第一話 ななめ危機一髪!
プロローグ ナナメ危機一髪!
「血圧、MP低下、命に別条はありません!」
慌ただしく、ストレッチャーに乗せられた患者が運ばれていく。そこに寄り添う長髪の青年。
「魔法少女ナナメ!もう大丈夫だ!・・・意識レベルが下がっているな」
運んでいる者たちも普通の医者や看護師とは違うようだった。どちらかというと研究者っぽいいでたちなのである。青年同様。
運ばれているピンクのフリフリの魔法少女然とした衣装の少女がぱくぱくと口を開く。
汚れて服も破れてボロボロではあるが大きな外傷は無いようだった。
「・・・てい、れば・・・れば・・・」
か細い声を聞き漏らすまいと、青年が耳を寄せる
「安心したまえ、作戦は成功だ!君の身体もすぐに治療する!」
「・・・に・・・ら」
そこまで口にして少女は意識を失った。既に施術室にストレッチャーはたどり着いていた。
「レバニラ?」
次に少女が目を覚ました時、自分の身体が裸の少女のままであることに気が付いた。
「!?」
「安心したまえ。施術の準備ができたところだ」
「じゃあなんで博士がそこにいるんですか!?」
少女はタオル一枚しか自分の身体を隠すものがない状況に狼狽える。
「私なら気を悪くしたりしない。安心したまえ」
「こっちが気にするんです!!」
「はいはい急に動かないの」
そこで第三者によって有無を言わさず施術が始まる。目の前の男性に気を取られていた少女はベッドに押し付けられ、ぬるりとした液体を身体に塗りたくられる。
(んっ・・・あっ、あぁ・・・)
「特別な効果を発揮するアロマMPオイルだ。君の身体の魔法力を正常に戻す力を促してくれる」
慣れない皮膚感覚への戸惑いと、リンパ節を的確に刺激されて、少女の息は荒くなり身をよじる。そこで初めて、施術をしている女性と目が合った。
「えええええええええええええっ!?
なんで、なんでここに――」
第一話 ななめ危機一髪!
目次
1.思春期ど真ん中
2.下校注意報
3.少女(?)の涙
4.出撃!魔法少女
5.任務完了?
市立大波中学校2年C組出席番号13番、七芽祐太郎14歳を正式に名前で呼ぶものは少なかった。
しかし決して彼の人格が無視されているとか、友達がいないとか、そういう深刻な事情があるわけではない。
ただ、「ななめ」というあだ名があまりにも浸透してしまっていたからだ。「芽」という漢字を国語で習う頃には、クラスの皆は「七芽」という漢字を「ななめ」と読み始めていた。以来、中学2年生の現在に至るまで、その風潮が栄えることはあれいっこうに廃れることはなかった。
今ではクラスメイトはもちろん、後輩から呼ばれる時でも「ななめ先輩」だ。同じ名字の苦労を知る上、名付け親でもある両親ぐらいは責任を持って名前で呼んで欲しいものだが、なぜだか「祐」の字をもじって「ネウ太郎」とか、「ユウ君」とか好き勝手に呼ぶ。あと雑に「デコ太郎」とか。
しかしそれなりにお年頃の彼が名前のことだけで悩んでいるわけにはいかなかった。同年代の男子と比べて小さ目の体に、溢れんばかりの悩みだって持っているのだ。同年代の女子と比べても小さ目の身長がその悩みの大半だったりしないでもないのだが。そして今、またひとつ、彼の悩みの種となりえる妖しい影が七芽祐太郎の背後に迫っているのだった。
1.思春期ど真ん中
「ななめー!今日の放課後、球技大会に向けての作戦会議でサッカー部の2年部室集合な。」
昼休み、祐太郎に声をかけてきたのはサッカー部2年では期待のエース栗生真。2人いる兄もサッカー部で、サッカーと結婚を誓っていそうなぐらいの根っからのサッカー少年だ。幼稚園が一緒だった祐太郎は卒園文集に書いた彼の夢が「サッカーになること」だったのを知っている。
ちなみに祐太郎の場合、「エビフライ屋さん」だ。お花が好きな子はお花屋さん、ケーキが好きな子はケーキ屋さん、ラーメンが好きな子はラーメン屋さん。エビフライが大好物だった祐太郎は当然のように「エビフライ屋さん」と書いた。やさしくてきれいだった先生の困った笑顔が忘れられない。
「うっ・・・。僕、美術の木版画の提出が今日までなんだ・・・」
「んだよトロいなー。ま、ななめは始めから戦力外だから、気にすんなよ。万が一早く終わったら、2年部室だからなー!」
とナチュラルに残酷な最後の言葉を言い終えないうちに、栗生は行ってしまった。他のまだ作戦会議について知らない男子を探しに行ったのだろう。
ちなみに、サッカー部には3年生の部室と2年生の部室が別々にある。1年生には部室は無い。
「んもー、酷いよう」
早くも戦力外通知をされてしまった祐太郎は唇を尖らせる。
「よおっ、ななめ氏がご機嫌斜めとな?」
クラスのお笑い担当の黒田龍之介が自分で言って一人で爆笑し、周りから小突かれて坐っていた机から転げ落ちる。そこでやっっと男子達に爆笑の渦が生まれる。
祐太郎は憤慨しながらも、十回や二十回や三十回は言われている名前ネタなので今更文句も言わずに黙っていた。
「ななめ君、ホラ、牛乳でも飲んで機嫌直して」
近くにいた女子が給食の残りのパック牛乳にストローを刺して祐太郎の前に差し出した。
「イライラにはカルシウムよ」
「ありがと・・・」
祐太郎は素直に牛乳を受け取ってストローを挿し、ちうーっ、と飲み始めた。身長を気にしていつも牛乳を頑張って飲む祐太郎に、クラスメイト達は給食で飲まなかった牛乳をよく進呈していた。
「ところでななめ君に相談があるんだけどー」
と、祐太郎に牛乳を渡した女子、須賀栞が近くの席に坐る。祐太郎も付き合って、机を挟んで須賀の前に坐る。いつの間にか数名の女子の輪ができあがっていて、男子達のグループから壁を作った。
「栗生なんだけどさ・・・どんなやつ?」
男子のグループの方をちらりと確認しながら、須賀は祐太郎に囁いた。肩までの長さに几帳面に切り揃えられた細い黒髪がさらさらと流れるように動くのを祐太郎は眺めていた。
茶色がかることもない真っ黒な髪が、須賀の肌の白さとコントラストを成して祐太郎の目に眩しく映る。
「どんなやつって?」
「えっとなんて言ったらいいかな・・・今まで付き合ってたことあるかっていうか、女の子に関して真面目かどうかっていうか・・・」
当然「付き合ってた」というのは「特定の女の子と付き合っていたか」という限定的な意味であろう。クラス委員などでいつも生徒の中心となっている姿とは違って、妙に歯切れの悪い須賀に祐太郎は首を傾げる。
