。ギルドに用がある方もそうではない方も是非お立ち寄り下さい。猫耳族の看板娘ミミがお待ちしてますニャン(ウインク)」
はっ!? いけない、昼食を終えて少しウトウトしていたようです。なんだか変な夢を見ていたような?
それより午後は仕事探しです。
冒険者ギルドに来ました。
ここでは依頼の確認や契約、冒険者同士の情報のやり取りなどが主に行われています。
掲示板にはギルドに寄せられた依頼が貼り出され、草むしりのような雑用から魔物や盗賊の討伐など、色々ある中から冒険者は好きなものを選び受付で申請すれば契約完了です。今も若い女性が立つ受付で冒険者が話をしています。
ただし依頼の難度にかかわらず契約は出来ますが、失敗しようが死亡しようが全て自己責任。しかも依頼主を騙したり依頼を一方的に放棄する悪質な請負人には莫大な賠償金を請求され、無視や逃亡をすればお尋ね者として全ギルドに指名手配されてしまいます。
冒険者として生きていくのも命がけなのです。
さて、何か実入りの良い依頼はあるでしょうか。
「へへ、嬢ちゃん仕事を探してるのか?」
依頼書を眺めていると背後から声をかけられました。振り返ると冒険者らしき三人組がアサシンを見下ろしています。卑下た笑みを浮かべ人を値踏みするねっとりとした視線、一目見ただけでどういった人物か容易に想像できます。
「俺たちがイイ仕事紹介してやるぜ」
男の一人が肩に手をまわしてきました。アサシンが月下美人の如く惹きつけてしまうのは仕方がないことですが、品のない男はノーサンキューです。
「お前ら、アタシのアサシンちゃんに何してんだ!」
どう対処しようかと悩む間もなく救援が来ました。
ギルド職員の制服に身を包んだ女性。胸元は大胆に開けられ豊かに実った母なる大地が顔をのぞかせています。後ろでまとめられた炎のように赤い髪はよく手入れされているのかつやつやのさらさら。燃えるような熱い眼で睨まれた男達は怯んでアサシンから一歩後ずさりました。
「な、なんだてめぇは!」
男達がビビっている相手は、アサシンがギルドに初めて来た時から何かとお世話になっているギルド受付のお姉さんです。
「あいつら赤の鬼神に喧嘩売るなんて命知らずだな……」
「なんです? 赤の鬼神って」
「何だ、若い方のねぇちゃん知らねぇのか? マリー・スルーの二つ名だよ。あいつは昔勇者のパーティーに居てな、各国合同の大規模作戦に参加したことがあったんだ」
「す、すごいじゃないですか!? 先輩ってエリート冒険者だったんですね」
「まぁな。だがその作戦で大暴れしすぎたせいで周りにドン引きされてな。その時の返り血に塗れた姿と鬼のような形相から畏怖の念をもって赤の鬼神と呼ばれるようになったんだ」
「そんなことが……。ごくり」
受付でなにやら話をしているようですが、そんな暇があるなら助けてくれたらいいのに。といっても助けは必要なさそうですが。
「何だはこっちの台詞だ。アサシンちゃんに気安く触りやがって。アタシだってまだ……」
「ぐだぐだうるせぇ! 年増に用はねぇんだ、すっこんでろ!」
ブッチィッ!