だけど、事情もわからずに友人の情報をべらべらと話すわけにはいかないとやや慎重になる。
「なんで?」
「う・・・やっぱ全部話さないとフェアじゃないよね」
須賀は観念したようにため息をついた。彼女の、聡明なだけではなく、自他を問わず不正や不平等が許せない真っ直ぐな性格――ややもすれば意固地、頑固ともいえる――も、祐太郎には好ましかった。
「うん。きちんと相談してくれるなら、僕もできる限り協力するよ?」
祐太郎は須賀に真っ直ぐ向き合って、真面目に聞く態度を示した。
「実はこの間、栗生と映画見に行ってさ・・・」
「2人で!?」
「いや・・・男女合わせて5人で。恵美と、男子の方の本間って仲いいでしょ?それに私も付き合って遊びに行ったわけよ」
「そうなんだ。ごめんね、話の腰折って」
「いいよ、どうせ話すことだから。それで、その後栗生と映画の話で盛り上がっちゃってさ・・・」
「ふんふん」
「それ以来、栗生がなんか積極的な気がするんだよね。教室でもよく話すようになったし、雨の日部活見に来たりするし・・・自意識過剰かもしんないけどさ」
ちなみに須賀栞は吹奏楽部所属である。
「アオハルかよ~」
「いやいや、あれは絶対栞狙いだって」
「気を許しちゃ駄目よ須賀さん!男子なんてみんなケダモノなんだからぁ」
周りの女子が思い思いに勝手なことを言い出す。
「それで、須賀さんは嫌なの?」
「えっと、嫌というわけじゃなくて・・・」
(なあんだ、そういうこと)
祐太郎は肩から力が抜けた気がした。一寸、栗生の積極的なアプローチに困っているのかと思って心配になったのだ。
「須賀さんも真のことが気になるんだ?」
須賀は祐太郎の言葉に絶句し、それから、ばつが悪そうに口を開いた。
「まあ・・・気になるっていうか、本当にそうなのかなーって、他の女子でもあーいう風にできるのかなって・・・」
「そんな、須賀さぁん!男子なんて駄目よ、須賀さんには釣り合わないわ!」
赤くなりながら話す須賀の態度に、熱心な須賀の信奉者である山本梢が悲痛な叫びを上げる。そして、「山本退場」の声とともに数人の女子に教室の外へ強制連行されていってしまった。必死の抵抗も空しく。
「真は、無駄に明るくて軟派で適当なヤツに見えるかもしれないけど、みんなに思われているほど不真面目ではないよ。特に女の子に関しては、真面目と言うか奥手と言うか・・・、断言はできないけど、それは真なりの全力のアピールなんじゃないかなあ」
「そうなんだ・・・」
「ああ見えて繊細なところもあるし、意外に長くて器用な指してるんだよ。僕ね、靴紐が固結びになっちゃった時、いつも真にほどいてもらうんだ」
「そ、そーなんだ・・・ななめ君、友達のことよく見ているね」
「そうかな?」
「ありがと、相談してよかったよ」
「どういたしまして。でも、どうして僕に?」
「それはさあ、ななめ君は安全牌っていうかね」
再び周りの女子達が口を出してくる。
「うん、クラスの『恋愛に興味なさそうトップ3』の一人だからね」
「それってどういう意味!?他には誰がいるの!?」
「気にするのそっちなんだ?」
祐太郎はムッとしながらも妙なことを気にしていた。女の子達にはうまくその憤慨が伝わりそうにない。
「それはもちろんヤナギとか――」
という言葉が発された瞬間、ハッとして集っていた全員の視線が一点に集中する。輪には加わらず、輪のすぐ近く自分の席で本を読んでいた眼鏡の女子生徒、柳井ミキの元に。
名前が呼ばれて始めて皆、そこに柳井がいたことに気が付いたかのようで、祐太郎も不思議とそんな近くにいた柳井に今まで注意を向けていなかった。
「ご挨拶だね・・・」
読んでいた文庫本から目を上げて、ボサボサ頭の女生徒、柳井ミキは軽く笑う。
「でもヤナギ女史は二次元萌えオンリーっしょ?」
「否定はしないがね・・・」
現実の男性よりも漫画や小説の人物に興味が偏っている。そう評されても柳井は気分を害した風もなく答え、女の子達は皆笑い出した。祐太郎はそこでふと思い出して、抗議の声をあげた。
「僕はそんなことないからね!」
補足するならば、「二次元の世界にしか興味がないこと」ではなく、「恋愛に興味がないこと」の否定である。
「ええっっ!??ななめ君好きな人いるの?」
「誰?誰?誰?」
「この中にいる?」
「ちょっとやめなよー(笑)」
祐太郎が「しまった」と思う間もなく、女の子達が目を輝かせて詰め寄ってくる。先程まで神妙に相談していた須賀までもが。
キーンコーン
ちょうどその時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、「ごめんねもうおしまい!」祐太郎は命からがら輪を抜けて窓際の自分の席へと逃げ出した。
程なくして外でサッカーをしていた男子達が戻ってきた。その中に栗生真も混ざっていたのを祐太郎は見つけた。
(サッカー一直線の真がねえ・・・)
そして須賀達の方へと視線を向ける。逃げる祐太郎を捕らえてでも追究しようとする女子達を、先程の恩のある手前、須賀は一応止めてくれた。
(須賀さんかあ・・・僕もいいなあと思ってたんだけどな・・・)
ほんのチクリと柔らかな棘が胸を刺す。
告白しようなどと考えていたわけではない。けれど、親しげに話しかけられるたびに、目で追う回数は増えていた。だが、須賀は女子の中で身長が高いほうで、祐太郎よりもだいぶ大きいということも、祐太郎は気にならないではなかった。
ため息一つついて、窓ガラスにうっすらと映る自分の姿を複雑な思いで眺める。坊主頭やスポーツ刈りと呼ばれる長さとはいかないまでも意識的に短く刈った髪。ところどころで髪の弾性が自重に勝ってはねている。これは男らしい(はずだ)。その下、生え際も美しい立派なおでこに細めの眉。くりくりとよく動く大きな瞳を飾る睫毛は女子たちから羨ましがられるくらいにはちょっと長め。ツンと上向きの決して高くは無い鼻と、給食のパンにかじりつくにはちょっと苦労するサイズの口。決して主張しすぎない範囲のゆるやかな曲線を描くあごからつづく細い首。
この顔を評してよく言われる「やさしい顔立ち」「あどけない」「癒し系」は、どれも男らしさからは程遠いのが困りものだ。髪型も実際、「男らしい」よりも「子供らしい」と表す方が正確かもしれない。
頭の中で自分と須賀の姿を並べてみて、祐太郎はもう一度ため息をついた。・・・下手すれば姉弟みたいではなかろうか?
「おい、ななめ!」
「え?」
気が付けば考え事をしている間に黒田が目の前まで来ていた。そして声を潜めて囁くそぶりをするので祐太郎も何も考えず耳を傾ける体勢をとる・・・
「須賀氏って、中学生の割におっぱい大きいよな」
「ぶ、おぱっ!?ななななな・・・」
完全な不意打ちで動揺してキョロキョロしてしまい、かえって不審な祐太郎をよそに、黒田は既に自分の席に戻っていた。
(え?なにこの投げっぱなし!どうしてくれるのさ黒田君!)
祐太郎は思わず須賀の方を見てしまう自分を恥じ入り、努めて見ないようにするのであった。
2.下校注意報
「ああもうこんな時間だよう・・・」
美術の課題を居残りで仕上げて美術室を出た頃、日は傾き、当然もう作戦会議は終わっているだろう時刻になっていた。
七芽祐太郎の悩みリストその3。トロいこと。
丁寧に作品を仕上げようと思うと、どうしても人より時間がかかってしまう。
トボトボと学校を出た祐太郎は、向かいの通りに見慣れた人影を見つけ声を上げた。
「せんぱ~い!」
手を振って呼びかける祐太郎に気づいた相手は、今にも車道を渡りだしそうな祐太郎を手で制して、歩道橋を渡って自分から祐太郎の元へとやってきた。
「お久しぶりですね、白銀先輩っ」
白銀卓斗は、祐太郎の通う大波中学校の卒業生で今は高校一年生。2人は部活も委員会も一緒だったので、祐太郎は1年生の放課後の大半を白銀と一緒に過ごすことになった。
白銀は銀縁眼鏡をかけた線の細い印象の青年で、顔の造形でいうと特に欠点となる部分は無いがこれといって印象に残る顔でもない。体系は中肉中背・・・よりはやや細い。性格は真面目で物静かだったから、ともすれば陰キャといったイメージを持たれそうなものだが、意志の強さをたたえた目と、明晰な判断力に支えられた行動力がそれを許さなかった。
2人の会話は始め9:1で祐太郎が喋るというようなものだったが、祐太郎は意に介さずまとわりつき続けていた。
「遅いな。部活か?」
「いえ・・・美術の木版画で・・・」
「そうか・・・」
すぐに会話が途切れてしまい、2人は無言で歩きつづけていたが、本当のところ祐太郎は久しぶりに会えた白銀と話したいことがたくさんあってうずうずしていた。だがかえって何から話し始めたものかわからず、口を開くタイミングを失ってじれったさばかりが募る。
「どんなだろうな。七芽の版画。今度見せておくれ」
「えっ?」
意外にも白銀の方から話題をふってきた。一年間かけて、2人の会話比は7:3にまで変動していたのだ。
「七芽、絵得意だっただろう」
「いえ、得意っていうほどじゃないですよ・・・、写生会で一度だけ銅賞を貰った事があるくらいで、版画だってなかなかできあがらないし」
「そうだったか。でも、俺から見れば羨ましいくらいだけどな」
「え?先輩手先は器用でしたよね?」
祐太郎は首を傾げて白銀の顔を見上げる。
「手は動くんだが・・・美的センスというものが、全く欠けているようなんだ」
「そうだったんですか~」
白銀についての新情報(微レア)をゲットしたところで2人の帰路の分岐点にさしかかり、祐太郎は別れを告げた。
「ふう~っ。今日みたいに偶然でもないと先輩と会えないんだな~」
思わずため息が出る。
「先輩が来ないから、部活に行っても誰もいなくて寂しいし・・・」
ザッ。
背後に人の気配を感じて、祐太郎は立ち止まった。
(ひとりごと・・・声に出してたの、聞かれちゃったかな・・・)
気になってさりげなく振り返ろうとしたその時、
「ななめゆうたろう君、だね」
ずいぶんと野太い声に(間違ってるけど)名前を呼ばれて、ビクン、とわずかに跳ね上がり、祐太郎は恐る恐る振り返った。
そこには、黒服にサングラス、更にはいかつい体格の2人組みが、たっぷりの威圧感を放ちながら立っていた。
「しっ・・・」
「「し?」」
「『しちがや』ですう~~っ!」
右足の踵を引く動作から始まる綺麗な「回れ、右」を披露して、祐太郎は一目散に逃げ出した。別にやましいことがあったからではない。単純におっかなかったからだ。後ろではトランシーバのようなものをとりだして「逃げたぞっ!」なんておきまりのセリフを吐いている。
ああ、いつから僕は組織ぐるみで追われるような身分になってしまったのでしょう。と祐太郎は世を儚んだ。
「ぎにゅうっ!」
角を曲がった途端、何かにぶつかって、祐太郎は弾き返された。しこたまお尻を打ちつけて、涙が出る。
「いたたぁっ・・・、ごめんなさい、大丈夫でし――」
ぶつかった相手を見上げて、祐太郎の口が開いたまま固まる。そこには、10人近い黒服サングラス軍団が並んでいたのだ。
「いやああああああああっ!!」
3.少女(?)の涙
「――ハッ!」
恐怖のあまり気を失った祐太郎が目を覚ますと、そこは黴臭い牢獄の中・・・ではなく、消毒液臭い手術台の上・・・でもなく、やけに体が沈む柔らかいソファの上だった。
見上げればまばゆく輝くシャンデリア、見下ろせば靴を脱がなくていいものかと不安になるほど高価そうな分厚い絨毯(祐太郎は、靴を履いたままだった)。祐太郎は、見たことも無い程高級な内装の部屋に坐っていた。
「脅えさせてすまなかったね、『しちがや』、祐太郎君」
向かいのソファには、奇妙な男が坐っていた。
「!!」
祐太郎は自分の周囲を見回してすぐ側に自分の通学鞄を見つけると、男から自分の身を隠すようにして抱えた。しかし、いざという時に武器として振り回すにしても、それはあまりにも心もとなかった。
向かいの男は、パーティでダンスでも踊るようなタキシードの上から白衣を羽織っていた。長い髪を後ろで束ねている。
年齢は30前後だろうか。背筋は真っ直ぐしていて自信に満ち溢れている。タキシードのせいかなんとなくキザな感じがする。しかしその上に一枚の白衣という不可解さが被さっている。この部屋の中で、祐太郎を除いては、明らかにその白衣だけが浮いていた。
それよりも。男は祐太郎をフルネームで呼んだ。しかも今度は正しく。いったいどういうことだろうか。
この部屋の持ち主・・・かどうかははっきりしないが、こんな、祐太郎の想像も及ばないブルジョワな世界に関係する者が、身代金目的で祐太郎を誘拐するとは考えにくい。
(じゃあ、お父さんが実はマフィアのボスで敵対勢力に人質として選ばれちゃったとかお父さんが実は大統領秘書でテロリストに利用されちゃうとか・・・)
祐太郎の頭はかなり混乱していた。そんな慌てふためく祐太郎の姿を見て、たまりかねた男がクッ、と笑いを漏らす。
「いやあすまない、実は、我々は君にお願いがあって、今日は来て貰ったのだよ」
たいしてすまなくもなさそうに、白衣の男は言った。(そら来た!)息子の命のために父は合衆国を危機にさらすだろうかと、祐太郎はなんだかズレたことを考えていた。少々洋画の見過ぎであろう。
「本題に入る前に、君には知っておいてもらわなくてはいけないことがある。いいかな。冷静に聞いて欲しい」
ゴクリ。
もう父が何者でも驚かないぞと、状況を勝手に限定してしまいながら、祐太郎は男の言葉を待った。
「魔法は、存在する」
(ん?)