なんでしょうか。丈夫で分厚いロープでも千切れたような音が……。
「あいつ言っちゃいけねえ事を……。死んだな」
「おら、いつまで居やがんだ。さっさと消えろぼてぃくすのぉっ!」
三人組のリーダーらしき男が受付のお姉さんを突き飛ばそうと肩に触れた瞬間、男の方が姿を消していました。
サンドバッグを全力で殴ったような重く生々しい音をその場に残して、妙な奇声を上げた男は吹き飛んだ勢いで扉をぶち破り外へ出ていきました。
「いっちゃん!? てめぇ、何しやが――ひっ」
地面に転がる男に駆け寄った連れが振り返えって見たものは、入口で仁王立ちで腕を組み、行き交う人々すら目を逸らして避けていくオーラを垂れ流している受付のお姉さんでした。その迫力たるや鬼の如し。
「「す、すみませんでしたー!」」
あまりの迫力に気圧された男達は、のびている男を引きずって大慌てで逃げていきました。これでもう彼らがこの街で不埒な真似をすることはないでしょう。
「助けていただいて、ありがとうございました」
戻ってきてもなお怒りが収まりきっていない様子の受付のお姉さんにお礼を述べます。ぺっこりと四十五度でおじぎです。
「いいのよ、お礼なんて。アサシンちゃんはアタシが守ってあげるからね」
さっきとはうって変わってとても穏やかな表情を浮かべて実の姉のようにやさしく抱擁してくれます。と思いきや息苦しくなるほど胸を押し当て、はぁはぁと息遣いが荒くなっています。もしかしたらああ見えて内心は怖くてドキドキだったのかもしれません。少しでも安心してほしくてアサシンも抱き返してみました。
「あっ。アサシンちゃん、こんなところで……。んっ、くぅ……!」
驚かせてしまったのでしょうか、びくびくと小刻みに震えています。あ、力が抜けてアサシンに寄りかかってくれました。多少なりとも緊張がほぐれたみたいでなによりです。
「ふぅ……。ありがとうアサシンちゃん。気持ちよ――気分が晴れたわ」
憑き物でも落ちたようなスッキリした顔をしています。
「さあ、仕事に戻りましょう。今日も依頼の確認に来たのよね?」
受付のお姉さんに促され受付カウンターへ。受付のお姉さんには通常とは別の依頼を斡旋してもらっているのです。その依頼とはもちろん暗殺です。
「とは言っても今のところ仕事はないのよね。悪徳貴族のリポップは確認されてないし、盗賊もこの間の緊急クエストであらかた討伐されたから」
この世界では悪人はリポップ――再出現します。
世界を作ったとされる神の一人であり、我が国が信仰している女神様が悪事を嫌う清廉な存在で、悪人を輪廻転生の輪に加えることすら拒否したために同じ存在として復元され続ける。と教会で聞いたことがあります。
故に暗殺の依頼が無くなることはないのですが、運悪くリポップのチャージタイムが重なってしまったようです。
「ところで、アサシンが暗殺者であることは秘密なんですから声は抑えてください」
「そうだったわね(隠してることも含めて皆知ってると思うけど)」
「この子が例の暗殺者の子ですか?」
なんと、言っているそばから秘密がバレてしまいました。なんとか口止めをしないと。
「あの、アサシンが暗殺者であることは内密に……」
「それは構いませんが、なぜ秘密に?」
言いたくはなかったのですが、言わないと変に勘繰られてしまう可能性があります。冒険者は信用が第一、不信感を抱かれるのは避けなければなりません。
「その……、暗殺者だと知れたらみんなに怖がられてしまうんじゃないかと心配で」
受付の二人が固まってしまいました。何かまずいことを言ったでしょうか。
「ちょっと、マリー先輩! なんですかこの子。なまらめんこい!」
「そんなの当たり前でしょう。アタシのアサシンちゃんなのよ。ちょっかいなんか出したら……」
「ひっ!?」
二人で盛り上がって楽しそうです。アサシンも混ざりたいですが、その前にやらなければいけないことが。
「あの、アサシンです。よろしくお願いします」
楽しく会話をするには仲良くならなければ。そして仲良くなるためにはまず挨拶から。人付き合いの基本です。
「これはどうもご丁寧に。わの名前は――」