今、男は父が何者だと言っただろう。確か、「マホウハソンザイスル」と言わなかっただろうか、マホウワ、マホウ、魔法・・・
「魔法ぅ!?」
祐太郎の中の、映画やドラマ、漫画の情報から作られた「異常事態対応マニュアル」がフルスピードでめくられていく。そんな項目あっただろうか。あった、ハリー・ポッターだ。
「ででででもアレはイギリスのお話でお父さんは結局何者で――」
混乱した祐太郎はなぜか今頃国籍にこだわりだす。男はとにかく話を進めることに決めたらしい。
「発達した科学技術は、奇しくも世界には科学では説明できないことがあることを証明してしまった」
男は立ち上がると、舞台俳優のようなよく通る声で、大げさな身振り手振りを交えて話し出した。
「それは事実、『魔法』としか呼び様がなかった。非科学的な現象が、実際に我々の目の前で計測されるのだから。しかし科学は、長い歴史の中で人類が掴み取った確かな武器だ。科学的に説明はできなくとも、我々は、『魔法』を科学によって操る術を模索した。オカルト、超常現象、心霊術、気孔・・・それらに冷酷な科学のメスを入れ、『理解』するのではなく『利用』することに目的を絞り、状況的に、数値的に計測を重ねた。もちろん、調査対象となった現象の多くは信憑性の低いものだった。つまり、言葉は悪いがほとんどは『インチキ』だったのだ。だから、真偽を確かめ、吟味するとこらから研究は始まり、困難を極めた。人には理解不能、制御困難なものだからこそ、昔から畏れられ封印されてきたのだ。文献だって偽物の方が多い。しかし、我々はついに、あやふやながらもいくつかの体系を形作るに至った――」
「ええっと、ちょっといいですか・・・?」
語りながら一人感慨すら感じている男に、祐太郎は恐る恐る挙手して発言する。
「なにかね?」
「難しくてよくわかんなかったんですけど、『魔法』って結局、なんなんでしょうか」
「うむ、もっともな質問だ。具体的にはまだ何も説明していないからな。私にとって魔法の定義とは、『科学的に検出される非科学的な現象』すべてを言う。少々矛盾する表現だがね。ある種の光線を浴びつづけた物質はある粒子と反発するとか、動物の体の一部分から特殊な方法で膨大な熱エネルギーが取り出せるとか、ある鉱物を近づけるとある種の粒子が運動速度を増すとか、科学的な法則を全く無視してこういう事が起こった場合、我々科学者には、まったく魔法としか形容できない」
祐太郎には男の説明から『魔法』について何も理解することができなかった。ホウキで空を飛ぶとか、デッキブラシで空を飛ぶとか、そういうものと同じと考えてもいいのだろうか。
「まず、なぜ我々武者小路コンツェルンが、このような研究をしているのかを説明しようか」
具体的には体で覚えてもらうとして、と、気になるセリフで『魔法』についての説明を打ち切ってしまい、男は話を続ける。
「えっ?武者小路って、あのおっっきなお屋敷の!?」
――コンバインから割り箸まで。この一杯の天ぷらうどんにも、武者小路コンツェルンがいっぱい関わってるんだね。――っていうテレビCMでお馴染みの、重機・化学・食品なんでもござれの巨大企業集合体、武者小路コンツェルンの会長が街外れの広大過ぎる敷地の屋敷に住んでいるとか住んでいないとかいう噂が、祐太郎の住む街にはあった。
「いかにも、ここは武者小路財閥敷地内のラボ。私は武者小路秋継、武者小路魔導科学研究所の研究所長だ。表向きは『健康食品部門』研究所長だがね」
「ラボ?」
祐太郎が色々驚きながらも抵抗のあった言葉に聞き返すと、武者小路の背後にあった古そうな本やワインの並んだ戸棚が中央から割れて、奥から雰囲気の違う部屋が現れた。
そこは病院と工場が合わさったような乱雑さで、テレビの戦隊ものの秘密基地のような感じもした。十数人のスタッフがそこで忙しそうにしていた。中には武者小路のように白衣を着た者もいる。
(やっぱり手術台がー!)
「我々の目的は『魔法』のオートメイション化、機械装置による実用だ。ただし、特殊な目的を想定した」
一人青くなる祐太郎をよそに、武者小路は話を元に戻した。
「公表されてはいないが、我々の生活の側には魔法による脅威が存在する。
Magical(魔法的な)
Irregular(不測の)
Dangerous(危険な)
我々がMIDと総称する事態への対策を日本政府から委託されているのが、『魔法生物及び現象による災害防止対策特務機関』である、私たちなのだ。ちなみに人類に無害な魔法生物のことは、ビジターと呼んでいるよ」
「どうして、それで僕が・・・」
先程より状況は大分理解できてきた祐太郎だが、根本的な疑問が解決されていない。
「MIDに対しては通常兵器は無効、もしくは非能率的。自衛隊や警察には無い柔軟性、そして隠密性を持つ専門機関こそが必要だったのだよ!」
祐太郎の疑問には答えず、一人演説のボルテージが上がっていく武者小路。どうやら、芝居がかった喋り方が『地』のようだ。
「そこで!100万分の一人の適性を持つ君に我々『魔法生物及び現象による災害防止対策特務機関』の一員として手を貸して欲しい!!」
バーン!と効果音こそ鳴らないものの、左手を自分の胸にあて、右手を祐太郎へ差し出した武者小路のポーズがびしっと決まる。
「え・・・」
「えええ~~っっ!!?」
オチとして考えられないものではなかった。しかし、自分の身に降りかかる事態としては、なかなか受け入れがたいものがあった。自分がまさか、魔法少女になるなんて。
「どうして僕なんですか~?」
「説明しただろう?君は、100万人に一人の魔法適性遺伝子の持ち主だ」
どうやらテレビゲームのRPGでいうところの魔力や魔法防御力が高いということらしい。
(えっ!?防御力って!攻撃されちゃうの?僕!?)
「よく考えると100万人って結構微妙な数字じゃないですか?日本中に100人や200人はいそうな・・・」
「その中で君がもっとも言いくる――適性にかなっているんだ。厳正なる調査とコンピュータによる診断の結果だ、君しかいないんだ!」
「でも・・・」
「すまないが状況は、あまり悠長にしていられないことになっているんだ」
そう言い合いながらも、祐太郎は既に服を脱がされ手術台の上に拘束されていた。次々と電極のようなものを素肌にとりつけられ、ひんやりくすぐったい。
「あ、あの、でも、ですね。僕なんて頭いいわけでもないし球技はからきしだし、14歳男子の平均身長と比べると、ちょっっぴり低めだし・・・」
この状況からなんとか逃れようとして、自分で言ってて落ち込んでしまう。その間、手術台は、人間ドックで検査に使うような機械の何倍も大きな装置の前にスタンバッてしまう。
「君は自分でも気づかないだけで大きな力を持っている。自信を持ちたまえ」
目を細めながら、武者小路が祐太郎の髪を撫でる。その途端祐太郎は問答無用で装置の中に放り込まれる――
「そんなああああ~」
そんないいセリフっぽいことを言われたって困るものは困る。自分の身がこの先どうなるのだろうと心配する暇も無く、密閉された装置の中に黄色っぽい溶液が流れ込んできて祐太郎は目を白黒させた。
「えっ、ちょっ!このままだと溺れゴボッ!ゲホッ!がぼぼ・・・」
手術台に固定されたままの祐太郎はあわれそのまま溶液に沈んでしまう。当然呼吸ができず、意識が薄れかかったところに電極から微弱な電流のような刺激を感じた。わけのわからないままマッドサイエンティストの手にかかり、14歳の短い人生を終えてしまうのかと絶望しながら、祐太郎は自分の体が溶液と一体化して、ゆらゆら水のようにゆらめいいているような感覚を覚えた。
(ああ、僕もう眠いや・・・)
先程の呼吸ができない苦しさから開放されて、せめて眠るように心地良く逝けることが救いと思い、今度こそ本当に意識が消えかかって・・・
(光が――)
「げほっ!がばっ、ごぼっ、ごほごほっ・・・」
突然、息苦しさに目が覚めて、酸素を求める。肺に溜まった液体が口から溢れて、もっと、もっと空気を、うまく呼吸できなくて今度はむせ返る。
「ひゅー、ひゅー・・・」
ひとしきりむせては深呼吸を繰り返し、意識を失う前のことを思い出す。
「僕、生きて――」
ゴツッ!
「いっ・・・た~い・・・」
狭い装置の中起き上がろうとして思い切り頭を打った。なぜか拘束は解けていた。
〈七芽祐太郎君、落ち着いて聞いてくれ。今、君を装置から排出する〉
プシュー・・・
装置から排出され、濡れた素肌に外気が当たって身震いした瞬間に、祐太郎の体全体がすっぽり包めるぐらい大きなタオルが体に被せられた。
「一体何を・・・」
上半身を起こし、タオルにくるまったまま体を拭きながら尋ねる祐太郎の身体をじろじろと見ながら、武者小路は答える。
「任務のために君には、魔法の力を最大限引き出してもらう必要がある」
その時祐太郎は、ふとした、しかし何か決定的な違和感を覚えた。
「そのためのサポートは我々が完璧に行うから安心してくれていい」
体を拭くときに、妙に胸のあたりがこそばゆくてむずむずする。よくよく見ると、何かいつもと違うような。
「研究によって、より魔法の力が出やすい状況は導き出されている。より魔法の力が出る天候、より魔法の力が出る温度、より魔法の力が出る服装・・・」
自分の体だからわかる。何かおかしい。いつもの自分の体と違う。
「そしてより魔法の力が出る肉体、つまりこの場合せいべ――」
「きあああああああぁあああああああああぁぁっ!!!!」
無い!いや、違う!14年間慣れ親しんだはずの男の子の体と!祐太郎は恐怖におののきあとじさろうとして坐っていた台の上から転げ落ちた。
どすん。
「いやああああぁあ・・・」
転げ落ちた痛みも忘れて後じさろうとする祐太郎であるが、逃げようにも怖ろしいのが自分自身の体だからどうしようもない。
「君は生まれ変わった!人々をMIDの恐怖から救うため、魔法少女ナナメとして!!」
「返せ戻して僕を返してえ!」「なかなかに哲学的な要求だねえ」
タオルなど置き去りにして武者小路にしがみつき揺さぶる祐太郎。
いや、もはや彼の肉体は完全に少女である。しかも魔法少女。泣きながら武者小路の体をがくがくと揺さぶる全裸の魔法少女ナナメ。
「統計学的にも、男性より女性のほうが魔法を使うための力が強く、発現も容易で、これはもう身体の機能上そうなっているとしか言いようがない。筋力の発達した男に対抗するために身に付いた本能的な防衛力なのかもしれない。ただでさえ魔法適性の高い七芽祐太郎君が、より最適化されたのが今の君、魔法少女ナナメだ。専門的な修行も知識も無しにこのナナメは、最高峰の魔法使用者たりえるのだ!!」
「この、ン世紀の大発明家!!むしゃのこうずぃ・・・んなああああぁきつぐぅの手によって――ふぅ・・・」
自分の偉業に悦に入り感無量といった調子の武者小路は、いかにもついでのように「任務が終われば元に戻すが」と付け足した。
そこへ女性スタッフの一人がナナメの衣装を差し出したので、我に返ったナナメは自分の格好を思い出し、悲鳴をあげてうずくまった。
「なんなんですかこの服~」
用意された衣装に身を包んだナナメが情けない声をあげる。
「様式が術者の意識を支え、魔法の威力を上げる。言っただろう、ナナメの力を最大限に発揮させるのが、そのコスチュームなのだよ」
ナナメが着ているのは、ファンシーで、ひらひらで、お伽の国の住人といった感じの代物であった。つまりは白昼堂々表を歩けないぐらいのかわいい衣装なのだ。
「っていうか僕髪長っ!」
ナナメの髪は、用意された二つの個性的な髪留めによって頭の両サイドで留められていた。
「随分気づくのが遅かったな・・・。髪の長さも、魔法の力が発揮しやすいように長くしてリーインカーネイションさせてもらった」
「りーんかー・・・?」
聞きなれない言葉が出てきて戸惑うナナメをよそに、武者小路は「本当ならばもっと長いほうが良かったのだが、元素総量が・・・」などと独り呟いている。