「おーい、若い方のねえちゃん。この書類頼む」
「若い方の。この依頼なんだが……」
「おーす。若い方の受付さんはいるかい?」
タイミングを計ったかのように立て続けに冒険者が同じ人を呼びました。そして若い方というのは途中から会話に混ざってきた、アサシンより二三年上の受付さんを指しているようです。
「はーい。――ひぃっ!?」
若い方の受付さんが返事をした瞬間、とてつもない殺気が辺りを包みました。声を掛けた冒険者は戦慄を覚え、居合わせた他の冒険者は自身に厄災が降りかからないことを祈り顔を背けています。
すごい迫力で若い方の受付さんを睨みつける受付のお姉さん。
「わ、わ……。『わかいほう』は名前だべー!」
泣きながらギルドから飛び出して行ってしまいました。仕事はどうするのでしょうか。
「しかし困りました。暗殺の依頼がないと稼げません」
冒険者として登録して間もないアサシンは冒険者ランクが低いので報酬が低額の簡単な依頼しか受けることができません。因みに暗殺の依頼はギルドから直接委託されているのでランクに左右されません。
「アサシンちゃん、ちょっといいかしら。前から聞きたかったのだけど……」
すっかり落ち着きを取り戻した受付のお姉さんが真面目な顔になりました。
「どうしてそんなにお金が欲しいの? 暗殺の報酬は大抵が高額よ。一つこなせば四人家族がひと月生活するのに困らないくらいに。それなのにアサシンちゃんは月にいくつも受けてる、しかも普通の依頼まで……。もしかして家庭環境がよくないのかしら?」
ああ。このお姉さんは、マリーさんはアサシンのことを心配してくれているんだ。親に酷い扱いをされているんじゃないかと。ここまでアサシンに親身になってくれたのは師匠以外にいませんでした。
この人は信頼できる。だから話そうと思います。アサシンが暗殺者になった経緯を。
「アサシンに親はいません。村が盗賊に襲われたときに殺されました」
「!? そう……。それじゃあ仇を討つ為に悪人を暗殺しているのね」
「いえ、敵討ちなんて考えてませんよ」
「え!?」
「行商人をしていた父は儲かると周りに自慢して優越感に浸っていたので、いつかこうなるだろうなとは思っていました。逆にしっかり者の母にはあんな大人になるなとよく言われたものです」
「そ、そうなんだ」
申し訳なさそうな顔をしたり驚いたかと思えば次は反応に困ったような愛想笑いと、色々な表情を見せるマリーさんを尻目にアサシンは続けます。
「盗賊に襲われた時、母が咄嗟に高そうな壺に隠してくれたのでアサシンは難を逃れたのですが」
(何故そこで壺!?)
「母を含め女性は連れ去られ、アサシンも結局は高そうな壺を盗み出す盗賊に見つかってしまいました」
(でしょうね! 高そうな壺だからね!)
「そして外に連れ出されると、そこには村の者ではなく盗賊の出で立ちとも違う男の人がいました」
(きっとその人が盗賊を倒してアサシンちゃんを助けてくれたのね)
「男の人――師匠は盗賊と話をした後、何かが入った袋を手渡すと盗賊はアサシンを置いて引き上げていきました」
「それって賄賂なんじゃ……。それに師匠って」
「師匠はアサシンを引き取ると、暗殺者としての全てを叩き込みました」
「ああ、それで師匠なのね。というか、その人大丈夫なの?」
「師匠はアサシンに戦う術と生きる術、そしてこの名前を与えてくれた恩人なのです。ただ報酬の九割を送金させたり月の目標金額が一般市民の収入の半年から一年に相当するだけなんです!」
「その人本当に大丈夫!? 騙されてるんじゃ……」
アサシンは師匠のことを悪く言われ頬を膨らまして不服を表します。それをマリーさんは「怒ってる顔も可愛い」と茶化してきます。本気で怒ってるのに。
「とにかく、そういう理由で数をこなさないと生活費が稼げないんです」
ここにきて以前に買った暗視ゴーグルや狙撃銃の出費が響いてきました。アサシンの懐に氷河期が訪れようとしています。
「分かった。それなら、アサシンちゃんに一つ任務をお願いするわ」
こうして受付のお姉さんことマリーさんの信頼を得たアサシンは依頼の獲得に成功したのです。