「僕・・・やっぱりこんな格好恥ずかしくて、できません!」
「まあ待ちたまえ。君は今、七芽祐太郎ではない・・・、街の平和のために戦う、魔法少女ナナメだ!魔法少女である今、魔法を使うためのコスチュームを恥じることは無い」
「ええっと、その魔法少女が恥ずかしいんですけど・・・」
ナナメの抗議を聞いているのかいないのか、武者小路は話を進めてしまう。
「ナナメ君。最近、健康な女性が突然意識不明で倒れるという事件を聞いたかな?」
「ナナメじゃないのに・・・。えっと、2人ぐらいそんな事が起こったから、警察も関連性を捜査中ってニュースで・・・」
「実はそのケースの被害者は1人や2人ではない」
「被害者ってまさか・・・」
「そうだ。これはMIDの起こした事件だ」
「そんな・・・」
「地道な調査の結果、MID事件と断定し危険エリアを絞るのでやっとだった。実績と実戦データが無いだけに心苦しいことだ」
「所長、現場の仁木捜査員より通信です!」
コンソールに向っていたスタッフが振り返って叫んだ。かなり焦っている。
「メインモニタに出せ!」
武者小路の声にも熱がこもっている。ナナメは事態についていけないながらも緊張に体がこわばる。
〈MIDと思われる反応を50メートル以内まで捕捉したところで、目標、動き出しました!〉
大きなモニタには「Sound Only」の文字と捜査員のバイタル指数がでかでかと映し出されている。
「こちらでも反応を確認した。追跡しろ!」
〈しています、が、速過ぎる!〉
「三本木以下、付近の捜査員を全て追跡に回せ!」
「了解――」
にわかに慌しくなる場に置いていかれたままオロオロとするナナメだったが、急に鈍い頭痛を感じてうずくまる。
「どうした、ナナメ君――」
発泡スチロールを擦り合わせたような不快な、高音域の騒音を浴びたような。
しかしそのような音源は部屋には見当たらない。――もっと高い位置から――ナナメは顔を上げた。大きなモニタが目に入る。そう、繋がったままの捜査員の通信の向こう側からそれは響いて来たに違いなかった。
〈路上に倒れている女性を発見!〉
ナナメの視線を追ってモニタを見上げたところに通信が入り、武者小路はナナメを振り返って凝視した。しかしはたと気づいたように声を飛ばす。
「様子は!」
〈映像、送ります!〉
次の瞬間モニタに映し出された映像を見てナナメは息を呑んだ。暗闇の中捜査員にライトをあてられた顔はひどく青白い。
「須賀さん!」
「なんだって!?」
倒れていた少女がナナメのクラスメイトだと聞いてデータが照合される。同時に捜査員の携帯する検査装置で調べられた須賀の状態が送られてくる。
「データ照合完了、市立大波中学校2年C組所属、須賀栞本人と確認」
「バイタル、MPともに低下、これまでの被害者と比べ軽微。命に別状はありません」
「追跡に気づいて途中で逃げたか・・・」
「これまでのデータから、MIDの摂取エネルギーは不充分、次のターゲットを狙う可能性81.2%です!」
「あのっ!須賀さんに何があったんですか?大丈夫なんですか?」
ナナメは武者小路にすがりつく。
「今回の事件の原因であるMIDは・・・、動物の魔法力を自らの活動エネルギーとして吸収する生物と思われる。蚊やヒルが血を吸うように。ただ、その量が蚊のようにかわいいものではないこと、魔法力と一緒に生体エネルギーまで吸い取ることが問題だ。魔法力は生物の体内に自然と蓄積されるもので、普通の人間が吸い取られたところでそれほど問題ではないが・・・生体エネルギーは別だ。今までこのMIDの本能のままに吸い取られた人間は、極度の衰弱状態に陥っている。人間の女性が狙われるのは、魔法力の質と量の問題だろう」
「なんでそんなモノが・・・」
「今は『なんで』より『どうするか』だ。聞いた通り君の友達は他の被害者ほど重傷じゃない。だが、次の犠牲者が出る可能性が高い。それを防げるのは君だ。・・・力を貸してくれないかい?」
七芽祐太郎の心は揺れた。MIDなんてわけのわからないもの、正直おっかないことこの上ない。しかし――モニタに映る須賀栞の青白い顔を再び見て、ナナメは背筋を伸ばし武者小路を見上げた。
「今の僕にしかできない事があるなら・・・、僕にできる事があるなら、教えて下さい!」
4.出撃!魔法少女
キキッ。光差さない夜の路地に、一台の高級車が止まり、特殊任務用の装備を追加したファンシーな服装の魔法少女が降り立った。
背中には丸みを帯びたバックパック、右手には途中で太くなったり曲がったり、円形のパーツがついたりしたメカメカしい杖。あまり魔法使いの杖っぽくはないが色だけファンシーだ。「トラン=ソイド」という名前があるらしい。
「装備の使い方は車の中で説明した通りだ。今日はここに仮本部を設営しサポートする。通信状態は良好か?」
「あー、あー、こちらマイクのテスト中?」
ナナメが胸元についたボールを引っ張って話し掛ける。コスチュームの一部で飾りに見えたそれは「通信用コミュニケーション及び生体データ、位置情報収集用・BALL」。略して「コム・ボール」。
「感度は良好。そのままオープンにしておきたまえ」
そのやりとりの間にも続いて現れた車の中から機材が運び出され、本陣が準備できつつある。既に交通規制が敷かれ、この区画に一般人が入り込まないようになっている。
「現在この先で追跡を行っていますが、なにぶん探知機では正確な位置まではわかりませんので・・・」
武者小路邸のラボでモニタ越しに聞いた声と同じ、スーツの男が駆け寄ってくる。須賀栞は既に医療スタッフの手に引き渡されたらしい。
彼女の事を尋ねたい気持ちをいっぺん横にどけておいて、頭の中でこの後の任務を確認する。
「それじゃあナナメ君、頼む」
「ハイッ!」
武者小路達がナナメから離れる。緊張して、女の子になってから少し高くなっている声がさらに裏返る。ナナメは一度深呼吸して、両手を前に突き出し、杖を回し始める。
「あっとと・・・」
バトントワリングの経験も無いし、杖は片方が重たくなっているので、いきなりくるくるとはいかない。それどころか、取り落としそうにさえなって慌てる始末。魔法の発動に必要なこの杖を落として壊してしまっては大変だ。それでも魔法を使うには様式が必要だ。
苦心して杖を数回転させた後、目の前に水平に掲げる。胸の奥が熱くなっているのも、杖が光りだしたのも、気のせいじゃない。いざ、魔法を使う瞬間だ。
「コマンド・センス!」
パアアアッ、と、掲げた杖の先がひときわ強く輝いて、杖の発光がおさまる。
「こっちだ!」
ナナメは杖の先をある方向に向けて走り出す。杖は再び光を放って明滅していた。
今まで集められたMIDの残留物やデータをあらかじめ杖にインプットし、精度の高い探知機として使用するための魔法が、ナナメの使った魔法だった。慌てて仁木捜査員がナナメの後を追って走り出す。
後に残された武者小路は、満足げにナナメの後ろ姿を見送っていた。
「ここだ!」
程なくして、杖の反応がことさら大きくなり、ナナメは足を止めた。
数人の捜査員が後に続く。そこは袋小路で、目に映る限り何も動くものは無い。きょろきょろと見回し、ビルとビルの狭い隙間に杖をかざしたところでナナメは一瞬固まった。
そこには、小さな、ちょうど映画のグレムリンといった感じの小鬼のような生き物が目を光らせこちらを窺っていた。
小さな、とはいってもナナメの腰以上の高さがある。見たことの無い生き物でそれだけの大きさがあれば、ぎょっとするには充分だった。
「あっ!」
呪縛が解けたかのように突如逃げ出す相手を条件反射的に追って、ナナメはその隙間に身を滑り込ませた。
しかし、大人の捜査員達にはその隙間は狭すぎた。ナナメは1人、MIDを追って隙間の奥へと消えていった。
「待て待てーっ!」
杖を振り上げて小鬼を追うナナメ。小鬼は振り返り、飛び跳ねた。そのままビルの壁面や電柱につかまりながら、ナナメの手の届かない範囲を逃げ回る。
ナナメは諦めずに追いかける。
長丁場になるかと思われたが、都合よく逃げ込めるようになっていたビルの隙間は行き止まりに達した。少し広い空間ができているが周りは掴まれるようなものもなく、絶好の捕獲チャンスである。
「よ、よおし、そこを動かないでね」
ナナメが魔法用の杖「トラン=ソイド」を向け、次の魔法を頭の中で確認している間に、相手に変化が現れた。
小鬼は両腕を伸ばし、腕の下に広がる膜をバサバサとはためかせ始めた。
「うそっ、まさか・・・」
小鬼の体が昏く光ったかと思うと、もはや腕と膜は翼と化し、小鬼は真っ暗な空へと飛び立った。
(このままじゃ・・・完璧に逃げられる!)
それでも小鬼の真下を走り続けるナナメの胸元で、武者小路の声が響いた。
〈飛行結界は設置完了している!ナナメ・・・飛べ!〉
ナナメはそれを聞いて意を決したように、正面を向いて全速で走り出し、行き止まりの前で思いっきり跳躍した。
「コマンド・ジェット!」
パアアアッ。
杖の発光とともに落下するナナメの足下に光る魔方陣が出現する。そして、バックパックの下部から強烈な勢いで何かが噴出され、落ちかかっていたナナメの体を下から押し上げる。
あらかじめ設置された結界発生装置により力場を形成し、力場と反発する魔法粒子を高速で噴出することによって空を飛ぶエリア限定の飛行魔法だ。
急激に加えられた上向きベクトルの反動で、ナナメの体に強い下方向Gがかかる。
「わああああっ!」
正面に迫る壁を蹴って三角跳びの要領で急上昇したナナメが空を逃げる小鬼MIDの前に踊り出る。
〈粒子の噴出を止めろ!結界の外に飛び出たら落下するぞ!〉
「コマンド・キャンセル!」
慌てて魔法を解除するナナメ。続けて、必死に杖を振り回す。
「コマンド・アブソープ!」
相手まで空を飛ぶとは考えてもいなかったらしく、目の前に飛び出したナナメを見、硬直したままのMIDに杖が振り下ろされる。
〈吸い取るのはおまえだけの特技じゃないのだよ〉
「AAAAAAAaltu――!!」
MIDが独特の怪鳥音をあげる。杖の一撃は打撃によるダメージを与えるものではなかった。MIDの体から杖の円形部分の六方陣に向かって光の奔流が流れ込む。MIDはガックリと力を失い、落下していく。
「あ・・・どうしよう!」
上昇をやめていたナナメもほぼ同時に落下し始める。しかしそのことよりも、無防備に落ちゆくMIDのことをナナメは考えていた。この小鬼のようなMIDがどんな生き物なのか詳しくは判らないが、この高さから落ちて無事である確証は無い。人間なら間違いなく無事ではすまない。生き物を殺すことに抵抗があるナナメのためにMIDを無力化する魔法――魔法力を吸収する魔法が用いられたわけだが、空中で使うことになるとは思っていなかった。
ナナメは、深く考えずにMIDの腕を掴んでいた。落下しながら。その間にも地面はみるみる迫ってくる。
「コマーンド・ジェットーっ!」
魔法が発動するが重力による加速度を相殺しきれずに落ち続け――
バキーン!ナナメとMIDは幸か不幸か丁度公園のベンチの上に落下した。ベンチを粉砕しながら。
「痛たたた・・・」
〈ナナメ君!!大丈夫か!返事をしろ!〉
ナナメは全身の痛みでしばらく動けなかった。だが、骨折などは無いようで程なく体を起こすことができ、背中の下で飛行魔法用のバックパックが粉々になっているのに気が付いた。
「えっと・・・僕は大丈夫です。多分MIDも。ごめんなさい、飛行用バックパック壊しちゃいました・・・」
〈それは気にしなくていい、君が無事ならば。そこは公園か?民間人を巻き込んだりはしていないか?〉
慌てて周囲をキョロキョロ見回す。今のが人に見られたら大変だ。MIDの事も魔法の事も世間には知られていないのだから。
(こんな格好も人に見られたら大変だ・・・)
「・・・大丈夫みたいです。多分」
〈そうか、すぐに回収班が向かう。念のため魔法は解除しておきたまえ〉
飛行魔法を解除して、ナナメは公園の出口へ向かった。動かないMIDを抱えながら。
ナナメの立ち去った後、破壊されたベンチの後ろの茂みの陰から頭を振りながら起き上がる人影があった。
「今のは・・・女の子?それと・・・」
飛ばされてしまった眼鏡を探し当て、フレームが曲がっていないか確かめる。思わず漏れた呟きに応えてくれるものはいない。
5.任務完了?
祐太郎は再びやわらかすぎるソファに埋もれていた。シャワーを浴びさせられ、かなり大き過ぎるバスローブを着ている。
体はもうナナメではない。武者小路邸に戻ってから、体に不具合が無いか医療スタッフの念入りな検査を受けた後、また大掛かりな装置に入れられ元の体に戻してもらえたのだ。
ガチャリ。武者小路が、部屋に入ってきた。かなり急いだ様子で、息を荒くしている。
「お友達の須賀さんは、うちの専門スタッフが処置した後一般の病院に移したよ。早ければ2、3日ほどで回復するだろう」
「そうですか・・・」
ホッと胸を撫で下ろす。命に別状は無いとは聞いていたが、改めて聞いて少しは安心できた。
「だが彼女・・・」
「えっ!何かまだ!?」
「中学生にしてはおっぱいが立派だねえ!」
「データの悪用はやめてください!!」
武者小路秋継、シリアスモードが続かない男であった。
「君にも怖い思いをさせたね・・・我々も、焦りすぎた。魔法の力に対し懐疑的な国の連中やライバル関係にある機関に対して確かな結果を見せつけようと、無理をした・・・」
「でも、僕がもっと早く引き受けていたら、須賀さんは襲われなかったんですよね」
「それは君の責任じゃない。彼女が塾の帰りあの場所を通った事、MIDがたまたま遭遇した彼女をターゲットに選んだ事、君にどうこうできることじゃない。責められるならば、MIDを追っていながら犠牲者を出した、我々が」
ぽろっ。ぽろぽろぽろっ。
「あれっ?僕、もうなんともないのに」
意に反して涙は止まらない。今は怖くとも悲しくともなんともないのに。
「気が緩んだのだろう。ずっと緊張していただろうから」
武者小路が祐太郎の前に膝をついて目線の高さを合わせてくる。
14歳の男子としては人に泣いているところを見られるなんてとっても恥ずかしい。涙はどうあっても止まらないようなので「見ないで下さい」と武者小路の視線から逃れようとする。
「身体が勝手に泣いてしまうんだから恥ずかしがることはない」
と言いながらもハンカチーフを差し出すと背を向けて祐太郎の涙が止まるのを待ってくれている。ただ、香水の匂いの染み付いたハンカチは当然のように上等そうなシルクだった。
「ありがとうございました・・・だいぶ落ち着きました」
流れるままに涙を出しきってしまうと、胸のつかえが取れたように随分とスッキリした気分になった。
「よくやったね」
「僕なんて、駄目ですよ・・・こんなこともう、できないですよ」
「だが君が、自分よりも適正の低い人間にこの任務をやらせて平気に暮らせるような子ではない事は、私にはわかるよ。・・・やってくれるね。魔法少女ナナメとして」
「そんな言い方、ずるいです・・・」
と言う祐太郎の顔は、言葉に反して晴れやかだった。
「ああ。私は卑怯だ。どんなことをしてでもこの街を守るだろう。だが、この街を守るために戦ってくれる君の事も、どんな事をしてでも守ると誓おう」
武者小路の言葉はやはり、芝居臭さが抜けなかった。
祐太郎はその日、そのままラボ内の寝室に泊った。両親は友人の結婚式に出席するため帰りは翌日になる。その事も調査した上で今日作戦を実行したのだと、武者小路は語った。帰りが遅くなってもいいようにと。
だが、一日で色んなショックを受けた祐太郎をこのまま1人帰すのは心配であったので、少しでもショックが薄らぐよう、朝になってから帰すことにしたのであった。
「あっ、せんぱ~い!」
数日後。以前と同じように下校時に白銀を見つけた祐太郎は、以前と同じように並んで下校していた。
「七芽のクラスの須賀も、前にニュースでやっていたのと同じ症状で倒れたんだってな」
意外な話題をふられて、祐太郎はどきりとする。事件の核心にいたものとしては。須賀栞はまだ登校してきていない。本人不在の席を見るたびに、祐太郎の胸はきゅっときしんだ。
「せ、先輩がどおおしてそれを?」
「同じ塾なんだ。その女子、塾の帰りに倒れたそうだな」
「そ、そうなんですか。何があったんでしょうね、おっかないですね・・・」
「ん、ああ・・・」
祐太郎の受け答えはかなり不自然になっている。しかし白銀は、自分の考えに没頭しているという感じでさして気に留めなかった。
「もしかしたら、その事件はもう解決しているのかもしれないな・・・」
「え!?」
驚いて白銀の顔を見る祐太郎だったが、普段から表情に乏しいその顔からは、どういう意味で言ったのか窺い知ることはできなかった。
(今日も魔法のお勉強だな・・・)
白銀と分かれた後、祐太郎は少し早足で家へと帰る。あれから、武者小路が魔法少女ナナメとして祐太郎を連れ出すための口実を用意した。
祐太郎は、若者だらけのゲートボールサークル「KOROGASHI」にスカウトされたと両親に説明したのだった。
オーナー兼部長の武者小路が、今後練習や試合、合宿に連れ出すこと、勉学に差し支えはさせないこと。それどころか練習の合間に自ら勉強を見てくれるとまで約束したのだ。
両親ははじめ祐太郎の年の離れた友人の出現に驚いた様子だったが全面的に祐太郎を信頼し自主性を尊重しているので、怪しげなサークルへの参加許可は下りてしまった。普段過保護な割に驚くほど寛容であったので祐太郎は驚いた。。
「でも、遺伝子情報を書き換えて僕の身体は女の子にされちゃったんですよねえ。そんなことができるんだったら、僕じゃなくてもいくらでも魔法適性遺伝子に書き換えてしまえるんじゃあ・・・」
迎えの車で武者小路のラボに来て、魔法についての説明を受けたり新しい魔法装置の試運転をしたりしていた祐太郎は、ふと思いついたことを口にした。
「ぎくっ。・・・遺伝子情報が違うということはつまり全く違う人間という事だ。祐太郎君の変異は比較的安全なものであるが、都合良く遺伝子を書き換えてしまうということは、本来そうできる事じゃないのだよ。リスクが高すぎる」
「比較的・・・安全?」
聞き捨てならない言葉を聞いて祐太郎は首をひねる。
「それに、ジェネティック・トランス・システムも位相を君に合わせて設定されているし、マジック・ドライバもソフトも使用者を七芽祐太郎・・・いや、ナナメに合わせて設計されているからね。今更別の人間になんてできないよ」
「最初っから問答無用で僕にやらせるつもりだったんですね!?」
「言っただろう、君しかいないと」
悪びれもせずに武者小路は言う。ちなみに「KOROGASHI」のキャプテンのふりをする時以外は「博士」と呼ぶことを祐太郎は義務付けられた。
祐太郎はがっくりと、肩を落とした。
「魔法少女なんて、簡単に引き受けるもんじゃない・・・」
こうして、七芽祐太郎の悩みリストに、おいそれと人には言えない、とっておきの項目が追加されたのだった。
今日も、魔法少女ナナメは戦っている。街をMIDの脅威から守るために。
負けるな、魔法少女ナナメ!
泣くな、七芽祐太郎!
第一話 完
20年近く前に書いていたものを加筆修正いたしました。読んでくださる方がいればもっと書きたいです。あの人やあの人の仲を進展させたいです。
ありがとうございました。